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遭遇





 冨士御室浅間神社。河口湖駅から西湖・青木ケ原周遊レトロバスに乗車して、「冨士御室浅間神社」バス停で下車したヘイリーは、所要時間約15分という短い乗車時間の後、近くの旅館に荷物を置いて、冨士御室浅間神社の前にいた。

 冨士御室浅間神社は、文武天皇3年(699年)に藤原義忠によって創建されたと伝えられる。

社名の「御室」は、かつて祭祀を、石柱をめぐらせた中で執り行っていたことによるものである。

天徳2年(958年)には、村上天皇により、氏子の祭祀の利便のため河口湖の南岸に里宮が創建され、中世には修験道、近世には富士講と結びついて発展した。現在の社殿は、明治22年に再建されたものである。

 改めて冨士御室浅間神社の外観を見てみると、十数メートルの高さもあろうかと思われる褐色の鳥居がそこにはあり、その両脇には狛犬が配置されていて、とても荘厳な雰囲気だ。狛犬は、悪鬼を近づけないようにとても恐ろしい顔をしている。

 入口の両脇には大きな人の高さの二倍はあろうかと思われるくらいの灯籠が設置されていた。

 鳥居の先には砂利道が続いていて、先が見えないくらい本殿は遠い。本殿への道には両脇にずっと木が植えられていて、青々と茂っていた。

ここが冨士御室浅間神社ね。話には聞いていたけれど、ここに来るのは初めて。

 鳥居をくぐる前に一礼をするのが日本での一般的な参拝の礼儀だ。鳥居、参道の中心は、神様の通り道に当たるので、中心は歩かないようにすることもそうだ。

 ヘイリーはそういうことにとても詳しかった。大学は日本の大学を出ていた。だから、日本に来るのはこれが初めてではない。特にこう言った神事に関する授業を主に専攻していたのだ。

 だからこそ、今回のこの仕事にヘイリーは抜擢されたのであり、彼女以外に適役はいないようだった。

 ジャリ、ジャリ、と歩くたびに神社に敷かれた砂利道が音を立てた。とても厳かな気持ちになる。

 鳥居をくぐると参道を歩いた。両脇には桜の木が植えられていて根元の部分の周りには石が円を描くようにいくつも配置されていた。神社の入り口にあったような灯籠とは違い、少し小ぶりの灯籠が台の上に乗せられて等間隔に置かれていた。両脇の木と灯籠は交互に配置されていて、日本人の美的感覚が感じられた。

夜に灯籠のすべてに火がつけられたら、とても美しいだろうな、とヘイリーは思った。

 しかし、今、神社仏閣に配置されている灯籠はほとんど実用ではなく装飾用に作られたものということを考えなければ、の話だが……。

 桜の木のおかげで、うっすらと影ができていた。

 本殿につながる一直線の道をずっと歩いていく。その砂利道は、ゴミ一つ落ちていなかったから、ヘイリーは気分が良かった。

 新緑の季節になって桜は花をつけるのではなく、葉を青々と茂らせていた。セミの声がけたたましい。参道を覆う木々に反響していた。

これぞ日本の夏、という感じね。

 パリにはセミはいない。だから、ヘイリーは日本に滞在していたことを思い出させてくれるこの透明の羽をもつ昆虫を改めて懐かしんだ。

 とたんに熱波ともいえる風が吹く。これも、日本の夏を象徴するものだった。

 道を歩いていくと両脇の木の種類が、背の低い広葉樹の桜から背の高い針葉樹の杉へと変わった。それでも灯籠が等間隔に続くところはさっきまでと変わっていない。

 背の高い杉のおかげで、あたりは日陰になっていた。

 暑さも自然と和らぐ。

 そうは言うものの、涼しいというかというと、それは違う。現にヘイリーの体からはどっと汗がにじみ出ていた。

 まったく、山梨に着けば暑さも少しは和らぐ、と思ったのは大間違いのようね。ヘイリーは思った。

 桜から杉へと一変すると、両脇が急に高い塀で覆われたみたいで、とても荘厳な気持ちになる。

 大分、歩いて、焼けつくような照り返しの向こうに、建物が見えてきた。神社は平日、ということもあり、人はまばらだ。

 左手には誰が見ても鮮やかと思うような朱色の建物が立っていて、近づいてみてみると、流造ながれづくりのその建物は、両脇に黒い二本の柱があり、それ以外はほとんど朱色に塗られ、天井に近いところだけはカラフルな模様があしらわれている。

 流造、とは側面から見た屋根形状が対称形ではなく、正面側の屋根を長く伸ばした屋根形状を持つ建物のことを言う。

 屋根は太陽を反射させて黄金色に輝いていた。

屋根が黄金色に輝くのが、日本建築のいいところね。

ヘイリーは思う。

どうやら、これが本殿らしい。

現在の本殿は、慶長17年(1612年)に徳川家の家臣の鳥居成次によって建てられたものである。その後4回の大改修を経て、昭和48年(1973年)に富士山二合目から里宮に移築された。 

国の重要文化財に指定されている。

こうやって見てみると、この美しい建物があの、戦国大名の武田氏の崇敬を受けたことも納得がいった。晩年には出家までした信心深いあの武田信玄も、手厚い庇護と信仰をした理由がわかる。

その建物だけ見ても本当に美しいとヘイリーは感心した。しかし、そこにも異常がないのを確認すると、正面にある里宮の拝殿の方に向かって行った。

 巨大な屋根つきの門の向こうには拝殿が見えた。

 拝殿は、今、見た朱色の建物とは対照的に殺風景だった。さっきの建物と比べると、ずっと大きいのが特徴だったが、何よりもその建物で注意を引くことは建物の色が朱色とは異なり、着色されていなかったことだ。

 拝殿のすぐ手前の左側に手水舎ちょうずやがあり、そこで手や口の中を清めてから、参拝をすることになっていた。手水舎にはたくさんの柄杓が立てかけられてあり、すぐに清めの儀式を行えるようになってある。

 手水屋には、これまでの疲れを癒せるほどの、よく冷えた水が出ていた。

 しかし、ヘイリーは手水屋には目もくれず、神社の中のある一つのものに目を引かれた。

 近づいたのは本殿でも拝殿でもなく、『ドラゴンボール』だった。ドラゴンボールというと驚くかもしれないが、冨士御室浅間神社に置かれてある、龍がその名の通り、球体になって絡まり合っている様をあらわした物体である。

 全体が大きな岩から彫られた代物で、とても大きかった。

 『大稜威天涯漲一皇帝宝珠』と書かれてある。これがドラゴンボールの正式名称らしい。

 ヘイリーの目から見て、大きな岩を彫って作った牛の彫像や、『不老』、『長寿』と書かれた熊手とほうきを持った老女と老人の石像など、神社には珍しいものがたくさんあったが、遠くから見ると梅干しの種のように見えるこの大きな置物は、一見、異様に見えたのかもしれない。

 ヘイリーがそれに近づいたのはほかならぬ興味をひかれたから意外に考えられないが、それは普通の神社にはめったにないような物体だった。

「変わった置物ね」

 感心しながら、その物体を眺めた。置物というにはいささか大きすぎたが、その物体はとてもみごとに作られていて、感心させられるばかりだ。

 正面から見ると、四匹の大きな龍が絡まり合って球体を成している。その真ん中には『福』という字がたくさん書かれていた。これぞまさにドラゴンボールだ。

 そして、中央から少し下のあたりに穴が開いていた。

「何かしら?」

 ヘイリーはその穴をまじまじと見つめていた時、一つのことに気が付いた。

 穴の中に何かが詰め込まれている。

普段ならそのままにしている性格なのに、ヘイリーは手を伸ばした。

真夏の日差しのせいで、鉄板焼きの鉄板のように暑くなった石に手を付けるのは苦痛だったが、体から沸き起こる好奇心には勝てない。

 出てきたのは、折り曲げられた紙だ。

「おみくじかしら?それとは少し違うようだけれど」

 中から出てきたのは、おみくじではなかった。最初、おみくじがたたまれて穴に入れられていたのかと推測したようだが、どうやらそうではないらしい。踊るように書かれたそれはまるで何かの呪文のように思えた。

 字はふにゃふにゃで踊っているように見え、文章にはなっていなかった。

見慣れぬ漢字の羅列。殴り書かれたその文章は一見意味をなさない漢字の並びに思えた。

 その辺にいる日本人ならばそれらをただの漢字の羅列と考えたかもしれない。

そう、何も意味をなさない漢字の並びだと。

しかし、ヘイリーにはそれがわかった。それは中国語であって日本語ではないだけで、意味をなす漢字の並びだったのだ。

 ヘイリーには理解できた。中国語を日本の大学で習っていたため、というか、日本の神事を理解するには、神事はもともと大陸からやってきたものが多いから、中国語の理解も必要となって来るのである。だから、大学でも勉強した。

「次は河口浅間神社の狛犬にあり。最初の文字は『我』」

 口に出して訳してみた。しかし、ヘイリーには文章の内容が何なのかは理解できなかった。

 そして、妙に嫌な予感がして、その紙を戻そうとした。

「すみませんが」

 一人の観光客がヘイリーに声をかけた。黒いキャップ帽を目深にかぶってサングラスをしていた。それに、黒いTシャツに紺のジーンズ。

 それほど背が高いわけではない。ヘイリーのほうが背は高いくらいだ。

その男は、もう一人の背の高い男と一緒にいた。

こちらも目深に黒いキャップ帽をかぶっている、そして、恰好は背の低い男とほとんど変わらなかった。変わっているところと言えば、その男はグリーンのポロシャツを着ていたくらいか。

男たちは二人組で観光をしているらしく、声をかけてきたのだ。それは、はたから見れば、完全に外国人であるヘイリーにとって、意外なことだった。

 なぜなら、ふつう、観光客が声をかけるのは地元の人間であって、外見が全くの外国人に道案内を頼む観光客はいないからだ。

「何ですか?」

 しかし、男が聞いてきたのは道案内のためではなく、別の目的があったからだ、とすぐに思い知らされる。

「さっき、あなたが手に取っていた紙の内容ですが……」

「ああ、これがどうしたんですか?」

「念のために聞きますが、あなたはその紙の内容を理解できたのですか?」

「できませんでした?私は外国人ですから……」

 とっさに答えた。身の危険を感じたからだ。

「うそですね。あなたはさっきその紙の内容を日本語で口に出して訳していらっしゃったじゃないですか」

 男は言った。

「……」

 ヘイリーは何も言えなかった。さっき自分が言った独り言を聞かれていた、とは思いもよらなかったからだ。

 まさに一瞬の隙をつかれた感じだ。

「ちょっと来ていただけませんか?」

 その言葉を発せられた時、いっそう身の危険を感じた。男たちは紛れもなく観光客でないことだけは理解できたからだ。

 男はヘイリーの細い腕をつかんだ。

 ヘイリーの白い肌に男の浅黒い手が触れた瞬間だ。

 真夏の高温のせいで男の手は汗にまみれていた。しかし、男の手は異常なまでに冷たく、まるで死人が機械的に動いているようにさえ思えた。

「何をするの?」

「少しついてきてください。手荒い真似はしませんから」

「きゃあ」

 反射的に出された大声。注目を集めるヘイリー。平日とはいえ、神社に参拝客はいないわけではなかった。一斉にあたりの参拝客から注目を集めるヘイリー。二人の男が美しい外国人のヘイリーを連れ去ろうとすれば、誰かが助けに来るかもしれない。そのせいで、男は一瞬ひるんで、腕を離した。

 その瞬間だった。ヘイリーは走りだした。男たちと争う羽目になったあの紙を持ったまま。

激しい息遣いとともに、神社に敷かれていた、荒い砂利が音を立てる。

 走りに走った。

「待てー」

 男たちは後から追いかけてくる。それは恐ろしい声だった。来た道を戻り、延々と続く灯籠の道を走った。横道を通ることもできたが、まだ通ったことがない道を通ることは気が引けた。行き止まりに出くわす危険性があったからだ。砂利が敷かれた参道は神社の出口まで一直線で、遠くの方にその出口が見えた。

 足に砂利の感触を感じながら、ヘイリーは必死に走った。

 体から噴き出す汗に、乱れる息遣い。

両脇が杉の木の道を抜け、桜の木の道を抜けた。そして、気が付くと鳥居のところまでやってきていた。神社の出入り口付近のところだ。

足は遅い方ではなかったが、いくらなんでもこれだけの距離を走ると疲れる。

もうくたくただった。しかし、走らなければつかまってしまう。

だめ、もう走れない。

 足はがくがくだったし、肺は悲鳴を上げていた。

 ヘイリーは男たちに捕まることを覚悟した。

 その次の瞬間のことだ。

目の前の希望の光に気付いたのだ。


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