執筆意欲が湧く時。あるいは【思春期ビターチェンジ】に感動し打ちのめされた件、つまり感想。
ずっと低迷していた執筆意欲が復活しました。その理由が以下に……。
なろうユーザーに限らず小説を書いている人は執筆意欲が異常に沸いてくる時と、まるで執筆意欲が涌き出て来ないというか、むしろマイナスの執筆意欲つまり作品を削除したいとか思う時もあるのではないかと思います。
つい最近まで私も執筆意欲が駄々下がりで、マイナスの執筆意欲しか持てなかったのですが、ここ半月ほどで私の執筆意欲が急速に回復傾向を見せて来てくれています。その直接的なきっかけはこのエッセイの題名にも書いてありますが、最近の入れ替わりものTS作品として評価の高い商業作品の漫画、【思春期ビターチェンジ】を1巻から9巻まで一気読みし、更に何度も繰り返し読み直しているということがあげられます。
それについては◆3◆にて詳しく書いていく予定ですが、まずは過去に私が小説を書く上で執筆意欲をおおいに刺激された事実を書いていきましょう。
◆1◆
「自分も」と思ったり、「コレジャナイ」と思った時に執筆意欲が沸く。
まだギリギリ20世紀だった西暦2000年の夏、私は人生ではじめてパソコンを買いました。ブランドはIBMのノートパソコンでした。当時は最低スペックのノートでも12万円ぐらいしましたから、既婚者でおこづかい制の私としてはけっして安い買い物ではなかったです。
しかしそのノートパソコンが開いてくれたインターネットの世界は、現在と比べればまだ狭い世界でしたが、私にとっては新世界でした。
TS作品が好きな私としては、一般的な書店で手にはいるTS作品はなるべく手に入れるようにしていましたが、当然に手に入らない作品や、そもそも作品の名前すら知らないうちに書店から消えていく作品も多々あったはずです。
そんな私の前にインターネットの世界に散らばる各種TS作品は、そういった作品に飢えた私にはキラキラと光って見えました。私はむさぼるように素人さんが書かれたそれらの作品を読んでいきました。
素人さんが書いたとは言っても、むしろ商業作品における制約が無い分、その手の作品好きな読者にしてみたら性的な描写も含めて痒い所に手が届くような内容が多く、しばらくの期間、とても満足出来る時間を持つことが出来ました。
しかし2ヶ月くらいした頃でしょうか。「商業デビューしていない素人さんたちにもこれだけの作品が書けるのなら、もしかして私にも何か作品が書けるのではないだろうか? 書けるんじゃないかな? 書いてみたいな……。よしっ! 書いちゃおうっ!!」と、いう気持ちになってきたのでした。
この時の執筆意欲は単純に「自分も書いてみたい」という非常にシンプルな欲求でしたが、もう少し詳しく説明すると、「確かにこれらの作品は私が求めていたTS作品たちであるのは確かだけど、微妙に【コレジャナイ】という感じがある。よぉーし、だったら【コレだ】という作品を自分で書いてみよう」というものでした。
当時私が感じていた【コレジャナイ】という部分はどこかというと、例えば入れ替わりものだとすると、「なぜ、入れ替わった当事者たちは入れ替わったことを隠そうとするんだろう?」という点でした。
そしてその【コレジャナイ】という点をつらつら考えているうちに、「人格が入れ替わったら、それも男女で入れ替わったらそのことを隠そうとしても隠しきれないんじゃないかな? いや、むしろ家族や知り合いだけじゃなくて世間一般というか国家単位で入れ替わりの現実を受け入れてそれに対する法整備とかされていたりしたら面白くなるんじゃないかな?」という考えが出てきたのでした。
そしてそれを形にしてみたのが、私がネットに上げた最初の作品である【妖精的日常生活】です。
この作品は現在、ミッドナイトに上げている【妖精的日常生活 お兄ちゃんはフェアリーガール】のリニューアル前の作品で、未完のまま完全に更新が停止している作品です。
私が運営しているホームページ【ジャージレッドの秘密基地(自称)】に掲載されている他、昔TS界隈ではメジャーでしたが今となってはそうではなくなってしまった【少年少女文庫】にも投稿作品として掲載されています。さらには【妖精さんの本だな】という所にもアップされています。
ちなみに私が運営している【ジャージレッドの秘密基地(自称)】というホームページは、過去に3回アドレスを変更していますので、他のサイトからのリンクが切れまくっており、各種方面にはご迷惑をおかけしていることをこの場を借りてお詫びしたいと思います。
さて、話を戻して、リニューアル前の無印の【妖精的日常生活】ですが、単純な男女の入れ替わりならまわりに隠しておくことも出来なくはないと当人たちも思うでしょうから、どう頑張っても隠せないような入れ替わりというものを考えてみようとしたとき、「そうだっ! 人間じゃなくて妖精の女の子と入れ替わってしまう少年っていいよな」というふうに思ったのでした。
まあそんな単純な理由で異世界の妖精に体だけを召喚されて代わりに妖精の体をもらうという展開が生まれたのでした。
そしてなぜ妖精はそんなことをするのかという理由を考えていき、異世界の地球は異星からの機械群に侵略されているという設定を考えるにいたり、その後の話が出来上がったのです。万単位の人間が妖精に召喚されて妖精化してしまった世界。
当然、政府は動かざるを得ず、社会常識も変革されるはず。そんな世界をシミュレーションしていくという裏コンセプトを抱えて、私のはじめてのTS作品が執筆されていくのでした。
しかし「自分も書いてみたい」という単純な執筆意欲だけでは、いづれスタミナ切れという名の執筆意欲の低下を招いていきます。しかもシリーズものを書こうとすれば、最初のうちは出落ち的なキャッキャ♪うふふな展開で簡単に執筆出来ていくのですが、徐々に作品内の世界が広がっていくに従い、執筆するのが加速度的に難しくなってきてしまいます。
特に最初の段階で入念な設定を決めずに、勢いだけで執筆するとそういうことになるのではないでしょうか。いわゆるエタる作品のエタる理由のひとつでしょうね。「書いてみたい」という気持ちだけで執筆し始めると、「書いたこと自体で満足してしまう」ところがありますので、執筆難度が上がっていくにつれて気力がどんどん削がれていきますから。
結局のところ私も、いったん途切れた執筆意欲が復活するのに、つまりはエタらせてしまった【妖精的日常生活】をリニューアルして【妖精的日常生活 お兄ちゃんはフェアリーガール】として執筆しなおすのに約10年の歳月を必要としました。
なろうという新しい環境にて、TS作品ではないですけど、【銀河連合日本】という素晴らしい作品に出合って、その作品に感想を書きたくてアカウントを作ってしまったのが執筆意欲が復活し始めた原因でした。
作品の内容は全く違いますけど、「私もこんな面白い作品を書いてみたい」と思わされてしまいましたからね。以上が執筆意欲が沸く時、その1でした。
◆2◆
「ソウジャナイダロ」と思ってしまったWEB漫画がきっかけで執筆意欲が出た。
さて、「自分も」と思ったり、「コレジャナイ」と思ったりしたことで執筆意欲が沸いたということを書きましたが、その他にも、「ソウジャナイダロ」と思った結果、執筆意欲が沸いたという経験があります。
私が書いた作品の中に、【TS系短編集】として上げられている短編のひとつに、【短編の6 とにかく相談にのりなさい】というものがあります。内容は小学2年生の時に男女が入れ替わってしまったふたりが主人公なのですが、ふたりとも高校生になる頃にはすっかり元に戻る気が無くなっています。そんな内容の話なのです。
なろうへの投稿は2019年1月と最近ですが、実際に執筆されてネット上に上げたのは2012年のことでした。
※ 現在は、なろう運営様より18禁のご指摘を受けましたので、【ミッドナイトノベルズ】にて掲載させてもらっています。
昔、交流があった南文堂様が運営している【(仮)机上空想工房】というサイトにおける【第5回 競作企画『明日、希望』】という企画に応募した作品です。
実はこれ、商業系TS作品である【思春期ビターチェンジ】という漫画が、まだ商業展開する以前に、作者様である将良様個人が運営する【迷彩バンビ】というサイト内にて掲載されていた【ちぇんじ】という作品の内容に「ソウジャナイダロ」と反発して執筆意欲が刺激され、書かれた作品だったりします。
商業展開され9巻まで出版されて完結した【思春期ビターチェンジ】という作品を読まれた方はけっこう多いと思いますが、作者様のサイトまで訪問して、商業化される以前のプロトタイプ的な【ちぇんじ】という作品を読まれた方はそれなりに少ないかもしれません。
さて、その商業展開される前の【思春期ビターチェンジ】である【ちぇんじ】を当時読んだ感想を箇条書きにしてみます。
(1) 小学4年生で男女が入れ替わったのなら、性を意識する思春期前だよね。
(2) だったら思春期を迎える中学生頃には、お互いの現在の性別を受け入れても良いよね。
(3) というか高校生にもなって、自分の性別を受け入れないっておかしくない?
(4) その体のホルモンバランスとかは完全に男と女でしょ? 脳構造も。
(5) 性に目覚めるというか、エッチな展開が何も無いのもなあ……。
(6) オレ、とかワタシとか、いつまで人称が変わらないのっ! 隠す気ないでしょ。
(7) しかも何? 途中経過をすっ飛ばしたエピローグの鬱展開っ!
(8) 貴重なTS作品だけど、これはダメだ。修正してやるっ!
という感じでダメ出しというか反発心から執筆意欲が沸いていたところに、競作企画へのお誘いメールが届いたので、これ幸いという状況で書いたのが【とにかく相談にのりなさい】なのでした。
さて、今はとても反省し、当時の自分を殴ってやりたいとも思っているのですが、当時の私は作者様である将良様にこんな失礼なことを思ってしまっていたのです。
しかも「ふっ、私のほうが幼い頃に男女入れ替わって長期間経過するというシチュエーションに対してよりTS作品らしい作品を書けたね」なんて根拠がないマウントを取ったつもりになっていました。
本当に申し訳ございませんでした。
さて、以上が「ソウジャナイダロ」と思ったことにより執筆意欲が出てきた話でした。こういう経験、小説や漫画を描いている作者様の中には経験されたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?
……いらっしゃいますよね?
◆3◆
良作に打ちのめされ執筆意欲が沸く。商業版【思春期ビターチェンジ】に完敗っ!
さて、私が「ソウジャナイダロ」と酷評していた個人サイト掲載版の【思春期ビターチェンジ】であるが、ふと気が付けばいつの間にやら商業展開されていました。
順調に連載が進み、コミックスも発売され、世間の知名度も格段にアップ。TS作品好きなら最低でも名前ぐらいは知っている作品となり、ちょっとでも興味があるなら購入まで至るという作品になって行ったと思います。
しかし私は個人サイト掲載版における内容及び最終的には鬱展開になることを知っていたので、あえて読まず買わずの姿勢を貫いていました。いづれ完結したら読んでみてもいいかもとは思っていましたが、あくまでも「機会があれば……」という程度の軽い気持ちでした。
さてそんな気持ちでいた私ですが、【思春期ビターチェンジ】も9巻で完結したという情報を得ました。しかし9巻ともなると一気に購入するとそれなりに大きな出費ですから、すぐには手が出ませんでした。
すると2019年10月にAmazonのKindleにて、1巻から3巻までが割引とポイントがついていたので実質400円程度で電子書籍版を購入することが出来ましたので、ついポチっと買ってしまいました。
久しぶりに読む【思春期ビターチェンジ】は、さすがに商業版ということで編集さんや色々な人の意見が反映されているからなのか、記憶に残っていた個人サイト掲載版の【思春期ビターチェンジ】よりも非常に面白く感じました。
そして展開の続きが気になってしょうがなくなった私は、11月に入った段階で残りの6冊を一気買いしてしまいました。そして読了。
……ラストの展開には感動の涙でした。しかも個人サイト掲載版の鬱展開なラストとは違い、文句なしのハッピーエンドになっていました。
そして何度も読み返すうちに気がついたのです。
「これ、TS作品なんだけど、今まで私が知っていたTS作品じゃないっ!」
どういうことかというと、TS作品といえばいくつかのお約束という展開があるのですが、【思春期ビターチェンジ】においては、全くといってよいほどお約束な展開がなかったのです。しかし、お約束を廃するが故に、逆にTS作品における名作になっているという逆説的な展開となっていました。
ここから先はネタバレの内容も含みますので、未読の方はそれを念頭に置いた上で読んでください。それでは行きます。
まず、人称の問題ですが、佑太になってしまったユイは人前では【僕】と言ってたりしますが、入れ替わった相手である結依になってしまったユウタや、秘密を知る唯一の人物である和馬と一緒の時は【私/ワタシ】と言っています。
そして同じく結依になってしまったユウタも、人前では【私】と言ってますが、【佑太/ユイ】や和馬の前では【俺/オレ】と言い続けていました。
その人称の変わらなさ、変えようとしなさに私はイライラというか違和感を覚えつつ読み進めていました。
周囲に入れ替わりのことをバレないようにしようとするなら、人称は大事だと思いますから、「ユイもユウタも融通がきかないなあ、いったいいつまで昔を引きづるんだよ」などと思っていたのですが……、9巻において【佑太/ユイ】が交通事故に遭い、その結果ふたりが元の体に戻った時に集中治療室での会話シーンを読んで、私の考えが間違っていたと思い知りました。
意識朦朧となっている元の体に戻った【佑太/ユウタ】と、気持ちが動転している【結依/ユイ】が会話するわけですが、ここでふたりの人称が何年も入れ替わっていても変化していなかったということが生きてきます。
もとに戻った【佑太/ユウタ】は、「俺/オレ……」と言い、同じくもとに戻った【結依/ユイ】は、「私/ワタシ」と言いますが、もしもここで【佑太/ユウタ】が「私/ワタシ」と言ったり、【結依/ユイ】が「俺/オレ」とか「僕」とか言っていたとしたら、このシーンはこんなにも感動的なシーンにはならなかったでしょう。
作者である将良様はどういう考えでユウタとユイの人称をかたくなに変えなかったのかは、私にはわかりませんが、もしもこのシーンの為に人称を意図的に変えないでいたのなら、凄い構成力です。さらにもしも意図せずにそうしたのならまぎれもない天才です。
さて、人称が変化しないという点を問題視していた私でしたが、9巻のそのシーンを読んだ瞬間に、私は人称が変化しなかった点を完全に肯定的に見なおすことになりました。
そして「一年半後…」で、もう一度入れ替わって再度【結依】となった【ユウタ】が、やはり再度入れ替わって【佑太】となった【ユイ】の手を握るシーンを見て、私は「ああ、ユウタもようやく恋する少女になったね。長かったね」と、思ったのですが、何度も読み直すうちに、それは間違いだと気が付きました。
このシーン、【結衣/ユウタ】は「車通ってて危ないから」と理由をつけて【佑太/ユイ】の手を握るのですが、【佑太/ユイ】は「本当は手をつなぎたいって言いなよ」と、恋の告白を先に受けた少女としての余裕をもって、純情な少年である【結衣/ユウタ】をからかったりします。
結局、ユイは【佑太】の体であっても少女のままであり、ユウタは【結衣】の体であっても少年のままであったのです。少なくとも私にはそう解釈できました。
そういう目で改めてエピローグを読み直してみると、【結衣/ユウタ】は少年というか男の心を持ったまま母親になっており、【佑太/ユイ】は少女というか女の心を持ったまま父親になっているようにしか見れなくなりました。
その解釈が正しいのかどうか、それを知りたくて何度も1巻から読み直してみたのですが、どこをどう読んでも、【結衣/ユウタ】はどこまでいっても自分は男だと認識していて、精神が女性化するようなことが見られませんでした。もちろん【佑太/ユイ】の精神が男性化するようなこともありませんでした。
その事実を何度も確認するうちに、【思春期ビターチェンジ】は今まで私が知っているTS作品とは全く違うということが理解出来ました。
先ほども書きましたが、【思春期ビターチェンジ】には、TS作品にあるお約束が一切ありません。
【結衣/ユウタ】がスカートを嫌がっていたりしますが、普通のTS作品であれば、「スースーする」だとか、「恥ずかしいから」とか理由をつけて嫌がるのがお約束ですが、【結衣/ユウタ】は、オレは男だからスカートは穿かない。というスタンスです。単純です。
その他、TS作品であれば必ず出てくるお風呂シーンがありません。まったく無いとは言いませんが、TS作品好きの読者が期待するようなお風呂シーンはありません。
そもそも考えてみればせっかく学校に通っているんだから、修学旅行で他の女子生徒と一緒にお風呂に入ったりというシーンそのものがありません。
異性の体になってしまった自分の新しい体に興味を持つということについても、【佑太/ユイ】も【結依/ユウタ】も無頓着というか、そういった探索シーンが一切ありません。
第二次性徴を迎える身体に対する重要なイベントである【夢精/精通】もサラリと流されてるし、生理についても一度だけテーマにされたきり、その後は一切その話題は出てきません。
お約束の数々が存在することがTS作品であることの条件であると仮定したならば、【思春期ビターチェンジ】はTS作品とは言えないです。それほどお約束な展開が無いのです。
まあ、閑話とかではちょっとそういった部分にも脚光が当たっていますが、本編そのものでそういった事情が語られていることはありません。
【思春期ビターチェンジ】は異端のTS作品なのです。
しかし考えてみれば、長期の入れ替わりTS作品を作る場合、【精神が異性化していく】、【お約束をちりばめる】ということをしないでおくというのは、作品を破綻させない唯一の方法なのかもしれません。
TS作品の連載物を書いた経験がある方なら感じたことは有るでしょうが、連載が長期になればなるほど、「TS女性化主人公が女であることに慣れていき、ほとんど女性と変わらないキャラクターになってしまう」という現象があります。
そうなってしまうと、もはやその作品はTS作品とは言えなくなってしまい、場合によってはエタります。それを回避する為にTS以外の物語性を付加する方法もあります。例えば魔法少女の要素を加えるとかですが、果たしてそれは純粋なTS作品と言えるのかという疑問があります。
【思春期ビターチェンジ】では、お約束を排することにより、主人公たちが新しい性のあり方に慣れていくという過程を描写しないということにより、いつまでも【俺は男だ】、【私は女よ】という意識を持続させ続けていることに成功しているのです。
ちなみに【佑太/ユイ】が【結依/ユウタ】を好きになったのは、自分の身体が男で相手の身体が女だからという肉体的な理由ではなく、「いつも私を助けてくれたヒーローだから」という理由です。肉欲に流されての恋ではないのです。
だから【結衣/ユウタ】への恋を自覚する以前に、【佑太/ユイ】は自分を守ってくれていた和馬に対して恋をすることが出来ました。肉体の性別は関係ないところで恋をしているからです。
【結依/ユウタ】は【佑太/ユイ】に対する恋心を自覚した時、やはり自分の体が女で相手が男だからということを理由に恋をしていません。「自分が一番ユイを理解してやれている」という思いもありましたが、一緒に苦労を共有してきた相手として、いつの間にか恋していたというものでした。
余談(?)ですが、和馬の場合、【佑太】の中身は【ユイ】であり、その心は女の子であると知っていたからということもありますが、和馬は人を愛するとは守るとイコールであり、逆に守っている相手は愛する相手となるという歪んだ愛の感覚があるがゆえに、【佑太/ユイ】の恋心を受け止めることが出来たのだと解釈しました。
なんというか、まったくもって三人とも、肉欲とは離れたところで恋をする主人公に準主人公です。
正直、普通のTS作品ではありえないです。なのに良作です。感動します。こんな作品を私も書きたいです。でも無理です。なんせ私が書いてなろうに投稿した小説のすべてが18禁であるとの運営からのご指摘を受け、【ミッドナイトノベルズ】に移転しましたからね。
でも執筆意欲が復活したのは確かです。
感動のあまりとりとめの無い文章になりました。小説ではなくエッセイという名の駄文となってしまいましたが、少しでも今の私の感動の具合を誰かに知ってほしかったのです。
ここまでとりとめの無い文章を読んでいただき、ありがとうございました。
上記本文の内容は、完全に私の勝手な解釈です。ご批判もあるかと思いますが、私はそのように理解したということでご容赦お願いいたします。
ちなみに私が書いた小説はすべて【ミッドナイトノベルズ】に移転しました。(予定含む)
『妖精的日常生活 お兄ちゃんはフェアリーガール』
『魔法立国日本 妖精と魔法使いたちの様々な日常』
『TS系短編集』
『現実世界に開業したエルフの魔法病院』
よろしければ読んでみてください。お願いしたします。