ワケあり1人目⑥
「……とりあえず、向こうはどう動くかね」
シャルロットが意識を失ってから、少なくとも5時間が過ぎた。
食事を摂りに部屋の外に出る事もできず、とりあえず俺はそのままで取れる行動を取ってはいたが、色々と動きにくい状況であるのは確かだ。
どちらにしても、クソ親父が異常に気付いて動き出す前に、こちらも動かなくてはいけない。
「歯痒いな。俺からは何もできない」
時折、シャルロットはうなされており、彼女が声を上げる度に俺は緊張するハメになっていた。
もし、このまま彼女が目覚めなかったら……。
そんな想像をしてしまい、首を振って頭から余計な思考を追い出す。
いっそ、やる事が確定していた方が余計な事を考えずに済むんだけどなあ。
こればっかりは、諸々の反応を待つしかないから、今はできる事がない。
せいぜい、シャルロットが目を覚ました時に、彼女のフォローをするくらいか。
「……ッ!?」
不意に、シャルロットが上半身を勢い良く起こす。
憔悴しきった顔で周囲を見回して、俺の姿を認めてから、情けなさそうに笑う。
「昨日のあれは……夢、じゃないですよね」
「……残念ながらな」
ショックで記憶喪失にでもなっていた方が、彼女にとっては幸せだったのかもしれないな、と思ってしまう。
きっと、精神状態もギリギリのはずだというのに、何とか笑顔を浮かべようとしているその姿が、酷く痛々しい。
けれども、それをやめろとも言えないので、結果的に気まずい沈黙が周囲を包む。
「……昨日はすみませんでした。色々と錯乱してしまって」
「無理も無いだろ。俺だって、急にあんなモン見せられたら発狂する」
「心の準備はしていたんですけどね。想像以上に理解の及ばない理由が事件の原因だったので、私の理解の範疇を越えてしまいました」
俺から彼女にしてあげられる事はない。
むしろ、同じ血縁の人間だ。
下手をすれば同じ空間にいる事すら、彼女にとっては苦痛だったりするかもしれないな。
「一つだけ聞かせてほしい。あの証拠を見た今でも、君の気持ちは変わらないか?」
それでも俺は、この事件の顛末を左右できる人間として、彼女に一つの問いを投げかける。
家族の無実を証明したい。
そんな彼女の優しくて、健気は願いは、果たして今でも、その形を変えていないのだろうか?
たとえ、その願いが復讐へと変化してしまったとしても、俺はそれを叶えなければならないが、いっそ、そうしてくれた方が、よりダレイス公爵家を潰す事に躊躇が無くなるだろう。
「……そうですね。昨日は本当に驚いて錯乱してしまいましたが、今でも私の気持ちは変わりありません。極悪人とはいえ、相手はこの国で権勢を誇る公爵家。仮に真実が暴かれ、その上でダレイス公爵家への裁きが無かったとしても、シヴィリアン家の無実さえ証明されれば、充分すぎるくらいです」
もしもこれが本当に、綺麗事なしのシャルロットの本音なのだとしたら、彼女はどれだけ強い心を持っているというのだろうか。
もしも俺が彼女の立場だったら、復讐に狂い、その後の人生など考えもしないだろう。
彼女のこの選択が、いかに気高く、いかに困難な道であるか。
復讐に狂ってしまった方が、圧倒的に楽だというのに。
「本当にその言葉に嘘は無いか?」
「はい。父も母も使用人たちも兵士たちも、そんな事は望まないはずですから。黒幕が裁かれる事を願っている方々は何人もいるかもしれませんが」
そう言って、シャルロットはへにゃりと笑う。
何かを諦めたわけでも、誤魔化そうとするでもない、ただただ困ったような笑顔だったが、その混じり気の無い笑顔は、俺にとっては相当に眩しかった。
貴族家に生まれ、ましてや公爵家ともなれば、人の嫌な面も種々様々見ているはずなのに、どうしてこうも優しくて気高い人間になれたのだろう。
それだけ、シヴィリアン公爵が人格者だった、という事なのだろうか?
俺が考えてわかる事でもないが、とにかく今回の件を前に進めていいという事には変わりはない。
「それじゃあ、しばらく俺がここを空けても大丈夫そうか?」
「ええ。問題ないですよ。あ、一応は食費を置いて行って頂ければありがたいです。私は無一文ですので」
昨日はあんなに錯乱していたというのに、今や食事の心配である。
いやまあ、人間の三大欲求だけどさ、食欲って。
一週回って、完全に彼女を放置しても大丈夫そうだな、と判断できたので、俺は肩の力を抜く事にした。
「そっか。ふぁ……安心したら眠くなってきた。少し寝るわ。昼メシ時に起こしてくれ。君も寝ていたら、まあその時は気にしなくていいよ」
そう言って、俺は寝袋で床に横になる。
「あ、ベッド空けますよ」
「いいよ、気にしなくて。俺、どこでも寝れるからさ」
ベッドを出る、というシャルロットの言葉に、寝転がりながら手を振って平気だと示しておく。
普段ならとっくに寝て起きる時間だったせいか、意識が睡魔に呑まれるのに時間は必要なかった。
…
……
………
「……きて下さい」
ゆさゆさ。
身体が優しく揺さぶられている。
もう少し、寝ていたい。
「起きて下さい」
ゆさゆさゆさ。
さっきよりも、少しだけ強く身体を揺すられる。
まだ眠っていたい欲求に抗いつつ、薄く目を開けば、視界に金髪の美少女が移り込んだ。
「……ああ、起こしてくれたんだな」
まだはっきりとしない思考の中で、そういえば寝る前に昼ごろ起こしてくれと頼んでいたな、と記憶を掘り起し、大きな欠伸をしつつ上半身を起こす。
そこまで長時間眠っていたわけではないからか、そこまで身体は凝り固まっている感じはしない。
代わりに、あまり目覚めが良くなかったので、思考に靄がかかっている感じだが。
「……とりあえず、状況が動くまではここから動けないからな。今日の昼メシはこれで我慢してくれ」
俺を起こし終えたので、シャルロットはベッドに腰掛けた状態でこちらを見ている。
奴隷の貫頭衣のままだと、さすがに部屋の外に出すのはマズイな。
そんな事を考えつつ、彼女に携帯食料を投げ渡す。
栄養価は高いものの、味が殆どない上に、口の中の水分を根こそぎ持っていく、という悪夢の食糧だ。
保存性と携行性に優れるので、いざという時のために、それなりの量を準備しているのだが、ここで役に立つとは思わなかった。
「とりあえず、その服を使ってくれ。少し大きいとは思うが、着れなくはないはずだ。あと、金貨20枚置いて行くから、俺が戻るまでは食うに困らないだろう」
続いて俺の着替えのうち1セットをシャルロットに放り投げ、部屋にあるテーブルに金貨を20枚置いておく。
「そんなわけで、俺は数日出かけてくる。戻ってきたら、何かしらのいい報告はできると思うから、君はこの部屋で生活しててくれ。女将さんには俺から話しておくから、困ったら相談するといい。それじゃ、行ってくる」
「あっ、ちょっと……」
言うべき事項をまくしててから、携帯食料を一口で頬張り、もごもごと咀嚼しつつ、俺は部屋を出た。
財布と必要最低限の装備だけを持った、身軽な状態だ。
出がけにシャルロットの声が聞こえたような気がしたが、今はとりあえず無視。
やるべきことを進めないと。
咀嚼した携帯食料を飲み込めば、靄のかかっていた思考もハッキリとし、宿を出る前に女将さんにシャルロットの事を頼んでから、俺は宿を後にした。
さて、上手く相手は釣れたかね?




