第二十二章 ~地蔵
明け方。
ほとほとと襖を叩く音に凪砂ははっと目を覚ました。
一晩中眠らない花街も、ひっそりと、蒼い朝に沈んでいる。
急いで上衣を羽織り、そっと襖に近づいて、潜めた声で誰何した。
「どちらさまかい?」
「凪砂殿。貴島です。」
「おや、白銀様?」
凪砂は驚いたように目を見開くと、急いで襖を開いた。
「ちょいと待っててくださいね。」
急いで夜具を片付けると、卓と座布団を設える。
享悟は丁寧に座布団を避けると、緊張した面持ちでそこへ座った。
凪砂は火鉢にかけた鉄瓶で急いでお茶を淹れようとしたが、慌てて熱いつるを直に手で持って、落とした鉄瓶が灰の中にひっくり返り、盛大な煙が立っていた。
「あの。どうか、お構いなく。」
その惨状に見かねた享悟が、掌を立てて断りの仕草をする。
凪砂は苦笑して、すいませんねえ、と頭を下げた。
「寝起きなもんだから、頭がしゃんと働いてなくて。」
「このような朝早くから申し訳ない。」
ゆっくりと頭を下げる享悟を見ていた凪砂は、少し眉をひそめて言った。
「少し、お痩せになったのではありませんか?」
「このところ不摂生をしておりまして…」
「護法様といえど、からだは大事。
朝餉は?
板場に行けばなにかあるかもしれない。
見繕ってまいりましょうか?」
「いえ。それもどうか、お構いなく。」
享悟はもう一度掌を立ててから、そんなことより、と切り出した。
「キギスが部屋いいないようですが。
どこへ行ったかご存知ありませんか?」
「へ?
キギスなら、白銀様のところへ参りますと、もうずいぶん前に…」
凪砂は言いかけて、あっちゃー、と額に手を置いた。
「まさか、行き違いになってしまいましたかね。
まったく、あの妓もそそっかしい。」
でもね、と凪砂は享悟のほうを見て続けた。
「白銀様からなんの頼りもないと。
あの妓はあの妓なりに、心配していたんですよ。
お客様のご事情に口を挟むのはご法度ですけれども。
せめて、文なと、寄越してやっていただければ…」
「…申し訳ない…」
享悟は深々と頭を下げてから、確認するように尋ねた。
「キギスは、僕のところへ行く、と言っていたのですね?」
「…ええ…」
凪砂は戸惑うように頷いた。
享悟は、そうか、と小さく呟いてから、もう一度顔を上げて凪砂を見た。
「つかぬことをお伺いします。
どうか、怒らずに聞いていただきたい。」
凪砂は、何を言われるのだろうと言う顔をしながらも、はい、と答えた。
「凪砂さんは、昔、都にいらっしゃったのではありませんか?」
「…ええ、まあ、はい…」
凪砂は曖昧に頷く。
それに享悟は重ねて言った。
「ご夫君のお名前は、照太殿、とおっしゃるのでは?」
警戒するような目をむけながら、凪砂は、もう一度、ええ、と頷いた。
しかし、それに続けた享悟の言葉を、凪砂は激しく遮った。
「……お子様は」
「ありません!」
強く否定するだけでなく、自ら続けて早口で言った。
「照太様は護法様でした。
護法様は子は成されないものです。
それに、照太様は、もはや、この世にはおられません。
今さら、お咎めなど…」
「咎めに来たわけではありません。」
今度は享悟が凪砂の台詞を遮った。
そして、淡々と続けた。
「…照太殿の最期を、貴女はご存知なのですか?」
凪砂は目を見開いた。
それから、無意識のように胸に手をやり、そのまま顔をそむけた。
「…照太様は…この胸の中に、いつまでも、生きていらっしゃいます…」
享悟はその凪砂の様子をじっと見つめて言った。
「そう。
照太殿は、ちゃんと護法の務めを果たした。
守護を護り切ったのですね?」
凪砂ははっとしたように享悟の顔を見つめた。
その目は何かを探るようにじっと享悟を観察していた。
享悟は淡々と頭を下げて続けた。
「お辛いことを思い出させて申し訳ない。
けれど、照太殿の帰りをずっと待っていた人に、そのことを教えてあげたかったのです。」
「…それは、ミナ、様、ですか?」
恐る恐るというように凪砂は尋ねた。
「名前をご存知でしたか。
それも、照太殿から?」
「…島で待っていてくれるのだとおっしゃっていました。
大切な、妹みたいな方、だと。」
「水七殿は、ずっと照太殿の帰りを待っておられました。
芯の強い優しい方です。
けれども、その柵からもようやく解放されて、先ごろ、嫁いで行かれました。」
「まあ!ご結婚なさったのですか?
それはお目出とう存じます。」
凪砂は心底嬉しそうに言った。
それに享悟も優しく笑い返した。
「水七殿のご夫君は、ずっとそんな水七殿を待っおられた方です。
今は、ご夫婦、仲睦まじく、お暮しですよ。」
「それはそれは。
よかった。本当によかった。」
凪砂は、本当に、心の底から喜んでいるようだった。
「照太様は、いつも、水七様のことをお気にかけていらしたのです。
お会いして直に謝りたいけれど、もう、会うことは叶わない、とおっしゃって。」
「そのお言葉、お伝えしておきましょう。
…もっとも、僕が無事に島に帰れたら、のお話しですが。」
享悟は軽く微笑んでから、すっと表情を消して再び尋ねた。
「以前、キギスに尋ねさせたとき、貴女は、係累はない、とおっしゃったと聞きました。
それは、今も、変わりませんか?」
凪砂は探るような目をして享悟を見ながら、ええ、と曖昧に頷いた。
「それを尋ねられたら、天涯孤独と答えるのは、あたしたちの常道なのですよ。」
「もう一度、お尋ねいたします。
そのお気持ちにお変わりはありませんか?
…お子様にお会いになりたいとは、お思いになりませんか?」
しかし、享悟に重ねて尋ねられると、凪砂は、迷うように目を泳がせた。
けれど、目を逸らせたまま、一度だけ、首を振った。
「…いいえ、やっぱり、あたしには子はありませんよ。
護法様は、子を成すことはありませんからね。」
もう一度そう言い切ってから、それにね、と凪砂は小さくため息を吐いた。
「よしんば、子があったとして。
ここで一緒に暮らすなんて、できません。
けれど、あたしにはもう、外の世界で生きることも、できないんですよ。」
凪砂は、その手でまた胸のあたりをそっと抑えながら続けた。
「…友だちの話しをしてもいいですか?
その人は、護法様のお子を身籠ったのです。
しかし、護法様のお子は産んではいけないきまり。
見つかったら、ただではすみません。
護法様はその人を身請けしてくださいましてね。
その人は、子どもとふたり、隠れて暮らしておりました。
護法様は、一緒に暮らすことはかないませんでしたけれど。
いつも近くにいて、見守っていてくださいました。
しかし、島の掟から逃れることは、誰にもできませんからね。
あるとき、島から大勢の追手が、その人の許にやってきたのです。
護法様はその人を助けようと必死に戦ってくださいましたけれど。
その人は、命にも関わるほどの大怪我を負ってしまいました。
ところが、たまたま、その日は、子どもの帰りが遅くて。
おかげで、子どもは命拾いしたのです。
子どもを助けてくださったのは、身形のいい、どこかの若君でした。
きっと、今頃は、その若君にお仕えして、どこかで幸せに暮らしているのではないでしょうか。
それならばね。そのほうがきっと幸せだと。
その友だちは、言っておりましたよ。」
訥々と語る凪砂を、享悟はじっと見つめたまま、黙って話しを聞いていた。
そして、凪砂が語り終えると、ぽつり、と言った。
「リンは、生きています。
健やかに成長し、優しく美しい娘になりました。」
凪砂ははっとしたように目を上げた。
「…どうして、白銀様が…?」
「僕は、あのとき、リンを攫った鬼です。
姿は、随分、変わってしまいましたけれど。
この傷を、覚えていませんか?
貴女がクナイを突き立てた傷です。」
享悟は袖を捲り上げて、腕の傷を凪砂に見せた。
凪砂は、享悟の傷をまじまじと見つめてから、強く首を振った。
「攫った鬼だなんて!
そんなことはありません!
あのとき、若君が救ってくださらなかったら、リンは殺されていたかもしれません。
貴方はリンの命の恩人です。」
「命の恩人なのは、リンのほうです。
僕は、あのとき、リンと出会っていなければ、今頃、生きていませんでした。」
享悟は凪砂のほうに手をついて深々と頭を下げた。
「僕は、一目貴女にお会いしたときから、気づいておりました。
どうか、お許しください。
お預かりした大切な宝を、本当は、お返ししたくなかったのかもしれません。
だから、何かと理由をつけては、僕は、貴女に本当のことを言わずにいました。」
「まあ、どうか、手をお上げください。
貴方はあの子を救ってくださった大恩人です。
それは、あんな状況では、言ってよいものかどうか、迷われても当然です。
何より、あたしは、貴方を、殺そうとしたのですから。
しかし、あのとき、リンは、貴方のことを、大切なお友だちだ、と言いました。
あの子が誰かのことをそんなふうに言ったのは初めてでした。
だから、あたしも、貴方になら、リンをお任せしてもいいと思いました。
あの子には本当に人を見る目がある。
あの子を貴方に預けて正解だったと、本当に、感謝しかありません。」
凪砂は享悟の手を取って顔を上げさせた。
享悟の顔を見て笑いかける凪砂は目にいっぱい涙を溜めていた。
その目を見つめて、享悟は言った。
「リンは僕を救ってくれました。
そうして今も僕の魂を守ってくれています。
けれど、僕にとってリンは、いつか月に返さなければならない姫君です。
そのことは、ずっと、肝に銘じてきました。」
「…リンは、今、幸せにしているんですか?」
涙をいっぱいに溜めた目で、凪砂は享悟を見つめた。
享悟は、ひとつため息を吐いてから、答えた。
「僕は、叶うならば、思い付く限り贅沢な暮らしをリンにさせたいと思っているのです。
ただ、あの子はあまりそういうことは望んではいないようです。
けれど、リンの口にする望みを叶えるわけにはいかないから…
だから、今は、リンは、あまり幸せでは、ないかもしれません。」
「そんなことはないと思いますよ?」
微笑みながらそう答えた凪砂の目から、ほろりと大粒の涙が零れて落ちた。
「こんなに大切にしてくださる方のお傍に、あの子はいるのですから。」
凪砂と目が合った享悟は、うっ、と息を飲むと、そのままほろほろと涙を零した。
そんな享悟の背中を、凪砂は、有難う、有難うと呟きながら、優しくさすった。
「そのお言葉。僕は生涯、大切にいたします。」
享悟は凪砂にむかって深々と頭を下げた。
「あの子が幸せで本当によかった。
どうか、あたしのことは、あの子には話さないでくださいまし。」
凪砂は享悟にそう言うと、頭を下げた。
「あたしのことなど忘れて、どこかで幸せに生きられるのなら、それが一番です。
それに、ここでしか生きられないあたしにも、それなりの幸せが、あるのですよ。」
「ここで貴女は大勢の方から慕われておいでだ。
ここの皆にとって、貴女はかけがえのない人でしょう。」
享悟の言葉に照れたように、凪砂は笑ってみせた。
「本当にそうだったらいいのですけれど。
ただ、皆の世話をしているのは楽しいのですよ。
それにね、おそらくは他人の空似なのでしょうけれども。
世話をしていてとても楽しい人もいるのです。」
「とても楽しい、人?」
問い返した享悟に、凪砂は秘密を打ち明けるように言った。
「白銀様の大切な、キギス、雉彦さんです。
あの人は、とても面白くて。
なんだか、本当の息子のような気がしてくるのですよ。」
「それは…
まあ、あの、人懐っこさは、特別製ですからね。」
享悟はわずかに苦笑した。
「ええ、そう。
人懐っこくて、おっちょこちょいで。
どこか、ほうっておけないと言うか。
自分ではしっかりしているつもりなのでしょうけれど。
傍から見ると、あれこれと、危なっかしくてね。
それでいて、情に脆くて、優しいところもあって。
本当に、見ていて飽きないのです。」
雉彦のことを語る凪砂の目は、どこか優しかった。
「あの子のお母様は、いったい、どんな方なのでしょうね?
きっと素晴らしい方なのでしょう。
白銀様は、ご存知ありませんか?」
「家族仲はよかった、と聞いています。
雉彦は、大家族の長男だったそうですけれど。
自分は皆の面倒を見ていたのだと、よく言っていました。」
「それで?
そのご家族は、今も故郷に?」
「いえ。
故郷は戦に…」
享悟は言葉を濁したけれど、凪砂は、それだけで、まあ、そうでしたか、と気の毒そうな顔になった。
「帰ってきたら、何か、好物を作ってあげましょう。
いったい何事かと、また怪訝な顔をするでしょうけれど。
その顔を見るのがまた、楽しくて、やめられません。」
気を取り直すように明るく言う凪砂に、享悟もひとつ頷いた。
「そうしてやってください。
意地を張っているけれど、根は寂しがり屋だし、人の優しさに脆いんですよ。」
凪砂も微笑んで頷いた。
「ところで、もうひとつ、教えていただきたいことがあるのです。」
続けて尋ねた享悟に、凪砂は、なんでしょう、と軽く聞き返した。
「…これは、郷の秘密かもしれませんが…」
享悟はそう前置きをしてから言った。
「子捨ての郷、について、なにかご存知なことはありませんか?」
「子捨ての郷、ですか?」
凪砂は用心深く何かを考えるようにしながら答えた。
「ええ、確かに、そこは昔、娼妓たちが育てられない子どもを捨てに行ったところです。
しかし、もうとうに、なくなった、と聞きますよ?」
「ええ。
しかし、花街の娼妓たちは、子どもを預けられる場所がなくなっては困るでしょう?
その郷がなくなった後、娼妓たちは、子どもを預けなければならなくなったとき、どこに連れて行くのでしょうか。」
凪砂は目を丸くしてから、享悟のことを、じっと見つめた。
それから、何かを諦めたように、小さくため息を吐いた。
「白銀様のお目を誤魔化すことなど、できますまいね。
それに、白銀様のお人柄ならば、よく存知ております。
だから、これは、白銀様だけにお話しいたします。
しかし、郷の娼妓たちにとっては、大切な秘密。
くれぐれも、他言無用に願いますよ?」
頷く享悟に、凪砂はその秘密を話してくれた。
***
郷からほど近い森の中。
一体の地蔵が立っていた。
元は、雨ざらし、吹きっさらしだったという。
しかし、今は、立派な屋根がつけられて、周りには供え物もたくさんあった。
地蔵堂の屋根には、たくさんのてるてる坊主がぶら下げられている。
我が子の健康を願う親たちが奉納していくのだと言う。
そのなかには、預けた子どもの幸せを願うものも混じっているらしい。
子捨ての郷と呼ばれていた郷は、戦に巻き込まれて焼き討ちにあってしまった。
しかし、その住民は、少し前に、郷から避難していて、全員助かったらしい。
ただ、その移転先は、誰にも明かされなかった。
この地蔵は元、郷のあった場所に作られたものだそうだ。
尾花の娼妓は、子どもを預けなければならなくなると、この地蔵のところへ連れてくる。
地蔵の前に子どもを起いて、てるてる坊主を握らせておくと、どこからともなく地蔵の使いが現れて、子どもを連れて行くらしい。
凪砂の明かしてくれたのは、そういう秘密だった。
享悟は子捨ての郷について、何か手掛かりはないかと、地蔵堂の中を探るようにしていた。
と、ふと、地蔵の脇に小さな墓石があるのに気づいた。
照 享年十歳
墓石にはそう刻まれてあった。
若いという以上に幼い。まだ子どもだ。
この地蔵は元はその子どものために建てられたものだったのかもしれない。
そのとき突然、背中から甲高い声が響いた。
「あのう…」
幼い少女の声に、心底驚いて享悟は飛び退いた。
振り向いたそこには、初めて会った頃のリンと同じ年頃の少女が立っていた。
「あ。え、っと…あの…何かな?」
享悟はその場に膝をつき、できるだけからだを小さくするようにして、少女に声をかけた。
護法の姿は子どもにはさぞ恐ろしいだろうと想像はつく。
怖がらせたくはなかった。
少女は享悟に怯えることもなく、とてとてと近づいてきた。
享悟のほうが気後れして、ますます、からだをすぼめるようにして小さくなった。
「あの。はい。」
少女はそう言うと手に持っていた小さな袋を享悟のほうへ差し出した。
袋を受け取った享悟は、しげしげとそれを観察した。
それは古ぼけた小さな守り袋だった。
表には照の文字が、大きく縫い取りされている。
中を開くと、銀色の手鏡がひとつ入っていた。
「それから、これ。お手紙。」
「手紙?誰から?」
享悟は目を丸くして少女を見返した。
少女は手紙を享悟に押し付けるようにして言った。
「たゆうのおに…おじ、ちゃん。」
「鬼おじちゃん?」
「ううん。おじちゃん。
お兄ちゃんって呼んだら、あの人は結構年取っんだ、ってお兄ちゃんが…」
少女はもごもごと説明しようとして、うまく言えなくなったのか、困ったように口を閉じた。
「このお墓をじぃぃぃっと見てる人がいたら渡して、って。
この間、郷に来たときに頼まれたの。
だから、あたし、毎日ここにいて、お墓、見張ってたの。」
「ずっと、見張って、いた?」
享悟ははっとした。
ずっとここには誰の気配もなかった。
声をかけられるまで、享悟は、少女の気配にはまったく気づかなかった。
さっきから感じていた違和感はそれだったのかと思った。
目の前の少女には不思議なくらいに、気配というものがまったくなかった。
「あたし、かくれんぼ、得意。
だから、ずっと、見張ってて、って。
たゆうの、おに、おじちゃんに、言われて。」
何度もお兄ちゃんと言いそうになってはおじちゃんと言い直す。
少女は太夫という人物を、お兄ちゃんと呼んで慕っているらしかった。
「太夫のお兄ちゃんと、君は仲良しなの?」
なるべく優しくそう尋ねると、少女は嬉しそうにうんと頷いた。
「太夫のお兄ちゃんは、とっても面白いんだ。
郷の子どもはみぃんなお兄ちゃんが大好き。
お土産もいっぱいくれるし、面白いお話もいっぱいしてくれるし。
それから、ぴょぉぉぉんって、上手に飛ぶんだよ?」
両手を振り回して身振り手振り元気よく語ってくれた。
享悟はわずかに首を傾げる。
少女の話しから想像するに太夫は旅芸人のようなものらしかった。
このような山奥にも、旅芸人というものは訪れるものだろうか。
いや、それよりも、元々、この土地に縁のある者かもしれない。
この地の出身者か、あるいは、よほど深い関わりを持つ者…
旅芸人に身をやつし、諸国を巡り歩いては、ときどき故郷に戻る。
外の世界の文物や情報を郷にもたらす、そういう役割を担う者。
「あとは、そのお手紙を見て、って…」
少女は困ったように享悟に渡した手紙を指さした。
おそらく、太夫にそう言い含められているのだろう。
享悟は言われるままに手紙の封を開けた。
折りたたまれた紙を開き文字に目を通していく。
その目はみるみるうちに驚愕に見開かれていった。
「…お兄ちゃん?」
不安そうな声にはっと我に返った。
目の前の少女は怯えた目をして享悟のほうを見つめていた。
「それは、怖いお手紙だったの?」
「ああ、いや…、驚かせてごめんね?
そうだ、これを届けてくれて、どうも有難う。」
享悟はなるべく優しい笑顔を作ると、懐を漁って小さな菓子の袋を引っ張り出した。
「これ、お礼だよ。」
そう言って差し出したけれど、少女は怯えた目をして首を振るだけで、手を出そうとはしなかった。
「甘いお菓子だよ?」
優しく言ってもう少し手を伸ばしたけれど、少女はますます怯えたようにからだを固くした。
「…ごめん、怖がらせてしまったんだね。」
享悟は残念そうにそう呟くと、ふと、思いついたようにあの墓碑を振り返った。
「ここは、誰のお墓なの?」
「それは、一番上のお兄ちゃんのお墓。」
怯えつつも少女は答えてくれた。
「一番上?」
「そう。あたしが生まれる前に死んじゃったんだって。
郷のみんなを守って死んじゃった、って。
だからここにお墓を作ったんだ、って。」
ふいに、享悟の手から、守り袋に入っていた手鏡が転げ落ちた。
手鏡はころころと少女の足元まで転がっていった。
反射的に手鏡に手を伸ばした少女は、それを拾うと、恐る恐る享悟のほうへと差し出した。
「…はい。」
「どうも有難う。」
少女の親切に礼を言いつつ、享悟は受け取るときに、そっとその手鏡を盗み見た。
手鏡には少女と享悟がくっきりと映っていた。
けれど、周りにあるはずの風景は、森も、地蔵も、なにひとつ、映ってはいなかった。
「…なるほど。」
思わず呟いてしまったその低い声はまた少女を怯えさせてしまったらしい。
少女は急いで享悟から離れると、後ろの草むらの辺りまで後退る。
すると、がさり、と音がして、草むらのなかから、何人か子どもたちが姿を現した。
子どもらはみな少しずつ年が違っているようだった。
けれど、みな一様に、享悟に対して警戒の目をむけていた。
「君たちはみんな、このお墓の人の兄弟なのかい?」
「ああ、そうだ。」
享悟に尋ねられて、一番年かさに見える少年が代表するように頷いた。
「用は済んだんだろ。さっさと帰れ。」
少年は続けてそう言うと、妹を背中に庇うように隠した。
享悟は気づかれないように手に持った鏡で少年たちを映してみた。
見事に全員が鏡に映っていた。
「帰れ、帰れ。」
「かえれ、かえれ。」
子どもたちは享悟を見据えたまま、口々にそう言いだした。
「帰れよっ!」
こつり、と石が飛んできた。
無意識に頭を庇った腕に、ばらばらと石が当たった。
「…っ…」
享悟は頭を庇う腕の隙間から、子どもたちを見渡した。
誰も、似てない、な…
さっきの菓子の袋を地蔵の前に供え物のように置く。
その背中にさっきよりもう少し大きな石が飛んできた。
「帰れっ!」
子どもたちの投げる石は次第に大きくなっていく。
いくつかは享悟のからだを傷つけ、血を流した。
享悟は地蔵にむかって一度だけ手を合わせると、急いでその場を立ち去った。




