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4.衣装選びに参りましょう

「衣装選び、ですか」

「はい、衣装選びです」

 にこやかなレダンのことばに戸惑う。

「来られて1週間は経っています。そろそろお手持ちの物も飽きて来られたでしょう。本日は商人を呼びました。お好きなものをご入用なだけお選びください」

 ルッカとともに離宮の広間に導かれて仰天する。

 埋め尽くすほどのドレスドレスドレス。それに壁沿いにはずらりと小物の棚が並び、ゆっくり見て回ろうとしたら数日かかりそうなほどだ。

「あの、これは」

 怯えながらレダンを振り返る。

「いったいどうすれば」

「ですからお好きなものを」

「とても、選べません」

 相手の藍色の目が大きくなるのに訴える。

「こんなにたくさんあっては見て回れませんし、数日かかりそうですし」

「では、数日かけて」

 さらりとレダンが流して、固まった。

「あなたが選び終えるまで何日でも商人を留め置きましょう」

 きっぱりとした口調に選ぶしかないのだとシャルンは諦めた。それでも一つ、手を打ってみる。

「あの、では、付き添って、いただけますか」



 あれかこれか。

 ドレスを前に困惑して立ち竦むシャルンに、とにかくまず1枚を手に取らせようと苦慮しながら、レダンはガストの報告を思い返す。

 ギース・ステルン・グラスタスは見かけこそ金髪で紫の瞳のなかなかの美形だが、女にだらしないので有名だ。初婚にこの男を選んだというだけでも、選択眼に不安を感じるところだが、多分、この選択はシャルンのものではないだろうと想像がつく。

『予想はしてましたが、やっぱり不愉快な男でしたねえ』

 ガストが首を振りつつ報告した内容に血の気が引いた。

 ギースは輿入れしたその夜に、シャルンを床に招いたのだと言う。正当な婚儀の披露目もなく、加えて床には他に数人の女官を侍らせて、他の女よりもうまくギースを誘惑できたら抱いてやると言い放ったらしい。

『応じたのか』

『応じてません。当たり前でしょう、破談にならなくちゃならないんですし』

『だよな』

 大きく息を吐いて安堵した。

『けれど待てよ、それならどうやってその場を逃れた』

 そんな怪しげな状況では一歩間違えば辱めに抱かれてしまいそうだ。

 シャルンはしばらく悩んでいたが、とにかく衣類を脱いだ後、下着姿のまま、ギースに跪いてわんわんと犬の鳴き真似をした後、いかがでしょうと尋ねたらしい。

『……それはなんだ? 誘惑か?』

『まあ、ある趣味の者にはいいかもしれませんが』

 こほんと咳き込んだ後、ガストは付け加えた。

『ギースは呆気にとられ、気持ち悪いことをするなと罵った後部屋を追い出し、二度と彼女を閨に招くことはなかったそうです』


「あの」

 シャルンが声をかけると、レダンは我に返ったように近づいてきた。さっきからじっとシャルンのことを見つめていたらしいとわかって、無意識に顔が熱くなる。

 こんな状況になったことはないし、レダンが何を求めているのかわからなくて不安になる。求められていることがわかれば、それに応じなければ相手に不快を招けるのだが、普通なら手を叩いて喜ぶだろうドレス選びに困惑と拒否を示しても引いてくれず、挙句に付き添いを望むなどと王の仕事を邪魔するようなことを訴えても、それはいいと楽しげに同意されてしまった。

 逆にシャルンが、見つめられながらドレスを選ぶという窮地に追い込まれて、緊張するし汗は出るし、さっきから喉が渇いて仕方がない。

「このドレスはいかがでしょう」

「ああ綺麗ですね、あなたの白い肌を引き立てる色だ」

 嬉しそうに笑われて、どきりとした反面しまったと臍を噛む。急いで不満足なところを見つけようとして訴える。

「っ、あの、このリボンが白いともっと」

「じゃあすぐに手直しさせましょう、おい」

 商人を呼びつけられそうになって慌てた。手直しさせてまで気に入ったものを作らせたと言うことになりそうでうろたえる。

「あっ、あのっ、あのドレスは」

「ふむ、ちょっと胸元が広いけれど…まあ、私としては嬉しいかな」

 ちらりと流された視線が胸を掠めて体が熱くなった。何を考えているのか、透けそうなのはわざとかもしれない。蠱惑的なことばを重ねられてはたまらないと急いで口を開いたが。

「あ、あっ、あのっあの…っごほっ」

「お疲れですね、一休みしましょう」

 レダンの合図ですぐさま手近に席が作られ、飲み物が運ばれる。ルッカは小物を見繕ってくると姿を消したまま、まだまだ戻ってきそうにない。

 シャルンはまともにダンの顔さえ見られずに俯いた。

「…とても無理です」

「選ぶのが?」

「はい」

「じゃあいっそ、全部買い占めましょうか」

「えっ」

 シャルンは顔を上げてレダンの凝視に息を詰めた。まさかと思いつつ問い返す。

「全部?」

「はい、全部買っておいて、毎日着替えてから、お気に入りを選ぶと言うのは」

「冗談はやめてください」

 思わずハイオルトの街並みが蘇った。これだけの衣装を全部買い占めるほどのお金があれば、直したい場所、新たに作りたいものがいっぱいある。飢えた子ども達の数が減らせ、病に倒れた老人への手当が出せる。

「そんなことできません」

「じゃあ逆は?」

「逆?」

「この商人達全てに罰を与えましょう、あなたに選ばれるようなドレスを1着も準備できなかったのだから」

「そんな」

 シャルンはレダンを見返し、少し震えた。相手が本気だとわかったし、シャルンの選択ひとつに商人達の運命を任せる気配なのも感じられた。嫌われるためには言いなりになってはならない。レダンの望みを叶えてはならない。けれど、レダンの示した選択肢には商人達の命がかかってくる。

「お茶はいかがですか」

 手ずから注いでくれる相手は不安がる様子もない。今までに会ったことのない王だ。

「あの、それでは、一つお願いしても?」

「何なりと」

 シャルンはできるだけ嬉しそうに笑って見せた。

「すべての商人から1着ずつ、私のために選んでくださいますか。そのドレスを私は着てみたいと思います」



「……ふうう」

 居室に戻ったレダンは、またもやぐったりと長椅子に寝そべる。

「お疲れ様でした、と言いたいところですが自業自得です。公務が残っていますからね」

「わかってるよ」

「しかし、大した女性ですねえ、あなたをそれだけ疲れさせるとは」

「……なあガスト」

「はい? 公務先延ばしはダメですよ、ドレス選びにほいほい頷いたのはあなたですからね」

「ドレス選びって楽しいなあ」

「っ!」

 ガストが手にしていた書類を取り落とした。ばさばさ舞い散るそれを拾おうともせずに、引きつった顔で見返してくるのにくすくす笑う。

「いやもうなんだかな、シャルンを連れて商人達を回るのが、楽しくって楽しくって。今まで俺はこんな楽しみを知らずに来たんだなあってしみじみ思ってるところだ」

「……頭、大丈夫ですか?」

 ガストが不気味な笑顔で覗き込む。

「それとも、シャルン姫ってのは実は魔女とかそう言う類ですか? 男を従えて嬉々とするような?」

「これいいなと思って手に取るだろう? 一所懸命にそれを見てるんだよな。でもって、これはどうですかって聞くと、必ず好きじゃありませんって答えてくるんだけどな、本当に気に入ったのがあると、赤くなるんだ」

 笑いが止まらないまま、レダンは続ける。

「あ、そうか気に入らないんだ、って戻すだろ、するとな、知らん顔してると視界の端で、すごくがっかりしてるんだよ、本当にすごくがっかりしてるんだ」

 こんな風にちょっと眉を寄せて、切なそうにドレスを見てるんだ。

 レダンはシャルンの表情を真似してみせる。

「ああ、そんなに気に入ったんだって思って、俺の見立ても満更じゃないなって嬉しくてな、思い直した顔して、やっぱりこれは私が気に入ったので買いますね、って言うと、やっぱりこっそりすごくほっとしてるんだ。なのに、私は気に入らなかったので着ませんって強がるから」

 じゃあ、この商人はダメなんですねって言うと、そんなこと言ってません、って必死に商人かばってさあ、もう。

「その商人、ぶっ殺したくなったな!」

「物騒なことを嬉しそうに語らないでくださいよ、もう」

 レダンの口癖が移ったようにガストが呆れる。

「公務にかかってください」

「わかってるって」

 積み上げられた承認書類や案件に取り掛かりながら、レダンはまたもや唇が綻んで話し出す。

「半分近くまで来たらさ、今度何したと思う?」

「何をしたんですか?」

「自分で選ぶようになったんだよ、でそれが」

 くくくっとレダンは笑いを堪え、

「もう本当にひどいの選んでくるんだ! 俺が選んだのはシャルンに似合いの可愛かったり清楚だったりするんだけど、賢いよなあ、その選択肢見て、真反対の際どいのとか危ういのとか一所懸命選んでくるんだ。で、それに抵抗しないで買いながら、ああこれで私を誘惑してくれるんですね、って囁いて見たら、きっとこっちを振り仰いで、はい、是非って大声で返事、……あーもうだめだ…」

 レダンは爆笑した。呆れ返ったガストにひいひい笑い泣きしながら、

「わかんないなあ、どうしてあいつら、あんな可愛いのを手放す気になったんだろう。信じられないよなあ……俺は…」

 はあ、と大きく息をついて、レダンは少し呼吸を整えた。

「俺は彼女を手放す気はないからな。ハイオルトの思惑なんか知ったことか」

 声が冷えたのに気づいたのだろう、ガストは茶化さずに次の書類を無言で渡す。

 バックル・ラルハイド・シトラドルは武術に秀でた君主だ。シャルンを望んだのは、大方カースウェルと似た意向で、武器の準備に必要なミディルン鉱石の産地を支配下に入れる目的だったのだろう。

『この話はあんまり穏やかなものではなかったようです』

 ガストはラルハイド王国が近年ダフラム王国との全面戦争を目論んでいたと付け加えた。領土拡大の夢はどこの君主も抱えている。ダフラム王国とやりあって勝てれば、国の名も上がり国外への圧力もかけやすいと踏んだ。シャルンの輿入れを機に、ハイオルトの軍も統合して国境近くに砦を構え、そこに軍勢を集めて奇襲をかける作戦だ。

『シャルン王女を旗印に、ダフラムの非道を訴え、進軍の勢いをつけようとしたのでしょうが』

『彼女を先頭に押し立てて、か』

 唇が歪んだのはレダンばかりではない。

『ダフラムの先発隊に彼女が殺されれば一挙両得か、ハイオルトも手に入るしな』

『恐らくは、そんなところでしょう』

 ところが、国境近くの砦の場所にシャルンを伴ったとき、彼女が砦を築くのに異を唱えた。

『シャルンが?』

『あそこに流れるティベルン川は季節によると荒れるんです』

『ああ……そうだな。急に崖を削り進路を変える』

『砦はティベルン川の側に築かれることになっていた。戦が長引けば1ヶ月、下手すると数ヶ月かかるでしょう』

『巻き込まれて壊れるか』

 シャルン姫がその砦に反対したのは『嫌われる』ためだったのか、それとも本心『危ない』と思っていたのかはわからないが、結局砦は見送られ、奇襲計画は水泡に帰した。バックルは面目を潰され、シャルンを追い立てるように返した。馬鹿で無能な王妃は国を傾けるからと。

「…命を救ってもらったようなものだ」

 レダンは冷え冷えと唸る。

「それこそ国を破滅させるしかない無能な王のくせに、その責任を彼女に被せてのうのうと」

「見舞金はどこより多かったようですよ」

 ガストの声に視線を上げる。

「薄々わかっていたんじゃないですか」

「シャルンを傷つけたことには変わりない」

 レダンの返答にガストが表情を消し、やがて静かに諌めた。

「お願いですから、その殺気のままラルハイドを落とすなんて言わないでくださいよ」

 本気にします。

「……わかった」

 レダンの舌打ちにガストは笑わなかった。

 

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