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第86話:王女の論理

白銀宮殿の最上階。天球儀が不気味な旋律を刻みながら回転する「星読みの間」にて、シエルはこの国の頂点に君臨する王女と対峙していた。コウの気配はまだ遠い。あいつが強引に追ってくると確信しつつも、合流までにはまだ時間が必要であった。シエルはこの最悪の対談を耐え忍び、状況を掌握することに徹した。


「なによ、そんなに怖い顔しとるがね。せっかく立派な服も用意してあげたのに、でら似合っとらんよ」


目の前の玉座で脚を組み、優雅に茶を啜る王女が口を開いた。その口調は、格調高い宮殿には不似合いな、妙に親しみやすく、それでいて底冷えのする名古屋弁であった。


倫理なき最適化計画

王女はシエルの沈黙を無視して、淡々と自らの構想を語り始める。彼女の理屈によれば、従来の軍事体系は非効率の極みであった。兵士一人を一人前に育てる費用、食費、そして何より「意志」という名のノイズ。それらすべてを排除し、純粋な**「利益」と「秩序」**のみを抽出するのが彼女の狙いであった。


彼女は扇子で、実験槽に繋がれたサラの肖像を指した。


「だもんで、あの娘の魔力を触媒にして、この国全体を『霧』で包むんだわ。ただの霧じゃにゃあよ。魔剤を微細化して散布した、特殊な戦闘環境だがや」


彼女の計画によれば、散布された魔剤は味方兵士の痛覚を麻痺させ、筋力を強制的に底上げする。同時に、霧そのものが敵の術式を中和する「論理の防壁」として機能する。その核として、膨大かつ純粋な魔力を持つサラを軍事兵器の演算ユニットへと改造するのだという。感情も人権も排し、サラ一人をシステムに組み込むことで、一個師団以上の戦力を永久的に維持できる。それが彼女の導き出した、最も「安上がりな」世界平和の形であった。


歪んだ執着と「王子」の定義

シエルは冷や汗が流れるのを必死に抑えた。王女の語る理屈は、論理の骨組みだけを見れば冷徹なまでに完成されている。しかし、その中身には生命への尊厳や倫理観といった情緒が一切含まれていない。シエルが自分を王子として呼び戻した政治的理由を問うと、王女はケラケラと笑い、玉座から降りて歩み寄った。


「あはは、何言っとるの。そんな難しい理由なんてにゃあよ。あんたを呼んだのは、単にうちがあんたのこと好きだもんで。ただそれだけだがや。王子の座に座らせて、ずっとうちの隣に置いとく。それがうちにとって一番ハッピーな結末だわ」


シエルの背筋に強烈な戦慄が走った。彼女にとって世界は、自分の好きな「収集品」と、それ以外の「効率的な部品」の二種類でしか構成されていない。サラを兵器に改造することも、シエルを王子に据えることも、彼女の歪んだ論理の中では一片の曇りもない合理的な選択であった。


肥大化した知性が、所有欲という極端な感情と結びついた成れの果て。狂った論理を完璧に使いこなすメンヘラ・サイコパスの深淵を、シエルはまざまざと見せつけられた。


観測される崩壊の予兆

王女は戴冠式の準備を告げ、部屋を後にしようとする。この部屋の術式は、シエルが魔法を行使した瞬間に北の離宮にいるサラの心臓を止めるよう組まれていた。シエルは従順な振りを装い、窓から下層の霧を眺めた。


王女の行動パターン、心理傾向、そして宮殿の術式配置。この短い会話ですべてを把握した。彼女は自分の予測を裏切られることを何よりも嫌う。ならば、コウという不確定要素こそが、この狂った計算を打ち破る唯一の劇薬となる。


同時に、シエルは散布される魔剤の潜在的な危険性に気づいていた。強制的な強化は肉体の崩壊を早め、霧による支配は世界の地脈そのものを汚染する。この国は、王女の「好き」という感情のために、緩やかな破滅へと突き進もうとしていた。


シエルは懐に隠した小さな魔導触媒を握りしめた。コウがこの迷宮を突破し、自分の予測を超えた一撃を叩き込む。その瞬間に生まれるわずか数秒の「空白」だけが、この狂気からサラを救い出す唯一の勝機であった。

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