16.バルコニーで
その声にアンナはパッと振り向いた。アールスは素早くアンナを庇うように前に立った。
「貴様」
ルーポトが薄く笑みを浮かべながら立っている。奥にいる警備兵はこちらの動きに何も気づいていないのか、直立不動で他方を見ている。得体の知れない術を使っているようだ。アールスは杖を構え、いつでも攻撃できる体制ではあったが、内心ではルーポトがその気になればアンナを守る自信はなかった。しばらく無言で対峙していたが、均衡を破ったのはアンナであった。一瞬アールスは背後の空気が変わったように思えた。
「無礼な。私は第二王女、アンナ=ローウェン=シュマルハウトです。あなたは王族の前にいるのです。場を弁えよ。まず名乗りなさい」
アールスは驚いてアンナを見た。背筋をピンと伸ばし、堂々とした声音で全く臆する様子もなくルーポトを睨みつけている。高い地位を当たり前のように享受している傲慢さとも取れるが、その自信に満ちた態度は今までとは全く違う近寄り難いほどの威圧感さえあり、王族との威厳と誇りを感じさせた。
ルーポトはわずかに目を見開き、口を開いた。
「これは失礼した。私はルーポト。ノマダスから来たアンティノキアの王だ」
「え」
アンナは先ほどまでの威厳がすぐに剥げ落ちたような、まさしく豆鉄砲を食らったような顔になった。無理もないが、あまりにも想定外の答えだったのだろう。
混乱しているアンナにアールスは声をかけた。
「この者は真偽はわかりませんがそのように自称しております。その名も頷けるほどの術を現在も使っております。結界、宮廷魔道士の警備をものともせずここにいること、この状況に警備兵が何の反応も示していないことが証拠です」
「…ほんとだわ。全く気付いてないわね。すごい」
アンナは直立不動の警備兵を見、目を丸くした。
「何をしに来た」
アールスは依然杖を構えている。爽やかな風、柔らかな陽光のもとに立つ「魔王」に大きな違和感を覚えながらルーポトに問いかけた。
「アンナ姫、私が彼に助言したのだ。算術の力を借りればどうかと」
「え!そうなの?」
「…そうなります」
目を開くアンナにアールスは渋々と答えた。
「ちょっと待って。混乱してきたわ。ルーポトって魔王のことよね。魔王が何で警備の協力をするのよ」
アンナは当然教育の過程で「ルーポト」の名が魔王そのものであることを知っている。彼女は不信感に満ちた表情でルーポトを見た。アンナとてこの男の言うことを簡単に信じる訳がない。
「アンティノキアは平和を望んでいるのだ。敵意がないことを知ってもらいたいのだよ、姫」
「余計に混乱してきたわ…」
愉快そうに話すルーポトに、アンナはすっかり困惑している。
アールスはアンナに自分の体験したことを告げた。
ルーポトとすでに会っており、戦ったこと。そして10年前からこの国に来ており、カール5世も知っていること、ワトビアも戦い、全く歯が立たなかったこと。
「…そんな凄いことがあったのね。あなたそんなに強いの?」
アンナは目を丸くしてルーポトを見た。
ルーポトは「ああ」とあっさりと答えた。
「だから好きなようにできるし、こちらもどうにもできないってことなのね。なんて屈辱的なことなのかしら」
アンナは大きなため息をついた。アールスはその言葉に身の置き所のない気分になり「申し訳ございません」と小さな声で謝罪した。
「しょうがないじゃない。平和を望むって言うのがほんとだってことを祈るしかないわ。どうしようもないなら開き直るしかないのよ」
あっけらかんとしているのか、怒っているのかわからないがアンナは顎をツンと上げて昂然と言い放った。
「なかなか気持ちの良い娘だな」
ルーポトはいかにも感心したと言う表情で、つぶやいた。無礼を咎めるためと前へ出ようとするアールスをアンナは片手で制した。
「ところであなた算術に詳しいの?だからアールスに提案したんでしょ」
アンナの目がきらりと光ったようにアールスには見えた。
「いや、わからない事ばかりで、書物を眺めているだけだが世界の法則を発掘するような作業が興味深い、だから参考になるのでは、と思ったのだ」
「そうなのよ!いい例えだわ!それだけじゃなくて…」
アンナの目はさらに輝き、怒涛の勢いで語り出した。ルーポトさえも楽しげにしており質問を投げかけたりしている。ルーポトが最近気配を隠し学問所で講義を聞いていると言う話に「素晴らしいわ!」と叫ぶように喜び、わからなければ私に聞きに来なさいと言い出す始末であった。思わずそれは公務に差し支えるだろうとアールスは止めたが、聞き入れられそうになかった。これはワトビアに報告しておいた方が良いだろう。
「ところで警備の効率化はうまくいくのか?」
ほどなくアンナの話が一段落したところで、ルーポトが尋ねた。
「そうね。アールスやワトビアとも相談しないといけないけど、まず…」
「姫様」
アールスが制した。
「それにつきましては機密事項なれば…」
と言ってもどうせ聴かれているのだろうが、アンナには王族として気軽に口を滑らせることを注意せねばならない。元々ルーポトに警備の効率化について話したのは当のアールスだったのだがそれをあっさりと棚に上げた。
「あ!そうよね。ごめんなさい。迂闊だったわ」
アンナは素直に顔を赤くして謝った。その様子をルーポトは面白そうに見ていた。
「首尾は悪くない様だな。ならこちらも考えてみるか」
「!?何をだ!」
アールスは勢い込んで詰問したがルーポトはわずかに微笑み消えた。
「!」
気配は完全に消えた、しかしどこの結界もルーポトを探知できなかった。
「本当にパッと消えちゃうのね。どうなってるの…本当に魔王なのかしら」
アンナはきょろきょろと周りを見回ししきりに感心していた。
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