83.クロム砦
「ん?」
遠眼鏡を握るゴードンの手に力が入った。バラドラが久しぶりに来たのかと思ったが、輪郭が違うように見える。姿がはっきりしてくるとゴードンは息を呑んだ。
「いい女だ…」
砦の勤めも2年半以上が過ぎ、その間女性を見るなど望むべくもない生活を送り、3年の任期明けを指折り数えるばかりである。むしゃぶりつきたいほどの女にしばし見惚れていたが、頭から角をはやし、翼をはためかせ近づいてくる事実をようやく認識し、物見塔の階段を駆け降りた。
「アンティノキアだ。バラドラじゃ無い!」
ゴードンは叫びながら、砦内に飛び込んだ。バラドラ以外のアンティノキアに砦の者たちは会ったことがなかった。そして何の前触れもなくやって来たのだ。向こうに悪意があれば命はあるまい。任期満了が目前の災難をゴードンは嘆いた。砦の6人の兵士たちは建物の最下層まで降り、扉をしっかりと締め切り息を潜めた。
ポポロは兵士の慌てぶりも知らず、砦のバルコニーに着地した。
「あれ?誰もいないの、立派な砦ね」
ウロウロと歩き覗き込んだが誰もいない。バルコニーには建物内に通じる鉄の扉があるが錠が下されている。ポポロなら軽く破壊できそうだったが、さすがに自重した。絶対バラドラに怒られる。
ポポロはしゃがみ込み、扉をガンガンと叩き呼びかけた。
「出てきてよ。私はポポロ。バラドラの部下よ」
何度か繰り返し「座って待ってるからね」と、バルコニーに置かれている木の台の上に腰を下ろした。ポポロはバラドラの名前を出したことで、閉じこもる兵士たちが反応したのを察知していた。
しばらくすると砦の扉がゆっくりと開き、さらにゆっくりとゴードンが顔を覗かせた。ポポロと目が合い、ゴードンの顔が強張った。
「いじめたりしないわよ」
ポポロが肩をすくめた。
ゴードンが覚悟を決めようやく出てきた。残りの5人も恐る恐るあとに続く。皆、バラドラ以外のアンティノキアを見るのは初めてだった。しかも大きさこそ違うが見た目は人間の女性のようである。全く女性に縁のない砦である。中には鼻を伸ばして見惚れているものもいた。
「でけえがいい女だ…」
兵士の一人がボソリと呟いたのをポポロは聞き逃さず、兵士に指を突きつけ見下ろした。兵士はびくりと震え恐怖に身構えた。
「無礼ね。気に入ったわ」
ポポロが笑ったので兵士たちの警戒は若干ほぐれた。
ゴードンが代表してポポロの前に歩み寄った。
「…バラドラって言ってたな」
「ええ。私はバラドラ様の部下よ。ポポロといいます。」
「バラドラってやっぱり偉いやつだったんだな」
ポポロの答えに砦の兵士たちはザワザワと言い合った。
「そうよ、とても偉い方よ。まあそんなことはいいのよ。今後はバラドラ様と呼びなさい。ところであなたたち、ここがクロム領だってこと知ってる?まあ正確には国境のほんのちょっと外だけど」
「知っている。バラドラ…様から聞いている」
ゴードンは頷いた。おおよそのことはバラドラから聞いている。クロム領はノマダス南端の急峻な山地に囲まれた土地だということ。中央から離れ辺境にと呼ばれる地域であるため、あまり豊かというわけではなく、領民は慎ましく暮らしているらしい。
「数日前にクロムの領主が変わったの。もうすぐ新領主が挨拶にくるわ」
「え」
兵士たちはどよめいた。領主が新しく?挨拶?、ポポロが来ただけでも衝撃であったのに、クロムの領主まで砦に来るという事実にゴードンは戸惑った。
「りょ…領主様がこちらに?あの、突然でなんのおもてなしも出来ませんが…」
慌てる兵士たちに、ポポロはフンと鼻を鳴らした。
「いいわよ別に、ちょっと挨拶にくるだけよ。大体あんたたちはバラドラ様が来たって別にもてなさないじゃないの。逆にラプルまでたかったでしょう。私ちょっとむかついてんだからね」
殊勝な態度で返事をしたはずのゴードンだったが、ポポロに火をつけてしまったようだった。
「バラドラ様が偉いとか偉くないとか関係なく、何か貰ったらお返しするっていうのは礼儀でしょう?あれからも何度かバラドラ様はここに来てるわよね」
「ま…まってくれ」
詰め寄るポポロにゴードンは慌てて言葉を返した。
「あんたのいう事は尤もだ。俺たちだって下っ端だが礼儀までは忘れちゃいねえ。こっちもうちの国の物を何か食ってもらおうとみんなで相談して手配をしてたんだぜ、その間に2度バラドラ様は来てくれたんだが、何しろここは本国まで距離があるんだ、だからまだ用意できてなかった。それについては言葉もねえ」
ゴードンの必死に弁解した。
「だがもう少しで届くって時に、ここを離れろって命令を受けて、国に帰ってたんだよ…。ここへ戻ってきたのも最近なんだ。決してなおざりにしてたわけじゃねえんだ。信じてくれ」
「ほんとぉ~?」
ポポロが疑わしそうに眉を顰めた。
「多分本当だと思います。ポポロ殿」
砦の外から声がした。
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