327.連れてお行きなさい
執務室で書類を片付ける。アガレスやマルファスが積極的に文官を採用したため、かなり事務作業の効率が上がった。オレの決裁を必要としない書類が回されることも減り、アスタルテが代行できるよう印章も預けている。片付けた机の上を確認し、マントを翻して立ち上がった。
窓の外ではしゃいだ声を上げる双子神は、創造と破壊の力を使い荒野に雨を降らせる遊びに夢中だ。ヒビ割れた大地に潜む種を割り、その上に大量の雨を降らせる。繰り返すことで芽吹く緑を見て、大喜びだった。彼と彼女の本質に合うのだろう。それをククルが褒めるため、さらに夢中になった。
オリヴィエラとロゼマリアは街の復旧や、子供達の教育に取り掛かった。孤児の保護はリシュヤの管轄だが、親がいる市井の子供達は別だ。元王女の肩書を上手に利用し、彼女は民との間に信頼関係を築いた。
アルシエルとウラノスがいれば、この城の守りに心配はいらない。圧倒的な強さを誇る黒竜王と、魔法や魔法陣の扱いに長けた元魔王の組み合わせは、互いに補い合う。クリスティーヌの諜報活動も順調で、受け入れた難民の管理を行うアガレス達の助けになっていた。
これなら、オレが城を空けても問題あるまい。そう考えたのを気づいたように、部屋の隅でおとなしく本を読んでいたリリアーナが顔をあげた。
「どこ行くの? 私も行く」
「ここで待て」
すぐ戻る、そう言えば安心するのか。だが確実でない約束は出来ない。突き放され、嘘を吐かれたら泣くだろう。この娘が泣く姿は何度も見たが、彼女の涙は二度と見たくなかった。
「やだ」
本をソファの上に放り出し、走るリリアーナの手がマントを掴む。以前の遠慮はなく、しっかりと握り込んで離さないと訴える。強い眼差しに眉をひそめた。
不快だと示せば離すと思ったが……きゅっと唇を噛んで睨み返す。行き先を告げるまで離さないつもりか。視線を合わせたまま、口を開いた。
「黒い神とやらを片付けるだけだ」
「私も行く」
「無理だ」
「絶対にダメ」
マントごと置いていくか。そんな考えが過ぎったオレに、部屋の入り口から声がかかった。
「連れて行けばいいでしょう」
アスタルテは苦笑いし、リリアーナの近くまで歩み寄った。ククルやアナト、バアルへの態度から分かるように子供に甘い。リリアーナも十分庇護対象に入る年齢だが、連れて行けとはどういう心境だ?
怪訝に思い黙ったオレの足元に膝をつき、アスタルテは自らの手首に噛み付いた。流れる血をリリアーナの前に差し出す。元から肉食で獲物を狩る竜の喉がごくりと動いた。加工された肉より、狩ったばかりの生肉を好む。さらに強者の血は極上の匂いでリリアーナを誘うだろう。
「いい?」
アスタルテではなく、オレに許可を求める。好きにしろと頷けば、アスタルテに抱きつくようにして血を啜った。人間が見れば浅ましい姿に映るだろうが、これは信頼を示し力を分け与える儀式のようなものだ。吸血一族の始祖という最強種族の長が、黒竜の娘を認めた証拠だった。
ごくりと喉を鳴らして血を飲むリリアーナを抱き寄せ、アスタルテは微笑んだ。
「これで不安は減りましたか。連れてお行きなさい」
あなた様に必要な枷です――声に乗せず、リリアーナに聞かせぬよう念話で伝えられた一言に、口元が緩んだ。
「配下の進言を受け入れるは、主君の器だったな」




