公爵夫人の機密文書
翌日からナタリアは、式への招待状と披露パーティの招待状を書き始めた。
数は公爵家の半分らしいが、それでも丁寧に書いているので疲れる。
宛名に間違いはないか、書き漏らしはないか、母にもチェックしてもらう。
テオドールは仕事をしながら書いているのだろうか、仕事を終えてから書くのは大変だろう、とナタリアは思う。
テオドールは、アルヴィン殿下に式が三月二十日に決まったと伝えた。
殿下は目を丸くして『早すぎない?四月じゃなかった?』と驚いていた。しかし、次にテオドールから言われた言葉でさらに驚いた。
「式は二十日ですが、元々三月で近衛騎士を辞する予定でしたので、三月十九日付けで辞めます。引き継ぎはそれまでに行いますので、よろしくお願いします」
「え?早すぎない?」
「二十日に式を挙げて一週間の結婚休暇を取るとこちらへ来る日が三日〜四日なので、中途半端だと思いまして」
「思い切りが良すぎて、何も言えない」
「後任は二月中に決めますが、希望があれば仰ってください」
「任せるよ」
アルヴィンはテオドールの動きに、ナタリアは囲い込まれるのではないかと心配になった。
ナタリアはテオドールに意見を言えているのだろうか。
ユシーナ王女がナタリアを気に入っていたので王女に話し、お茶会を開いてもらってナタリアの動向を見た方が良いのだろうか。
もしまずいと思ったらケネスに言って動いてもらうか。
アルヴィンは上機嫌なテオドールを前に『悪い方向に転がりませんように』と祈った。
次の土曜日、テオドールは午前中からいそいそと辺境伯邸へやってきた。
勿論ナタリアに会うために。
ここにはテオドールの部屋はないので、辺境伯の指示でナタリアの部屋へ通された。
やはりいつものようにテオドールはナタリアの横に座り、ナタリアの手を握ったり髪を触ってみたりと忙しい。
ドーレ城の使用人達は見慣れた光景でも、タウンハウスでは初めてのそれで、皆どこを見て良いのか目のやり場に困っていた。
ホークムーンからついてきた、ナタリア専属の女性の護衛は『いつものことだ』と慣れた様子でいたので、タウンハウスのメイド達はどうやらこれが普通らしい、と噂し合った。
周りがそんな状態だと気がつかないナタリアは、テオドールに招待状の進捗状況を聞いた。
もし忙しいなら手伝おうか、と伝えると『父と手分けして書いている。もうすぐ終わるから大丈夫』と言われた。
「ああ、でも心配してもらうって嬉しいね。リア、ありがとう」
そう言い髪にキスをする。
護衛は『すぐに見慣れる』と言っていたが、メイド達は全てが新しく見る光景で、顔を赤くして俯いてばかりだった。
「私はね、リアからもらったガラスペンで書いているよ。あれで書いていると、リアと二人で書いている気持ちになって幸せなんだ」
優しい笑みを浮かべながらテオドールが言うので、ナタリアも幸せな気持ちになった。
二人で見つめ合いながらふふっと笑うと、その幸せな空気に独身のメイドは結婚したい、と思う。相手がいてもいなくても皆思う。
しかし、護衛から『テオドールに懸想したメイドが一人、突然嫁ぐと言って辞めた。ドーレ家が動いたかも』との話を聞いて、間違えないようにしないといけない、ということだけは周知されていた。
「ああ、そうだ」
テオドールは、もう一つ思い出した。
「三月末で近衛騎士を辞めようと思っていたけど、三月十九日付けで辞めることにしました」
「え?じゃあ式は騎士服着ないんですか?」
「うん、辞めた後だから。騎士服が良かった?」
「式典用の騎士服姿、素敵だったと思って」
「そうなんだ」
休みが明け、テオドールはいつものようにアルヴィン殿下の護衛兼話し相手をする。
「殿下にお伝えします。先日の辞職の日付は当初の予定通り三月末日にします」
「何かあったの?」
「リアが式典用の騎士服が好きなようなので、それを式に着ようかと」
「ああ、近衛騎士が結婚する時は騎士服着用だよね。え?それが日付変更の理由?」
「はい」
殿下は『心配したけど、ナタリアは上手くやっているのか。こちらが動くことはないな』と安心した。
招待状を全て書き終えたナタリアは、王都に住む友人達に『これから王都に住む』という内容の手紙を書いた。
ナタリアの友人達は皆既婚者で、王都に住む者、領地に住む者に別れている。社交シーズンではない今、王都に住む友人は四人だった。
まずはこの四人にお茶会の招待状を出そうと思う。
ケネスが手配した教師が来るのはまだ少し先になる。母に教えてもらって招待状を出すのも良いが、なんとなく、教師に教えてもらう方が全貴族向けのような気がするので、お茶会のみならず社交に関することは教師に習ってからにした。
教師が来る予定まで二十日ある。それまでナタリアは自由だ。しかしこれから公爵家へ嫁ぐ身なので、フラフラと出歩くのは醜聞になりそうで避けたい。ここは大人しく家に居るべきだと思い、刺繍を始めた。もうすぐ近衛騎士を辞めるが、これは気持ちだから。とテオドールへ刺繍したハンカチをプレゼントしようと考えたのが最初だった。
ナタリアは、図案を起こすことから始めた。
テオドールのイニシャルと、植物園で見たあの白い花。
白い布に白い糸ではよく見えないかと思ったが、白にも色々あるようで、布と糸は少し違う色にした。イニシャルの糸は蒼を使う。
植物図鑑の絵を見ながら、慎重に絵を書く。花弁は重なる所もあるので、糸は白だけでも三種類必要か。ナタリアはどこで色を変えるか考えながら、図案を仕上げた。
最近、ずっと書物をしていたことや、今も夢中になって図案を作成していたせいか、右腕が痛い。
刺繍は明日からにして、腕を休めることにした。
時計の針は十六時を指していた。
今日のテオドールは仕事だ。ホークムーンで毎日会っていたせいか、顔を見ないのが寂しく感じる。早く週末にならないかな、とナタリアは思うが、まだ一週間は始まったばかりだった。
ハンカチへの刺繍は、所詮ワンポイントである。
ゆっくりやっても一日で仕上がったハンカチを手に、ナタリアは修正箇所は無いかとじっくり見る。
酷い出来には見えなかったので、週末にテオドールへ渡そうと決めた。
この週末は、ナタリアが公爵家を訪ねた。
ブリジット公爵夫人に、今のうちにやるべきことはあるのか聞いておきたかったからだった。
今のナタリアは時間がある。
正直、暇だとナタリアは思っている。
ブリジット公爵夫人はナタリアからの質問に『そうね』と暫く考えていたが、『お披露目のお茶会の招待状を書くにも早いし、社交シーズンでもないから説明しても難しいかもしれないわね。ああ、それでもこれだけは目を通してもらえたら良いかしら』とメイドに持ってこさせたのはクレメンス公爵家との繋がりのある貴族一覧。それは関係性が個人別に書かれたもので、かなり細かい。
「これはね、私が纏めたものなのよ。少し話を聞いても忘れてしまうから、纏めて後で何度も読み返して覚えるの。相手は一度会っただけでも友人と言いかねないから、足元を見られないように気をつけないといけないのでね。ナタリア、これ貸し出すことはできないので、時々ここに来て覚えてもらえるかしら」
かなり厚い束がテーブルに乗っている。
話した内容やその時の雰囲気、状況等、覚えているうちに書き留めたのだろう。
数行で終わる人もいれば、数枚になる人もいて、名前の横に◎○△☓が記されている。
「その記号は、公爵家から見た重要度ね。あ、ドーレ辺境伯は先日○から◎にランクアップしました」
冗談めかして話しているが、この様子だとドーレ家との会話も逐一記入されているのだろう。『見ても良いのですか?』とナタリアが聞くと『全く問題ないわ』と答える。
ナタリアにとって、興味もあるが怖くもある。
しかし、これは公爵家へ嫁いで社交する上では、とても重要な書類だ。
社交シーズンのためにも覚えておかなくては。
ナタリアは平日午後通います、と約束をしてブリジット公爵夫人の部屋を退室した。
更新は毎日12時を予定しています。
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