第57話:紳士的なる「三枚舌」と、硝煙の紅茶
賢者の悔恨と、暴かれた依存
戦いの余波で白煙が立ち込める宝物庫の隅。壁に沈み込んだボロフ教授の元へ、シエルはふらつく足取りで歩み寄った。かつての同僚が、なぜここまで「効率」という名の狂気に憑りつかれたのか。その答えは、彼の懐から転がり出た小瓶の中にあった。
「……ボロフ。君、これは……」
シエルが彼の手を取ろうとしたとき、傍らに跪いたサラがその瓶を拾い上げ、顔を強張らせた。
「シエル様、これは魔剤(魔薬)です。それも、精神を一時的に鎮静化させ、並列演算を安定させるための医療用……ではありません」
サラがその瓶の蓋を開けると、ツンとした刺激臭と共に、およそ医療用とは思えないほど濃縮された魔力が溢れ出した。
「医療用の十倍以上の濃度です。……これを常用すれば、脳の神経回路は焼き切れ、倫理観や恐怖、慈悲といった『非効率な感情』から順に麻痺していきます。コウさん、これは……」
「なるほど。脳を強制的にオーバークロックし、その熱で良心を焼き捨てていたわけか。……この濃度、もはや人間が自作できる代物じゃないな」
コウは焼けつく右腕を抑え、冷徹にその不純物を分析した。
介入:魔導王立特別警察の入廷
そこへ、破壊された扉から重厚な足音と、洗練された銀色の鎧を纏った一団が姿を現した。この異世界の治安を司る組織――魔導王立特別警察(通称:ヤード)の捜査官たちだ。
彼らは「紳士」を自称し、常に優雅な所作を崩さないが、その実は目的のためなら手段を選ばない冷酷な執行者として恐れられている。
「そこまでだ。ボロフ教授、およびその共犯者諸君。……おっと、これは失礼。伝説の賢者様と、今話題の『計算の天才』ではありませんか。これは奇遇、いや、運命的な邂逅ですな」
隊長の男はシルクハットの縁に指をかけ、恭しく一礼した。
「ボロフをヤードに引き渡せ。彼の行いはこのアカデミーの、ひいては魔導界の汚点だ。……我々の地下牢で、最高級の茶と共にじっくりと事情を伺いたいのでね」
シエルはボロフを庇うように一歩前に出た。ヤードに引き渡されれば、彼は「効率的に」処理される。証拠もろとも、この世から消されるのは明白だった。
「待って。彼の身柄は、ボクが引き取る。彼はボクの元同僚であり、この研究室の権利はまだボクにある。……ヤードに彼の『価値』が算出できるとは思えないわね」
シエルはかつての権威を盾に、さらにボロフが握っていたヤード内部の不祥事……「魔剤の裏取引ルート」を示唆するデータを小出しにし、強引な交渉でボロフの身柄を確保することに成功した。
「……フン。相変わらずお強い。……まあ良いでしょう、今は。我々エルフの慈悲に感謝することですな。……では、ご機嫌よう。良きティータイムを(ハブ・ア・ナイス・ティー)」
隊長は皮肉げな笑みを残し、霧のように去っていった。
結末:優雅なる「三枚舌」の正体
三人は意識を失ったボロフを連れて、一時的に解放された研究室へと戻った。 ボロフを椅子に拘束し、そのあまりにも濃い魔剤の出処を調べるコウとシエル。
「……天生者。東方の連中がボロフを唆し、この魔剤を与えていた。……そう考えるのが、これまでの流れからして最も合理的だ」
コウがそう結論づけようとした時、ボロフのポケットから一通の手紙と、奇妙な「ティーバッグ」がこぼれ落ちた。その手紙には、東方の意匠ではない、あまりにも洗練された、そして傲慢な筆致の「ハイエルフ語」が記されていた。
『愛すべき蛮族のボロフ君へ。 君の実験データは、我が大英エルフ帝国の発展に大いに貢献している。 スラムのゴミ共を削り、その結果をあの東方の『天生者』共になすりつける……実にエレガントな作戦だ。 君に与えた魔剤が切れたら、また我が帝国の駐在武官に連絡したまえ。 すべては、我ら森の民の栄光と、午後のティータイムの平和のために。』
シエルの顔から血の気が引いていく。 同じエルフとして、この吐き気を催すような「三枚舌」のやり口を、彼女は痛いほど知っていた。
「……天生者のせいじゃ、なかったの? あいつらは、エルフ共が描いた『汚い帳簿』の上で踊らされていただけ……?」
「犯人は、エルフ族か。……あいつら、自分たちの手を汚さず、東方と人族を争わせ、高みの見物で紅茶を啜っていたわけか」
コウの瞳に、極低温の怒りが宿る。 彼らが倒すべき真の黒幕は、異世界の猛者でも、自称ナンバー1.5でもなかった。 「紳士的な伝統」という名の仮面を被り、世界を自分たちの巨大な植民地としか見なしていない、最悪に性根の腐ったエルフ帝国そのものだったのだ。




