テオドールのいる風景
ナタリアは辺境伯令嬢ということから、周りには騎士達が沢山いる環境で育った。
現在のドーレ領に戦いはないが、いつ有事となるかわからない。その為に騎士団は常に稼働可能な状態になっている。
騎士団の宿舎と訓練所は城の敷地内にある。
ドーレには魔法師団もある。
魔法師団とはその名の通り、魔法師が在籍するが、戦いに特化した魔法を駆使する者の他、回復魔法を使う者もいる。
魔法師団も城の敷地内に宿舎と訓練所がある。
町の安全に関しては、ドーレ領には警邏隊という組織がある。
警邏隊はドーレ騎士団が訓練する。
警邏隊の宿舎と訓練所は各町毎にあり、こちらもしっかりとした壁で囲まれている。
ナタリアは幼少時、魔法師団に師事し魔法を習ったが、魔力量が特別多いわけではないし、生活に必要な火を点ける、お湯を沸かす、あとは自分自身に防御魔法位しか今は使わない。今は使わないというだけで、目的のもの(人、物)を吹き飛ばす風魔法とかは使える。
貴族令嬢という立場上、念の為に防御魔法は自分自身に掛けているので、職場への往復に不安はない。
昨日テオドールからあった『職場への往復を守らせて欲しい』という提案は無意味だと高を括っていたが、驚くべきことに、今朝は観光客から声を掛けられることはなかった。
そう、現在ナタリアの隣にはテオドールがいる。
ナタリアに合わせて服装は軽装だが、帯剣しているので平民には見えない。
開店準備をしている表通りの店の店員達は、見たことのない背の高い男がナタリアの隣を歩くことに驚いているが、そんな彼等すら声を掛けられない。
ナタリアは、毎日この通りを歩くと朝の挨拶はあるのに今日は静かだな、と周りを見ると皆一様に目を丸くして動きも止まった状態でこちらを見ていることに気がつき、原因がテオドールだと思うと気恥ずかしく思った。
会話もなく職場の裏口に到着すると、ナタリアの同僚三人が既に待ち構えていた。
いつもは遅刻ギリギリのジュードまでいることには呆れてしまった。
「クレメンス様、おはようございます」
「おはよう」
「今日は所長を送って来たんですね」
「これからは送りも迎えもしますよ」
「それは安心です。お茶いかがですか?」
「いえ、仕事の邪魔になるといけませんから」
「朝イチで仕事探しに来る人なんていませんから、さ、どうぞどうぞ」
三人がそれぞれテオドールに声を掛け、あっと言う間に建物内へ連れて行ったが、建物内は暗いため入り口付近でナタリアを待っていた。
ナタリアは魔導ランプを点けて廊下を歩き、室内へ入り魔導ランプを点ける。その様子を見ていたテオドールは『魔導ランプだからナタリア嬢しか点けられないんですね』と納得していた。
平民には魔法が使える者がかなり少ない。しかし魔導ランプはオイルランプより安全なので、ナタリアは使用していた。
ナタリアがいつものようにお茶を淹れ、皆に配る。
今日は自分の机の横にもう一つ椅子が用意されて、そこにテオドールが座っていた。
ここか、とナタリアは自分の机にテオドール用のお茶を置き『どうぞ』と声を掛ける。
椅子は予備で用意しておいた物なので、一応背もたれも肘掛けもある。初めてこの椅子に座ったはずなのに、何故かしっくり馴染んで見えるのは、テオドールが堂々としているからだろうか。
ナタリアに礼を言い、一口飲んで『ああ、とても美味しいです』と笑うテオドールは、やはり良い顔だと思う。
ナタリアは断るつもりだったので、あまりしっかりと顔を見ていなかったが、昨日零地点から考えると言った手前きちんと相手を見るのが礼儀と思い、今日は相対する覚悟を持っていた。
「お茶を淹れるのが上手ですね」
「私もメイドに教わりましたし、茶葉も城と同じものです」
「そうですか。本当に美味しいです」
そんなやり取りを同僚三人は不思議そうに見ていたが、メリッサが堪らず声を掛けた。
「昨日とは雰囲気違いますね。なんだか落ち着いたというか」
「ああ、昨日は恥ずかしいところを見せた。できれば忘れてもらいたい」
「ええ?何があったんですか?」
「いや何も。ただ、話し合ってお互いをきちんと見る事になった、ということだな」
「へぇ」
メリッサはナタリアを見る。
ああ、何か言いたそうだなと思ったが、メリッサではなくランバンから言葉が出た。
「所長からその言葉を引き出せただけでも凄いですよ」
「そうなのか?」
「今までの見合い相手とは、並んで歩いている姿なんて見たことないし、何なら会話をしたのだって去年の人だけじゃないかな」
「去年の人?」
「大きな商会の二男で、ドーレの利益になるって言われて所長が悩んでいるうちに、勇み足で退場になったんですよ」
「勇み足?」
「ナタリアの夫がオーナーの店って謳って、店を開店させたんです」
「···それは良くないね」
「でも所長は甘いから、今でもその商会とは付き合いがあるんですよ」
「あの二男とは会ってないわよ」
「でも甘いですよ」
「いい品物をかなり安く卸してくれるから、そこはやっぱり割り切らないとね。あの人も相当反省していたし」
話が変な方向に向いたためナタリアは割って入ったが、それ以降は同僚達から『甘い』だの『ふんだくってやれば良かったのに』等と叱られた。
その様子を見ていたテオドールは『私は気をつけなくては』と呟いていたが、誰にも聞かれることはなかった。
テオドールは三十分程滞在し、城へ戻って行った。
テオドールがいなくなると、近隣の店から次々と人が押し寄せた。あまりに人数が多かったので代表三名が残り、他は皆帰った。
勿論聞かれることはテオドールとのこと。
身分は誤魔化したが、今年の見合い相手だということは伝えた。
「随分といい男だったねぇ、ありゃあ町の若い娘も黙ってないよ。ナタリア様、気をつけた方がいいねぇ」
なんて、雑貨屋のおばさんが一声掛けて引き揚げていった。
何を気をつけるのかわからず困惑しているナタリアに、メリッサが言う。
「所長、大丈夫ですよ。所長の見合い相手だってことは今日中に広まります。あわよくば、なんて考える女はそんなにいない筈です」
あわよくばお手つきに、ということか。しかし、それは自分が気をつけることでは無いのでは、と答えると三人揃って落胆していた。
「所長、それはクレメンス様には言わない方が良いですよ」
「そうなの?」
「可哀想です」
「そうなの?」
「そうです!」
「わかった。言わない」
三人が同意見らしいので、ナタリアは言わないように気をつけることにした。
この日の求職者は午前零、午後は四人だったが、職場見学までいく人はいなかった。
いつも通りの時間に入口の鍵を締め、魔導ランプを消して裏口へ行く。
てっきりテオドールが迎えに来ると思っていたが来なかったので、同僚三人は肩透かしをくらった気分になりながら表通りまで来た。
少し離れた所で、若い娘がきゃあきゃあと群れている。
群れの真ん中には困った顔をしたテオドールがいた。
ジュードとメリッサが近づき、群れの近くで声を掛ける。
「はいはい、ちょっと開けてね、ナタリア様のお相手を通してね」
ジュードの言葉に娘達はジュードを見ながら答える。
「え〜、どうせ断るんなら良いじゃない?」
「去年のお相手を忘れたの?順番は守らないと痛い目見るよぉ?」
「そうだけどね〜。じゃあジュード、今日飲みに行こうよ」
「僕は家に可愛い子が待っているから駄目だねぇ」
「やっぱり〜?」
こんな会話の中で、メリッサはテオドールの手を取りさっとナタリアの所まで連れてきた。
「はい、あとはお願いしますよ」
メリッサとランバンはジュードを助けに向かった。
テオドールは『遅くなりました』と言って腕を差し出す『ああ、腕を組んで女性除けになってくれということね』とナタリアは理解して、素直に腕を組んだ。
娘達がまだわいわいしている横を二人は通り過ぎる。
目敏い娘が『ああっ』と声を上げるが、二人は聞こえないふりをして歩いた。
「明日、皆に礼を言わないと」
テオドールはナタリアの顔を見て話し掛ける。
「明日のお迎えはなくても良いですよ」
「いえ、心配ですから」
どっちが守られているのかわからないナタリアだった。
今日の夕食は待たせるわけにはいかないと、ナタリアは少し早めに食堂へ向かった。
食堂の近くで兄夫婦と甥っ子のレイソンと会う。
『リア』と駆け寄るレイソンが可愛くて、手を広げてしまう。
「レイソン、走っては駄目ですよ」
すかさずディアーズが注意をするが、ナタリアはレイソンを抱き上げて頬にキスをした。
「レイソン、今日も元気でしたか?」
「うん、げんき」
「それはいい子でしたね」
「うん、いいこ」
ナタリアはレイソンを抱っこしたまま食堂へと向う。
食堂の扉の前でテオドールと会った。
「おや、抱っこですか?」
レイソンは昼食も一緒だったせいかテオドールにはもう慣れたようで、ナタリアに抱っこされたまま体を捻り手を広げ、テオドールに『だっこ』と抱っこをせがんだ。
テオドールも慣れた様子でレイソンの脇の下に手を滑り込ませて抱き上げた。
「レイソン君はナタリアが好きですか?」
「うん、リアすき」
「リア、リアですか。可愛らしい呼び名ですね」
テオドールにリアと言われ、少し恥ずかしく感じたナタリアだったが、ディアーズが『リアって可愛くて良いですよね。ナタリア、呼んでも良い?』と聞いてきた。構いませんよと答えると『だそうですよ、テオドール様』と、何故かテオドールもそう呼ぶようになっていた。
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