第51話:賢者の交渉術と、不器用な格好付け
古き恩義と「弱み」
「……公開検証会、だと?」
シエルは眼鏡のブリッジを押し上げ、冷徹な光をその瞳に宿した。ボロフ教授の提案は、アカデミーの権威を守るための真っ当な手続きに見えるが、今の彼らにとっては百害あって一利なしだ。
「ボロフ教授、却下です。そのような催しは準備に時間がかかりすぎる。我々の目的は研究室の確保であり、非効率な見世物に付き合う暇はありません。それに……」
シエルは一歩前に出、ボロフにしか聞こえない低い声で囁いた。
「このアカデミーにさえ天生者の息がかかっている可能性がある。不特定多数の前で彼の手の内を晒すのは、敵に塩を送るようなものだ。……それとも何か? かつてのボロフ準教授が犯した術式流用事件を、私がここで公表しても構わないのですか?」
ボロフの顔が一瞬で土気色に変わった。 「なっ、貴様……! まだそれを……!」
「君が今、学部長の椅子に座っていられるのは誰のおかげか忘れたわけではないでしょう。……今回だけですよ。我々の滞在を黙認しなさい」
シエルが放つ圧倒的な「元・上司」のプレッシャーに、ボロフは言葉を詰まらせ、最後には力なく首を振った。
「……分かった。今回だけだ。……今回だけですからね! チッ、シエル、貴公の強引さは相変わらずだ」
弟子の見栄、師の鉄拳
ボロフがやれやれと肩を落として引き下がろうとしたその時、横で腕を組んでいたコウが、少し鼻を鳴らして口を開いた。
「……別に、俺は今ここで見せても構いませんよ。教授陣の旧態依然とした理論が、俺の演算の前にどれほど無力か……その場で証明してやるのが一番効率的だ」
少し顎を上げ、サラの方をチラリと意識しながら不敵に言い放つコウ。王都を救い、覚醒した彼なりの、少しばかり調子に乗った格好付けだった。
だが――。
「いったぁぁぁ……!?」
シエルの拳が、容赦なくコウの脳天に落ちた。
「何をするんだ、シエル! 俺はただ……!」
「コウ、久しぶりにげんこつを食らわせたが……いいかい、よく聞きなさい」
シエルは腰に手を当て、呆れたように、しかし諭すように言った。
「サラさんの前で格好をつけたい気持ちは痛いほど分かるがね、そうやって無駄に敵を作って虚勢を張るのは、かえって女性には逆効果なんだぞ。余裕のない男だと思われるだけだ」
「なっ……!? そ、そんなんじゃねえよ! 俺はただ効率を……!」
図星を突かれたコウは、顔を耳まで真っ赤にして絶句した。隣で見ていたサラは、口元に手を当てて「ふふっ」と小さく噴き出している。
「……サラ、お前まで笑うな!」
「すみません、コウさん。でも、そういうところもコウさんらしいな、って」
去り際の弁明
ボロフ教授がブツブツと文句を言いながら去っていく背中を見送りつつ、三人はアカデミーの奥、シエルの旧研究室へと続く静かな回廊へと足を進めた。
「……あいつ、ボロフ教授。嫌な奴に見えたかもしれないが、あれでいてお堅いだけで、本当は悪い奴じゃないんだ」
シエルが少し懐かしそうに語りかける。
「昔、彼が準教授だった頃、術式の計算ミスで研究室を吹き飛ばしかけたことがあってね。それをボクが肩代わりしてやったんだ。彼は彼なりに、このアカデミーのルールという枠組みを守ることで、かつての失敗を繰り返さないように必死なだけなんだよ」
コウはまだ赤くなった顔を冷やすように雪の混じった風を頬に受け、フン、と鼻を鳴らした。
「……ルールを守ることで思考が停止しているなら、それは魔術師として死んでいるのと同じだ。……まあ、害がないならどうでもいい」
シエルは微笑み、二人の前に立ちはだかる古びた、しかし強固な魔力鍵がかかった扉を指し示した。
「さあ、着いたよ。ここがボクの……そして今日からは君たちの拠点となる研究室だ」




