2.誰かいる
アールスが書物庫に訪れたのは初めてではない。
しかし明確な目的を持って足を踏み入れたのは初めてのことだ。今までは魔道士長やレイムル師に頼まれ、指定された書物の内容を書き写したり、記憶して戻ってくるそれだけの役割だった。
重要書物庫の内部は円筒状の空間で周りを書架がぐるりと囲んでいる。5層に分かれており、左右に階段が設けられている。視界を覆うように書物が積み重なり、知識に飲み込まれるようなその光景は壮観である。魔道の明かりで書庫全体は意外に明るい。
「さて……はじめるか」
事前に魔道士長とも協議し、必要な書物の目星は付けてある。中央の閲覧区画に荷物を置き、目的の第3層の書架へ急ぐ。
アールスが覚書を確認しながら数冊の本を選び出した時に、首筋にほんの僅かに粟立つ様な違和感を感じ、ゆっくりと振り向いた。
原因となる物はわからなかった。眼下の閲覧区画にも変わった所は無い。
魔道書の中にはそれ自体が魔素を放つ物がある。感覚の鋭い者にはそれが気配のように感じられることもあると聞いた。アールスはそう自分を納得させ、閲覧区画に戻り本に没頭した。
第1層と2層を結ぶ階段の下に、小さな仮眠室がある。1日目を終え、寝台に身体を横たえたが眠れなかった。書物からいくつかは参考になりそうな術などは見つかったが、具体的な方式に落とし込むことは出来ず、アールスは少々焦っていた。
「まずいな……思いつく気がしねえぞ……」
元は庶民の出で孤児であったアールスはあるとき魔道の素質を見いだされ魔道士となった。それからは魔道だけでなく礼儀作法や言葉遣いも徹底的に叩き込まれたが、1人のときはすぐに当時の口の悪さが顔を出す。
「だいたい先人の知恵なんて言うが所詮昔の古びた知恵じゃねえか。今の警備に使える訳がねえ……だが手ぶらで帰るのも癪だし、やるだけやるしかねえか。駄目なら謝りゃいいや」
悪態をつきながらも根は真面目なアールスは身を起こした。
「どうせ眠れねえし、もうちょっとやるか……それにしても……」
呟きながら首筋に触れる。先ほどからまた違和感を感じていたのだ。しかし考えてもわからないので構わず仮眠室の扉を開ける。誰も来る訳が無いので本や筆記帳は閲覧区画に置いたままだ。
アールスは目を見開き左側に視線を送った。
一瞬視界の端に何かが揺らいだように見えたのだ。
「気のせいか……」
辺りに視線を巡らせたが、ここ自体、結界を張り巡らせた異常な空間でもある。そんなこともあるだろうと椅子に座り頁をめくる。しばらく本に目を通していたが、再び違和感を感じ、アールスはふと振り向いた。先ほど何かが見えたあたりである。
人がいた。
長い銀髪で褐色の肌を持つ美しい顔立ちの男だった。ゆったりとした所作で本を読んでいる。身なりはしっかりとしており、高位の貴族の様にみえるが、知らない人物である。
国内の貴族や学者であれば宮廷魔道士であるアールスが知らない訳が無い。警備をする以上要人の顔を覚えるのは必須である。いや、たとえ見知った顔であっても、今この重要書物庫に自分以外がいることは許されない。
(侵入者だ……!)
アールスの頭の中で警報が鳴り響く。
シュマルハウト王国の歴史始まって以来の緊急事態だった。
ゆっくりと席を立ち、男を警戒しつつ出口へと向かう。外に一刻も早く報告せねばならない。
(いや。それより外の同僚たちは無事なのか?)
そのとき、男が書物から目を離しこちらをみた。
アールスと視線が合い男は僅かに目を細め「ほう」と声を上げた。
「よく気づいたな。いつも通り気配を消していたのだが。たいしたものだ……お主、何度か来たことがあるな。見覚えがある」
男が緊張する気配もなく微笑んだ。アールスは男の言葉に体を強ばらせた。
「何だと……以前俺が来た時にここにいたというのか」
「ああ。この場所で本を読んでいた」
ありえないことだった。幾重にも張り巡らされた結界をくぐり抜け、同じ空間にいる者からも気配を断って居続けるなど……。第一許可した人物以外が侵入することがあれば、結界に施された術が即座に反応し排除するはずだ。
しかし男は現実にここにいる。
「何者だ貴様……」
答える筈が無いと思いつつアールスは思わず尋ねた。
「通りすがりのアンティノキアだ」
男はあっさりと答えた。
「アンティノキア……魔族か!」
「おまえたちはそのように我々を呼ぶ」
アールスは男を睨みつけた。
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