9.選ぶのはオレだ
調べるために分散した仲間を見送ったオレは、残ったアスタルテに対峙した。彼女は何かを知っている。確証がないから口にしないだけだろう。ならばオレだけが相手なら口にするはずだ。
「アスタルテ」
「……はい」
表情が強張るのは、何を聞かれるか察しているためだ。それでも自分から語る気はないのだろう。きゅっと引き結んだ唇が決意と覚悟を物語っていた。
「神々の大地とは何だ?」
話を聞くなり、彼女は心当たりがあるような単語を呟いた。にもかかわらず、調べた結果は何もないと報告する。この矛盾に隠された秘密が気にかかった。リリアーナも今日は出かけている。クリスティーヌに会いに行くと言っていたから、帰りは夕方だろう。今日ぐらいしか聞き出せるタイミングがなかった。
腰掛けた執務机から、立ち尽くす彼女を見つめる。付き合いが長すぎて、家族に近い感覚を抱く相手だ。些細な癖も知っている。だからこそ……彼女が俯いた時に逸らした視線の意味も、理解していた。出来れば話したくないのだ。
「すでにレーシーが叙事詩を口遊んだ」
これ以上の説明は不要だ。察しのいいアスタルテなら、双子が調べ上げる状況になったことを理解したはず。レーシーが歌った歌詞をバアルが聞いている。当然アナトにも共有され、2人は解読を試みる。黙っていたとしても、あの神々は何らかの形で結論を導き出すのだ。
「私が母から聞いた話です。あの大地は……創世の神々が住まう地として残された、と。それゆえに、何があっても手を付けてはならない。幼い頃に教えられた言葉だった」
ひとつ溜め息をついたアスタルテは、嘆くように髪で隠れた顔を両手で覆った。
「忘れていた。母の声で紡がれた悲恋の物語も、神々の大地という単語さえ……何らかの作為が働いた結果なら、話さない選択肢を選ぶべきです」
危険だから知らないままで置く。それもひとつだ。だがオレがこの世界に喚ばれたことが、その作為に含まれなかった可能性は低い。側近のアスタルテは、かつてアースティルティトと名乗った。両親から貰った名は、過去に彼女が存在した世界の響きだ。
主君となったオレが、数千数万の世界の中からここに飛ばされた理由は……召喚だけでは説明がつかない偶然だった。この世界は前の世界と違う。厳しさがなく微温湯に似た居心地の良さと、どこか落ち着かない不安定さが共存していた。
「選ぶのはオレだ」
アスタルテではない。求められてこの世界に落ちたオレが、変革の資格を持つのだ。そうでなければ、圧倒的な強さを誇る理由がなかった。オレの持つ強大な力は維持されている。何かに使うため残されたと考えるべきだろう。
「話せ」
命じられたアスタルテは反論しようとしたのか。一度開いてから噛みしめられ、やがてゆっくりと解けた。そこで話される内容は神話と呼んで差し支えなく、だが吸血鬼の始祖である彼女の母が語ったという事実ゆえに――真実を含んでいた。




