第65話:断ち切られた契約と、未知なる欠落
コウ・ブリッドの境界線
脳内で、無機質なアラートが鳴り響く。地脈という巨大な外部メモリが、コウ・ブリッドの脳細胞を侵食し、論理回路へと変換していく。
システム警告:地脈論理の完全展開まで残り3秒。 代償の徴収を開始します。対象データ:幼少期の記憶――
「……っ、やれ! 俺の名前はコウ・ブリッドだ……それ以外のすべてを、奴を殺すための演算資源に変えてやる!」
コウが絶叫し、右腕の黒い雷が地下水路の空間を焼き切ろうとした、その刹那だった。
視点:自称天生者・ジンの消失
「――抜刀。《零式・無間大苦》」
ジンが刀を振り下ろす。その刃がコウの喉元に届くよりも早く、**「それ」**は起きた。
ジンの足元の影が、物理的な深さを無視して「穴」のように開いた。いや、それは穴ですらなかったかもしれない。音もなく、光も反射せず、魔力的な予兆すら一切存在しない。ただ、世界の一部が「バグ」を起こしたかのように、ジンの身体が膝から下、腰、そして肩へと、下から順に吸い込まれていく。
「な……!? 何だ、これは……私の『空虚』が、干渉を……受け……」
最強を自負していた男の顔が、生まれて初めて見る「理解不能」への恐怖に歪む。 彼が刀を振るう暇も、術式を展開する暇もなかった。ただ、得体の知れない「現象」が、彼という存在をこの空間から強制的に排除していく。
次の瞬間、ジンは消えた。 残されたのは、彼が立っていた場所の乾いた床と、凍りついたような静寂だけだった。
視点:観測不能の余波
エラー:目標(Target)のロストを確認。 地脈接続をスタンバイ状態へ移行。代償の徴収を一時停止します。
「……はぁ、はぁ……っ、げほっ!」
右腕の圧力が急激に低下し、コウは泥水の中に崩れ落ちた。脳内に逆流していた地脈のノイズが引き潮のように去っていく。
「コウ! ……コウ・ブリッド! 大丈夫か!?」
シエルが駆け寄り、コウの身体を抱き起こす。彼女の瞳には、かつて「賢者」と呼ばれた彼女ですら説明のつかない事象への、剥き出しの戦慄が浮かんでいた。
「……何が起きたんだ。あの天生者は……どこへ消えた?」
「わからないわ。魔力の残滓も、空間転移の座標も残っていない。ただ、何かが彼を『消した』……それだけよ。エルフの術式でも、ましてやこの地の地脈の仕業でもない」
コウは、辛うじて消去を免れた「自分の名前」を頭の中で反芻した。記憶は断片的に削られたが、致命的な喪失は免れた。だが、その代償として残ったのは、得体の知れない「未知」への恐怖だった。
視点:騎士イゾルデの「算定不能」
「――各員、停止! 状況を再精査しなさい!」
破壊された水路の壁からなだれ込んできた、騎士イゾルデ率いる「円卓の騎士団」の正規部隊。彼女は、標的であったジンが消失した現場を凝視し、唇を噛み締めた。
「……提督、聞こえますか。……異常事態です。自称天生者、ジンの身柄を……未知の干渉によりロストしました。我々のレーダーにも、演算器にも、一切の反応がありません」
通信機から、珍しく狼狽した提督の声が響く。
「……馬鹿な。我が帝国の監視網を潜り抜ける存在など……。……ええい、構わん! せめてあの少年、コウ・ブリッドとその右腕だけは確保せよ! 他の不確定要素は、後で『掃除』すればよい!」
結末:不純なる平和
「……シエル、サラ……。俺たちは……生きてるのか?」
コウは、意識を失ったままのサラを泥の中から抱き上げ、冷徹な銀色の鎧たちに包囲されるのを見つめた。 ジンの消失。それは勝利でも解決でもなかった。 自分たちの理解の及ばない「何か」が、この世界の帳簿の裏側で動いている。
「コウ・ブリッド。……おとなしく帝国の保護下(管理下)に入りなさい。抵抗すれば、この街の『再開発』という名の掃討を再開しますよ」
イゾルデの冷たい宣言。 コウは、不気味な脈動を続ける自分の右腕を睨みつけた。 犯人は誰か。あの力は何だったのか。 すべてが闇に包まれたまま、一行はエルフ帝国の巨大な「監獄」へと連行されていく。




