私にとっての《小説》
今回は《小説》について素人ながら語らせていただきました。少しでも多くの人に届けばと…
こんにちはこんばんはLalapai です。
今日は大好きな《小説》について語りたいと思います。まだまだ小説の事を知らない素人ですがお許しください。
最初から結論を述べます。
《小説》には「完結」はありません。
小説とはストーリーのあるものであったり語りかけるようなものや自然環境、政治などについて訴えかけるものなど色々なものがあります。そして、それぞれの話はいつか終わります。それがいわゆる「完結」というものです。しかし、それは終わりではない。「完結」と言うにはまだ足りない。
私がこの話において一番に伝えたい事は
『他人に評価される大切さ』
です。
私が中学時代、部活動をしていた頃の話。
私はバレーボール部に所属していました。才能はそこそこありチームでも1、2を争うほどでした。そんな才能がありながらも私は部活の顧問には反抗的だった。
私は、そこをあれしろだの、あーすればこーなるだのと私のプレーに対して指摘する顧問が嫌いだった。
そんな事言われずともわかってる。これが当時の想い。所謂中二病だったのかもしれない。この時は何も分かっていなかった。
そして当時の考え方を変えてくれたのが《小説》だった。
単にエッセイなど小説の内容を読んで共感した。とは違い、《小説》を執筆し書くようになってからの話だ。
書いている人はわかると思うが、例えばこのサイト(小説家になろう様)に投稿すれば《小説》は世界中にその存在が刻まれる。だが、それは海に垂らした一滴に過ぎない。この文章だってここに投稿したところで人を幸せにもできなければ世界も救えない。
私達が書いているこの文章は投稿すればただサイト上にメモリーとして残るだけであり、他人が読む事がない限り、そのストーリーを共有することは不可能なのである。
私は現に《小説》を書いているが本当に読んでいる人は300人程度。とても嬉しい事だ。有名な作品になれば桁はまた変わってくるだろう。
しかし、私が手に入れた300人程度は初めからだったわけではない。twitterや何らかの手段で宣伝してコツコツと手に入れたのだ。
その時はとても辛かった。今でも作品を更新した時、アクセス数を必ず確認する。いや、更新した日ではなくても確認する。その時数字が伸びていない時一番悲しい。私の作った作品を人と共有できない。評価してもらえない。私の力不足があるとはいえ同じ人間が書き、同じサイトに投稿したにもかかわらずなぜこんなにも差があるのだろうか。そういった中でも作品にコメントをして下さる読者にはとても嬉しく思う。
この小説を書き始めて数ヶ月間、私は人に評価される事はこんなにも嬉しいものなのかと思った。
他にも思っている人は少なからずいるはずだ。読まれるべき素晴らしい小説が評価されずに暗闇に埋もれていく。ましてや、書く才能を持った人が評価もされず書く事をやめる。こんなに可能性を潰す事があっていいのだろうか。そして誰も知らないまま『完結』してしまうのだ。
中学の時だってそうだ。私が顧問に評価をされている間にも評価されるべきプレーがあったかもしれない、評価されたいと一生懸命な奴がいたかもしれない。そう考えるほどに私は昔の自分を殴りたい。
人に評価されると言う事はいかに大事であるか。また、評価されると言う事がどれほど嬉しい事なのか全ての人に知ってもらいたい。そんな願いある《小説》でも評価されない、読まれないのでは、意味が無いのだ。
《小説》は他人に読まれるまで小説として成り立たない。
《小説》は例え『完結』しても、読んでもらえるまで完結ではない。
《小説》はそして読者に物語をスタートさせるのだ。
読んでいただきありがとうございます。
たまにはこんな回もまた乙なものだな(╹◡╹)
だがこの文章だって読んでもらえてるか?
P.S.
ここで馬鹿なこと言ったらさっきまでの真面目な感じが台無しだ。だが、そんな時ほど馬鹿なことを言いたい!言いたい!
う○こっ!!




