第二話
雪原寧々は次の日もやってきた。
手にはあの時と同じタッパ。しかし中身はカレーではなく、ビーフシチューのようだった。
「すみません。その……もしよかったら……」
「全然全然。ありがたくいただきます」
俺はまたも二つ返事で受け取った。
タッパを受け取ると、彼女は花のように喜んで笑う。
それが間近で見られるだけで、正直味などどうでもよかった。
「——あっ、そうだ」
俺は彼女を玄関に残すと、昨日カレーが入っていたタッパを取りに戻った。
空になった大きめのタッパ。ちゃんと綺麗に洗浄したそれを、俺は彼女へ差し出す。
「あのこれ、美味しかったです。ありがとうございました」
彼女は空になったタッパをまじまじと見つめながら、
「本当に美味しかったですか?」
俺の瞳を真っ直ぐに、見つめ返してきた。
それは真実か? そう問いかけるかのような、審判の眼差しだった。
「も、もちろんですよ。でなければ今日、ビーフシチューを喜んで受け取ったりはしませんって——」
額に汗を浮かべながらそう弁論する俺に、彼女は悲しそうな表情で首を横に振った。
「いいんです。わかってますから……。私、あまり料理が上手じゃないので。マサカズさんにもよく言われるんです」
「そ、う、なんですか……」
目に見えて落ち込んでしまった彼女に、俺も思わず声のトーンが下がる。
「私としては上手くできている自信はあるんですが、どうも私の舌は他の方とズレているらしくて……よく怒られちゃいます。使っている圧力鍋も、操作方法がまだよくわからなくて……」
そう言って無理矢理に笑顔を浮かべる彼女。
なだらかに下がった肩が目に見えて落ち込んでいく。
「それなら……」
俺はこの時、正直自分でも驚いていた。
まさか無意識のうちに、こんな言葉が口をついて出ていくとは……。
「練習しませんか? 今、マサカズさんいらっしゃらないんですよね。だからその間を利用して、料理の練習なんてどうでしょう。俺、料理しないのでアドバイスとかはできないんですけど、作り過ぎてしまっても、俺が全部食べます。それで、感想を言うぐらいならできると思うので……。それでマサカズさんが帰ってきて、寧々さんの料理が上達していたら、たぶんめちゃくちゃ喜んでくれるんじゃないかな」
かなり身勝手なことを言っている自覚はあった。
その理由が、自分で料理が下手だと言っている寧々さんのためなのか、寧々さんともっとお近づきになりたいと思っている自分のためなのかはわからない。
けど、口から出てしまったものはしょうがない。
俺は必死になってその提案を彼女へ熱弁した。
「どう、でしょうか……」
俺は探り探りで彼女の反応を伺う。
彼女は驚いたかのように目を丸くしていたが、次第に元の表情を取り戻すと、「こちらこそ、よろしくお願いします」と頭を下げた。
俺はこの時、天にも登る気持ちだった。
日々憧れていた彼女の手料理を俺はこれから数日間、毎日食べられるのだから——。
「それじゃあ早速、ビーフシチューいただいちゃいますね。昨日のカレーも美味しかったですけど、少し変わった味がしましたね。何か特別なことをされたんですか?」
「えっと、それは……」
しばし答えあぐねる彼女。しかしすぐに「秘密です」と言って隣の家へと退散してしまった。
その行動に俺は多少違和感を覚えたが、しかしすぐに彼女から貰ったビーフシチューのことで頭の中はいっぱいになった。
この時食べた料理も前回同様、不思議な味がした。
そして驚いたことに、ビーフシチューだと思っていた料理は意外にも、
——ポークシチューだったのである。