第88話:逆恨みの影
白銀宮殿の補給廊は、魔剤を循環させるパイプが脈動し、無機質な機械音だけが響く空間であった。コウ・ブリッドは、宮殿全体の魔力循環を演算し、監禁エリアの候補を三つの座標にまで絞り込んだ。地脈の揺らぎと霧の供給周期を照合すれば、そのいずれかにサラとシエルが幽閉されていることは明白であった。
最短経路を選び取ろうとしたコウの視界に、二人の男の姿が入り込む。一人は大量の木箱を背に帳簿をつける行商人、もう一人は納品物を検分する監督官。コウは一度、彼らを宮殿に雇われたただの業者であると判断し、無視して通り過ぎようとした。しかし、通り過ぎる瞬間に脳内の演算回路が致命的な違和感を弾き出した。
コウは急激に制動をかけ、床を削りながら振り返った。その瞳には、隠しきれない驚愕が走った。
「……何故、お前たちがここにいる。王都を追放されたはずの勇者と王子が、何故エルフの宮殿で荷運びをしている」
その言葉が落ちた瞬間、帳簿を付けていた男が動きを止めた。ゆっくりと振り返ったその顔には、かつての勇者としての輝きは欠片もなく、損得勘定に明け暮れる現実主義者の狡猾さが宿っていた。
「人を聞き捨てならねえ言い方するなよ。今の俺たちは、大英エルフ帝国から正式にこの区画の流通を任された商会のもんだ。この区画の魔剤は、今しがた俺たちが独占買い付けしたもんでな。通りたければ、相応の通行料を払ってもらおうか」
ガゼルと呼ばれた男が、冷たく歪んだ笑みを浮かべる。その傍らで、ヴィンセントが不快そうに鼻を鳴らした。商人の身なりをしていながらも、支配欲に満ちたその視線は、かつて王座を争った王子のままであった。
「ふん、相変わらず無礼な男だ。我々がどのような泥を啜り、帝国の信頼を勝ち得たかも知らぬ癖に。コウ、貴公がサラやシエルと手を取り合って成功を収めている間、我々は帳簿の数字だけを友として生きてきたのだ。その不公平な算式を、ここで一度リセットしてやる」
二人はコウの動きを完璧に読み、周到な妨害を開始した。通路には物理的な罠が隠され、魔力波長を偽装した誤情報が霧の中に流布される。成功を掴み、自分たちを置き去りにしたコウへの、純粋で粘着質な逆恨み。それが、王女の論理とは別の、第三の障壁としてコウの前に立ちはだかった。
コウは目前の状況を冷静に解体し、現状が三重の構造になっていることを理解した。
王女による絶対的な効率主義の監視
魔剤の霧が引き起こす空間の歪み
帝国の権限を盾にしたガゼルたちの私怨による妨害
これらは互いに干渉し合い、複雑な連立方程式となってコウの進行を阻む。しかし、コウはそれらを一つずつ因数分解していった。王女の罠は法則性に基づき、ガゼルたちの妨害は不規則な殺意に満ちている。彼はその差異を抽出することで、ノイズの中から真実の座標を浮き彫りにした。
「……なるほど。お前たちはもう、世界を救うことにも興味がないわけだ。ただ、俺の計算を狂わせることだけが、今の損得勘定に合うというわけか」
コウはあえてヴィンセントが流した偽の魔力反応へと突っ込み、ガゼルたちが設置した罠の爆圧を背中に受けることで、物理的な速度へと変換した。右腕の魔力回路が焼けるような熱を発するが、コウは止まらなかった。




