ワケあり1人目⑤
「……一体どこの家だ? 少なくとも伯爵家以下の家で、俺の情報を得るなど不可能だ。となると、必然的に候補は絞れるが……いや、まずは犯人の特定よりも、証拠の保全確認が先か」
ぶつぶつと呟きながら、クソ親父は執務室の本棚をあれこれと弄る。
いくつかの手順を踏んだ所で、本棚が引き戸として動く。
隠し部屋か。
自分の保身に敏感なのは相変わらずだ。
そして、必ず他人を陥れる役に立つものは、見つかったら自分に不利な証拠になるものでも、絶対に処分しない。
だから、その用心深さと、欲深さゆえに、付け入る隙があると思っていた。
「……絶対に逃がさねえ」
クソ親父が隠し部屋に入り、少し間を置いてから、俺も中に入る。
中は暗かったが、クソ親父が手元に明かりを灯しているのだろう。
僅かではあるが光源があったので、動き回るのに不便は無い。
「……ふむ、特に何かが無くなったり、漁られた形跡は無いな。一応、後で魔術鑑識を呼んでおいた方が無難か……いや、もしかすると、あの手紙はハッタリか?」
どちらにせよ、身辺は固めねばなるまいな、とクソ親父は呟き、証拠物を収納していた金庫に戻してから、隠し部屋から出て行った。
入口が閉められるが、却って俺にとっては安全である。
仕掛けが動いて、カチリと鍵がかかる音を聞いてから、俺は身隠しの魔術を解く。
その気になれば一日くらいは維持できるが、やはり集中を割く要素はなるべく少ない方がいい。
「とりあえずここまでは作戦通りだな。とはいえ、脱出はタイミングを見ないと」
仮に証拠物を押さえられたとしても、俺が捕まってしまえば意味が無いし、証拠物の持ち出しがあまりにも早い段階でバレてしまうと、その後の展開を潰される可能性が高くなる。
その点、相手は腐ってもこの国の頂点に近い公爵家の人間だ。
証拠物を持ち出してからの動きは、なるべく迅速にしなくてはならない。
どちらにしても、証拠物を持っていくのは確定事項なので、金庫を開けにかかる。
当然、暗証番号や鍵などは知るはずもないので、魔術で鍵部分を熱し、溶かして無理矢理の開錠を行う。
ある意味、相手がダレイス公爵家の人間で良かったな、と音を立てないように注意しつつ、金庫を開きながら考える。
クソ親父は武力方面には秀でているが、魔術方面はからきしなため、比較的魔術方面の防備が疎かだ。
この隠し部屋も、魔術を感知するような罠があれば、俺が取れる手段はかなり少なかったのだが、魔術に対する防衛策が疎かなおかげで、こうして楽々と入り込めたのだ。
かなり用心深く、用意周到で、疑り深くはあっても、ベースが脳筋な証拠である。
「……あんのクソ親父め。なんつー事しやがる……」
開いた金庫の中身を空にしてから閉め直し、金庫の扉を魔術で溶接。
外見上はパッと見での変化が無い状態にしておきつつ、俺は取り出した証拠のうち、いくつかを小さな魔術の光で照らして確認する。
上から順に新しいものを積み上げていたのか、比較的すぐに今回のシヴィリアン公爵家の事件に関するものが出てきた。
そして、その内容を見た俺は、今すぐこの屋敷を全て魔術で消し飛ばそうかと本気で考えた程度には、無意識のうちに怒りがこみ上げてくる。
たったそれだけの理由で、家一つ潰して、罪も関係もない使用人もろとも、一族を根絶やしにしたっていうのか?
身内ながら、クソ親父の外道っぷりに殺意が抑えられない。
今すぐにでも、あの害悪貴族を処断してしまいたい。
『ただ1つだけ。私が望むのは、家族の無実を証明したいです。ありもしない罪を着せられたまま、未来に語り継がれるなんて、悲しすぎますから』
不意に、シャルロットの言葉が脳内を過る。
その言葉が、不思議と俺の振り上げかけた拳を降ろさせた。
そうだ。
俺は今、シャルロットの依頼で動いている。
己の感情で、依頼を失敗させるわけにはいかない。
「とはいえ、これを彼女に見せるのか……?」
手に入れた証拠を見ながら、これを彼女に見せるべきかどうか悩む。
もちろん、彼女には知る権利があるし、見せろと言われれば断れない。
だが、積極的に見せたいか、と言われれば、ノーである。
知らない方が幸せな事だってあるものだ。
でもきっと、シャルロットは見てしまうのだろう。
場合によってはそれが、永遠に自分を呪う枷になるかもしれないとしても。
「……でも、俺が決められる事じゃないんだよな」
手に入れた証拠を懐にしまい込み、俺はこの隠し部屋で時間が経過するのを待った。
脱出するための策は既に準備してある。
あとはタイミングを待つだけだ。
光の差し込まない、完全な暗闇で、その時が来るのをジッと待つ。
やがて、にわかに屋敷内が騒がしくなり、待っていた時がやってきた。
隠し部屋にいても聞こえるほど、大規模な爆発が起こり、屋敷内が大きく揺れる。
「よし、脱出だ」
隠し部屋の仕掛けの鍵部分だけを破壊して、本棚を押し開ければ、執務室の外からは、クソ親父の怒号と、戦闘音が漏れ聞こえていた。
作戦通り、襲撃が起きたようだ。
あとは混乱に乗じて、屋敷を脱出するだけである。
…
……
………
「……よし、この辺りまで来れば大丈夫か」
姿消しの魔術を解除し、一息付く。
かなり離れたが、ダレイス公爵家の屋敷からは、未だに火の手が上がっているし、薄らと喧噪も聞こえてくる。
想像以上に、規模の大きな襲撃となったようだ。
作戦通りにいきすぎて、少し怖いと感じてしまうが、今はとにかくシャルロットと合流しなければ。
宵闇に紛れつつ宿に戻れば、ちょうど夕食後の酒盛り中といった所で、食堂の方から賑やかな喧噪が聞こえてくる。
「おや、帰ったかい」
受付から、俺の姿を見つけた女将さんから声がかかった。
すっかり顔馴染みになったな。
「鍵を下さい」
「はいよ」
手慣れた感じの女将さんから鍵を受け取ってから、俺は部屋に戻った。
鍵を開けて中に入ってみれば、ベッドで上半身を起こした状態のシャルロットと目線が合う。
「おかえりなさい……で、いいんでしょうか?」
「それでいいんじゃないか? ……ただいま」
少しぎこちなくなりながらも、彼女とお互いに挨拶を交わす。
おかえりなさいとただいま、なんて、まるで同棲している彼女と彼氏みたいだな。
そんな現実逃避をしながら、証拠の事をどうするか、未だに迷う。
「何か収穫はありましたか?」
あくまで何気なく聞いてきた風ではあるが、彼女の目には、何かを得たのだろう、という確信の色があった。
これは、誤魔化しきれそうもないな。
「色々と出てきた。少なくとも、国を揺るがす大問題がな」
観念して押収してきた証拠を彼女に渡す。
受け取ったそれに目を通し始めた彼女を見てから、俺は無言で周囲に防音の魔術を張り巡らせた。
何となく、この先の展開が読めたからだ。
「嘘……たったそれだけの事で、両親も、使用人たちも、兵たちも、全員死んだっていうの……?」
数枚の紙に記されていた証拠の内容を否定しようと、幾度もそれを見直すも、事実は変わらない。
しばらくの間、震える手で証拠の内容に繰り返し目を通していたシャルロットは、やがて手を止めた。
「私が……私がいたから……アハッ、アハハハハハハハハ!」
一度壊れた人形のように脱力してから、発狂したように笑い声を上げ始めた彼女は、笑いながらも、両目からとめどなく涙を流している。
「私が! 私の存在が! シヴィリアン公爵家を滅ぼした! 何か悪い事をしたわけでもないのに! アハハ! 何それ? 私が何をしたって言うの? 私が生まれてきたのが悪いの?」
喉が壊れんばかりに大声で笑いながら、シャルロットは一人で喋り続けていた。
そんな彼女を、俺はただ見ている事しかできない。
彼女をこんな境遇に追い込んだのは、他でもない、俺の親父なのだ。
今は縁が切れたとはいえ、直接の血縁関係がある。
血縁関係であるというたった一つの揺るぎない繋がりが、彼女の痛々しい姿と言葉が、刃となって俺を苛む。
俺が自由に生きたかったがために、面倒の無い方法を選んだばかりに、今の彼女を生んでしまった。
そんな状態がしばらく続いた後、シャルロットは電池が切れたように身体の力が抜け、ベッドに横たわる。
「……良かった、意識を失ってるだけか」
まさか、と思って焦ったが、特に舌を噛み切ったとか自殺したとかではなく、まだ身体が本調子でなかった事に加えて、色々な情報が溢れんばかりになって、精神的にも限界を迎えたのだろう。
とはいえ、油断ならない状況である事も確かだ。
目を覚ました途端に自殺しかねない。
とりあえず、彼女が目を覚まして、精神状態を落ち着かせるまでは片時も目を話せそうにないな。
少なくともここからしばらくは、俺に寝る時間などあるはずもない事が確定した。