幕間 ~井戸
島へ渡った十二人は、しばらくその島で暮らすことにしました。
他へ行こうにも、乗ってきた船は沈んでしもうたし、どっちに行けば何があるかも分からへんのに、小舟ひとつで、海を渡るわけにも行かんからな。
幸い、木を伐って家を作ることのできる者もおったし。
島には、森があって、鳥や獣や、食べられる木の実、草の実、根っこなんかもたくさんありました。
井戸を掘れば、水も手に入りました。
わたしらは、それぞれの特技を活かして、まあ、お互い協力しあいながら、なんとか生きていけたんや。
その島には、わたしらの前には人は棲んでおりませんでした。
いろいろと不便なこともあったけど、まあまあ、そこそこ、平和な暮らしでした。
けど、不老長寿の仙薬については、まあ、棚上げになってました。
そうして何年か経ったころ。
毎年の渡り鳥をよう見てた者が、こっちへ行けば陸があるかもしれへん、て言い出したんや。
海を渡ろうと言う者と、もうええから、このままこの島で暮らそうと言う者。
二手に分かれて、何日も話し合いました。
故郷に帰るわけにはいかへん。
仙薬も見つけてへんのに帰ったりしたら、一族郎党、罰を与えられます。
ここにおったら、なんとかまあ、暮らしてはいけるわけです。
けどな、このままじゃ、わたしら十二人、何事も成し遂げんうちに、この島に骨を埋めなあかん。
希望があるなら、舟を出したい。
その気持ちは、皆、持ってたからな。
結局、仲間のうちから三人が、舟を作って、島の外へ行ってみることになりました。
早速、森の木を伐って、舟が作られました。
舟に乗って行くんは、舟を操ることに長けたやつと、星が読めるやつ、それから、何故か、わたしが選ばれました。
わたしやったら、誰とでもすぐにうまいこと話せるやろうから、ということでした。
わたしらは、毎日、海をよう観察して、ある春の、鏡のように海の凪いだ満月の夜に、出発しました。
潮を読み、星を読み、舟は一晩ほどで、陸に着きました。
ほんまに、思ったより簡単やった。
こんなことなら、もっと早う来たらよかったと思いました。
陸を少し旅して、村を見つけました。
村の人たちは、着るもんも、食べるもんも、そして何より、話す言葉も、わたしらとは違っていました。
わたしらはすぐにここの人たちに話しかけることはしませんでした。
道沿いに旅をして、いくつかの村や街を巡りながら、ここの人たちの言葉や習俗をよう観察しました。
そもそもわたしら十二人、いろんなところから集められた者やったから。
わたしらかて最初に会うたときには、服装も食べ物も言葉も違っとったんや。
それでも、一緒におるうちに、なんとのう、いろんなものは通じるようになった。
それと同じことですから。
それは、そんなに難しいことではなかったわ。
そうして旅をするうちに、いつしか、わたしらは、都、いうところまで辿り着きました。
そのころには、わたしは、この土地の言葉を、そこそこ話せるようになっていました。
わたしらは、見せ物師の真似事をして日銭を稼ぎながら、しばらく都に滞在しました。
その間に、いろいろと勉強して、言葉はもちろん、服装や、料理や、いろんなお約束事や、この土地のことを知っていきました。
船乗りと星読みは、それぞれ可愛い女の子と出会って、嫁さんにしていました。
わたし?わたしはなあ、こう見えて、奥手やねん。
調子ええから、すぐに女の子たぶらかすやろ、て思われるみたいやけど。
実は、そうでもないんよ。
しばらく都におったけど、そろそろ、島に帰らんならん、と思うようになりました。
船乗りと星読みの嫁さんたちも、一緒に島に行くと言いました。
それで、行きは三人やったけど、帰りは五人になって、いや、船乗りの嫁さんは、お腹にやや子もおったから、六人になって、島へ帰ってきました。
島に戻ったわたしたちは、大歓迎されました。
わたしらは、陸の様子や都の様子を、皆に話して聞かせました。
皆、こぞって、自分も陸へ行きたいと言い出しました。
そら、そやわな。
船乗りと星読みの嫁さんを見て、みぃんな、羨ましゅうなったんでした。
それからはな、代わりばんこに陸へ渡りました。
船乗りとわたしは、おらんと困る、ということで、何回も陸へ渡りました。
島の周りの海流はややこしゅうて、船乗りでなければ、潮を読めんし、舟も操れん。
わたしは、まあ、通訳やね。
その他は、舟に乗れるだけ乗りました。
そうして、みんな、順番に、嫁さんを連れて帰りました。
それぞれ、島に家も作ってな。
子どもの生まれた者も大勢いました。
それがまあ、あの鬼の島のはしり、やったわけやね。
島の周りの海は、年に何回かベタ凪の日があるだけで、普段は波の荒い、渡りにくい海でした。
漁に出ようにも、なかなか舟も出されへん。
それに、わたしたちは、ほとんどの者が陸地の出身でな。
泳げる者がおらんかったんよ。
唯一、船乗りは泳げたから、泳ぎも習おうとはしてみたけど。
泳げるようになったんは、ごくごく僅かな者だけでした。
陸から持ってきた種を使って、島には、田んぼや畑もこしらえました。
土地が痩せてて、海風も強うて、なかなかうまいこといかんかったけど。
まあ、なんとか、島の者が食べていくくらいは、作物も実りました。
ほそぼそと、やけど、そんな暮らしが何年か続いて。
けど、あるとき、災厄が起こりました。
そのころは、春と秋の年に二度、舟を出して陸に渡っていました。
どうしても陸に渡らんと手に入らん道具を買い付けたり、畑に撒く種を買うためでした。
そうして戻ってきた船乗りがな、突然、高い熱を出したんや。
それはいつもの風邪や腹痛とは違う。
見たこともない症状に、薬師もお手上げでした。
そうして、何日か苦しんだ挙句、船乗りは、あっさり亡くなってしまいました。
そら、悲しかったわ。
わたしは、船乗りとは、何べんも、一緒に陸へ渡ったからな。
一番、仲良しやった、思うねん。
けど、もう、こうなったからには、仕方がないやんか。
船乗りには、遺された嫁さんと子どもたちもおりました。
船乗りに代わって、その人たちの面倒を見ようと、わたしは思うておりました。
船乗りの妻子も、病の兆候はありました。
けど、船乗りみたいに、酷くはなりませんでした。
薬師の作った薬を飲んで、皆、元気に回復していました。
だから、わたしは、船乗りだけ特別やったんやと思っていました。
ところが、お弔いを済ませて、数日経ったころ。
薬師が、船乗りとそっくり同じ症状で倒れました。
船乗りの病が伝染ったんや。
島中に衝撃が走りました。
あの病は伝染る病やったんか。
誰が病を持ってるか分からへん。
いつ自分も病に罹るか分からへん。
熱に苦しむ薬師を見舞いに訪れる者もありませんでした。
そらそうや、そんなことして自分ももらうかもしれへんからな。
けど、わたしはそんな薬師も訪ねていました。
わたしは、病気になった船乗りも、よう、お見舞いに行っていました。
それでも、わたしは病には罹りませんでした。
そやから、薬師が病に罹るまで、あれが伝染る病気やとは思いもしてませんでした。
薬師はとてもしんどそうでした。
自分の専門やから、ありとあらゆる手を試してみてたけど。
具合は日に日に悪くなっていきました。
けど、わたしにはやっぱり、病は伝染りませんでした。
きっと、これは、なにかあるに違いない。
誰でも、そう思うやろ?
実を言うと、わたし自身が一番、そう思っていました。
そして、わたしには、なんとなく、その理由も分かっていました。
あの、嵐の中で子龍に出会ったとき。
わたしは、子龍に怪我を治してもらいました。
そのときから、わたしのからだには、不思議な力が宿っていました。
怪我をしても、すぐに治ってしまうのです。
そして、風邪にも、腹痛にも、あれからは一度も罹っていませんでした。
それと、もうひとつ。
わたしのからだには、皆と違う変化がありました。
わたしのからだは、年をとらんようになっていたのです。
島へ辿り着いてから、もう十年以上。
皆、嫁さんもろて、子どもも生まれて、それなりにええ感じに年を取っていたけど。
わたしだけ、ここへ来たときのまま、そのまんまの姿をしていたんです。
流石にこれは、関係あるんちゃうかと、気づくやろ。
けれども、わたしはそれを仲間たちには黙っていました。
誰にも話してはいませんでした。
薬師は、船乗りのことを最後まで助けようとしてくれた恩人でした。
結局、助からんかったけど、最後まで見捨てなかったのは、薬師だけでした。
その薬師を、わたしも、見捨てることはできませんでした。
…もし、わたしのからだに、なにか、病を癒す力があるなら…
わたしは、自分の血を少し取ると、こっそり、薬やと言うて、薬師に飲ませました。
そんなもん飲ませてええかどうか分からんかったけど、薬の作り方なんか知らへんし。
このまま何もしないうちに薬師がどうにかなってしまうくらいなら。
もう最後の頼みの綱やと思うたんや。
そしたら、なんとなんと。薬師の病は、治ってしまいました。
誰より自分自身が驚きました。
けれども、薬師のことを助けることができて、本当によかったと思いました。
ところが、今度は、そのころになって次々と、十二人の仲間たちが、病に罹り始めました。
わたしは、薬師に本当のことを話して、わたしの血を使って、薬を使ってはどうかともちかけました。
薬師は最初驚いていましたが、それで皆が助かるなら、と引き受けてくれました。
ところが、その話しが、どこからか、島の皆に知られてしまったのです。
皆はわたしの血を寄越せと押しかけてきました。
皆、苦しんで死んだ船乗りを思い出して、恐怖に囚われていました。
仕方なく、わたしは血を取って、皆に分けました。
すると、たちどころに、皆の病も治ってしまいました。
よかった、めでたしめでたしや。
と思うやろ?
けど、そうはなりませんでした。
わたしの血は、不老長寿の薬なんやないか、と誰かが言い出しました。
実際、そうなんかもしれへんけどな。
ほんまのところは、わたしにも分かりません。
けど、探していた不老長寿の妙薬が手に入れば、故郷に帰れる。
とっくの昔に、故郷に帰るなんて諦めていました。
それなのに、帰れる、となったら、皆、とてつもなく帰りたくなったんや。
皆、手に手に刃物を持って、わたしの血を取ろうと追いかけてきました。
わたしはもう、仲間やなくて、獲物かなにかのようでした。
そして、わたしを見つけると、容赦なく斬りつけてきました。
斬られても、斬られても、斬られる先から、わたしの傷は塞がっていきます。
そやから、仲間たちは、血を取るために、何回もわたしに斬りつけるんです。
目を血走らせて、血を寄越せ、と追いかけてくる仲間たちを見て。
わたしはこのままやったら、いつか自分は殺されてしまうと、恐ろしくなりました。
わたしは逃げ回りました。
けど、島のなかで、逃げる場所なんて、そんなにはないんです。
逃げて逃げて、とうとう、あの古井戸のなかに隠れました。
どこへ逃げても、仲間たちは追いかけてくる。
けど、まさか、井戸のなかに隠れてるとは思わんやろうと考えたんです。
井戸水のなかで、わたしの傷もきれいに治っていきました。
これだけはほんま、助かるなあと思いました。
傷が治らんかったら、とっくに動けんようになっていたかもしれません。
井戸は深くて、足のつかん水のなかで、立ち泳ぎをしながら、わたしは隠れていました。
それまでは泳いだことなんかなかったけど、必死やったからね。
井戸の壁に両手をつっぱっていれば、なんとかこらえられました。
誰かが井戸を覗き込むときには、すっぽりと水の中に潜りました。
潜ったまま、息をこらえて、じっとしていました。
わたしを探していた者たちは、血の痕を追いかけてきたものの、わたしを見つけられずにいました。
そして、最終的には、皆、あの井戸の周りに集合してしまいました。
しまった。
隠れるつもりで、追い詰められてしもうた。
絶体絶命でした。
井戸のなかで、わたしは気づかれんようにするだけで必死でした。
井戸に突っ張っている手はつるつる滑るし、だんだんと力も入らんようになっていきます。
着物を着たまま水の中にいると、ずっしりと着物が重たくなって、ずるずると水のなかに引きずり込まれそうでした。
それでも、必死に機会を伺って耳をすませました。
皆、さんざん走ったせいか、喉が渇いているようでした。
ざんぶり、ざんぶりと、かわりべんたんに井戸に桶を放り込んでは、がぶがぶと桶から直接水を飲んでいました。
わたしは、水のなかで、投げ込まれる桶を必死に避けていました。
気づかれたら一巻の終わりです。
生きた心地もしませんでした。
とうとう、もう、これはあかん、と観念したときでした。
疲れ果てていた仲間たちは、そこでごろりと横になると、ひとり、またひとりと、寝始めました。
わたしは、もう少し、と思うて、力を振り絞って、ねばりました。
そうして、最後のひとりが寝てしもうたのを確かめると、井戸から外へ逃げだしました。
その後はな、もう、振り返りもせんと、島を脱け出しました。
何度も何度も船乗りと一緒に陸へ渡っていたから。
なんとか、自力で舟を操って、陸に逃げることができました。
陸は、島とは違って広いから、追手からも逃げられると思いました。
何度も行って、道なんかも、誰よりよう知ってたしね。
実際、わたしは陸へ渡って、追手から逃げ切ったんです。
あの後、島がどうなったかは分かりません。
船乗りの子どもたちのことは気になったけど。
島へ渡って確かめることは、どうしてもできませんでした。
島のことも、仲間のことも、もう、忘れてしまいたかった。
あんなところ、もう二度と、関わりたくない、と思いました。
陸で、見せ物師をしながら、旅を続けました。
長いこと、ひとところにおったら、誰かに、不老長寿に気づかれて、また追いかけられる羽目になると思いましたから。
旅から旅への暮らしでした。
誰とも、必要以上に、親しくしようとは思いませんでした。
ただただ、自分の秘密を、誰にも知られんように、と思いました。
いろんなところへ行ったし、いろんなものを見聞きしました。
楽しいこともあったし、また笑うようにもなりました。
そのうちにな、こんな暮らしも、悪うないなあ、と思うようにもなりました。
喉元過ぎたら、熱さを忘れる、言うんやろか。
そういうところが、わたしのあかんところかもしれんけど。
だけどな、辛いことは忘れて、明るく生きていきたかったんよ。
何世代も時間は過ぎていきました。
わたしと同じころに生まれた人たちは、もうどこにもいてません。
世の中の移り変わりを、わたしはこの目でじかに見てきました。
けど、不老長寿の力を得てしまっていたわたしには、もうそれでおしまいではありませんでした。




