第82話:不確定要素の拒絶と、守護者の称号
監獄塔医務室 ―― 誇りと打算の衝突
「……最短のルートを用意しろだと? 貴様、自分を何様だと思っている」
謝罪の空気に冷水を浴びせるような鋭い声。扉の影に立っていた銀のヤードが、不快感を隠しもせずに歩み出た。彼はまだ、独房での戦いでコウに不協和音を叩き込まれた屈辱を忘れていない。
銀はコウのベッドの傍らまで来ると、その冷徹な眼光で彼を射抜いた。
「帝都が非礼を詫びたのは、貴殿がシエルの弟子であり、我らヤードと互角に渡り合ったその実力を認めたからに過ぎない。だが、国家間の壁を越えてエルフの帝国へ踏み込む最短の道とは、すなわち軍事境界線を踏み越えるということだ。一介の囚人上がりに、その重責を背負えるはずがない」
銀は一度言葉を切り、背後の上官と視線を交わしてから、意外な提案を口にした。
「……だが、手段がないわけではない。本来ならば数年の過酷な試練と手順を踏む必要があるが、特例中の特例として貴殿に選択肢を与えよう。――コウ・ブリッド。貴様、ヤードになれ」
絶望のショートカット
その言葉に、隣のベッドで安静にしていた金のヤードも息を呑んだ。
「……銀。本気か? 外部の人間を、それも他国からの追放者をヤードに引き入れるなど……」
「実力は証明済みだ。そして何より、奴の師はあのシエルだ。帝都アルビオンが公式に彼をヤードとして叙任すれば、帝国への潜入は公式な捜査、あるいは外交官としての特権を伴う。それが、お前が望む最短のルートの正体だ」
銀はコウを見下ろし、その冷たい銀の手甲を差し出した。
「ヤードという肩書きは、この帝都における絶対的な自由と武力の証明だ。それさえあれば、地脈の高速回廊も、帝国の関門も、物理的にこじ開ける権利が手に入る。どうだ、悪くない話だろう」
固定されることを拒む意志
だが、コウはその手を一瞥することさえしなかった。
「……断る。死んでも御免だ」
その返答は、一切の迷いもない全霊の拒絶だった。銀の眉が不快げに跳ね上がる。
「理由を聞こう。効率を重んじる貴様の性格なら、これが唯一の正解だと理解できるはずだ」
「理由は単純だ。……俺は、国家というシステムの歯車になるつもりはない」
コウは激痛に耐えながらベッドから立ち上がり、銀のヤードの目を正面から見据えた。
「サラは、かつて王都(あっちの国)の勝手な都合で婚約を破棄され、俺は仲間と国から追放された。あの時、王都の法は何一つサラを守らなかった。そして今、この帝都アルビオンの法もお前たちヤードも、結果としてサラがさらわれるのを防げなかった。……俺にとって、国が定める秩序なんてものは、等しく無価値な数値なんだよ」
コウの脳内で、冷徹な思考が組み上がる。ヤードになれば、自分の行動はすべて「帝都の意思」という枠の中に固定されてしまう。それは、二番煎じの一座やエルフの帝国を相手にする際、必ず邪魔なノイズになる。
「特定の国家の歯車になった瞬間、俺の演算精度は死ぬ。俺は自由な変数でいたい。誰の許可も得ず、誰の意向も汲まず、ただサラを救うためだけに脳を回したいんだ。……お前たちの誇り高い称号など、俺にとっては思考を縛る鎖に過ぎない」
決別の旋律
「……傲慢な男だ。ヤードの席を、思考を縛る鎖と言い放つとはな」
銀のヤードは、差し出した手を静かに引いた。その瞳には、怒りよりも深い、底知れぬ呆れと、わずかな敬意が混ざり合っていた。
「ならば勝手にしろ。公式な支援は一切期待するな。だが……」
銀は懐から、一通の黒い紋章が刻まれた電子キーをベッドに放り投げた。
「ヤードの専用回廊を一度だけ通れるコードが入っている。それを使ってどこへ消えようと、我々は感知しない。……せいぜい、その理屈を貫いてみせろ」
コウはそのキーを掴み、無言で背を向けた。 帝都最強の地位も、安定した保証もいらない。 ただ一人の演算者として、彼は霧の向こう側、エルフの帝国へと足を踏み入れる。
「……待っていろ、サラ。今、答え合わせに行こう」




