93.飛行
その日の夕刻、砦の兵士たちは、領主邸で手厚くもてなされたのち、アールスに見送られながら帰途についた。アールスは今後定期的に訪問することで、人間とアンティノキアの間にある警戒感を時間をかけて解消しようと提案した。兵士たちもそれを受けシュマルハウトに報告をすることになった。
それから数週間、アールスは領主としての仕事をファーミアや領主屋敷に勤めるアンティノキアたちと共に行った。
アールスにはある種の開き直りが出来つつあった。ナイガと言う評判の悪い領主の後を継ぎ、さらにその評判を下回る「人間」の領主が自分である。
ポポロが言っていたように今より悪くなることはないだろう。何せ翌年は税金を半分にするつもりなのだ。これに文句は言われまい。
屋敷に務める者達もアールスがナイガより「かなりマシ」であることを感じ始めていた。命令は一方的に下されず、相談され話を聞かれ参考にされるという経験はナイガの元ではあり得ないことだった。今もなお「卑怯な人間」のアールスに対し、何か魂胆があるのではと疑う者はいるが、現在の勤務環境は以前より良くなった事は確かだった。
領民や屋敷勤めの者たちからの話を元に、アールスはポポロとファーミアと共にクロム領の改善点や税金の使い方をあれこれと考えていた。
そしてある日、砦の下級魔道士バネルから魔道による連絡が届いた。
連絡については彼がクロム領に来た折に、いつでも連絡が取れるよう方法を取り決めていたのだ。
砦に来て欲しいとの連絡だった。アールスは砦までの道のりを考え、小さくため息をついた。
「私いいこと考えたのよ」
砦へいくことを告げたアールスに対し、ポポロは得意気に胸を逸らした。
「何ですか」
「これよ」
ポポロが持ってきたのは木箱であった。ノマダスでは主に食料を運搬するのに使用する。木箱の四方には革帯が取り付けられておりアンティノキアはそれを体に通し木箱を前に抱え、飛行する。アールスは嫌な予感がした。
「ここに大人しく入りなさい。私が砦まで運んであげるわ」
木箱はアンティノキアが普段使用するものだ。当然大きく、アールスなら余裕で中に収まるだろう。
「本気かよ」
不安極まりない顔で思わず呟いたアールスはポポロを見上げたがポポロはニコニコ笑っている。
「本気も何も普通のことよ。子供たちもこうして運ぶわ。あなたなんか余裕よ。時間も大幅に短縮」
「…まあアンティノキアからすれば私は子供の大きさでしょうけど…」
郷に入っては郷に従えとはこう言うことだろうか…とアールスは身震いする。
傍らで見守っていたファーミアがクスリと笑った。
砦までの飛行はアールスにとって思いの外楽しいものだった。
ポポロの強い飛翔力と魔力を合わせ勢い良く上昇し、凄まじい速度で飛行した。一気に気温が下がり強い風がアールスを叩いた。このような視点から景色を眺めるのは初めてのことだ。眼下に広がる景色に感動さえ覚える。サカキがいれば素晴らしい絵を描いただろうと思わずにはいられなかった。
「大丈夫?」
ポポロがアールスの頭上から声をかけてきた。
「は…はい。素晴らしい景色ですね」
アールスを乗せた木箱は、皮帯を両肩に斜め掛けして飛行するポポロの真下に吊り下げられていた。アールスが上を見るとポポロの豊かな胸が視界に入り、非常に目のやり場に困る。
「そうでしょう。こんな風に空を飛んだ人間はきっとあなたが初めてよ。これならすぐに砦に着くわ」
にこやかな声でポポロは言ったが、アールスは強い恐れが浮かんだ。これほどの飛翔能力と魔力を持つアンティノキアに、もし上空から攻撃されたら、人間には手の打ちようがないのではないか。ましてや今のノマダス王は人間の戦いも知り尽くした元英雄である。ルーポトが和平に動いていることにほとほと感謝するしかなかった。
瞬く間に砦が見えてきた。アールスが前に領主屋敷から砦に来るまで半日以上かかったが、今回は数刻もしない内に着いてしまった。砦の兵士たちがバタバタと飛び出してくる。ゴードンともう一人の兵士はすでに任期を終え、今頃ナティアを目指し未統治地帯にいるだろうから姿はない。兵士たちは降ろされた木箱から這い出てきたアールスに目を丸くした。
出迎えたバネルからカール5世から親書が届いていることが告げられた。親書はカール5世からワトビアに預けられ、亜空間に保管されているという。
「『8』に入っているとの伝言をワトビア様から聞いております」
「8ね、了解」
アールスは頷くと、杖を手に取り詠唱を始めた。宮廷魔道士団では亜空間をいくつか用意しており、役割によって番号が割り振られている。8はワトビアとアールスの個人間の連絡に用いられる亜空間だ。この亜空間の展開方法はワトビアとアールスしか知らない。その他の宮廷魔道士にもワトビアと個人の亜空間が存在している。
兵士たちは興味深げにアールスの詠唱を眺めていたが、中でもバネルは食い入るようにアールスを見ていた。
「おお」
兵士たちがどよめいた。アールスの目の前に丸い暗黒が現れたのだ。アールスは無造作に暗黒に手を突っ込み金属製の箱を取り出した。ワトビア自ら施したのであろう厳重な魔道印が刻まれている。
「凄いな」
アールスはその箱を見てつぶやいた。さすが王の親書が入った箱である。素晴らしい意匠が凝らされていた。この箱だけでも一財産になりそうである。
「陛下に届けなければなりませんね」
見上げて言うとポポロが頷いた。
「じゃあ今から行きましょう」
強行軍であるが王の親書となれば一刻も早く、直接手渡す必要がある。早々に別れの挨拶を交わし、アールスは木箱に戻り砦を後にした。
一度クロム領に戻り、ファーミア達に王都に行くことを告げねばならないだろう。
アールスは親書入った箱を懐にしまった。
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