1.出戻り姫
いささか冷えた風が吹いている。
ハイオルト王国、歴史はあるが著名な功績も名産もないその国の、かなり古びた城の奥、玉座に座った王とその前に跪いた娘は、密かな企みを繰り返す。
「シャルン姫」
「はい、お父様」
あちこち跳ねる金髪の癖っ毛、これ見よがしに小粒の宝石をあしらった安っぽい金細工の髪飾りを半ば埋もれさせ、ただ一人の姫であるシャルンは国王ハイオルト13世を見上げる。
「いつもの通りじゃぞ、わかっておるな」
銀色の髭を不安そうに触りながら王は重ねて言い聞かせる。
「良いか、決して、決して相手に気に入られてはならぬ」
周囲に人はいない。侍従も侍女も、本来控えて然るべき臣下は遠ざけられたままだ。寒々しい風の音が、修理もままならぬまま放置されている扉を鳴らしていく。
「わ、わかっております」
おどおどとした様子でシャルンは頷く。何度繰り返しても、慣れないものは慣れない、緊張と不安が胸の奥からにじみ出る。
ハイオルト13世は重々しく続けた。
「我が国にあるのは、北のミディルン鉱石のみじゃ」
「はい」
「しかももう残り少ない、本当に本当に少ない」
「はい」
「ゆめゆめ、悟られてはならぬ」
「はい」
「ゆめゆめ、気に入られて正当な婚儀に持ち込まれてはならぬ」
「はい」
「是が非でも呆れられ驚かれ、こんな姫は妃にふさわしくないと心底納得されて、見事破談になって戻ってくるのじゃぞ」
「……大丈夫です、お父様」
シャルンはゆっくり瞬きして、続けようとした言葉を飲み込む。
こんな私を望まれる方はきっとどこにもおりません。
脳裏を過るのは、いままで繰り返し投げかけられた、王達のことばと表情。
『女らしく装おうことに努力ぐらいすれば?』
確かに流行とはほど遠いドレスだとは知っていたけれど、財政に出費の余裕はない。手持ちのドレスの中で精一杯のおめかしをしたつもりだったが、ステルン王国ギースは喜ばず一ヶ月でシャルンを帰した。
『利口ぶって僕のやることに妙な口出しをしないで欲しい』
丁寧に話を聞いて気がついたことを教えて欲しいと言われたと思ったのだけど。きっとシャルンの理解が悪くて、殿方の望むようなやり取りではなかったのだろう。ラルハイド王国バックルは一週間も我慢しなかった。
『君の都合は知らない、私との約束を無視したということだ』
定められた刻限に間に合うためには一つの村を見捨てなくてはならなかった。なぜ遅れてしまったのかは、真摯に一所懸命に説明したつもりだったが、ザーシャル王国ザグワットは納得せず、数ヶ月の軟禁詰問の後、シャルンを送り返した。
『俺だけのために生きられないのならお前が居る意味はない』
一瞬美しい景色に気持ちを奪われたのがいけなかったのだ。四六時中王子だけを見ていれば、ひょっとすると気持ちを繋ぎ止めておけたのかもしれない。ダスカス王国マムールはシャルンが他のものに目を向けるのを許さず、半月で彼女を拒んだ。
いろいろな王達が居た。
様々な贈り物を持って求婚しに来て、それでも半年経つ前に彼女を罵倒とともに送り返してくる。
蔑むように罵る王達の前で項垂れながら、シャルンは小さく唇を噛む。
もしかしたら、ひょっとしてどこかに、シャルンでもいいと、いや、シャルンこそが良いのだと、笑ってくれる人がいるのではないか。
ああ、けれど、そんなことを考えてはいけない。
シャルンの仕事は、嫁いで相手に落胆され嫌われ拒まれ謗られて、使い物にならないと国に返されることだから。
期待を込めて見下ろす国王に微笑み返す。
「頑張ります、お父様」
「あとはいつもの通り、そなたは戻された傷みに床に伏したとカースウェルに訴えれば、万事うまく行くはずじゃ」
「…はい、お父様」
では、私は輿入れの準備をして参ります。
深々と頭を下げて、シャルンは王の前を辞した。
静かに廊下を歩む。
窓の外の天気は今日も荒れ模様だ。この分では、作物の実りが今年も良くないに違いない。
「…いつまで続くのかしら…」
小さく吐息を零して首を振り、立ち止まってしまったのを取り返すように歩き出す。
5回目ともなれば気持ちも落ち込んでこようというものだ。天気のせいばかりではない。
「それでも…仕方ない、わよね」
かつてミディルン鉱石の産地として名高かったハイオルト王国は、ほかに産業らしい産業も発達していない小さな国だ。豊富なミディルン鉱石を採掘して売り捌き、他国から食料や資材を買ってかろうじて生き永らえてきた。
しかし、ついにハイオルト13世の時代になって、国内の需要を賄えるぎりぎりまで採掘量は落ち込んだ。それでも、国は食料を必要とし、様々な物資を必要とする。
「…頑張ろう」
小さく呟く。
「頑張って、嫌われなくちゃ」
強く唇を結んで顔を上げた。
嫁いで相手に気に入られてしまえば最後、ハイオルト王国は飢餓に瀕する。
それだけは防がなくてはならなかった。
穏やかな日差しが降り注いでいる。咲き始めた花々も虫を呼びたいのだろう、香りが甘くなってきたようだ。
カースウェルの城の中では、2人の男が押し問答を続けている。
「レダン王」
「うん」
「本気ですか」
「うん」
「本気で本気ですか」
「本気で本気だよ」
「………考え直しませんか」
レダンは普段の無表情をかなぐり捨てて眉を寄せ、嫁いでくるハイオルト王国シャルン王女の肖像画を眺めているガストに苦笑した。
「何もこんなのを選ばなくても」
「おいおい、ひどいよ、それは」
ガストの手から肖像画を受け取る。日差しが眩しくて、少し体を傾けた。
長椅子に寝そべるのは行儀が悪いと怒られるが、元々野育ちだ、品格などないのはわかっているから気にしていない。
「なぜ金髪に金細工を合わせるんですかね」
「ふむ」
「リボンを編み込めば、それなりに癖っ毛も落ち着くでしょうに」
「なるほどな」
「ゴテゴテ飾りが溢れたドレスの趣味もひどい」
「ふむ」
「笑ってるつもりですかね、大口開けて目を見開いて。よくこんなのを描かせましたね」
「それだよ、不思議だろ」
不審そうなガストにレダンは微笑む。
「描いてる間中、こんなに口も目も開けたままだったのかな。だとしたら、大した忍耐力だ」
「……そういうところを褒めますか」
唸りかけたガストが眉を寄せる。
「……これは意図的なものだと?」
レダンは薄笑いを返す。
「こういう顔を求婚者に送りつけるあたりが胡散臭いだろ?」
この肖像画を見て、是非にと求婚しようという男など、さて何人居ることやら。
「…ここに1人居るか」
「…実物はもっと美人ですかね」
「いや、そうでもないらしい。ほぼ、この通りらしいぞ」
「あなたはまた」
おかしなものばかりに興味を抱く。
うんざりした声音にレダンはくすくす笑った。
「いくらミディルン鉱石の名産地とは言え、あなたなら姫はよりどりみどりだ。カースウェルは豊かな土地だし、輿入れしたい姫もいっぱい居るのに」
ガストは改めてしげしげとレダンを眺める。
見事な黒髪、深い藍色の瞳、剣技は豪快、人柄は誠実。
何も4回も破談されて出戻ってくる姫なんかを選ばなくとも。
「破談のたびに寝込んで体調を崩し、求婚した国にそれとなく見舞金をせびってくるような国の王女ですし」
「子どもはいないそうだよ?」
「そんなことを言ってるんじゃありません」
ガストが眉を吊り上げた。
「いくらカースウェルがミディルン鉱石が必要だからと言って、そのためにこんな姫と結婚する必要はないと言いたいんです」
これまでやってきた通り、あなたの才覚と私の働きで、新たな資材なり方法なりを考えればいいじゃないですか。
「お前の心配はわかった。けど、いずれカースウェルはミディルン鉱石が必要になる。ダフラムの仕掛ける小競り合いを凌ぐためにも武器は居るし、武器を作るにはミディルン鉱石が要る。素早い発火力と熱を持続させる力は他のもので代用できない。ダフラムは俺たちがミディルン鉱石の代用品を見つけるまで待ってくれないと思うぞ?」
「……」
「まあ見てみようじゃないか、破談を繰り返される姫というのがどんなものか。話のタネぐらいにはなるだろう?」
「……ダフラムも申し入れたそうですよ」
「ふうん? この姫を欲しいと、か」
なら、ますます、先に味見したいよなあ。
にやりと笑うレダンにガストは大きく深く溜息をつく。
「あなたのその腹黒いところを、一度は周囲に見せたらどうです」
「武器は隠しておくものだ、そうだろ?」
ガストは溜め息を重ねて返答しなかった。