少しずつすれ違う気持ち
昼食後、雨が降り始めたので、テオドールはドーレ騎士団の室内鍛錬所へ行き、体を動かした。
雨が酷い時、ナタリアは馬車で帰るらしいが、今はそんなに酷く降っている訳では無いので、いつも通りに徒歩で帰るつもりで迎えに行った。
終業五分前に着いたが、今日も警備の応募者が四人手続きをしていた。
どうやら今年はなぜか、ぎりぎりの時間に手続きに来るらしい。
全ての手続きが終わって、ナタリアは入口の鍵を締める。
「あの人達、クレメンス様を見たいんですよ、きっと。所長を落とした男に興味があるんですよ」
メリッサが帰り支度をしながら言う。
他の二人も『それだね』と頷く。
ナタリアは『見世物じゃないのに』とブツブツ言いながら、顔は赤くなっていた。
テオドールは午前中、気を使う空気の中にいたせいか、今のこの気楽な会話が楽しくて、ドーレから離れたくないと言っていたナタリアの気持ちがほんの少しわかった気がした。
十七時を二十分過ぎても雨は小降りのまま止んでおらず、テオドールは大きめの傘に二人で入って帰ることにしていた。
ナタリアは戸惑っていたが、テオドールの傘を持つ腕に手を伸ばし腕を組み、歩きにくくない程度に体を寄せた。
そして、テオドールが濡れないように防御魔法を掛けた。
それに気がついたテオドールは『ありがとう』と微笑んで、ナタリアに合わせて歩き出す。
小雨とはいえ雨の日は、買い物客も観光客も少ない。
傘から聞こえる雨音がやけに大きく聞こえ、二人は無言で歩いていた。
テオドールが午前中、公爵と乗った馬車の中も無言だったが、ナタリアと一緒の今の無言は、心地良く感じていた。穏やかな時間を共有している感じで、いつまでもこの時間が続くと良いと思っていた。
腕を組んで歩き出したナタリアは、一つの傘に二人でいるためにいつもより近くに寄ったことを、ほんの少しだけ後悔していた。
うっかりしているとテオドールの腕がナタリアの胸に当たってしまいそうで、歩くだけで緊張を強いられているからだった。
いや、テオドールは二十五歳だから、ちょっと位触ったところで気にしないだろう。そうは思っても、やはり触らないに越したことはない。
いつもは会話をしているのに、無言だということがさらに緊張を高める。
ナタリアにとって幸いと言えたのは、雨の為に買い物をする町民も観光客も少なかったことだった。
馬車を手配すれば良かった。
次回の雨の日は、絶対に馬車を手配しようと決めた。
城へ戻った二人は、いつものように玄関ホールで別れた。
やっと安心できたナタリアは、部屋で着替えてケネスの執務室へと向かう。
今日の警備希望の書類を渡すためだった。
執務室へ入るとディアーズとレイソンもいて、ナタリアの顔を見るなり『おめでとう』と声を掛けてくれた。
何のことかと尋ねると、婚約の書類が受理されたと教えてくれる。
聞いてないわ、と驚いていたら『あいつは何をやっているんだ』とケネスが呆れ顔で溜息をついた。
この様子だと知らなかったのは自分だけだろう、とナタリアは思い、ここでも自分は置いていかれている感じで気持ちが落ちてしまった。
ケネスに書類を渡して早々に退室し、私室へと戻ったナタリアは、ソファに座って肘掛けに頬杖をつく。
目を閉じて無心になろうとしても、落ちた気持ちは浮上せず、反対に寂しさという負の感情が増えた気がした。
一度落ちた気持ちは夕食時にも戻らず、もそもそと食も進まなかった。
そんな様子を皆不思議そうに見ていたが、ケネスとディアーズは原因はテオドールだろうと気づいていた。
しかし、なんと切り出したら良いのかわからず、二人共気がつかないフリをして食べ進めていた。
いつもと違う静かな食事風景に、テオドールも違和感を感じていたが、それ以上にナタリアを心配していた。
体調が悪いのだろうか。小雨とはいえ、馬車にするべきだったか。
頭の中で色々考えていたが、辺境伯の声で現実に意識を戻した。
「ナタリア、おめでとう」
少し考えたナタリアは、バッサリ切り捨てた。
「何のことでしょう」
空気が冷ややかになり、ケネスとディアーズはナタリアが怒っていると思った。
きっと、当事者である筈の自分だけが知らされていなかった、そう思っていると。
どうやら自分はとても面倒くさい人間なんだ、とナタリアは思っていた。
先程ディアーズから婚約の書類が受理されたと言われたのに、聞いていないふりをしている。
こんなに早く提出されるとは思わなかったし、聞いてもいなかった。
せめておめでとうの前に、父からでも書類を提出したテオドールからでも一言欲しかったと思ってしまう。
ナタリアは自分が嫌になり『頭痛がするので』と言って食事の途中ではあったが退室してしまった。
私室へ戻ったナタリアは、ベッドにうつ伏せになって目を閉じる。
メイドが夜着を用意するが、顔を上げたくなかった。
ああ嫌だ。
おめでとうと言われたらありがとうで良いではないか。
頭ではわかっていても、何かが違うと心の中では拒否をする。
ああ嫌だ。
こんなことをしていたら、愛想を尽かされてしまう。
それは嫌だと思う自分と、それでも良いかと思う自分がいる。
メイドが下がっていく気配を感じたナタリアは、一人なんだな、とさらに気持ちが落ち込んだ。
退室してきたメイドに、護衛の騎士が声を掛ける。
護衛の騎士は、護衛につく前に騎士の控室でナタリアの婚約の話を聞いた。辺境伯から伝令が来たからだった。
日中ナタリアの護衛に着いていた者は、城に帰って来てからその伝令を聞き、それはそれは喜んでいた。
あの様子だと、城に戻ってくるまでナタリア様は誰からも聞いていないのでは?と護衛は思ったが、そこは自分が言うことではないと思っていた。
そこへきて『おめでとう』『何のことですか』だ。
知らなかったのは確定だろう。
政略結婚だって当主から知らされるはずだし、今回に限っては提出した婚約者もいる。
誰も言わないということはあるのだろうか。
自分が知らないうちに話が終わっていたら。
そう考えた騎士は『酷い話だ』と思って頭を抱える。
メイドとポツポツと話していると、テオドールがやって来た。
テオドールはメイドにリアは?と聞いたが、着替えもせずに寝ていると言われると、少し考えて戻って行った。
**********
食堂から出ていったナタリアの背中を、皆が黙ったまま見送る。
扉が静かに閉まると、ケネスが溜息をつく。
両親もテオドールも訳がわからないといった表情だったが、それが余計に情けなく見える。
「ナタリアに婚約の書類が受理されたと話しましたか?」
ケネスの言葉に、父もテオドールも虚をつかれた顔をする。
「二人共、浮かれ過ぎです。テオドールの様子から、十日以内には終わらせるのだろうとは思っていましたが、まさかこんなに早く受理されるとは思っていませんでした。私ですら驚いたのに、当事者である筈のナタリアは、こんなに早く提出されることすら知らなかったのではないですか?確かに進めていいとは言っていましたが、何も言わずに終わらせるのは騙し討ちみたいじゃないですか」
ケネスは父と友人に説教をする。
ディアーズはメイドを呼び、小声で『軽く食べられる物とフルーツをナタリアの部屋へ』と指示を出す。
その間もケネスの説教は続いていた。
「特に父上はナタリアの性格をよく知っている筈です。なぜ一言も伝えないのですか」
二人は姿勢を正したまま聞いている。
「兎に角、提出して二日以内なら、取下げが可能です。ナタリアの判断次第で婚約は無かったことになります」
「それは待ってくれ。それに二日では王都まで取下げの書類など送れないだろう?」
テオドールが食い下がると、ケネスがゆるゆると首を振りながら『やりようはある』と言う。
ああ、アルヴィン殿下に情報を流していたのはケネスだったのか、とテオドールは気がついた。
きっと五年前、ドーレ領民が隣国へ属する計画をしていたと王家へ連絡があった時から、ケネスが何らかの手段を使って情報を逐一渡していたのだろう。反乱の意図はないと証明するために。
今回はそれを使って婚約を取下げるつもりか。
テオドールは、ナタリアと話したい、と言い、ナタリアの部屋へと向かった。
ナタリアの部屋は二階。二階は辺境伯家族のプライベートスペースなので、テオドールは初めて踏み入る場所だ。
食堂からメイドが案内をしてくれているが、ケネスが止めなかったということは、まだ猶予をもらえているということか。
テオドールは緊張しながら歩いた。
廊下の先に、ナタリアの護衛の姿が見えた。メイドと話をしているが、テオドールに気がつくと口を噤む。
「リアは?」
「お部屋に入るなり、お着替えもせずにベッドにお入りになりました」
メイドの不安げな表情から、あまり良くない事態だと理解する。
しかし、夜未婚女性の寝室へ入るなど、良くないのではないか。いくら婚約者とはいえ、ケネスが言うには騙し討での婚約者だ。
テオドールは少し考えていたが、今夜は止めようと思い戻って行った。
テオドールは客室で頭を抱えていた。
迎えに行った時、一言受理されたと伝えておけば。
歩く距離が短いとはいえ、その一言を言う時間はあった。
防御魔法を掛けて雨に濡れないように気を使ってくれたナタリアなのに、自分は何も考えず舞い上がっていただけだった。
自分のことなのに何も教えて貰えなくて、ナタリアは寂しく感じたのではないか。
テオドールは、やはり今話さなくては、と再度ナタリアの部屋へと向かった。
ナタリアの部屋の前には、先程もいた護衛が扉の前で立っている。
テオドールが『ナタリアと話をしたい』と伝えると、女性の護衛がお待ち下さい、と言い入室した。
すぐに戻ってきて『お休みになっております』と言う。
避けられているな、と理解したテオドールは『リアは体調が悪いのか?確認したい。顔を見るだけだ。君が側にいれば、短時間なら平気だろう?』と護衛に言い、室内へ入った。
護衛がテオドールを先導して歩くが、室内は薄暗く、ぼんやりとソファセットや執務机がわかる程度。
執務机の奥にある扉の前で、護衛が『少しだけですから』とテオドールに念押ししてノックした。
返事はなかったが、護衛は扉を開ける。
テオドールに入室を促し、自身は入らず開いた扉の側で控えていた。
寝室も薄暗く、ベッドがかろうじて見えた。
テオドールはベッドの脇に跪き、ナタリアへ声を掛ける。
「リア、すみませんでした。書類が無事に受理されて舞い上がってしまいました。あなたの気持ちを考えていなかった」
ナタリアは布団を頭まで被っているので、顔が見えない。
起きているのか寝ているのかもわからないが、テオドールは続けた。
「私は、何でも話せるドーレ家の皆さんが羨ましくて、私もそういう家庭を持ちたいと思いました。しかし、最初から躓いてしまいましたね。大切な話すらしなかった。本当にすみません」
テオドールは一人懺悔をする。
「ケネスが、二日以内ならば婚約を無効にすることが出来ると言っていました。意に沿わぬ婚約の書類を出された時に、提出した書類を取下げたいと訴えれば無効になります。リアは······」
テオドールの言葉が続かない。
ナタリアも微動だにしない。
暫くの沈黙の後、やっとテオドールが言葉を続けた。
「······私は、このまま婚約をしていずれ結婚したい。でも、リアが······リアが嫌だと思うのなら、明日のうちにケネスへ伝えて」
ナタリアは動かない。
その様子を見て、テオドールは静かに立ち上がった。
「おやすみ、リア」
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