第36話:恩師の吐血と、断罪の影
夜明けの決別
復興を終えた王都の正門。朝日が昇り始める中、コウとサラは誰に見送られることもなく街を去ろうとしていた。ヴィンセントやガゼルが背後で何かを喚いていたが、もはや耳を貸す価値すらない。
「行きましょう、コウさん。私たちの旅を、ここからやり直すために」
「ああ。これ以上ここに留まるのは、人生の資源をドブに捨てるようなものだ。次の目的地まで、最も効率的なルートで行くぞ」
二人が門を一歩踏み出した、その時だった。
上空から、銀色の軌跡を描いて何かが叩きつけられた。激しい衝撃波と共に大理石の地面が爆ぜ、砂煙が舞う。
「…が、はっ…!」
煙の中から聞こえてきたのは、苦悶に満ちた呻き声だった。
恩師の崩落
煙が晴れると、そこにはエルフの魔術師、シエルが倒れ伏していた。その美しい銀髪は泥と血に汚れ、背中には黒い魔力の楔が何本も突き刺さっている。
「シエル様!?」
サラが悲鳴を上げ、駆け寄ろうとする。コウは反射的に彼女を制止したが、その目は驚愕に揺れていた。あの圧倒的な実力を持つ師が、これほど無様に、一方的に痛めつけられるなど、彼の計算にはなかった。
「…逃げろ…コウ…。あの方が…来る…。ボクを処分しに…」
シエルは血を吐きながら、震える手でコウの裾を掴もうとした。だが、その手は届かずに力なく地面に落ちる。彼の瞳には、かつてコウを裏切った時の冷徹さは微塵もなく、ただ愛弟子を案じる、痛々しいまでの後悔だけが宿っていた。
支配者の降臨
「おやおや。ナンバー2ともあろう者が、随分と無様な姿だね、シエル」
頭上から、全ての音を吸い込むような、重苦しい声が響いた。 門の装飾の上に、一人の男が立っていた。 豪奢な黒い外套を纏い、顔の半分を奇怪な仮面で覆った男。その立ち姿だけで、周囲の空気が凍りつくような威圧感を放っている。
「…お前が、Rブレッドクランのボスか」
コウは自身の魔力回路が、生存本能から激しく警鐘を鳴らしているのを感じた。ヴェルトやルカとは次元が違う。この男こそが、この国の闇を統べ、シエルを傀儡として操っていた元凶。
「私はただの観客だよ、コウ君。君がシエルをどう『処理』するかを見に来たんだ。裏切り者の師匠を、君のその効率的な魔術で介錯してあげたらどうだい?」
ボスは愉悦に満ちた笑みを仮面の裏で浮かべた。
師の沈黙と、サラの気づき
「コウ、騙されるな…。あいつは…ボクが…」
シエルが必死に言葉を紡ごうとするが、背中の楔が黒い光を放ち、彼の声を封じ込める。楔はシエルの生命力を吸い上げ、強制的に黙らせているのだ。
サラは、シエルの指先が土を強く掴んでいるのを見た。彼は、自分が苦しむことよりも、何かの真実がコウに伝わってしまうことを恐れているようだった。
「(ダメだ、コウ…。君にだけは、あんな呪いを知ってほしくない。ボクが裏切り者のままでいいから、君は光の中にいてくれ…)」
サラの調律眼に、シエルの絶望的なまでの「不器用な愛」が視覚情報として飛び込んできた。彼は裏切ったのではない。コウを組織の魔の手から守るために、あえて泥を被り、孤独な戦いを続けていたのだ。
「コウさん! シエル様は…シエル様は、あなたを一度も裏切ってなんていません!」
サラの叫びに、コウの思考が停止する。
「何を…言っている、サラ。事実は一つだ。こいつは数年前、俺を捨てて姿を消した」
「違います! その背中の楔…これは、誰かの身代わりになった証です! シエル様は、あなたが組織に狙われないように、自分の命を担保にして契約を結んでいたんです!」
開戦の予感
ボスの笑い声が、静まり返った正門に響き渡る。
「くくく、鋭いね、お嬢さん。その通り。シエルは君という『最高品質の素材』を守るために、自ら私の犬になったのさ。だが、彼ももう限界だ。契約違反を犯して君を助けた罰として、今ここで君たちの目の前で解体してあげよう」
ボスが指先を鳴らすと、シエルの背中の楔がさらに深く食い込み、彼の絶叫が上がった。
コウの中で、何かが音を立てて崩れ、そして再構築された。 効率。合理。計算。 そんなものを全て置き去りにした、熱い怒りが彼の魔力回路を駆け巡る。
「…ボス、と言ったか。お前のその『悪趣味な脚本』は、俺の計算では一点の価値もないゴミだ」
コウは右腕の包帯を引き千切り、血が滲む腕をボスへと向けた。
「俺の師匠を勝手に処分するな。その男の不器用な謝罪を聞くまでは、死なせるのは非効率すぎる」




