連日のデート
朝食時、父から宝石商が来ると伝え忘れていたと言われたナタリアは、ディアーズから聞いてると答えた。
父はディアーズに礼を言ってから、ナタリアを見て話を続ける。
「宝石商が来るのは午後十五時。滅多に王都から出ないクレメンス公爵令息がいらしているので、植物園でも案内したらどうか」
植物園は随分前に造られていたが、観光事業の一環で整備し直したとこだった。
今回見てもらって王都で話をしてもらえたら良いかな、と思ったナタリアはテオドールに聞いてみた。
「今日の予定は何かありますか?十時には開門しますが」
「今日は何もありません。植物園行ってみたいですね。案内してもらえますか?」
「はい。あまり詳しくありませんが」
植物園は城から馬車で二十分程かかる。
また後で、と一度部屋へ戻り支度をすることにした。
服装はどうしますか?とテオドールに聞かれたナタリアは少し考え、いつものように軽装で、と答えた。
勿論貴族も遊びに行くが、裕福な平民も行く場である。そして、植物園内は大きめの温室があったり、池があったりで、歩くことを前提に出かける場所なので、きっちりしたドレスは辛い。だから植物園へは軽装で、という事も伝えた。
ナタリアは出勤時よりも仕立てが良いワンピースにした。
メイドも出勤時より髪型を凝って作り、やり遂げた感がある。
玄関ホールに向かうと、既にテオドールが待っていた。
いつも朝送ってもらう時と同じような服装だ。帯剣もしている。
お待たせしましたとナタリアが言うと、今来たところです、と腕を差し出す。
エスコートしてくれるようだ。ナタリアはテオドールの腕にそっと手を添える。
今日は辺境伯の家紋入りの馬車を使う。
馬車内では向かい合って座るが、夕食後の談話室効果か、話は途切れることがなかった。
植物園に着いたのは十時十五分過ぎ。
入場料も支払い入園する。
入園してすぐにあるのはアーチ状に蔓を這わせた植物で、今が見頃の白い花が咲いている。
「ああ、いい香りですね。香りのトンネルをくぐっているみたいだ」
「この花は爽やかな香りなので、老若男女問わず好まれますね。香油にも使われたりします」
「成程。リアの髪の香油はこれですか?」
「そうです。あまり強い香りは好きではないので」
「そうですか。いい香りです」
テオドールはナタリアの頭にキスをする様に顔を近づけ、すんっと香りを確認した。
ナタリアはそんなことをする男性に会ったことがなく、突然の行為にドキドキしてしまい、思わず顔を伏せてしまった。
テオドールはそんなナタリアの反応を見て、可愛いなと思う。零地点から相手を見ると言っているが、ともすればプラスに針が振切れるのは自覚している。毎日の送迎でさえも楽しく、些細なことでもナタリアを知りたいと欲が出る。
ナタリアは気がついていないだろうが、テオドールの頭の中でのナタリアのイメージは確かに一度リセットされたが、元々好意的に思っていたことはリセットされていない。
毎日会うことで、ナタリアの姿は見えてきた。
以前は正直な人だというだけだったが、今は真っ直ぐで正直な人だと思う。
テオドールは、この植物園は恋人達のデートにぴったりだ、と王都で噂に聞いていた。そこへ二人で来ているのだから、きっと噂になるだろう。このホークムーンの町からドーレ領内、もしかすると王都まで伝わるかもしれない。その時にはナタリアときちんとした形になっていたいとテオドールは思った。
アーチを抜けると大きめの温室だ。
この中は多種のフルーツの木や花が育てられている。
其処此処に蝶の姿も見られ、とても楽しい空間だ。
根の張り具合いを考えて植えられている木は、元気よく成長し、立派にフルーツを実らせている。
『ここはお腹がすきますね』という冗談に、ナタリアは笑った。テオドールは騎士である上に背も高く体格が良い。その為か、一回の食事量はドーレ家の誰よりも多かったことを思い出したからだ。
「もう少し先に、飲食できるお店がありますよ」
「ではそこまで我慢します」
「ふふっ、そうしてください。フルーツを使ったタルトが美味しいですよ」
「タルトですか、楽しみですね」
ナタリアは、テオドールがちゃんと自分を見てくれることが嬉しかった。
最初から断る前提にしない、と約束してからは、テオドールの為人を見ようと意識していた。
一度意識するようになると、色々と理解してしまう。
顔が良い、騎士らしい姿、子供も好きだし好かれる。そして話のテンポが心地良いとわかってきた。
ナタリアの同僚は平民だが、彼等を見下すことなく会話をする姿も好ましく思う。
ナタリアのこれらの感情は未だ『点』だが、点同士を繋げた時にどんな物になるか考えもせず、ただ、テオドールを見るという事で新たな点集めをしている状態だった。
温室を抜けると、大きな池がある。とても大きいので、ボート遊びも出来る。
池の周りには遊歩道も整備されているが、軽く飲食ができる店もあり、先程のタルトの美味しい店はここの事だ。
店に入り、店員から池がよく見える席を案内された。
二人は向かい合って座り、開け放した窓から外の池を見た。
「ああ、ボート遊びも出来るのですか。この後、行きますか?」
「そうですね。今日は少し暑いので池の上は涼しい風が通って気持ち良いでしょうね」
「そうですね」
タルトと紅茶が運ばれてくる。
フルーツのタルトと、ナッツのタルトを選んだ。
少し大きめのタルトで、運ばれてきたときのインパクトはなかなかだ。
「想像していたよりも大きいですね」
案の定、テオドールはタルトを見て第一声がこれだった。
してやったりとナタリアは喜ぶが、本当は一つを食べ切る自信がない。
「お得感を出したくて少し大きめを作るようになったんですが、女性には少し大きすぎました」
正直に話すと、ふふっと笑ったテオドールが『半分ずつにして、食べきれないなら残してください。私が食べますよ』と提案してくれた。
「ありがとうございます。二種類食べられて、さらに嬉しいです」
ナタリアは好意に甘えることにした。
窓から入る風も心地良い。
護衛も付かず離れず適度な場所で待機しているが、二人は全く気にすることなく会話を楽しみ、穏やかな時間が過ぎていった。
店を出て、ボート乗り場へ向う。
貸しボート屋の店主は、ナタリアと気がついたが二人を他の客と同じに応対した。
ボートはひっくり返ることのないように桟橋にきちんと括り付けてあるが、それでもナタリアは緊張する。
テオドールに支えてもらいゆっくりと乗りこみ座る。
店主はナタリアが座るのを確認し、固定していたロープを外す。そしてテオドールがゆっくりと漕ぎ出した。
ナタリアは用意しておいた日傘をさし、正面のテオドールを見る。
「ボートは久しぶりです。王都では遊ぶ場所がないので」
「そうなんですか。最後はどちらでした?」
「公爵領内の池でした。あの時は妹と一緒でしたね」
「ナーシャ様と。ああ、ナーシャ様が今、お幸せそうで良かったです」
「そうですね。色々大変でしたけど、妹は幸運だったのかもしれませんね」
確かに、突然しかも隣国へと嫁ぐことになってしまったけど、話を聞く限りでは現在は幸せそうだ。イザベラ様が嫁いていても、きっと大切にしていただけただろうけど。そういえば、いつからイザベラ様とクロノスはあのような関係にっていたのだろうか。ナタリアは今頃になって気になった。はたしてテオドールは知っているのだろうか。
「今更ですが、イザベラ様とクロノスがいつからお付き合いしていたのか、テオドール様は知っていますか?」
「はい、聞きました。リアは聞かなかったのですか?」
「ええ、なんだかあの時はそこまで考えませんでしたが、ふと気になって」
「あの二人は、発覚するニヶ月前からだと聞いています。イザベラ様が、リアに優しく接するクロノスが気になった。そして学園で声を掛けたそうですよ」
ニヶ月前。それで妊娠騒ぎとはどちらも早すぎる。
改めてナタリアは頭が痛くなった。
「あ、そういえば、あの二人も幸せにやっているんでしょうか?」
「そうですね。私は直接話すことはないんですが、夜会や舞踏会では普通に見えます」
「それなら良かったです」
「良かったですか?リアは優しい。私だったら別れてしまえと呪いますね」
「あら、でもテオドール様は前の婚約者様のことは、幸せそうで良かったと仰っていましたよね。テオドール様の方が優しいです」
「そういえばあの二人を呪おうとは思いませんでしたね。何故だろう」
テオドールはボートを漕ぐ手を止めて考える。
そしてナタリアを見てぱっと破顔して言う。
「ああ、私が今幸せだからかな」
『ぐっ』と何かに胸を撃ち抜かれたような感じがしたナタリアは、思わず胸を押さえた。
そんなナタリアにテオドールは驚き『どうしましたか』と聞いたが『大丈夫です。少し···いえ、大丈夫です』と曖昧に答えられた。
心配になりボート遊びは止めることにし、陸に戻ってからは池が見える木陰のベンチに座った。
「体調が悪ければ戻りましょう。どうですか?」
「いえ、もうすっかり平気です。ご心配おかけしてすみません」
「いえ、お気になさらず」
一部始終を見ている護衛達は、ナタリアがいつテオドールに完落ちするか時間の問題だな、とコソコソと話し合っていた。
結局植物園はそこまでにし、昼食にしようと町へ行くことにした。
昨日とは違う店に入る。
しかし、ナタリアは先程タルトも食べていたので、あまり空腹は感じていない。そのことを話すと『ではリアは軽いものを、もしそれでも食べきれなかったら私が食べますよ』と言ってもらえたので、サンドイッチを頼むことにした。
テオドールはメインが魚のランチセットにした。
ここも主に庶民が入る店。しかし、テオドールは全く気にする素振も見せず、自然に振舞っていた。
テオドールがチラリと懐中時計を見る。その姿を見た時、ナタリアは少し胸がざわついた。
今日はなんだか胸がおかしい。そんなことを思ったが、テオドールが『ああ、間に合いますね』と言ったことで、テオドールが宝石商が来る前に城へ戻るように気にしていたのか、と気がついた。
「大丈夫ですよ。ゆっくりしてもここから城は近いので」
ナタリアはテオドールに言うと、そうですね、ゆっくりしましょう、と微笑まれた。
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