第56話:不純なる計算の破綻
奈落の底の反乱
宝物庫の分厚い扉の外では、生き残ったスラムの住人たちが最期の時を覚悟していた。 リーダーを肉塊に変えられ、仲間を魔力の燃料として使い潰された彼らの瞳に宿るのは、もはや恐怖ではない。それは、自分たちを「資源」としか見なさない支配者層への、真っ黒な呪詛だった。
「……死ぬのは分かってる。だが、あの教授だけは道連れだ」
一人の男が、研究室から略奪してきた不安定な魔力結晶に火をつけた。 それは正規の点火手順を無視した、ただの自爆行為。だが、数人の「持たざる者」たちが折り重なるように扉へ飛び込んだ時、非効率な爆辞は、ボロフの完璧な計算を上回る物理的な衝撃となって、聖域の扉を内部から粉砕した。
均衡の崩壊
扉の爆散による衝撃波が宝物庫を駆け抜ける。ボロフが展開していた__黄金の腐敗__の陣が、外部からの不純な爆圧によって一瞬だけ揺らいだ。
「……チッ、ゴミ共が。死に際まで計算を乱すか!」
ボロフが苛立ちと共に杖を振る。だが、その一瞬こそがコウが待ち望んでいた唯一の勝機だった。
「シエル、今だ! 権限を奪い返せ!」
「……了解! 万象の天秤、再起動! ボロフの所有権を凍結する!」
シエルが全生体魔力を注ぎ込み、解体されていた遺産の深層へ干渉する。ボロフが天生者から与えられた暁の魔力と、シエルが元来込めていた救済の術式が、天秤の中で激しく競合を始めた。
極限の「負債」
コウの右腕は、すでに感覚がない。指輪からは肉の焼けるような臭いが立ち昇り、視界は極限の負荷で白く霞んでいる。 しかし、ボロフの術式が揺らいだ今、コウの脳内には勝利への数式が完成していた。
「ボロフ……あんたは命に値段をつけた。なら、その帳簿を『破産』させてやる」
コウは動かない右腕を左手で無理やり支え、指輪をボロフへ向けた。
「サラ、君の全魔力を俺の回路に流し込め! 効率なんて考えるな、ただ『不協和音』を最大化しろ!」
「……っ、はい! 壊れないで、コウさん!」
サラが聖杖をコウの背中に当てる。清らかなはずの彼女の魔力が、コウの論理干渉によって「負のエネルギー」へと変換され、ボロフの黄金の陣へと逆流していく。
それは、対象の価値をゼロにするのではなく、無限の「負債」を押し付ける術式。 ボロフが買収しようとする魔力そのものが、返済不能な呪いとなって彼の杖を侵食し始めた。
審判の終わり
「な……馬鹿な! 私の算定が、魔力の価値が……マイナスに転じるだと!?」
ボロフの杖が、暁色の光と共にひび割れていく。彼が絶対の自信を持っていた天生者の理が、コウの持ち込んだ「不純な負債」によって内側から崩壊を始めた。
「これが、あんたが切り捨てたゴミ共の重さだ。……消えろ」
コウの指輪が、最後にして最大の衝撃波を放つ。 白銀の閃光がボロフの黄金を粉砕し、彼の老体を宝物庫の奥の壁まで吹き飛ばした。
静寂が戻る。 ボロフは壁に深くめり込み、意識を失って崩れ落ちた。天生者の結晶は砕け散り、歪な魔力の供給は断たれた。
「……はぁ、はぁ……。ギリギリだな……計算通りとは、言えないな」
コウは膝から崩れ落ちた。右腕は黒く焼け、指輪は熱を失って沈黙している。 シエルとサラが駆け寄る中、コウは薄れゆく意識の端で、破壊された扉の向こうに広がる迷宮の闇を見つめていた。




