幕間 ワケあり5.2人目
「なぜ、このような目に、遭わねばならぬのか……全く、これだから、神の威光を、知らぬ、愚者共は……」
息を切らし、全身の贅肉を揺らしながら、教皇は走る。
その速度は、一般的な大人の小走りくらいの速度であったが、彼にとってはこれが全速力であった。
「ほら、もう少し頑張りなさいな。もうじき隠れ家に付くわ」
その傍らを護衛するように小走りで移動するのは、ハイトを襲った女暗殺者。
血染めの月の首領たる彼女は、横を移動する教皇を冷めた目で見ながら、隠れ家へと向かわせている。
大した移動距離ではないが、既にもう数回の休憩を挟んでおり、追手がかかっているにも関わらず、遅々とした歩みに苛立ちを隠せない。
それでも、声色だけは普段を取り繕い、彼に同道しているが、いい加減に依頼を受けたのは失敗だったか、考えてしまう。
そんな状況でしばし移動を続けるうち、隠れ家である小さな廃屋へと辿り着く。
無事に目撃されずに中へと入り、教皇は粗末なソファーに腰を下ろすと、ぜえぜえと呼吸を乱している。
「はあ、はあ……おい、暗殺者。3大国の長共を殺すのにどれくらいかかる?」
呼吸を落ち着け、教皇は女暗殺者に声をかけた。
彼としては、どのくらいの期間がかかるのか、という問い掛けを行っているのだが……。
「そこまでやるなら白金貨で1000枚。情報工作もするなら追加で300枚ね」
「どこまで金を毟り取るつもりだ、この金の亡者が!」
当然、落ち延びた身で金銭などあるはずもなく、教皇は激昂して女暗殺者に怒鳴りつけるが、彼女はそれを暖簾に腕押しとばかりに受け流す。
「勘違いしないで欲しいわね。今回助け出したのは、前の契約に身辺警護が含まれていたからに過ぎないわ。とはいえ、もう次の支払いも怪しいし、ここに送り届けた時点で契約は切ろうと思ってたの。わざわざ危険を冒してまで脱獄させてあげたんだし、義理は充分に果たしたと思うのだけれど?」
冷ややかな視線を返され、教皇は鼻白んだが、再び視線を細めて彼女を睨み返す。
「暗殺を達成してくれれば、金はいくらでも払ってやる。だから3大国の長共を……」
「ごめんなさいね。うちは信用第一なの。身一つで落ち延びたあなたに、後払いの担保なんてないでしょう? 先払いしてくれるなら、受けてあげるけど」
可能なら金を払ってみろ、と言われてしまえば、教皇に二の句は告げなかった。
事実、この場で動かせる資産は無く、今後彼女たちを継続して雇うだけの資金も無いのだ。
「ええい、いいから仕事をしろ! お前らの情報をバラされたいのか!?」
とはいえ、このままでは身の破滅が待っている教皇は、焦りに焦っており、他人の言い分などどうでも良かった。
その一言が、自分の寿命を縮めるとも知らずに。
「そう。ならこの場で死んでもらうしかないわね。あなたにはもう、価値なんてないもの」
女暗殺者の顔から、表情が消える。
その後、一瞬で得物である赤いレイピアを抜き放ち、即座に鞘へと戻す。
まるで一般人には見えない速度だったが、その一瞬のうちに、彼女は教皇の手の甲に軽くレイピアを突き立て、引き抜いたのだ。
傷そのものは、軽く針が刺さった程度のごく軽いものだが、彼女にとっては一撃が僅かでも敵に突き刺されば充分。
「ぐ、苦し、お前、何を……」
「さようなら。醜い豚さん」
女暗殺者にとって、教皇は殺すのではなく、ただ処理するだけのものに過ぎない。
もはや死んだ教皇が見つかっても何の問題もない彼女にとって、教皇などは路傍の石のようなものだ。
処理を終えた彼女は、優雅に隠れ家を後にした。
後に残されたのは、その場でもがき苦しむ教皇だけだったが、今後、どのみち彼が助かる道は無い。
余計な一言を言わずにいれば、生き延びられたというのに、たった一言がその命を散らしたのだ。
「さて、と。依頼者はいなくなったけれど、あの少年は危険ね。早めに処理しておかないと」
そうして、女暗殺者はただ1人、闇へと消えていった。
今回は幕間なので少し短めです。
今後の伏線というか、仕込みの部分が大きいです。




