第40話:沈黙の聖地と、暴かれる「嘘」
音の消えた街
馬車が魔導の聖地『マギア』の境界線を越えた瞬間、世界から一切の音が消失した。 馬の蹄の音も、風に揺れる木々のざわめきも、自分たちの呼吸音さえも。
「…耳鳴りじゃないな。広域に展開された『真空』または『音響相殺』の術式か。極めて非効率な歓迎だ」
コウが唇の動きだけで告げる。シエルは険しい表情で頷き、杖を強く握りしめた。 かつて知恵の結晶が集まると謳われた大図書館の街は、今や巨大な墓標のように静まり返っていた。
静寂の執行官
街の中央広場に差し掛かった時、石畳の影が不自然に伸び、一人の男が染み出すように現れた。 漆黒の法衣を纏い、口元を鉄の枷で覆った男。 Rブレッドクラン・ナンバー3、『静寂の執行官』ゼノ。
彼は一言も発さず、ただ指先で空中に文字を刻んだ。
「裏切り者のシエル。そして、何も知らぬ哀れな弟子よ」
「ゼノ…組織の中でも、ボクを最も嫌っていた君が直々に来たのか」 シエルが前に出る。その背中は微かに震えていた。恐怖ではなく、直面せざるを得ない「過去」への忌避感だ。
心理的な楔
ゼノは嘲笑するように、再び文字を空中に躍らせた。
「シエル、いつまで嘘を突き通す? 君がコウの魔力回路の一部を焼き切り、独り立ちという名の『追放』を強いた本当の理由を」
コウの瞳が鋭く細まる。 「…どういう意味だ。俺の回路が一部欠損しているのは、修行中の事故だったはずだ」
「事故? 違うな。それはシエルが君の『寿命』を削って、強引に魔力の出力を引き上げる禁術を止めるための、唯一の手段だったのだよ」
ゼノの文字が、残酷な真実を暴いていく。 数年前、若きコウの才能は突出していたが、その才能は彼自身の生命力を燃料として燃え上がる欠陥を抱えていた。そのままではコウは二十歳を待たずに死ぬ運命にあった。
「シエルは君を殺さないために、君の『最強の魔術師への道』を物理的に断った。そして組織と契約し、君に一生恨まれる悪役を演じることで、君を凡庸な魔術師として生かそうとしたのだ」
師の沈黙、弟子の震え
「…黙れ」 シエルの声は、掠れていた。 「それは、もう終わったことだ。ボクが勝手に決めたことなんだ…!」
「シエル様、やっぱりそうだったんですね…」 サラが二人の間に歩み寄る。彼女の調律眼には、シエルの心から溢れ出す「愛弟子を生かしたかった」という、あまりにも切実で不器用な祈りの色が、濁流となって視えていた。
コウは立ち尽くしていた。 効率。合理。計算。 自分が人生の指針としてきたそれら全てを、師匠は「自分の命と名誉」を差し出すという、最も非効率で独りよがりな愛で守っていた。
「…ふざけるな」 コウの低い声が、静寂の空間を震わせた。 「あんたは、俺の人生の計算式を、勝手に書き換えたのか。俺に相談もせず、たった一人でそんな非効率な損失を背負って…!」
決意の再構築
コウは左腕の刻印を最大出力で輝かせた。 「ゼノ。お前の言葉は、俺たちの絆を壊すためのノイズだ。…シエル、あんたへの怒りは後だ。今はその『沈黙』を、俺の演算で粉砕させてもらう」
シエルは目を見開き、そして力強く頷いた。 「…ああ。補講の続きだ、コウ!」
ゼノが指を鳴らすと、完全な闇と真空が三人を飲み込もうと迫る。 だが、真実を知り、魂のレベルで共鳴し始めた師弟の魔術に、もはや「静寂」の入る隙間はなかった。




