第47話:残光の記録と、崩壊した理想
石板に刻まれた「絶望」の起源
崩落しゆく大図書館の地下、ボスの放つ黒い炎が壁に眠る記録を照らし出す。それは、Rブレッドクランの正史には決して残されない、創設者たちの記憶。
かつて、まだ幼かったボスは、理不尽な貴族たちの横暴によって故郷と家族を一度に失った。救いを求めた王族にすら、虫けらのように踏みにじられた少年。そんな彼に手を差し伸べたのが、数十年前にエルフの国で同様の悲劇を味わい、彷徨っていたシエルだった。
二人は誓った。「力なき者が踏みにじられない、合理的な理想郷を作る」と。 初期のナンバーズであるガルドやルカたちと共に、彼らは世を良くしようと画策し、純粋な希望を胸に歩み始めたのだ。
泥にまみれた「効率」の代償
ボスの視界が、爆炎の向こう側にある「過去」へと沈んでいく。シエルの瞳にも、封じ込めたはずの忌まわしい情景が、昨日のことのように鮮明に蘇っていた。
理想を掲げた彼らの前に立ちはだかったのは、この国の特権階級――ヴィンセントの一族を含む貴族たちが作り上げた、強固で醜悪な現実だった。
「理想郷? 結構なことだ。だがな、小僧。この国で席が欲しければ、まずは余の政敵であるあの商人を『効率的に』消してこい。それができれば、お前たちの活動を黙認してやろう」
先代の王家の血を引く貴族が、不敵な笑みを浮かべて吐き捨てたあの声。若き日のボスは、屈辱で全身を激しく震わせ、握りしめた拳から血を滴らせていた。
「綺麗事では腹は膨らまんぞ。それとも、路地裏で飢えているお前たちの仲間を、明日にも騎士団に掃討させたいか? 選べ、効率を。感情を捨てれば、居場所をやると言っているのだ」
(……あの時、ボクが選んだのは、仲間の命という名の「泥」だった)
ボスは震える唇を噛み切り、低く、冷え切った声で答えた。
「……分かりました。……やります」
それが、全ての始まり。組織を存続させるための、終わりなき妥協の連鎖。
裏の交渉: 反対派の抹殺。
資金調達: 違法な魔導具の売買。
妥協の果て: 仲間たちは次第に手を汚し、気づけば「守るべきもの」のために「守るべき手段」を捨て去っていた。
(気づいた時には、もう引き返せなくなっていた。君を突き放したのも、この泥沼に君を連れて行かないための、ボクなりの最後の抵抗だったんだ……)
シエルの胸を締め付ける後悔。そして、いつから紛れ込んでいたのかも不明なナンバー1.5という「不純物」。そのスパイが組織の歪みを加速させ、ボスを洗脳し、かつての同志たちを怪物へと変えていった。
世界の剥離
「……収穫などという遊びは終わりだ。我がクランの誇りにかけて、お前たちを跡形もなく消し去る」
ボスの仮面から溢れ出したのは、魔力という概念を超えた**「世界の断絶」**だった。彼が指先をわずかに動かすたび、大図書館の空間は色を失い、物質の構成情報が強制的に書き換えられていく。石造りの柱が砂となり、空気が真空へと反転し、現実がガラス細工のようにひび割れて虚無へと吸い込まれていった。
「コウ、来るぞ! 彼は今、この世界の理そのものを筆として、我々の存在という一行を抹消しようとしている!」
シエルが叫び、全魔力を投じて古のエルフに伝わる防護結界を展開する。しかし、ボスの放つ漆黒の閃光は、数百年を耐えうるはずの最高位結界を磁器のように脆く引き裂き、三人の命脈を容赦なく削り取っていった。
激突:概念の零度
「……計算不能か。なら、計算の必要がないほどに『無』で上書きするだけだ」
コウは冷徹に言い放ち、覚醒した魔術回路を暴走寸前まで励起させた。右腕には凍結による亀裂が走り、左腕からは過負荷で白煙が上がる。視界は赤く染まり、脳は焼けるような熱を帯びるが、その瞳には一切の迷いもなかった。
「サラ、出力を維持しろ。0.1秒でも調律が狂えば、俺たちの存在確率はここから消滅する」
「はい……! 魂の最後の一滴まで、あなたに預けます!」
ボスの放つ「理の崩壊」に対し、コウは「事象の停止」で対抗した。黒と白、相反する二つの極限が衝突し、大図書館は物理法則を失って激しく震動する。ボスの攻撃はあまりに強大で、その一撃一撃が銀河の重圧となってコウたちを押し潰そうとしていた。
シエルの博打:万象の楔
戦いが佳境に入ったその時、シエルが杖を捨て、自身の胸に手を当てた。
「……コウ、最後の一撃を放て! 私が彼の『揺らぎ』を固定する!」
シエルは禁忌とされるエルフの秘術を起動させた。それは自身の生命力を触媒に、対象の存在を現世に強く縫い留める**《万象の楔》**。変幻自在に空間をすり抜けていたボスの存在が、シエルの捨て身の固定によって一瞬、ただの「物質」としてこの世界に零れ落ちた。
「シエル……! 了解だ。死ぬなよ!」
その一瞬の隙、コウは全ての魔力を右指一点に収束させ、熱力学の限界を超えた「絶対的な静止」を練り上げた。
決着:永久の葬列
「……これで終わりだ。《真・事象凍結・永久の葬列》」
極限まで圧縮された「完全な停止」が、ボスの心臓部を音もなく貫いた。 派手な爆発も、絶叫もなかった。ただ、世界から全ての音が奪われるような圧倒的な静寂が場を支配した。ボスの身体は指先から順に、透明な氷の彫刻へと変貌していく。それは魔力の氷ではない。彼を構成する「時間」と「存在」そのものが永久に停止した証だった。
「……見事な、計算だ……」
ボスが最後に残したその言葉と共に、氷の像は粉々に砕け散り、光の塵となって消滅した。Rブレッドクランの首領。その圧倒的な暴力が、ついにこの世界から完全に排除された。
終幕:氷華の静寂
熱を失った戦場に、雪のような光の粒子が降り注ぐ。それは、この世界に停止させられたボスが残した、存在の残滓だった。
崩壊しゆく大図書館の底、かつての喧騒が嘘のような静寂が満ちていく。禁忌の術式で自らの生命力を削り、ボスの揺らぎを固定したシエルは、荒い呼吸を整えながらゆっくりと顔を上げた。
シエルはよろめく足取りで、肩で息をするコウと、彼を支えるサラの元へ歩み寄った。
「……終わったな。だが、あまりに非効率な戦いだった」
シエルは自嘲気味に、しかしどこか愛弟子の口癖を慈しむようにそう呟いた。数十年という歳月を費やした因縁の決着としては、あまりにも呆気なく、そしてあまりにも多くのものを失いすぎた。
コウはその言葉を聞き、皮肉げに口角を上げることもなく、ただ静かに師の姿を見つめ返した。




