兄の思いとナタリアの思い
ディアーズも初耳だったのか、驚いたようでケネスを見る。
ケネスはナタリアを見ながら、静かに諭すように話す。
「ナタリア、お前が五年前に受けた衝撃を想像するのは難しい。お前は思ったことはすぐ口に出すのに、大切なことは飲み込んでしまう。あれからお前が王都に行かないのは、未だにクロノスを思い続けているからだと勘違いされても仕方がないことだ。私達家族は勿論、殿下もそんなことはないとわかっている。しかし、そう見えてしまうものなんだ。だから、殿下はお前が気に入りそうな男を探して連れてくる。しかしお前は首を縦に振らない」
じっとナタリアを見る。
「本当は、どうなんだ?」
三人の目がナタリアに向く。
「お前がクロノスを忘れられないと言うのなら、あの二人を別れさせることは無理でもお前を守ることはできる。しかし、お前は肝心なことは言わないじゃないか」
ディアーズも静かに心配そうに見ている。
「ナタリア、私達はお前に幸せになって欲しい」
ケネスはナタリアから目を逸らさない。
空気が重い。ナタリアは何か言わなくてはと言葉を探す。
「お兄様、私は今幸せです。仕事をして、ドーレに居られて」
「ああ、そうだね。私達はさらに、お前の隣にお前が愛する人と並んで欲しいと欲張っているんだ。そう、これは私達の勝手な願望だとわかっている。でも、お前が最後に愛した男がクロノスだなんて、そんなのは嫌なんだよ。お前を傷つけた男だなんて」
衝撃。
最後に愛した男と言うのは大袈裟だと思うが、あの瞬間まではクロノスを好きだったから嘘ではない。でも、それが嫌だという理由から結婚を望まれているとは思わなかった。
「殿下は来春結婚したら、皇太子としての公務が今より忙しくなる。たぶん、お前を気にかけてやることもできなくなる。だから侍女に任命するとしたのだろう。侍女ならば社交界に顔を出さなくても問題ないからな」
確かに領地に籠もって仕事してますというだけでは、後々差障りが出てくるかもしれない。
「テオドールは、殿下とは違う形だがお前のことを気にかけてくれていた」
ケネスはクレメンス公爵令息を見る。
「随分前にナタリアのことを聞かれた時、似たような経験者通しで話をしたいのかと思った。しかし、テオドールは手紙も寄越して、ナタリアのその後を聞いてきた。そして会いたいと何度も手紙に書いてきた。正直私は似たような経験をした二人が結ばれるのは嫌だ。確実に社交界では噂になる。そうするとナタリアはまた嘲笑される。でもね、ナタリア」
ナタリアを見る。
「テオドールは、真っ直ぐで優しいいい男なんだ。そんな友人の願いを無碍に断るのは苦しいんだ」
ケネスが顔を歪めて話す。こんな表情は初めてかもしれない。隣でディアーズがケネスの手をそっと握る。
「ナタリア、全部話してくれ。なぜ結婚に躊躇する?なぜドーレに拘る?お前が言わないと、私達は何もわからない」
ケネスのこの苦しさに比べたら、ナタリアの理由なんて子供っぽいと恥ずかしくなる。
しかし、今言わないと兄が可哀想だと思った。
「私が王都へ行かない理由とか、ドーレに拘ることとか、本当にたいしたことではなくて···」
ケネスの目を見る。
「私、気が強いじゃないですか。社交の場でクロノスに会ったら嫌味から始まり説教で終わると思うんです。でも、それは流石に周りの目が···ね」
ディアーズを見ると小さく頷く。
「だから会わないようにしようと思って、王都には行かないと決めたんです。仕事を理由に。あと、ドーレに拘る理由は···」
皆、静かに言葉を待つ。
「本当に、子供っぽくて、恥ずかしいんです。あの···へ、平和祭りの花火が好きなんですっ」
さっきまでとは違う空気の静けさが漂う。
ナタリアは居心地悪いが、こればかりは仕方がない。本当の気持ちを言ったまでだ。
「良かったわ、本当に良かった」
ディアーズが呆然としながらも声を出した。
「だって、クロノスのことなんて好きじゃないんでしょ?それがわかっただけでも、本当に良かったわ」
ディアーズに表情が戻ってきた。
「婚約者がいながら王女にちょっかい出す、そんな考えなしの男を今でも好きだったらどうしようかと思っていたの。だけど杞憂だったのよね」
ディアーズは少しずついつもの調子を取り戻してきたようだ。
「平和祭りの花火だって、この時期にドーレに帰ってくれば良いだけの話よね」
それはそうだ。
「それなら、王太子妃付の侍女は、かなり良いお話よね。だって、必ず王家から誰かが平和祭りには来るのだから、その時に侍女として付いて来れば良いのだもの」
その言葉に焦ったのはクレメンス公爵令息だった。
「ちょっと待って。私のことを忘れているでしょう?」
皆の視線がクレメンス公爵令息へと向く。
「私はナタリア嬢に求婚したのに、どうしてそっちへ話が傾く?」
先程までのこの場の雰囲気に、ナタリアはすっかり忘れていた。
ケネスがクレメンス公爵令息に答える。
「ああ、そうだったね。今日求婚したって言ったっけ。でもね、先程も言ったけど、二人が結ばれたらナタリアは噂の的だろう?それは嫌なんだ。会いたいって言うから会わせた。それで良くないか?」
「何でそれで良いんだ?いいかケネス、よく考えてくれ。私は公爵家嫡男でいずれ公爵になる。その夫人を笑うのは失礼とされているだろう?」
「表面上ね」
「例え表面上であってもだ。我々に向かって嘲笑うことはない。どうしても心配なら、私が常にナタリア嬢の隣に居よう。社交の場を選んでも良い。平和祭りの花火だって、毎年一緒に見に来よう」
クレメンス公爵令息はナタリアを見つめて言葉を続ける。
「貴方にとって、私の何が良くないか教えてくれないか?」
心情を暴露する病にでも罹ったのだろうか。
今度はクレメンス公爵令息について話せと言われ、ナタリアは溜息をついた。
ナタリアがクレメンス公爵令息と話すのは、今日の昼を入れても三回目だ。この人の善し悪しなんてわからない。それを言っても良いのだろうか。
ナタリアは言葉を選びながら答える。
「昼にも話しましたが、私の何が良いのかわからないんです。はっきり言うのは我慢が出来ない性格ということですし、先を見据えることは出来ません。昼にも話しましたがあれは意地悪です。今まで身近に居なかったタイプを強く記憶に残してしまった為に、クレメンス公爵令息様は興味を持ってしまったということだと思います」
「クレメンス公爵令息なんて長いでしょう?テオドールと呼んでください。皆そう呼んでいる」
クレメンス公爵令息はケネスとディアーズを見た。
そしてナタリアを見て『ね』と微笑んだ。
ナタリアは昼も思ったが、クレメンス公爵令息は顔が良い。線の細い良い男ということではなく、騎士らしさのあるしっかりした良い顔だ。そんな男が優しく微笑むなんて、気をしっかり持たないと持っていかれそうだ。
『うっ』としたナタリアにケネスが『それで満足するならそう呼んでやれ』と言う。
「じゃ···あ···そうします」
ナタリアが絞り出すとテオドールが『ありがとう』と笑みを深くした。
「えっと、では続きを。テ、テオドール様がうっかり興味を持ってしまった人間が目の前にいない。会うことも話すことも出来ずにいるうちに、テオドール様の頭の中で都合の良い人間に作られていたんだと思うんです。だから、きっと幻滅すると思います、あまりに違うと。私はそれが嫌なんです」
ナタリアは遠慮なく正直に答えた。
もうこれ以上説明できない。頼むから理解して欲しい。無理なら兄にフォローをお願いしたい。
祈る気持ちでいると、テオドールが声を出す。
「成程、私が先入観を持っているのではないか。それは実際のあなたと乖離しているとあなたは思っている。そしてそれが嫌だということですか」
良かったわかってもらえた、とナタリアは安堵した。
テオドールは自分の顎を人差し指で撫でながら何やら考えている。
そして答えが出たのか、ナタリアを見て優しく話し始めた。
「その考察ができるのもあなたの頭の良さだと思いますが、まずはあなたの気持ちを受け容れましょう。私が目の前で見たことは消せませんが、あなたがこういう人だろうという想像は止めます。まず、フラットな状態であなたに接することを約束します」
「ありがとうございます」
「ですからナタリア嬢も、最初から断る前提は止めてもらえませんか。私があなたを正しく見ようと思っても、あなたが私を見てくれないのは悲しい」
成程、それを言われると答えに困る。
自分は最初から、誰であろうと断ろうとしていた。自分自身が相手を知ろうとしないのに、自分を勘違いしているから嫌だと言うのは傲慢だったかもしれない。ナタリアはふとそう思った。
「それはそうですね。では、断る前提ではなく零地点からということで」
「ありがとうございます」
テオドールは嬉しそうに微笑んだ。
二人のやり取りを見ていたケネスだが、妹は案外チョロいんだな、と先が見えたようで溜息をついた。
その後の談話室ではテオドールとケネスの学生時代の話や、ケネス夫婦の長男レイソンのことなどで、賑やかに時間が過ぎていった。
レイソンの所へ戻ると席を立つディアーズと共に退室したナタリアは、何故だか一仕事終えた感覚だった。
ナタリアに対して夢を見ていたテオドールを、何とか現実に引き戻すことが出来たということが、よくわからない達成感を感じさせているようだ。
ナタリアはレイソンを迎えに両親の部屋へ行くディアーズと別れた後も、心軽く自室へと戻りぐっすりと眠りについた。
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