ナタリアの盾
ナタリアは、レイソンを抱っこしたまま夕食に向かった。すぐ前をケネスとディアーズが歩く。
食堂の前にはテオドールがいて、ナタリアを待っていた。
「リア、診察受けましたか?」
顔を見るなり聞かれたことに、ナタリアは医師から言われた診察結果を思い出し、何と答えていいのか困ってしまった。
そんなナタリアをディアーズがちらりと見て、
「診察は無事に終わりましたし、結果問題なしと言われました。ご心配おかけしました」
ナタリアの代わりに答えてくれた。
「そうなのか。それならば良かった」
「ご心配おかけして、すみませんでした」
「いや、何もないとわかって安心です」
いつものように優しく微笑むテオドールに、恋を意識したナタリアはドキドキしている。
ケネスとディアーズはそんな二人を微笑ましく見ながら食堂へ入る。
ナタリアの診察について食事中の話題に上ることはなかった。
その代わり、父から明日は紹介所は休み城にいるように言われた。なんでも、明日はベイジルが紹介所へ行く可能性があるとのこと。
「そんなことしますか?」
「私はしましたね」
テオドールが言う。
そうだった。目の前のこの人はいきなり紹介所へ来た、とナタリアは思い出した。
「明日は私とテオドールが紹介所へ行く。テオドール、あっちで仕事するからそのつもりで」
「わかった」
ナタリアは城でレイソンと遊んでくれとケネスが言う。
過剰な反応に思えるが、恋を意識したことで、明日の送り迎えを平常心で終える自信もない。
ここはケネスの言う通りにしよう、とナタリアは頷いた。
今夜の談話室は、ケネス、テオドール、ナタリアの三人だった。
話題はラトリッジ商会のこと。
なぜ明日紹介所へ行くかもしれないと判断したのか、ナタリアはどうしても気になっていた。
ケネスが言うには『商談の後では、ナタリアが会ってくれないだろうから』
確かに商談の後は会う理由がない。紹介所に来られでもしたら応対はするだろうけど、お茶出す程度だろう。
もっとも、明日紹介所に押しかけてきても同じ対応だろうけど、とナタリアが言うと、ケネスがうんざり顔で言う。
「お前、想像してみろ。ベイジルが紹介所の入口に立った時点で、近隣の商店から代表者が来て、仕事を探すふりをして様子を伺い出すぞ。その状況でお茶出すだけで終わるか?」
「う〜ん、確かに誰かしら確認に来そう」
「お前のことだから、奥の応接室へ通すだろ?その後、町の偵察隊が帰るまで、そのままそこに」
「それは、そうするでしょうね。注目を浴びるのはちょっと嫌なんで」
「その後で、卸値をラトリッジ商会に有利に変更した、なんて噂が出たら、お前がラトリッジ商会に肩入れしていると周りは見る」
「正規の卸価格に戻すだけなんですけどね」
「周りはそうは思わない」
「······」
「お前とテオドールの噂を聞いて、諦めるなら良いがな。明日は念のための措置だ」
「···成程。城で大人しくしています」
「リア、明後日は私が隣りにいますから、あなたは商談だけしてください。私でも番犬にはなれると思いますからね」
「よ···ろしく···お願いします」
ナタリアは今の心理状態で、テオドールと今まで通りに会話をするのは一苦労だと小さく溜息をついた。
結局、その場に居辛さを感じたナタリアは、早々に自室へ戻った。
談話室を出たナタリアを見て、テオドールはケネスに確認する。
「何も無かったんだよな」
「診察でか?何もないと聞いたぞ」
「リアの様子がおかしくなかったか?」
「ああ、大丈夫だ。そのうち落ち着く。そんなことよりちゃんとジュードに相談したか?」
「ああ、しかし、難しいな」
テオドールはジュードに言われたことを話した。
「確かにジュードは特殊なケースだったか。しかし、他の二人とも話しただろう?」
「ああ、明後日は護衛として後ろに立つのではなく、横に座れと、後はいつも通りにいれば良いと言われたな」
「いつも通り。確かにそれで良いかもな。お前はラトリッジのことより、ナタリアを見ていれば良いか」
「それでいけるのか?」
「駄目なら次を考えるさ。でも、お前達の普段の様子を見せるのは良いだろうな」
「そうなのか」
「ああ。それにあちらが無理をするようなら、こっちは父上が前面に出るさ」
「そうか」
テオドールは、特別にやることが無いことに釈然としないながらも、ケネスも紹介所の三人と同意見のようなので従うことにした。
翌日、ケネスとテオドールは並び歩いて紹介所へと向かった。
二人は道中、ナタリアはどうしたのか?と聞かれたが、所用で休みだとぼやかした。
紹介所の裏口では既に三人が待っていた。
昨日、医師の診察を受けることを知っていた三人は、ナタリアに何かあったかと心配したが、訳を話すと納得し安心していた。
「確かに、今日は突撃して来そうですねぇ」
「昨夜、宿屋に着いたって聞きましたよ。着いてすぐに情報収集していたようです。噂は耳に入っているでしょうね」
「荷馬車がいつもより一台多かったそうです」
「そんな話が君達に届くのか?」
「私達は所長の盾なんで、そういう情報をいち早くくれる人がいるんです」
メリッサがテオドールに言うと、ケネスが頷く。
「盾と言うのは大袈裟だが、ナタリアは彼等に守られていることは確かだ。子供の頃からナタリアはこの町によく遊びに来ていて、町民はナタリアを温かく見守ってくれていた。五年前にここが開所されてからは、主に彼等の役割になった感じかな」
三人が、うんうんと頷く。
「あ、そうだ。所長の護衛達もちゃんと毎日出勤してますからね。ここには居ないだけで」
「え?毎日ついている彼等はどこにいるんだ?」
「隣の観光案内所で案内兼待機です」
「隣からでは間に合わないのでは?」
「所長は防御魔法をご自身にかけているし、それでも危ないとなった時にはこれを押すんです」
三人がそれぞれ服につけているブローチを見せる。
よく見ると模様で誤魔化されているが突起がある。
「これを押すと隣に瞬時に連絡が行き、駆けつけるという仕組みです」
「ちなみに、ジュードは町で一番の俊足なので、逃げる奴を追いかける為の要員です」
普通の貴族のご令嬢を守るという点では、抜け穴だらけに見えなくもないが、このホークムーンは治安が良い上に、ナタリアを守るという気持ちが強いから平気らしい。
彼等に警戒されているベイジルが来るかもしれないが、ケネス曰く『インパクトが薄れるから、テオドールは引っ込んでいろ。お前の出番は明日だ』
ということで、テオドールは今、いつもならナタリアが座っている所長の机にいる。
もしもベイジルが来たら、ケネスが対応することになっている。
いつ来るのかと待ちながら、ケネスとテオドールは今年の平和祭りの警備を振分けている。
ベイジルは午前中には来なかった。
しかも、求職者も零だった。
ケネスとテオドールの昼食は、城の料理人が用意したものを持って来た。
昼休憩は一時間半。食後のお茶もゆっくり堪能した。
入口の鍵を開けたケネスは、カウンターで待機する。
今日はこのまま何事もなく終わるのか、と思い始めた頃、ベイジルはやって来た。
「おや?いらっしゃいませベイジル殿。商談は明日、城で行うと聞いていましたが?」
「ああ、ケネス様、大変ご無沙汰しております」
ベイジルと思われる声は、低くよく通る声だった。
顔は見えなくても声はしっかり届く。テオドールは身動きをせず耳を傾けた。
「商談は明日なのですが、その前にナタリア様にお会いしたいと馳せ参じました」
「ああ、それは申し訳ない。ナタリアは所用で今日は休みなんだよ」
「所用ですか。お城へ向かえばお目にかかれますか?」
「どうだろうか。手が空いていれば会えるだろうが、頼んだのは一日仕事だから期待はしないほうが賢明かと」
「···そうですか。それは非常に残念です」
「失礼、ベイジル殿はホークムーンにはいつまで滞在予定かな」
「今回は少しゆっくりしたいと思っております」
「そうか。ナタリアはお見合い相手と交流しているので、相手をすることは不可能かと思うが、ホークムーンを楽しんでくれ」
お呼びじゃないよ、と含ませて伝えると、ベイジルはほんの僅か眉をしかめた。
「今年はお早いお着きですね」
「最初からあちらが本気だったからね」
「クレメンス公爵家のご嫡男と伺いました」
「そうだね」
「ドーレから離れるのですか?」
「ドーレの跡継ぎは私だから、何の問題もないよ」
「ナタリア様は、ドーレから出たくないと仰っていた筈ですが」
「そのことなら無事に解決した」
「解決?」
「そう。話を聞いて解決した。クレメンス公爵令息も全面協力を申し出てくれた」
「皆様、それで納得なさっていると」
「我々の願いはナタリアの幸せだからね」
ベイジルは何か思案しているようだが、明日はお城へ伺います、と言い帰っていった。
テオドールは会話を聞くことしかできなかったが、随分と堂々とした男だとの印象を受けた。
「やっぱり来ましたねぇ」
「噂もしっかり耳に入れてましたね」
「テオドール、聞いていたか?あれがベイジルだ。私に臆することなく話していただろう?明日会えばわかるが、見た目も貴族みたいだぞ」
「ああ、あの人騎士服とか似合いそうですね」
「あの見た目も、殿下はナタリアに好まれると思ったんだろうな。残念だったけど」
「残念と思っているのか?」
「今は思ってないね」
ケネス達は笑いあった。
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