第3話 桜の木の下で、私は恋の影になる。(福井美緒視点)
玄関を出た、私。
……訳あって、電柱の陰に隠れている。
「落ち着け、私……」
はぁ、はぁ。
「これじゃ、まるでストーカーじゃない。堂々としてればいいのよ、私は」
そう声に出して、自分をなだめる。
はぁ、はぁ……
(で、でもやっぱり……ドキドキがおさまらないっ)
我ながら挙動不審。
これじゃ完全に、不審者だ。
(いやこれ、角度的に“初めてのおつかい”の母親ポジションでは?)
私が“尾行”している相手は――勝にぃ。
彼とは同じ学校で、普通に声をかければ済むはずなんだけど、今はそう簡単にはいかない。
私たちは今、微妙すぎる関係性になってしまっているのだ。
だから私は、ストーカー……もとい、陰からこっそり後をつけることにした。
「でも、元気になってよかった……勝にぃ」
まるで、わが子の退院を見守る母の心境。
いや、そこまで行くと重すぎるけどさ。
――あれ?
勝にぃが通学路じゃない道を曲がった。
その先にあるのは、かつて私と勝にぃと、あの愚妹や友達とよく遊んだ神社。
(どうしたんだろう?)
境内に入った勝にぃの顔は、どこか神妙だった。
(……まさか。恋愛成就のお願い!?)
朝っぱらからそれはないでしょ。
……どっちかって言うと、私のほうが祈願したい側なんだけど?
私は境内の影という影に身を潜めながら、こっそり観察を続ける。
そのとき――
「あっ、勝くん!?」
艶やかな声がした。
声の先には、背の高い、絵に描いたような美人の女性。
「咲さん!おはようございます!」
「おはよう。勝くん……もう大丈夫そうね?」
咲さんというらしいその人は、巫女装束を身にまとい、右手に箒を持って境内を掃除していた。
しかもこの咲さん、
私より――ほんの少しだけ、胸が大きくて。
私より――ほんの少しだけ、愛嬌のある顔をしていた。
(“ほんの少し”だけどね!!)
「咲さんのおかげですよ」
「ふふ、頑張ったのは勝くんじゃない。退院が早まってよかった。これから学校?」
「はい……そうなんです」
――なにその親しげなトーン。
勝にぃ、神妙な顔してるけど、咲さんに見とれてない?ねぇ?
「でも、俺……去年、学校に行けてなくて。休学になってしまったんです。だから、また2年生からやり直しで……」
その言葉に、胸がズキッと痛む。
勝にぃ……そんなに、辛かったんだ。
私は大木の裏に身を隠しながら、ぎゅっと胸に手を当てる。
「大変だけど、若いうちはいくらでもやり直せるわ。ずっと見てきた私が保証する」
咲さんは、まるで聖母マリア様のような微笑みを見せた。
(……いやここ、神社だけど!?)
「咲さ……ん」
感動したような目で咲さんを見つめる勝にぃ。
その顔……完全に恋する男子のそれ。
勝にぃ、何デレデレしてるのよっ!!
私は木の幹をギュッと掴む。ジェラシーの力ってすごい。
……それにしても、咲って人、美人で、優しくて、勝にぃに意味深なこと言っ
……もしかして、たぶらかすタイプ!?
「今日は、学校生活がうまくいくように……友達ができますようにって、お願いに来たんですよ。えへへ……」
照れながら言う勝にぃ。
(いやいや、どう見ても咲さん目当てでしょそれっ!?)
「まぁ」
咲さんは、まるで擬音で「ぱわわわん♪」って聞こえそうな笑顔を浮かべた。
(くっ……敵ながら見事な笑顔……)
「それなら、私も祈ってあげる。勝くんの学校生活がうまくいくように」
「本当ですか!?ありがとうございます!」
まるで、女神様から直接の祝福をもらったような勝にぃの顔。
ここ……神社だけどね!?(何度目!?)
2人は神殿の前へ。
カラン――とお賽銭を入れ、二拝、二拍手。
「勝くんの高校生活が楽しい日々になりますように!」
咲さんの透き通る声が、境内に響く。
勝にぃは横目で咲さんを見ながら、照れたように合掌、一礼。
「これで、勝くんの学校生活は明るいわよ」
潮風になびく髪を手で押さえながら、咲さんが笑った。
……美しい。
女の私が見ても、ちょっと嫉妬するくらいに。
そして――
私は、その瞬間、勝にぃが恋に落ちたのを見た気がした。
私は大木の陰に引っ込み、そっと胸に手を当てる。
桜の大木から、花びらがひらひらと舞い落ちた。
恋に落ちる瞬間なんて、本当は誰にもわかるわけない。
でも、世間で言う“アオハル”は――
こういう、甘酸っぱくて、ちょっと切ない一ページでできているのかもしれない。
咲さんと勝にぃの談笑はまだ続いていたけど。
私は、胸の痛みを抱えたまま、一足早く学校へ向かった――。