ワケあり5人目④
この世界に神などいない。
貧民街に生まれ、ましてや孤児であったならば、そのような事実は物心が付く頃には悟っている。
私にとっての幸いは、神父様が運営する孤児院に拾われていた事だろうか。
神父様は、私にとっては正しく救世主であり、親代わりだった。
孤児院の面々は、往々にして両親の顔を知らない。
それは捨てられたか、はたまた無念のうちにこの世を去ってしまったのか、その理由は定かではないけれど、それが確固たる事実であり、私たちは神父さまを父親代わりに、同じ孤児同士が兄弟姉妹として育ってきたのだ。
「はぁ~……」
過去を振り返る現実逃避をしてみても、私がこの国の国王陛下から頭を下げられたという事実は消えない。
意識から切り離そうとしたのに、かえって鮮明に意識してしまっている辺り、忘れようとした事がそもそも間違いなのかも。
もう一生分の幸運が逃げたと思えるくらいに繰り返した溜息は、私以外に誰もいない部屋の中に消えていく。
「何で了承しちゃったかなー……」
決断を下したのは自分のはずなのに、酷く後悔している。
いっそ、陛下が尊大で王らしい振る舞いをしていたのなら、まだここまで戸惑いを生む事は無かったように思う。
だというのに、陛下が私に頭を下げたという衝撃は、未だ私を掴んで離さない。
面識そのものは前に一度あったから、顔を見るだけでは驚きはしなかったけれど。
「とはいえ、チビたちのためには、少しでも認められて、たくさん稼がないと。一人で冒険者活動をしてた時よりも時間が取れるのに稼ぎはいいし、定期的にお休みはあるし、いい事ずくめだけど、だからといってこの状況に甘んじていいわけじゃない」
最初は、休日も冒険者稼業で稼ぎを出そうと思っていたけれど、ハイトさんには休日はちゃんと休むように注意されてしまった。
今まで、日々の暮らしを維持するのに必死だったから、休みなんて無かったし、それが当たり前だった。
ハイトさんに仕えるという事になった時も、どんな酷い仕事をさせられるのかと思ったけど、蓋を開けてみれば全然そんな事は無くて、自分の時間があって休日もあるのに、仕事中に休憩もある。
ろーどーきじゅん?
なんてハイトさんは言っていたけれど。
私の残念な知識ではさっぱり理解できなくて、ただ言われた事に頷く事しかできなかった。
「模擬戦……はもうやったし、訓練も終わったし、どうしよう……」
この屋敷は、一つだけ変わった点がある。
使用人だろうとメイドだろうと庭師だろうと、必ず戦闘訓練を受ける必要がある事だ。
主にカナエさんとジェーンさんが主導で行っているけど、あの2人を仮想敵にするような相手なんて、そうそういないと思う。
当然、訓練は相当に厳しいし、私はまだカナエさんからもジェーンさんからも一本を取れた事は無い。
私なんて冒険者稼業で下地があるからまだマシで、何の経験も無いメイドさんや料理人の人も一緒に訓練をする。
果てにはハイトさんまで平気で混じって訓練をしていたりするし、色々と普通では考えられない貴族だと思う今日この頃。
最近の出来事を脳内でまとめてみても、やはりやる事が無い時間というのは手持無沙汰なもので。
これがここ最近の私の悩みである。
少なくとも夕食の時間まではやる事が無いのは確定しているので、どうしたものだろう、と考えていたら、私の部屋の扉がノックされた。
「ハイトだ。オルフェさん、今大丈夫か?」
扉の向こうからくぐもった声がして、私は慌てて自分の服装がだらしなくないかを確認し、意識してしっかりと猫を被る。
意識していないと、シスターになる前の性格が出てしまうし、言葉遣いも荒っぽくなってしまう。
たっぷり30秒くらいかけてしっかりと意識を統一してから、私は扉の向こうのハイトさんに返事を返す。
「特に用事もありませんので問題ありませんが、何かありましたでしょうか? まさか、私が自分で気付かぬうちに陛下へ粗相を働いてしまったでしょうか?」
「そういうのじゃない。ただ、オルフェさんとゆっくり話す機会がしばらく無かったから、色々と話したいと思ってね。気が乗らないなら今度でいいけど」
「いえ、ちょうど時間を持て余しておりましたので」
部屋の扉を開けてみれば、そこには特に気負った様子もなく、ただ時間が余ったから話しに来た、という感じのハイトさんが。
そこまで深く込み入った話はしないだろうけど、どういう話をする事になるのか、と内心では少し身構えつつ、案内されるがままに彼について行けば、お茶などをするサロンへと連れて行かれる。
中には既に使用人の皆さんが待機していて、私たちの姿を認めるなり、お茶を淹れ始めたりお茶請けを準備したりと、忙しなく動き始めた。
「なんだかすみません。私の分まで用意していただいて……」
「気にしなくていい。リラックス……は無理かもしれないけど、そんなに気負わないでいてくれると助かるけど」
確か、まだ14歳だっただろうか。
成人も迎えていないものの、功績だけで新興の貴族となったとか。
その辺りの経緯はシャルロットさんに軽く聞いただけで、細かい内容は知らない。
あどけなさの残る顔立ちは、しっかりと整っていて、ちょうど少年と青年の間の年齢なのだとわかる。
顔立ちの整い具合は、さすが貴族といった感じ。
けれど、とても見た目相応には思えないくらい、思慮深くて頭が切れる。
少なくとも、私なんかよりはよほど。
そんなだから時折、彼が私よりもずっと年上なんじゃないかと思う。
それでいて、物腰が柔らかい上に懐も相当広い。
カナエさんがうっかり全員分の料理を一人で平らげても、軽く窘める程度で絶対に怒らないし、ジェーンさんにはよく小突かれたりしているけど、それを咎める事もない。
私を含めて3人とも彼より年上であるけれど、それにしたって立場の違いというものがある。
ましてや奴隷が主人に取る態度ではないと、ここに来た当初は驚いた。
とはいえ、人間は慣れる生き物で、今となっては驚く事は無くなったけれど、やっぱり違和感は感じる。
「ここの暮らしには慣れた?」
「そうですね……未だに休む事に慣れないですが、おおよそは」
問われた事に素直に答えてみれば、ハイトさんは苦笑いを浮かべてぽりぽりと頬を掻く。
「あはは、休息はいい仕事をするためにも必須だから慣れてほしいかな。もちろん、場合によっては休み無しで働いてもらう事もあるだろうけどね」
「貧しい事に慣れてしまっていますし、こればっかりは育ちもあるのでなかなか……」
「まあ、そこはおいおい慣れてもらうって事で」
習慣付いた感覚はなかなか抜けないのがわかるのか、ハイトさんはすんなりと私を説得せずに引いた。
こうして彼と話していると、本当に気遣いの仕方なんかが14歳には思えない。
元々知人であるとはいえ、国王陛下にあんなにフランクに喋るし、本当に意味がわからない。
「今、屋敷の敷地内に急ピッチで建物を作ってるけど、神父さんと子供たちはどう? 不自由してない?」
「それについては元々が酷すぎる環境でしたので、今が不自由と言ったら神父様でも助走をつけて正拳をお見舞いしてくるでしょう」
「ぷっ、あはは、助走を付けて正拳か。そりゃあいい」
私の言い回しがツボに嵌まったのか、ハイトさんが笑い出す。
下品でなく、さりとて上品というわけでもない、年齢相応の反応。
ますます彼に対する認識がおかしくなってしまう。
本当に、彼の顔はどれが本質なんだか。
今回はオルフェさん視点です。
カナエもジェーンも割とハイト信者な所がありますが、現時点でオルフェさんはまだ警戒してます。
引っ越した環境に慣れてない猫みたいな感じです。




