関心事
昼食後、約束通りテオドールはナタリアを迎えに行った。
ナタリアは同僚に軽く挨拶をして、戸締まりはテオドールが来るからと伝えると、二人で裏口へと行く。
表通りを歩く二人は、いつも以上に注目されている。
皆、噂を聞いて興味津々だというのは、流石にナタリアでも気がつきテオドールに謝る。
「すみません。ご迷惑おかけして」
「私は気にしませんよ。かえって嬉しいくらいです。この噂を商会の二男も聞いてくれたら諦めますかね」
「噂で諦める?」
ナタリアはその発想に興味を持った。
噂だけで諦めてくれるのなら、そんなに楽なことはない。
「明後日、ベイジル氏が来るんですよね」
「そのようですね」
「噂、聞いていると良いですね」
「そうですね。それで上手くいきますかね」
「我々が噂通りだと見せつけますか?」
「えっ?ええと···」
「ふふっ、すみません。慌ててはいけませんね。リアは私を見てくれると約束してくれたのですから」
ナタリアは自分の顔が赤くなったことを自覚し、咄嗟に顔を隠そうとしたが、それがテオドールの腕、女性除けの為に組んでいる腕に顔を寄せた形になり、周りからはナタリアが甘えているように見えた。
店先にいた町の住人達がその姿を見て『おおっ』と小さく声を出したのが聞こえ、ナタリアは慌てて顔を離す。
「す、すみませんっ」
「気にしないで。これでもっと広がると良いですね」
テオドールがナタリアの顔を覗き込むように話し、優しく微笑む。
ナタリアは目の遣り場に困り、視線を彷徨わせてしまった。
「リア、私を見てくださいよ。寂しいですから」
そんなことまで言われて、ちらっとテオドールの目を見て『すみません』と謝り顔を伏せた。
この様子を見ていた護衛達は、ディアーズ様への報告案件だな、と思った。
実は今朝、二人が出勤する前に護衛達はディアーズから呼び止められ『これから二人の状況を報告するように』と言われていた。
勿論、一昨日昨日の状況は報告済だ。
ちなみに、ナタリアが診察を受ける時に、連日ついている女性の護衛は同室するよう言われている。
その女性の護衛が思うに、胸を押さえたのはキューピットの矢が刺さったのでは?ということだが、流石に滅多なことは言えないので黙っている。
ただ、護衛達の控室では喋りまくって、感想は共有していた。
この女性の護衛を筆頭に、護衛達が見るテオドールという人間は『ナタリアを前にすると甘くなる』
それが狙ってやっているようには見えない。これが本当に自然に出てしまっているのなら、ナタリアにとって良し、しかし狙ってやっているなら、相当な手練れだと要注意人物になる。
そのため、護衛達の控室ではその日の情報交換が必須となっていた。
ナタリアには護衛が二人つく。そのうちの一人は専属の護衛で女性だ。もう一人は護衛達の中から日替りでつく。
専属の護衛は女性二人。この二人は交互についている。
日替りの護衛達はナタリア以外にもつく。
当然ケネスにつくこともあり、その際にテオドールを見ていた。
ケネスと話すテオドールは元々友人だということもあって、砕けた物言いをする普通の貴族男性だ。
そこへ仕事が絡んでくると、流石に近衛騎士として殿下についていると思えるくらいキチッとする。
ところが、ナタリアを前にすると表情は基本笑顔。二人が何を話しているのか聞こえない距離での護衛になるが、ナタリアが挙動不審になることがしばしばある。
昨日はその決定的瞬間、テオドールがナタリアの頭にキスをする、なんて場面に遭遇してしまい、専属護衛は思わず奇声をあげそうになってしまった。
本当はキスをしたのではなく、香油の香りを確かめただけなのだが、そんなことは周りから見たら誤差のうち。
ボート遊びの最中、テオドールの笑みの後でナタリアが胸を押さえたので、護衛達はナタリアがかなりテオドールに気持ちが傾いていると見ている。
さてどうなるのか、テオドールが悪い男で無ければ良いがと話していると、なんと去年の見合い相手ベイジルが来るという。
ベイジルの勇み足が無かったら、もしかすると結婚していたかもしれないが、一部の護衛達はあまりこの組合せには乗り気ではなかった。
ナタリアは、ドーレに利益をもたらすと言われて悩んでいたが、護衛達はナタリアに幸せな家族を作ってもらいたかった。
辺境伯夫妻は勿論、ケネス夫妻も仲が良い。そんな環境で育ってきたナタリアは、婚約者に手酷く裏切られている。あの時、王城で護衛として側にいた者は、未だにあの時のナタリアの寂しそうな顔が忘れられないと、酔っては嘆く。
ケネス曰く、テオドールは素晴らしい人間性らしい。
クラスメイトだったので、そのへんは信用できる。
しかし、もしも自然にこの甘い態度を女性にしているのなら、かなりモテるのではないだろうか。
婚約者が空白になって四年。その間の女性関係はケネスも知らないらしい。
護衛達は慎重にテオドールを見極めようとしているし、とんでもない奴だとわかったら、たとえ雇主である辺境伯にでも進言する覚悟はある。
今のところ、甘い態度になるのはナタリアだけ。ディアーズにも優しいが、甘くはならない。
護衛達は、自分達が見ているテオドールという人間が、そのまま全てであるように祈りつつ、今日も監視を怠らない。
ナタリアが城へ戻り、部屋で医師を待っていた頃、テオドールは紹介所へとんぼ返りしていた。
ナタリアの同僚達が仕事中なのは知っているが、空いている時間に、少しでも相談に乗ってもらおうと思っていたからだった。
転移で紹介所の廊下へ行き、部屋に入ると案の定皆驚く。
「クレメンス様、どうしました?」
「いや、実は相談事があって」
「答えられることですかねぇ」
「きっと大丈夫だと思う。ぜひお願いしたい」
テオドールは、明後日ベイジルが来ると伝えると、三人が一様に驚いていた。
「今頃何しに」
「所長、やっぱり甘かったんじゃない?」
「本当にそう」
テオドールは三人のざわつきから、ベイジルは歓迎されない人物なのだと確認できた。
テオドールは、商談の最中は護衛として側にいることはできると話し、出来ればベイジルがその際に諦めるように動きたい。そして、ナタリアともう少し近づきたいと言う。
三人共、なるほど~と考え始め、最初に口を開いたのはランバンだった。
「護衛ということは、所長の後ろに立って控えているということですか?」
「そうなると思う」
「いっそのこと、横に座ってしまえば?護衛だから帯剣はするとして横に座って、後はいつも通りのクレメンス様でいけるのでは?」
「いつも通りの?」
「はい。ナタリア様に向けてのいつものクレメンス様です。きっとベイジルは町の宿屋に泊まるでしょう?その時に噂を聞くと思います。その後にお二人の姿や態度を見たら、余程のことではない限り諦めるのでは?」
「そんなことでいけるのだろうか」
「ベイジルに関してはたぶん、いけるのではないかと。あと、所長ともう少し近づきたいとのことですが、それはこのままの態度で良いのでは?」
「あ〜、所長気になっている感じだったもんねぇ」
「気にしてもらえているのか?あまり見てもらえてない気がするが」
「それは意識しているからでしょうね」
「意識」
「午前中、噂についてかなり聞いてみたんです。でも、恥ずかしいっとか、ちょっと待ってっとか言ったまま顔が赤くなっちゃって。あれを意識してると言わずに何と言ったら良いのか」
「そうなのか」
テオドールは予想外に嬉しい情報を得て、それだけでも相談して良かったと思った。
「クレメンス様は、所長に見せる顔が甘い雰囲気ですよ。所長にはその表情を忘れずにいれば、案外早く落ちるかもしれないですねぇ」
ジュードのアドバイスは、テオドールとしては意識外のことだったので、同じように、と言われてもよくわからない。意識しないでナタリアに向かい合えば良いのだろうか。
しかし、意識しないというのも難しい。
「ジュードのように上手に出来れば良いのだが」
「僕はこの町で生まれて育ってきたから、変なことしても周りが許してくれるというのが大きいと思いますよ」
「ジュードは町で育てた感じですからね」
「どういうことだ?」
「僕は孤児院で育ったんです。赤ん坊の時に孤児院に捨てられていて。名前はたまたま慰問に来ていた辺境伯夫人がつけてくれました」
ジュードにそんな過去があるとは思わなかった。
あっけらかんと話しているが、かなり苦労してきたことだろう。
「それは、大変だったな」
「う〜ん。大変だった思い出は計算が苦手だったこと位なんです。この町は、孤児院に沢山の人が気を使ってくれるんで、食べ物に困った事はないし、服もお下がりだけどボロじゃないし」
「ドーレ辺境伯様が先頭に立って旗を降ってくれるんですよ。勿論、夫人もご嫡男夫妻も所長も、皆で助け合いましょうって」
「僕は小さい頃、所長は偶に遊びに来るお姉ちゃんだと思ってましたよ」
「まあ、気持ちはわかる。ケネス様は先生かなってね?」
「そう、ケネス様は勉強を教えてくれるんだけど、宿題出すからそれだけは嫌だったな」
ドーレ家と領民の距離が近いとは思っていたが、こんな話があるとは。テオドールは、領民に慕われるドーレ家が素晴らしいと思った。
「ここは隣国との境でしょ?その昔は戦地で、孤児や難民なんて沢山いたらしいんです。その時の名残で今でも助け合う。領主様がやっていたら、我々もやりますよね」
「成程、素晴らしい」
「だから、領主様が困っていたら我々がお助けしたい、そういう土地なんで、所長は皆の注目を浴びるんですよ」
「だから、婚約破棄の原因が王女だって知れ渡った時には、町の空気が危なかったよねぇ。タキバルレの為に焦土と化したこともあるこの町の領主の娘から、婚約者を奪い取るとは許せないって」
「タキバルレではなく、ソナモンドに属するべきだって言い出す大人の多いこと多いこと」
「所長が、ドーレが好きだから破談になって良かったわって、領地の彼方此方で言って歩いたのよね」
「まさか本当にずっと結婚しないでいるなんて思わなかった」
「「本当に」」
この話、王家は知っていたのだろうか。
三人が笑いながら話している中、テオドール一人だけ顔色が悪くなってしまった。
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