幕間 ~申公
なんや、嬢ちゃん、寝られへんのん?
昨日もあんまり寝てへんし、明日の朝にはこの船も陸に着くし。
そしたら、明日は明日で、また忙しいんやから。
今のうちに、よう寝とかんと、からだ、もたへんよ?
おっちゃん、子守歌、歌たげよか?
え?いらん、て?
ほんなら、お話し、したろか?
船のお話しや。
この船みたいな、でっかい船のお話しやで。
聞くか?
ほんなら、目、つぶって、聞いてや。
むか~し、むかし、その昔。
海のむこうの異国の王様が、不老不死の仙薬を探しに、使いを出しました。
使いの者は十二人。
それぞれに特別な能力を持つ、国中から集められた精鋭です。
種族も部族もばらばらだった彼らには、もともとの名前もありました。
けれど、お役目を請けたときに、全員揃えて、子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥、と名乗らされました。
彼らのなかには、木を伐って船や家を作ることのできる者やら、船を操る技に長けている者。
薬草の知識に長けている者…狩りや食物の採集の得意な者…
料理の得意な者…裁縫の得意な者…見たものをそのまま絵に描ける者…等々
いろんな特技を持った者がいました。
十二人揃えば、どんな難題にもたちむかえる精鋭揃いでした。
わたしもなあ、その仲間のひとりやってん。
申、やな。
けど、その中に混じって、わたしは、どっちかと言えば、役立たずやったな?
わたしの得意技なんて、誰とでも気安うしゃべることくらいやし。
けど、この性格、場合によっちゃ、かえって嫌われるんよね?
まあまあ、賑やかしのわたしも含めて十二人で、船に乗って出発したわけです。
最初、船旅はまあまあ快適でした。
船酔いするやつもおりましたけど、よう効く薬を作れる薬師も乗ってたからな。
わりと、順調に、うまいことやってたわけです。
日がな一日、のんびり、魚釣ったりもしてな。
釣りたての魚を料理してもろたら、それはもう、食べたことのないご馳走でした。
けど、海の上、いうんは、穏やかな日ばかりやない。
いや、陸の上かて、穏やかな日ばっかりやないけど。
生まれて初めて海で遭うた嵐は、それはそれは、凄まじいものでした。
山の頂きから谷底へと突き落とされるような波に翻弄され、なすすべもなくただ祈るのみ。
雨か波か分からん水流は、常に甲板に叩きつけ、いつ沈んでもおかしくないと思いました。
それでも、船、作ったやつは、この船は絶対に沈まん、大丈夫やと豪語してな。
皆、波にさらわれたら怖いから、て、船倉の部屋に籠っておりました。
わたしも皆と一緒に籠ってたんやけど、ふと、外の様子を見に行きとうなって。
やめとけと言われるんを振り切って、甲板へと出て行ったわけです。
いっつも思うんやけど、わたしのこの、好奇心な。
これは、口と同じくらい災いの元かもしれんな。
海に放り出されんように、縄でからだをくくり付けて。
ゆっくりと歩いて行きました。
雨か波か分からんものすごい水しぶきに、ろくろく目も開けられません。
様子見る、どころやなかったけど、今のこれも、ええ経験やと心のどこかで思ってました。
と、ふと、龍のような影を見ました。
最初は、船の舳先やと思いました。
けど、どう見ても、その舳先は、ふたつあるんです。
嵐に気が動転して、目もおかしゅうなったんかと思いました。
けど、何度、目をこすって見直しても、龍は二匹、おりました。
…お母さん…お母さん…
どこからか、そんな声が聞こえた気がしました。
それもまあ、めっちゃ、悲しそうやねん。
なんやろうと思って耳をすますと、片方の龍が、船の舳先にむかって、せっせとそう呼びかけているのに気づきました。
どうやら、呼びかけるだけやのうて、なんとか近づこうと、からだをのたくらせてやってきています。
すりすり、とな、こう、犬猫もしますやろ?
けど、どっしん、どっしんと、そのからだは船にぶつかって、このひどい揺れはそのせいでした。
ちょ、ちょ、坊ちゃん!
そないひどいにしたら、船が沈んでしまうで?
わたしは思わず大きな声で、龍に呼びかけていました。
いや、坊ちゃんって、龍が、男の子か女の子かは分からんかってんけどな?
とっさに、そう言うてしもたんや。
びょうびょう風は吹いてるし、ざあざあ波も鳴ってる。
わたしの声なんか、龍には届くはずないと思いました。
それでも、わたしは、二度、三度と叫びました。
頼むからぶつかるの、やめて。
これは船や。
あんたのお母さんやあらへんで。
その声が届いたんか、え?と子龍は動きを止めました。
途端に甲板の揺れも収まったから、わたしはゆっくりと龍のほうへと近づいていきました。
恐ろしい、とは思わんかったな。
今から思えば、不思議やねんけど。
子どもといえども、龍の口は、わたしくらい丸のみにできそうなくらい大きかったし。
目はらんらんと光ってました。
その口元からは、ちろちろと、炎の息が見えてました。
なんだ。お母さんじゃなかったんだ。
子龍は残念そうに言いました。
お母さんとはぐれたんか?
わたしが尋ねると、子龍はこっくりとうなずきました。
道理で、冷たいと思ったんだ。
お母さんなら、こんなふうにずっと知らん顔するはずないもの。
そう言いながらも、子龍はものごっつい残念そうに舳先を見上げました。
そんなにその舳先、お母さんに似てるんか?
わたしは子龍が哀れに思えて尋ねました。
すると、子龍は、首を傾げて答えました。
どうかな?…僕、お母さんの顔、知らないから。
……?そう、なんか?
顔も知らないのに、母親と間違えたというのは…
母恋しさに、思わず、よく似たものに、近づいた、ということでしょうか?
子龍はわたしに尋ねました。
お母さんって、柔らかくて、優しいもの、なんでしょう?
それは、まあ、お母さんによるかなあ……
絶対、そうだよ。
僕、お母さんに、会ってみたい。
なるほどなあ、とわたしは思いました。
わたしも、一応、故郷には、母、がおりますから。
子龍の気持ちも分からないこともないなと思いました。
お母さんに会ったら、だっこしてもらうんだ。
そうして、よしよしってしてもらって。
眠るまで、子守歌、歌ってもらうんだ。
子龍は夢を語るような目をして言いました。
そんなことで、ええのんか?
それやったら、今ここで、叶えたろ。
わたしは思わず子龍に言っておりました。
子龍は驚いた目をしました。
わたしは、任しとき、と胸を叩きました。
だっこして、よしよし、なんやろ?
柔らかく、は、ないかもしれんけど。
どうぞ、遠慮なく、この胸に飛び込んでおいで。
わたしは両腕を、子龍にむかって、思い切り大きく広げてみせました。
子龍の頭は大きいから、こんだけ広げても抱えきれるかどうかわからんかったけど。
いやきっとできる。できるはずや、と思うことにしました。
いいの?と、子龍は最初、ためらっていました。
その子龍にむかって、ええよ、と言うように、わたしは、もう一度、胸を開いてみせました。
すると、子龍は、それはそれは嬉しそうな顔になって、ずーん、とわたしの胸に飛び込んできました。
いや、びっくりしたな。
そりゃ、そうやわな。あの大きさやもの。
船、ひっくり返しかけてたわけですから。
思い切り胸に飛び込んできたら、そら、すごい力やわ。
吹き飛ばされながら、わたしは必死に龍を抱きしめました。
いや、半分は、振り落とされんように、しがみついていたんでした。
けど、よしよし、は忘れへんかったで?
こう、掌を思い切り広げてな?
よしよし。よしよし。って。
いやいや、掌くらいじゃ、龍には伝わらんかもしれへん。
そやから、お次は、腕をいっぱいに伸ばして。
そのうち、からだぜんたいを使って、龍の頭を撫でました。
ところがな。
龍の鱗っちゅうのは、固ったいねん。
おまけに、端っこはこう鋭うなってて、下手に触ったら、すぱーすぱーと切れてしまうんや。
そやけど、約束やもの。
子どもとした約束は守らなあかん。
手も足も顔も、あっちこっち切れたけど、わたしは、よしよしをしながら、子守歌を歌いました。
子龍はにこにこしながら、目つぶってんねん。
そりゃ、痛いけど、その顔見てたら、歌、やめられんかった。
故郷の子守歌、歌うてたら、わたしも思わず自分の母親を思い出してな。
なんや、切のう、なりましたな。
何周、歌ったかな。
子龍はゆっくりと目を開いてな。
わたしをじぃと見たんや。
それからはっとした顔をしてな。
どうしたの?そんな怪我をして?て言いました。
いや、そうやな、あはははは。
わたしは、誤魔化したけどな。
子龍は、気づいたみたいやった。
僕の、せい、だね?
ものすごう、悲しそうに言うんや。
いやまあ、あんたのせい、ちゃうよ?
そうは言うてみたけど、ばればれやよね?
まあ、あとは、笑うしかないよね。
子龍は、ぽろり、ぽろり、と大粒の涙を零してな。
なんかそれ見てたら、わたしのほうが悪いことをした気分になったな。
ごめん。
いろいろとその、わたしが知らんかっただけや。
このくらい、舐めといたら治るから、気にしぃなや。
舐めたら、治るの?
子龍はそう言うと、いきなり、べろ~ん、とわたしを舐めました。
いや、びっくりしたな。
ほんまに舐められるとは思てへんかった。
けど、不思議なこともあるもんで。
子龍に舐めてもらったところは、ほんまにたちどころに、傷が治ったんや。
うわ。すごいわ。
ほんまに、舐めたら治った!
驚くわたしに、子龍は首を傾げます。
舐めたら治るって、言わなかったっけ?
犬猫やあるまいし。
ほんまに舐めるわけやないけど。
でも、おおきに、有難う。
きれいに治ってもうたわ。
わたしは子龍にお礼を言っていました。
ううん。お礼を言うのは僕のほうだよ。
子龍は大きな頭を振って言いました。
お母さん、って、こんな感じかな、ってちょっと分かった。
それは、よかった。
わたしも、頑張ってやってよかったと思いました。
ねえ、僕の背中に乗って、このまま一緒に来てくれないかな?
子龍はおねだりをする子どものように首を傾げて言いました。
けど、わたしはそれを聞いてあげるわけにはいきませんでした。
ごめんやけど。
わたしには使命があるんや。
それを果たすまでは、勝手にどこかへ行くわけにはいかへんねん。
使命?と尋ねられたので、わたしは、不老長寿の仙薬を探していることを子龍に話しました。
へえ。不老長寿の仙薬?
そんなものがあるんだ。
どうやろな?
あるかないかは分からんけど。
探してこい、て、命令されたからには、見つかるまで探すしかないな。
もしかしたら、一生、探し続けなければならないかもしれへんけどな。
子龍はふうん、と残念そうでした。
このまま連れて行きたかったなあ。
なんやそれ、熱烈な愛情表現みたいやけど。
まあ、そのうち、あんたにも、そう言う相手もできるわ。
わたしは思わず笑ってしまいました。
じゃあ、僕は行くよ、と子龍は言いました。
だけど、何かお礼はしなくっちゃ、と言いました。
律儀なお子さんや。
けど、子どもはそんなお礼とか考えんでええんやで?
一度は断りました。
けど、子龍は頑固に頭を振りました。
何がいい?と尋ねられたんで、迷わず、不老長寿の仙薬、と言いましたけどな?
それは知らない、と言われました。
ほんならな、この海のむこうにあるという、不思議な島へ送ってください。
わたしはそう頼みました。
仙薬はそこにあるいう話しやし。
ひとっとびにそこへ行けたら楽ちんやんか。
嵐に遭うたり、船旅はもう懲り懲りや。
わたしももうそろそろ、固い地面を踏みしめたいんや。
すると、子龍は、お安い御用だ、と頷きました。
はっと気づいたらな、辺りの海は鏡のように凪いでいました。
いつの間にか、子龍の姿は見えんくなっていました。
そして、すぐ目の前にその島はありました。
温かい陽射しが差してきて、嵐も抜けたみたいでした。
いや、途中から、あれは嵐のせいなんか、子龍のせいなんか、よう分からんかったけども。
船倉に閉じこもっていた仲間たちも、様子を見に出てきました。
そうして、その島を見て、大喜びしていました。
よくよく見ると、船はもう、ぼろぼろでした。
あのままやったら、もしかしたら、島に辿り着く前に沈んでいたかもしれへん。
わたしは、子龍のおかげで命拾いしたと思いました。
あの龍に似た舳先も、ぽっきり折れて、どこかへ行ってしまっていました。
わたしは、もしかしたら、子龍がお土産に持って行ったんかもしれへんと思いました。
その島には、大きい船をつけられるところはありませんでした。
わたしたちは、小舟を下ろして、島へ渡ることにしました。
最低限の荷物だけ小舟に移して、十二人、全員小舟に移ったところで。
ゆっくり、ゆっくりと、船は沈んでいきました。
あれ?嬢ちゃん、まだ、寝てへんのか?
はあ。なんやて?
続きが気になって、寝られへん?
それ、あかんやん。
逆効果やん。
え?作り話、ちゃうよ?
これ、ほんまにあったことや。
信じられへんて?
そらまあ、信じるも信じないも、嬢ちゃんの勝手やけど。
それから、どうした、て?
島に渡った、十二人は、て?
……そやなあ……
ここまでは、ちょっとええ話し、みたいやったんやけど。
ここからは、そんな、ええ話しでもないんや。
それでも、聞くか?
そうか。
まあ、そう言うんやったら。
ほんま言うたら、わたし、この話し、人にしたのは初めてなんや。
ずーとずーと、黙ってましてんや。
けど、まあ、他ならん、嬢ちゃんのお願いやし。
聞いてあげようか…
けど、覚悟しいや。
ここからは、ほんま、ええ話しやないからな。




