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その後の話

 最後にお会いしたのは五年前謝罪した時。

 あの時はナーシャ様にお会いしたかったが、婚約者変更の説明と申入れ、新しい婚約者候補の顔合わせを必要と感じた陛下と共にソーカヌリへ旅立った翌日で会えず、クレメンス公爵令息とお会いしたのだった。その時に何か粗相をしてしまったか、とナタリアは一生懸命その時の事を思い出そうとした。

 しかし五年前の事、その時のことなど思い出せない。

 それでも何か思い出す切掛が欲しいと思っていると、クレメンス公爵令息が新たな話題を振ってきた。


「思い出させるようで恐縮ですが、あの時の、その後をご存知ですか?ナタリア嬢の、あの」

「婚約破棄騒動ですか?」

「そう、それです」


 ナタリアは流石に『寝盗られ』とは言えず、ありきたりな言葉で確認した。


「私が存じているのは、イザベラ様とクロノス様が結婚し、イザベラ様が嫁ぐ予定のソーカヌリへはナーシャ・クレメンス公爵令嬢が当時の婚約を解消して嫁いだ、ということくらいです。あ、それぞれに慰謝料問題もあったと」

「そうですね。付け加えるなら、あなたの婚約者の位置と当時のナーシャの元婚約者の婚約者の位置がそれぞれ空いたこと、でしょうか」

「ああ、そうですね」

「ナーシャの元婚約者は、あの次の年に婚約者が決まりました」

「それは良かったです」

「私が婚約を解消し、私の元婚約者と婚約したんです」

「···はい?」

「私の元婚約者は私の四歳下、ナーシャの元婚約者は私の一歳下で年齢的にも合うこと、何より二人は領地が隣同士で親通しも繋がりがあり、旧知の仲であったこと、そしてただの旧知の仲ということではなく、まあ、いつの間にか──」

「え?そんな前に寝盗られたんですか?」

「えっ、寝盗られ?」

「あ、すみません。忘れてください」


 つい最近の話だと思っていたのにかなり前のことで、驚きのあまりつい口に出てしまっていた。

 『プフッ』メリッサが吹き出し廊下へ慌てて飛び出した。するとすぐに入れ替わりでジュードがしれっと入室し、何食わぬ顔で扉の脇に立っている。

 ナタリアは、いつの間に打合せをしたのかと呆れたが、今はそれどころではない。


「えっと···」

「今は、ナタリア嬢の婚約者と私の婚約者が空白です。仰るとおり、私も寝盗られた訳です」

 

 にこやかに話しているが、中身はなかなかえげつない。

「それは···ご愁傷様でございます···?」

「ああ、いえ、とても幸せそうなので良かったと思っていますよ」


 こんなに穏やかに元婚約者の幸せを喜ぶなんてこの人良い人だ、とナタリアは思った。

 今の自分はクロノスの事を何とも思っていないけど、それでも社交の場には行きたくないと思う。何となく、言わなくても良い説教をしてしまう気がする。

 いや、説教とは違う。顔を合わせたらあの時の苛立ちを思い出し、暴言を吐いてしまいそうだ。

 だから顔を合わせないように王都には行かない、とナタリアは随分前に決めていた。

 仕事は言い訳と自覚している。

 今でもこんな感情を持ってしまうのに、目の前の公爵令息は元婚約者の幸せを喜んでいる。

 

「お優しいんですね」


 思わず口に出た言葉に、ナタリア自身が焦った。嫌味に聞こえたかもしれないと思ったからだ。


「あっ、失礼しました。別に他意はなくて、ですね」

「大丈夫ですよ。あなたは正直な人だと知っていますから」


 随分と評価が高い。なぜだろう、とナタリアが不思議に思うと、クレメンス公爵令息が言葉を続ける。


「五年前の王城の中庭、私も殿下の護衛で側にいたんですよ。あの時のナタリア嬢の言葉がどうしても忘れられないんです」

「ええと、私、何を言ったのか記憶にあまり残っていなくて···」

「王女に手を出したくせに、この期に及んで何を言っているの、と仰っていました。あんなにはっきり意見をいう令嬢は初めてでしたし、あれ以降も会ったことはありません」


 ナタリアは思う。ああ、自分ならきっと言っただろう。この辺境の地で生れ育ち、社交のマナーはあまり得意ではないので、思うままに口に出てしまうことはたまにある。あの時は驚いたから咄嗟に口走っていてもおかしくはない。


「しかもナタリア嬢は、行くも地獄戻るも地獄、とも仰っていました。実際、タイト侯爵家は慰謝料や王女の降嫁に伴うあれこれで、一時期かなり苦しくなったと聞きました。先を見る冷静さも持ち合わせている素晴らしい女性だと、とても感心してまたお会いしたかったのです」


 身の回りにいない珍しいタイプの令嬢に興味が抑えきれなくなって、ここまで来てしまったという状態なのか。それにしても、先を見る目と言っていたが、王女に手を出して逃げられると思うなよ、的な感覚で口に出ていた可能性が高い。

 公爵令息の周りには、心の綺麗な人しか居ないのだろうか、そのように高く評価されても、ガッカリされるだけだと思うと非常に居た堪れない。

 しかし、自分はそんなに立派な人間ではないとわかってもらえば、見合いなど無かったことになるかもしれない。ナタリアはここに勝機を見出した。


「私、そんな事言っていたんですね。まず、この期に及んでということについては、ただ我慢が聞かない性格なんです。貴族の令嬢としてあるまじき行いだと反省すべきことですね。あと、行くも地獄戻るも地獄、というところですが、私の意地悪な性格が出てしまっただけでしょう。クレメンス公爵令息が思うようなことではありません。それは断言できます」


 ちゃんと伝わるように言ったはずなのに、クレメンス公爵令息は嬉しそうに目を細め、『そういう、はっきり言うところです』と笑った。

 

「ナタリア嬢もご存じのように、私は公爵家の嫡男で殿下の従兄弟です。たとえ私に婚約者がいようと寄って来るご令嬢は、以前から少なからずいました。しかし、皆心の中では何を思っているのかわからない。元婚約者も、早く学園を卒業して私に嫁ぎたいと言ってくれていたのに、卒業せずに他の男に嫁ぎました。誰の言葉の何を信じたら良いのかわからなくなったんです」


 それは災難でした、とナタリアはほんの少し同情する。


「そんな時に、あなたを思い出したんです。はっきりと心の内を言葉にし、先を見据えるあなたを」


 クレメンス公爵令息はナタリアを見て、頷く。

 なぜ頷く?とナタリアが思うと同時に


「ナタリア嬢、どうか私と結婚してください」


 いきなり求婚してきた。


 えっ?と突然の事に驚いていると扉が開き、ジュードが退室しランバンが入室して壁際に立つ。

 ランバンお前もか!と思ったが、今は目の前の案件を片付けなくてはいけない。

 ナタリアはゆっくり口を開く。


「まず、はっきり言うことは、貴族の令嬢としてマナーが良くないことだと理解していますが、今は許していただきたく存じます」

「いえ、はっきり仰ってください」

「······では、許可をいただけたので遠慮なく」


 ナタリアは深呼吸をしてからクレメンス公爵令息を見る。


「はっきり言うのは我慢が出来ない性格ということで、公爵令息夫人などとても務まりません。ましてや先を見据えるなんてことは出来ません。先程も申しましたように、あれは単なる意地悪です。クレメンス公爵令息様は元婚約者様のことでショックを受けて、私のそれらのことを良いように解釈なさっただけです。夢を見てしまったのですわ」


 ナタリアはそこまで言い切ってから、ゆっくりと理解してもらえるように言葉を続ける。


「今回、こうしてお話できて良かったです。どうか夢から覚めてください。現実の私はクレメンス公爵令息様が思うような者とは違いますから」


 内心、失礼なことを言い過ぎたかとドキドキしていたが、クレメンス公爵令息は気にしていないようで、うんうんと頷き、


「そうですね、流石に求婚は早すぎましたね。ナタリア嬢が私をよく知らないという事を失念していました。幸い、私はこの地に二ヶ月弱居ます。その間にあなたに認めてもらえるように努力しましょう。今までは夢の中でしか会えなかったあなたと、こうして現実に話すことができるのですからね」


 ナタリアは、自分の言った『夢を見た』『夢から覚めて』にひっかけた言葉遊びかな?と一瞬思ったが、自分の言ったことの一割も理解してもらえなかった事実に気がつき驚愕した。

 理解力がないのか鋼のメンタルなのか。

 どちらにしても、今回断るのは骨が折れそうだということだけは理解した。


「お話中申し訳ありませんが、昼食はどうなさりますか?」


 ランバンが聞いてきた。時計を見ると現在十一時三十分。

 助け舟だと思ったナタリアは、これ幸いと公爵令息に声を掛ける。


「クレメンス公爵令息様の昼食は、ドーレで用意している筈なので、どうぞ城までお戻りいただければ」

「ナタリア嬢も一緒に戻りますか?」

「いえ、私は料理人が用意したものを持ってきておりますので」

「ああ、そうですか。それでは、残念ではありますが、私は一先ず城へ戻ります」

「はい。お気をつけて」


 たった四百メートルの距離だけどね、という言葉は飲み込んだ。

 クレメンス公爵令息は立ち上がり、扉に向い歩き出す。ナタリアの横を通り過ぎるかと思いきや立ち止まり、


「ああ、そうだ。これからはどうかテオドールと呼んでください」


 そう言って微笑み応接室の扉から出ていった。

 

 何だったんだろう。随分久しぶりに気圧された気がする。紹介所の扉を出ていく姿を見送り、ナタリアはやっと開放感を感じた。

 メリッサもジュードもうきゃうきゃ楽しそうに笑いながら『なんか、凄い人でしたね〜』なんて笑ってる。

 ランバンに至っては『あのくらいの人でないとナタリア様は御しきれない』なんてことを言う。


「いや〜、もう疲れたわ」

「じゃあ帰っても良いですよ」

「勘弁して。もっとゆっくりここに居させてよ」

「いい男だったのに、なんか残念な人でしたね〜」

「やっぱりそういう判断で良いのよね」

「いや、あれは態と理解していないフリをして、押せ押せだったのかも」

「ええ?もう勘弁して欲しい」


 四人で感想戦を繰り広げながら、昼食にした。

 紹介所の扉には『休憩中』の札を下げ、鍵を締める。

 これから二ヶ月弱、どうやって逃げようか、昼食後の仕事中もそればかりを考えていたナタリアだった。


 


 

 更新は毎日12時を予定しています。


 読んでいただき、ありがとうございました。

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