81.クロム領主
「は?」
アールスは、言葉を失ってその場に立ち尽くした。
「私は親書を携え明日の朝出立します。将軍としていつまでも国を空けているわけにもいきません。クロム領主にはアールス君が着任します」
サカキは澱みなく答えた。
「あの…私も帰国しますよね?」
この旅一番の恐怖に襲われ、アールスはすがるような目でサカキを見た。
「首尾よくノマダスにて何らかの地位を手にした際は、ノマダスに残り、和平の礎としてアンティノキアと融和に努めよと、カール5世陛下から命令を受けている」
一瞬、一瞬だけサカキは済まなそうにアールスを見たが、背嚢から書類を取り出し、アールスに広げて見せた。玉璽が押されサカキが今言った内容が確かに記されていた。奥で様子を見ているポポロが顔を背け、肩を震わせている。悪魔め、アールスは内心で毒づいた。
「わ…私のような若輩がとても務まるものではないでしょう」
アールスは抵抗を試みた。聞いていないにもほどがある。ルーポトがバラドラに政を任せ旅に出たように、クロム領に詳しく高い志を持つアンティノキアに政を任せ、あとは帰国するものとばかり考えていた。普通そうだろうが、とアールスは叫びたい気分だった。
「人間として初めてノマダスの地方領主となる君の名は、世界中の歴史書に刻まれ、後世まで語り継がれるだろう」
「ノマダスでもそうなるわ」
サカキは重々しく、ポポロは目尻を拭いながら言った。後世なんざ知るか、とアールスは思う。
「しかし、私はここのことを何も知りません。領主など無責任に引き受けることは…」
無駄な抵抗であろうと半ば諦めているが、アールスは最後の足掻きを見せた。
「今より悪くなることはないわ」
ポポロが片目をつぶって言い放った。
悪魔め、とアールスは思った。
翌朝。宿の前でサカキの出立を見送る。山から顔を出したばかりの太陽が黄金色に輝いていた。
サカキは街の端に設置された円形の台の上に立っている。ここからポポロの魔力を使い、未統治地帯まで転移することになっている。その場所に手回しがいいことに馬が用意されているようだ。その馬でナティアに向かい、王都へ戻ることになる。
「ポポロ殿。大変世話になった。感謝の言葉もない。いつの日かシュマルハウトにもお越しいただきたい。そしてぜひまたお手合わせを」
サカキが手を差し出し、ポポロが包み込むように握り返した。
「こちらこそ楽しかったわサカキ様。ぜひ伺いたいわ。あなたの剣捌きは目を見張るものがありました。ありがとう」
「アールス君」
サカキはアールスに手を差し出す。
「この旅で君のことは高く評価している。ワトビア殿も信頼できる男だと言っていたがそれがよく分かった。ナイガも君が倒したようなものだ。君はここの領主として、住民のために本気で取り組んでくれることをお願いする。君ならできるはずだ。それが必ず人とアンティノキアの和平の後押しとなる。カール5世陛下もそう望んでおられる。ポポロ殿も言っていたが、今より悪くならないなら気楽にやるといい。また会おう。必ず」
アールスは包帯が巻かれた手でサカキの手に触れた。
「わかりました。やるだけやってみます。不安すぎますが…どうなっても知りませんよ。出奔するかも」
どうせ身よりも恋人もいない独り身である。将軍がここまで言ってくれたのだ。不安の方が遥かに大きいがわずかに闘志に火がついた。こうなったら好きにやってやろう。
「ははは、それでいい。ワトビア殿には君の活躍をよく伝えておく。では」
大きく手を振るサカキが一瞬でかき消えた。
「…行ってしまった」
アールスはため息をつき、早速途方に暮れた。
どうしてこうなった。という思いでため息をつく。この旅で自信をつけ、国に戻り、その成果を同僚の魔道士たちに還元せよとワトビアも言っていたではないか。アールスもそのつもりであった。
それが異国で領主になるとは。
「とはいえこれから何をしていいのか、全くわからないんですが…」
「しばらくは私が手伝うことになっているわ」
「助かります…」
アールスはほんの少しだが安心した。ポポロがクロム領に滞在するというのは心強く、ノマダスも和平に関して本気である事が窺えた。
「まずは腕をゆっくり治療なさいな。それから領主の屋敷に行きましょう。あなたの家であり仕事場よ」
完治には程遠いが、日常生活に不自由がなくなるまで10日程を要し、アールスはポポロと共に領主の屋敷へ向かった。
屋敷に着くと、ナイガの元部下たちが不安げな顔を並べていた。突如上司の首がすげ変わるというのは、国の政策として慣れているだろうが、人間に変わるとなると、計り知れない動揺があるだろう。
「ほら、まずは挨拶よ」
ポポロに促され、部下となるアンティノキアたちの前に立った。アンティノキアたちが小さくざわついた。こんな小さな人間がナイガを本当に倒したのか、と訝るようなざわめきだろうか。
人前で話すのは慣れていないが、今後はそうも言っていられまい。アールスはそう自分に言い聞かせた。
「本日から、クロム領主となるアールス=ブレインです。領主となった以上、クロム領民のために力を尽くそうと思っております。しかし私はまだクロムのことを何も知りません。皆さんの協力が必要です。よろしくお願いします」
軽く頭を下げると、アンティノキアたちは再びざわついたが、しばらくして皆ぎこちなく跪いた。アールスは羞恥に顔が赤くなるのを自覚した。自分が跪かれるなど、とてもそんな器ではないという気分だった。
「部屋を案内してあげて」
ポポロが告げると、一人のアンティノキアが進み出て来、アールスの正面に跪いた。それでもアールスは見上げる必要があった。
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