第10話 美女、宮瀬先生の秘密(七瀬勝視点)
コンコン、と軽くドアを叩く。
「失礼しまーす。宮瀬先生に呼ばれました」
職員室の空気は、妙に静かだった。
パソコンのキーボードを打つ音。缶コーヒーの微かな開け口の音。それ以外、なにもない。
「先生、俺、呼ばれたんですけど」
「あっ、はい?」
内海先生に肩を軽く叩かれ、ようやく宮瀬先生が顔を上げた。
──なんかこの人、ワーカーホリックっぽいな。
「わざわざ来てもらって悪かったな、七瀬」
バツが悪そうに頭をかいた宮瀬先生は、俺の顔を見ないまま口を開いた。
「新学期早々で悪いが……学級委員をやってもらえないか?」
「は?」
一瞬、聞き間違いかと思った。
目の前で先生が取り出したのは、クラス名簿。成績や部活動、性格や交友関係まで、ご丁寧にびっしり書かれてる。……いやいや、生徒の目の前で見せちゃっていいの、それ。
「七瀬は、みんなより一年年上だ。役職があれば自然とクラスに馴染める。俺としても、お前に頼みたいんだ」
「……でも俺、向いてませんよ。バレー部だって逃げ出したままですし」
言った瞬間、胸に何かが詰まった。視線が勝手に下を向く。
「学業成績は悪くないし、バレー部での活躍も……私は知ってる。委員長ってのは、進学にもプラスになる。断る理由、ないと思うぞ?」
「……」
答えられない。バレー部のことがずっと喉に引っかかっている。
「続けるかどうかは、これから決めればいい。お前の高校生活だ。どう生きるか、七瀬が決めろ」
挑むような目だった。先生の視線が、ずしりと刺さる。
「……俺は……」
けれど言葉は、そこで止まった。
宮瀬先生は、名簿をぽんとデスクの上に戻す。
「ま、今すぐ答えなくてもいい。返事はすぐじゃなくてで構わん。今日はもう帰っていいぞ」
最後は、なぜか妙に明るい声で俺の肩を叩いた。
逃げるように、職員室をあとにした。
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私──宮瀬絵里は、去っていく背中を黙って見送っていた。
「宮瀬先生、結構エグいことしますよね〜」
隣の内海先生が、いつもの調子で肩をすくめてくる。
「え? そう思います?」
「思いますとも」
私たちは同い年。友人と呼べる数少ない同僚だ。
「いやいや、考えなしじゃありませんって。あの子のためでもあるし、他の子のためでもありますから」
コーヒーを飲もうとして、缶をひっくり返す。空っぽだった。
「それにしても、このクラス分け、仕組まれてますよねぇ〜。あの事故の加害者企業の子と、被害者の遺族が同じクラスって……悪趣味じゃ?」
「悪意なんて言い方、しないでください。内海先生」
柔らかく諫める。けど、否定はできない。
内海先生は小動物系の見た目で、生徒に人気もある。けど実は芯がある人だ。だから、今みたいに本気で怒るときもある。
「で、本音はどうなんです? 七瀬くんと、あの子を関わらせたいんですよね?」
「……そういうことです」
私は、淡々と答えた。パソコンを打ちながら。
「でもさ。事故で家族亡くした子に、加害側の企業の人間をぶつけて、なにか意味あります?」
内海先生は声をひそめる。怒ってるけど、優しさの裏返しだ。
「七瀬は、あの子のこと知らない。あの子も、七瀬がどこの子か知らない。今は、ね」
「私、もう忠告しましたからねっ!」
ぷいっと顔をそらして、内海先生は給湯室に向かっていった。
──私はというと、机の引き出しから一冊の報告書を取り出す。
『***年**月**日 新庁舎建設事故調査報告書』
その文字を見つめたまま、私はしばし黙っていた。
ファイルにそれを丁寧にしまい、ポケットに入れていた小さなペンダントを握る。
「……この事件から逃げられる人間なんて、いないんだよ」
独り言のように、呟いた。
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