ワケあり1人目③
「んぁ……」
微睡から意識が浮上し、まとまらない思考のまま、一旦上半身を起こす。
床で寝たせいか、あまり熟睡できていなかったようだ。
窓からは陽光が差し込んでおり、既に日が昇っているのだけはかろうじて理解できた。
「……そういや、色々あって床で寝たんだっけ」
伸びをすると、バキバキと背中が鳴る。
まだ14だというのに、これではおっさんのようではないか。
まあ、中身はおっさんなのだけれども。
「とりあえず、異常は無しか」
ベッドでスヤスヤと眠る少女を見ると、呼吸も安定しており、顔色も悪くないので安堵が漏れる。
あとは彼女の回復力次第、なんだろうな。
「……とりあえず、朝飯か」
寝袋から這い出し、あまり音を立てないようにしながら、一度部屋を後にする。
食堂に降りて朝食を摂ってから、顔を洗って気分をサッパリさせて部屋に戻った。
すると、目を覚まし、上半身を起こした状態の少女と目が合う。
昨日よりも体調は良さそうだな。
「おはよう。良く眠れたか?」
「はい。おかげさまで」
挨拶をしてみれば、にっこりと笑って、しっかりとした声で彼女は応えてくれた。
呂律もしっかりしているし、案外回復は早いかもしれないな。
「食欲はあるか? 腹が減ってるなら食堂から何か貰ってくるけど」
「お願いしてもいいですか?」
「わかった、少し待っててくれ」
一度食堂の方にとんぼ返りして、料金を追加で支払い、少女の分の食事を貰って部屋に戻る。
生憎とお願いしていたわけではないので、病人食でなく普通の食事だったが、あれだけ回復していたら大丈夫だろうか。
一応、良く噛んでゆっくり食べるように言っておこう。
「昨日も言ったけど、ここの食事は量が多いから、無理に全部食べなくていいからな。あと、まだ起きれるようになったばかりだから、良く噛んでゆっくり食べるように」
「ありがとうございます」
トレイに乗せた食事を彼女に渡すと、昨日の同じように、太腿の上辺りにトレーを置いてから、ゆっくりと食べ始める。
さすがに公爵令嬢だけあって、食事の仕方が上品だ。
「あまり見られると食べにくいのですが」
「残念だが我慢してくれ。一応、急に体調が悪化したりしないか見てないといけないからな」
この回復具合であれば、恐らく問題はないと思うのだが、念には念を、というヤツである。
少女は最初こそ困ったような表情を浮かべていたが、どうにもならないと理解してからは、黙々と食事を続けていた。
俺の言った通り、ゆっくりと良く噛んで食事を進めていき、全くペースを落とす事なく、その全てを平らげる。
昨日まで、死にそうなほど衰弱していたとは思えないほどの食欲だ。
まあ、食欲があるなら回復は早そうではあるので、安心であるのだが。
「食器を返してくる。まだ本調子じゃないだろうし、寝ててもいいからな」
空になった食器の乗ったトレイを、ベッドの上の少女から受け取り、食堂に返しに行く。
女将さんたちにお礼を言って部屋に戻ってみれば、少女は変わらず起きているようだった。
「寝てなくていいのか?」
「今は眠くないですから」
そうか、と会話を打ち切って、俺は荷物から調薬ツールセットを取り出す。
説明書とにらめっこしながら、使い方を確認していく。
とりあえず、簡単な薬などは作れるようになっておいて、全く損は無いだろう、というわけだ。
どちらにしろ、あと数日は念のために少女についておきたい。
その間のヒマつぶしも兼ねているので、正味、時間さえ潰せれば何でもいいところはあるのだが。
「何も聞かないんですね」
俺が調薬ツールの説明書と格闘していると、少女から声がかかる。
彼女が一体どういう心境なのかがよくわからない。
普通、年頃の少女がこうして部屋に連れ込まれたら、誘拐だとか何とか、大騒ぎしそうなものであるが。
「聞いてほしいなら聞くけどな。君を見つけた場所が場所だったから、あまりその辺りは干渉すべきじゃないと思っただけだ」
「そうですか。ちなみに、私の記憶が確かなら、あなたはダレイス公爵家の次男であったと思うのですが」
あら、俺は覚えてなかったけど、少女は俺の事を知っているらしい。
ダレイス公爵家の人間とわかっているなら、なおの事こうして彼女が冷静なのがわからん。
普通、ダレイス公爵家の人間と聞いたら、もっと泣き喚いたり、脱出しようとしたりすると思うんだが。
「今は家を追い出された、しがない冒険者だ。名前も変えた」
「そうなんですね。確かにあなたは公爵家の人間の中では、異彩を放つ方だとは思っていましたが」
彼女は、俺の事をどれくらい知っているのだろうか。
同じ公爵家でも、ダレイス公爵家とシヴィリアン公爵家は犬猿の仲で有名だし、交流は皆無だったと思うが。
まあ、公爵家ともなれば、王城主催の夜会だなんだで面識自体はあってもおかしくはないけれども。
「で、結局のところ、何で奴隷になんてなってたんだ?」
多分、話を聞かないと先に進まないのだろうな、と思い、俺の方から話題を進める事にした。
「そうですね……簡単に言ってしまえば、シヴィリアン公爵家は罠に嵌められて、取り潰しとなりました」
そう語る少女の表情は、何でもない事で、ただの事実と言わんばかりだったが、何でそんなに表情も変えずに語れるのか。
ダレイス公爵家と違って、シヴィリアン公爵家は真っ当に良い領主を務める、国王派閥の筆頭だったはずだ。
そんな生家を誇りに思っていない、なんて事はないはずなのに、取り乱す事も無ければ、表情を変える事もなく、平然としていられるのが、逆に少し怖い。
もしも俺がシヴィリアン公爵家の者だったら、嵌められた、の時点で怒り心頭だったと思う。
「まあ、大方ダレイス公爵家が主導して敵対勢力を潰しにかかった、ってトコだろうな。あのクソ親父殿が考えそうな事だ。そのくせ、証拠は厳重に消す。自己保身に抜かりないのは昔から変わらない」
シヴィリアン公爵家が取り潰されたとなれば、一大ニュースだな。
意図的に貴族関連の情報は遠ざけてたから、知らなかった。
「そうですね。シヴィリアン公爵家でもダレイス公爵家が怪しいと思ってはいました。証拠が無く、打つ手もありませんでしたが……まあ、私以外の一族郎党が全員処刑されてしまったので、私一人が騒いだ所でどうにもなりませんけど」
自嘲するように笑う彼女を見て、心が痛む。
今は縁が切れているとはいえ、己の親がこうして他人を意図的に破滅させたのかと思うと、反吐が出る。
「なあ、君はどうしたい? 真実を白日の下に明かしたいか? それとも、関係者に復讐したいか?」
俺の問いかけに、少女は黙り込んだまま、考えるように目を閉じる。
彼女が答えを出すまでの時間がやけに長く感じたが、恐らくは体感ほどの時間はかかっていないだろう。
「ただ1つだけ。私が望むのは、家族の無実を証明したいです。ありもしない罪を着せられたまま、未来に語り継がれるなんて、悲しすぎますから。仮に無実を証明したら、黒幕たちは処罰されるでしょうが、その辺りはどうなろうと興味はありません。犯人たちがどうなろうが、家族はもう、帰ってきませんから」
あくまで平坦な口調で、感情も特に乗っていない独白だったが、却ってそれが、彼女が内に隠す激情を表しているようで。
気付けば、俺は立ち上がっていた。
「だったら、俺が真実を暴こう。それが、俺の取れる責任だ」
他人に迷惑をかけるだけでは飽き足らず、あまつさえ誅殺してしまうような両親から生まれたとは思いたくないが、俺自身が自由を得るためだけに楽な方法を取った事を今、激しく後悔した。
やはり、多少は無茶してでもダレイス公爵家の人間は消しておくべきだったか。
俺が面倒くさがらなければ、彼女はこんな仕打ちを受けずに済んだのに。
「あなたが真実を……? でも、どうやって?」
「認めたくはないが、肉親だからな。悲しい事に、いくつか事実を炙り出せそうな作戦がある。どれかが上手くいけば、証拠を掴めるはずだ。俺が謝るのも何か違うのかもしれないが、すまなかった。いや、謝って許される事でもないな」
我ながら、突拍子もない行動だ。
あまりにトンチキな行動に、自嘲の笑みが漏れる。
「……もしも、本当に事実を明らかにして、家族の無実を証明できるのなら、私は縋りたいです。どのみち私一人では何もできませんから。本当に、協力して頂けるのですか?」
「ああ。あの時つけなかったケジメを今、つける時が来たんだ」
「でしたら、よろしくお願いします。私は、シャルロット・シヴィリアンは、あなたの行動を肯定します」
あなたを肯定します。
そんな言葉一つで、嘘みたいに心の靄が晴れていく。
今なら、生活基盤もある。
実戦で、腕も磨いた。
今なら、公爵家に喧嘩を売る事だって、不可能じゃない。
待ってろ、クソ親父。
今までのツケ、纏めて払わせてやるからな。




