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花咲鬼  作者: 村野夜市
27/42

第二十一章 ~家族

そのまま訪ねるのかと思ったら、その日は平助は岬に使いをやっただけだった。

実際に訪れるのは後日になるらしい。

その時になったら連絡をするから、と言われて、リンはいったん高倉の家に帰った。


翌朝、早速、水七からの使いが来た。

午後にも岬から迎えが来るという。

岬の屋敷なら案内されなくても場所は分かる。

けれど、案内なしに勝手に訪ねるのも失礼にあたると言われて、リンはおとなしく待っていた。


すると、午後になって、岬の家から迎えの輿が寄越されてきた。

それがまた、都の姫君でもなければ一生縁のなさそうな、豪奢な輿で、リンはびっくりした。

着物もいつもの野良着のままだったし、髪も、享吾からもらった簪を一本挿しただけだ。

しかし、身支度をする間、迎えの者を待たせておくのも気がひける。

仕方なく、そのまま輿に乗った。

輿なんてものに乗ったのも生まれて初めてで、転げ落ちないようにするのが大変だった。

揺れる輿の上で必死に踏ん張っているくらいなら、自分で歩いて行きたいと何度も思った。


岬の屋敷は、十頭領の屋敷のひとつだけあって、なかなかに厳粛な門構えだった。

門はあっても開きっぱなしの嘉島の家とは大違いだ。

リンは土をまったく踏まずに高倉の家から岬の屋敷の奥座敷へと運ばれていった。


通されたのは立派な庭園の見える、だだっ広い客間だった。

広い広い部屋なのに、リンは緊張して、なるべく小さくなろうとした。


水七と平助は先に着いていた。

平助の脇には、豪華な包みが山のように積み上げられていた。

そのときになって、リンは、手土産も持たずに手ぶらで来てしまったことに気付いた。

水七も平助もまるでひな人形のような煌びやかな衣装に身を包んでいた。

普段着のまま来てしまったリンは、なんとなく落ち着かなかった。

あまりに立派なお座敷に、普段は口数の多い平助さえ、言葉を失っている。

水七は実家だというのに、嘉島の家にいるときよりも、緊張しているようだった。


座敷の主人の座に座っていたのは、まだ子どもといってもいいくらいの少年だった。

水七のことを、叔母上、と呼んで、親し気に談笑している。

しかし、この座敷の中で笑っているのは、その少年だけだった。

岬のご当主の子息だろうかとリンは思った。


座敷に通されてきたリンを、少年は礼儀正しく立ち上がって出迎えた。

背はリンよりも心持ち高いけれど、綺麗な目と高く澄んだ声をしていた。

少年は、リンのほうを一目見て、いきなり、へえ、と無遠慮に呟いた。


「白銀様の守護姫って、いったいどんな姫君なんだろうと思ってたけど。

 案外、普通なんだ。」


「これ、灯!」


たしなめるように水七が名前を呼ぶ。

灯はへへっと悪びれもせずに肩を竦めてみせた。


「ごめんなさい、えっと、その、リン姫?」


リンは慌てて両手を振った。


「あ。あの、わたしは、姫って、柄じゃない、ので…」


「リン様、のほうがいい?」


「ただのリンでお願いします。」


「うん。じゃあ、リン姫、僕ね、ずっと貴女に会えるのを楽しみにしてたんだ。

 母様も貴女に会ってみたい、って。

 爺様はまだお仕度に時間がかかるみたいだから。

 よかったら、ちょっと母様のところに来てくれない?」 


無邪気な笑顔で押しが強い。

困って水七のほうを見ると、水七は苦笑して言った。


「すみません、リン様。

 義姉上は恥かしがり屋さんで、あまりこのような場には来られない方なのです。

 よかったら、少しだけ、お顔を見せて差し上げて頂けませんか?」


水七にまで言われて、リンは頷くと、灯の後について座敷を出た。

座敷の外に出ると、灯はさっきまでの笑顔は引っ込めて黙ってすたすたと歩き始めた。

灯に置いて行かれないように、リンは慌ててその後を追いかけた。

屋敷の中は広くて、長い長い廊下が続く。

角を曲がって、その先もまた長い長い廊下を歩いて、というのを何度か繰り返した。

こんなところにひとりきり置いて行かれたら、もう二度と水七たちとは会えなくなりそうだ。

そう思ったリンは、ひたすら黙って灯について歩いた。


そうしてたどり着いたのは、納戸のような壁に囲まれた小部屋だった。

中に入って、リンは驚いた。

そこには金糸銀糸緋に藍に純白。

ありとあらゆる贅を凝らした煌びやかな衣装が所狭しと掛けられてあった。


「うふふ。僕の秘密の小部屋へようこそ。」


灯は舌なめずりをしそうな笑顔で、リンを振り返った。


「と、…とも、し、く、ん?」


リンは恐る恐る尋ねてみる。


「こんないじり甲斐のありそうな姫君を見つけちゃあねえ。

 何もしないで返すなんて、ありえないでしょう?ねえ?」


そんなことを尋ねられても困る。

身の危険を感じて思わず後退るリンの後ろで、ぱんっ、といい音を立てて襖が閉められた。


「大丈夫。怖くないよ?」


いや、そう言っておいて本当に怖くない人はそんなにいない。


「僕さ、綺麗なものって、大好きなんだよね。

 だからさ、この世界を綺麗なものでいっぱいにしたいんだ。」


灯は手近な着物を引き寄せると、すりすりと頬ずりをしながらちらりと横目でリンを見た。


「朱か、藍か…淡い色合いのほうが似合うかな…

 襲は若向きの、季節柄…裳はくっきりと引き締めた色で…」


何の呪文やらぶつぶつと唱え始める。


「よし。決ーめた。」


何やら勝手に納得すると、獲物を前にした肉食獣のような満面の笑みでリンを振り返った。


「まだ時間もあることだし。

 ちょっとくらい僕と遊んでくれるよね、お姉さん?」


遊んでちょうだい、でも、遊ぼう、でもない。

そこに断る余地は欠片もなかった。



***



半刻ほど経って…

灯は額の汗を拭う仕草をしながら、満足げな表情で鏡を差し出した。

恐る恐るそれを覗いたリンは、びっくりして腰を抜かしそうになった。

そこにいたのは、別人にしか見えない姿だった。

水七の着ていたものに勝るとも劣らない美しい衣装。

こんなものを身に纏ったのは生まれて初めてだ。

灯はほんのりと薄化粧まで施してくれていた。

紅を塗った唇が、鏡のなかでひときわ鮮やかに見えた。


「ど?なかなかのもんでしょ?」


灯は自分の作品にご満悦のように、にんまりと微笑んだ。


「白銀様はあまり身形に拘らない方だ、とは聞いていたけどね。

 ご自分の守護姫くらい、もうちょっと綺麗にしておけばいいのに。」


そこいらじゅうに散らかした着物を片付けながら、灯は愚痴のように言った。

リンは灯を手伝おうとしたけれど、着物が重くて、身動きができなかった。

それを灯は横目で見ていて、くすりと笑った。


「こんな、ちょーっといじったくらいで綺麗になるんだから。

 貴女なら、結契の儀のときにはさぞかし綺麗だったんだろうね。見たかったな。」


「結契の儀のときも、さっきと同じ格好、だったよ?」


リンがそう言うと、灯は、信じられない、と目を丸くした。


「護法守護の結契の儀は、婚儀と同じようなものでしょう?

 それが普段着って…」


「まあ、わたしたちのあれは、駆け落ち?みたいなもんだから…」


リンは冗談のつもりで笑ってみせたが、灯はむっとしたように振り返った。


「貴島の惣領様ともあろうお方が、そんな腑抜けだったとはね。

 まあ、いいや。

 ねえ、お姉さん、守護を降りたら、僕のところに嫁いでこない?

 僕は岬の後継だし、嫁ぐならそこそこ有望株だと思うんだよね?

 貴女のこと、都の姫君にも負けないくらいの綺麗な花嫁にしてあげるよ。」


「綺麗になるのは…別にいい、かな。」


リンは、へらっ、と笑った。


「それに、守護を降りたときのことなんて、まだ、考えられない。」


いつかはそうなるときがくる。

それは分かっていたけれど、今はまだ考えたくなかった。


灯は、ふうん、と小さく呟いて、あっさり引き下がった。


「まあ、いいや。

 さてと、その恰好で歩ける?」


「え?これで、歩くの?」


リンが目を丸くすると、灯はくっくっくと肩を揺らして笑った。


「姫というものは、そういう格好をしてても、屋敷のなか、歩き回ってるんだよ。」


「意外と体力あるんだねえ?」


感心したように言うリンに、灯はたまりかねたように声を上げて笑い出した。


「なんなら、輿、呼んできてあげようか?」


「いや、いいよ。なんとか、歩いて、みる。」


裳の裾を両手でからげて歩こうとするリンに、灯はお腹を抱えて笑った。


「ちょっ、なんだよ、それ、折角作ったのに、台無しだろ?」


「いや、だって、このままじゃ、裾踏んで…っとととと」


思わず転びそうになったのを、灯はひょいと片手で支えた。


「まったく、仕方ないなあ。」


灯は楽しそうにそう言うと、ひょい、とリンを抱え上げた。

鬼の血筋だけあって、子どものようでも力はあるようだ。


「えっ?ちょっ?おろして?」


享吾以外にはこんなことをされたことのないリンは、焦って暴れだす。

その耳元で、灯は少し低い声で言った。


「しっ。暴れたら、落としちゃうよ?」


「いや!でも!」


「叔母上たちのいる座敷までだよ。

 こうして運んであげないと、いつまで経ってもたどり着けそうにないでしょ?」


「うぅぅぅぅぅ…

 いや!なんとか自力で行きます!お構いなく!」


びしっと掌をむけて断った、つもりが、笑い飛ばされていた。

灯は、にやっと笑うと、意地悪そうな笑みを湛えて言った。


「そういや、爺様の前に、父上も一言ご挨拶を、とか言ってたっけ。

 あの人の来る前に戻っておかないと、お説教、くらうよ?」


「ひぇ?お説教…?」


なにかと手厳しい水六の噂は、水七から嫌というほど聞いている。

途端に勢いを失くすリンに、灯はまた小さく笑った。


「そう。あの人のお説教は長いんだから。

 しかもさ、こっちの痛いことばかり、延々延々と…」


「う、うう、う、それは…」


迷った隙に、灯はリンを抱えたまま、もうすたすたと廊下を歩きだしていた。


長い長い廊下を歩いていると、ときどきすれ違う者があった。

彼らはみな、灯を見ると、すっと脇に避けて目を伏せる。

それに灯は軽く目配せだけして、堂々と歩いていく。


ふっ、とリンは、前にもこんなことがあった気がした。

風が吹いた田圃のように、並み居る人々が頭を下げる。

その真ん中を、すたすたと歩いていく…

あれは、ワカギミ?

あのことは、夢だった、気がしていたけれど…


「何を考えているの?」


灯の声にふと我に返る。

いつの間にかさっきの座敷についていて、灯は襖の前にリンを下した。


「このまま入っていったら、流石に、僕らの婚約を纏められてしまいそうだからね。」


灯は悪戯を企む子どものように肩を竦めて笑った。


「もっとも、僕としてはやぶさかじゃないから。

 貴女も、さっきの話、もう一度よく考えておいてね?」


そう念を押してから、灯は襖を開いた。


「まあ、リン様。おかえりなさいませ。」


そう言って微笑んだのは水七だった。


「ほう?」


低く響いた声に、リンはどきりとしてそちらを見た。

紹介されなくても一目で分かった。

ゆったりと座っていたのは、岬の現当主、水七の実の兄上だった。

青白い肌と線の細い顔立ちは、岬家の血筋なのだろうか。

面差しは水七とも灯ともよく似ている。

水七とは年子のひとつ違いだと聞いた。

幼いころは取っ組み合いのけんかもするやんちゃ坊主だったらしいけれど。

もうずっと前に嫁を取り、家を継いだ当主の貫禄は、年齢よりも老成して見えた。


「ご当主、さま?

 あ、あの、はじめまして。リン、と申します。」


リンは慌てて座ると、急いで手をついて頭を下げた。

遅れたら叱られると灯に言われたことを思い出して、心臓がどきどきしていた。


「そんなことは、しなくていいよ、リン殿。

 いやあ、しかし、こんなに美しい姫君だったとはね。

 なるほど、享吾のやつが、外に出さないはずだ。」


岬の当主、水六は、軽い調子でそう言うと、ゆったりと優雅に会釈をした。


「わたしは岬の当主、岬水六と申します。」


「え?みろく…様?」


思わず聞き返してしまったリンに、水六は僅かに苦笑した。


「仏様とは関係ありませんよ。水に六でミロク。

 うちの兄弟の名前はみな、水に生まれ順の数字のついた名なのです。

 まあ、遊び心満載の親を持つと苦労するというか。

 いや、もしかすると途中からは子の名をつけるのさえ面倒だったのか…」


「…はあ…」


これは笑っていい冗談なのか、それとも真面目に傾聴すべきなのか。

いまいち判断つきかねて、リンは曖昧な相槌を返した。


水六は小さく咳払いをすると、改めて言った。


「評判の守護姫にお目にかかれて、恐悦至極。

 灯、お前も、姫にお相手して頂いていたのかい?」


「はい。父上。

 姫はとてもお優しくて、僕とも遊んでくださいました。」


灯はさっきとは打って変わって、素直な子どもよろしく、背筋を伸ばしてはきはきと答えた。

ぎょっとして思わず振り返ったリンのほうは見ようともせずに、水六に宣言する。


「姫が守護を降りた折には、是非、わたくしのお嫁様に頂きたく存じます。」


「へえ~、お前の?」


水六は面白そうに息子を見る。


「お前もなかなか、目は確かなようだな?」


「父上の息子ですから。」


あはははは、と笑う二人に、リンはぞくりとした。

どちらも笑っているのに笑っていない。

思わず首を竦めると、横からはらはらしたようにこっちを見ていた水七と目が合った。


「兄上さま。そのようなお話、今ここでなさるのは、どうかと。」


たしなめるように口を挟む水七に、水六は、けろりとして返した。


「守護の降後のことは早めに言っておくに限るからね。

 そうでなくても、リン殿は人気が高い。

 貴島の文悟殿も狙っておいでだと、小耳に挟んだことだし。」


「ちょっと!兄上!」


本気で眉を顰めた水七に、水六はそこで言葉を切ると、灯のほうへ言った。


「さてと。ここからは、お前は退席なさい、灯。

 姉さまたちに遊んでいただくのは、話しの後にしなさい。」


「はい。」


灯はぺこりと頭を下げると、リンにむかって、じゃあね、と手を振って出て行った。

その気安い様子に、水六は感心したようにリンを見た。


「あの子はああ見えてなかなか気難しいところもあるんだけどね。

 貴女はいとも簡単に手懐けてしまったようだ。」


「いえいえ、そんなことは!」


慌てて手を振るリンに、水六は楽しそうに付け加えた。


「ふむ。姉さん女房というのも悪くない、か。

 これほど美しい嫁御寮ならば、わたしも目の保養になる、し。

 これは本気であの子と…」


「兄上!」


水七に鋭く制されて水六は首を竦めると、くくくっと笑った。


「久しぶりの里帰りだというのに、君は相変わらずだな、ミナサン。

 その強い性格はなんとかならないものだろうか。

 平助殿、うちの妹はそちらでご迷惑をおかけしていませんか?」


「迷惑だなどと、とんでもない。

 我が家では大切な宝物をいただいたと、大事に大事にしておりますよ。」


臆面もなく言ってのける平助に、水六は、にやりと笑った。


「まあ、あんなにくれくれと煩く言ってきたのだから。

 今更返すと言ってきても、聞く耳はないけどね?」


「こちらこそ返せと言われても応じかねます。

 水七殿は最早、あたしの最愛の妻ですから。」


にこにこにこ。まったく邪気のない笑顔で平助は返した。

それに水六は毒気を抜かれたようにふっと笑みを漏らした。


「平助殿。水七は貴方のところへ嫁がせて本当によかった。

 過去の暴言の類はどうか許してほしい。

 わたしのことは実の兄だと思って、何でも頼ってください。」


「ご厚情、感謝いたします。

 では、早速、と言ってはなんですけど…」


さっさと話しを始めようとした平助を、水六の笑い声が遮った。


「いやいやいや。

 婿殿はせっかちだな。

 その前に、此度は水七の初めての里帰り。

 まずは、再会を祝して、一献、といきましょう。」


その声を合図に、ささっと一斉に襖が開く。

そのむこうにはお仕着せを着た者がずらりと膳を抱えて並んでいた。


振り返った平助は、一瞬だけ、げっ、という顔をした。

けれどすぐにそれを引っ込めて、振り返ったときには元のにっこり笑顔だった。


「義兄上様には、このようなお気遣い、痛み入ります。」


見事な膳が、それぞれの前に設えられる。

平助は早速自分の膳に付けられていた銚子を取ると、水六の傍らに寄った。


「まずは、義弟の盃を、一献。」


そう言って銚子を差し出すと、水六は嬉しそうに盃を出した。


「わたしはずっと弟が欲しかったんだ。

 いやあ、こんな良い弟ができて、嬉しい限り。」


平助にお酌をされて上機嫌に盃を干す。

すかさず注ぎ足す平助に促されて、立て続けに三杯飲むと、自分の銚子を取った。


「さて、ご返杯といこう。」


それに平助は少しばかり引きつった笑顔で手を振った。


「あ、あたしは、その…あまり…」


恐る恐る、腰から逃げようとする平助を、水六は視線でがっちりと捕まえた。


「なに?わたしの盃は受けられないと?」


「いえ!そういうわけ、では…」


「まあ、いいではありませんか。

 わたしも日頃は妻子の尻に敷かれて、晩酌もままならない。

 せっかくの口実のあるときくらい、つきあってくださいよ。」


「口実って…まだ日も高いのに…」


「まあまあ、そう固いことはおっしゃらずに。

 水七の平素の様子も伺いたいですしね。

 義弟殿は少し緊張しておられるようだから。

 酒の力を借りれば、口も滑らかになろうというもの。

 さ、さ。ぐいっと、まずは一杯。」


にこにこと迫るご当主はとことん押しが強い。

自分の盃になみなみと酒を満たすと、それをぐい、と差し出した。

平助は、うぅ、と唸っていたが、諦めたように盃を取ると一気に飲み干した。


「ほう。なかなかいけるではありませんか。

 これは頼もしい。」


水六は感心したような声を上げると、嬉しそうに盃をもう一度満たした。

平助は今度は躊躇いもなくその盃をぐいとあおった。


「しかし、とっときの都の酒は、この間、来客が全部飲んでしまってねえ。

 まあ、この酒も、悪くはないと思うのだけれど…

 こんなことなら、あっちをとっとくんだったなあ。」


平助はひっくとひとつしゃっくりをすると、やや視線の定まらない目をして水六を見た。


「都のお酒でございますか?

 それなら、今度、嘉島の臨時便がございますから、追加で仕入れされましょう。」


「おお、それはよいことを聞いた。

 やはり、持つべきものは融通の利く親戚だ。」


かくして、何やら二人仲良く酒宴になってしまった。


呆気に取られて様子を見ていた水七は、ため息をつくとリンを振り返った。


「父上様のところには、こちらからまいりましょうか。」


そもそもは岬の前の当主に話しを聞くのが目的だ。

リンも頷くと、水七について座敷を出た。


前の当主は隠居して離れの屋敷に移っているらしい。

そこへ行こうと長い廊下を歩いていると、ひょい、と柱の陰から灯が姿を現した。


「お二人して、どこへ行くの?」


「お爺さまのところよ。」


「爺様なら、さきほど出かけられたそうだよ。」


「え?」


あっさり言った灯に、水七は信じられないという目をむけた。

水七が会って話をしたいというのは伝えられていたはずである。

なのに、わざわざ出かけたというのは、腑に落ちない。


「父上が頼んだんだってさ。

 どうしても、爺様でないといけない御用なんだって。」


「…それは、仕方ありませんね…」


水七は困ったように呟いた。

頭領家を預かる身である以上は、のっぴきならない用事というものも、まま、あるものだ。

けれど、なにも今このときでなくてもと思っているのが、ありありと顔に出ていた。


「岬の水六は、なかなか手強い相手だからね。」


灯は自分の父親なのに、どこか他人事のように言った。


「この間も、白銀様が、訪ねてこられたようだけれどね。

 なにやらふたりで密談していたかと思ったら、白銀様は急いで出て行かれたよ。」


「キョウさんが?」


聞き返したリンを、灯は、じっ、と見据えた。


「貴島の享悟は護法だ。

 貴女とはいつか必ず別れなくてはならないんだよ。

 そんなやつのこと必死になって追いかけるより、もっと先のこと、考えたほうがいいんじゃない?」


「わたしは、キョウさんの、守護だよ。

 キョウさんを守るのが、わたしいる意味だもの。」


当然のように返すリンに、灯の返したのは酷く冷たい視線だった。


「そう言って自分の人生棒に振りかけた人を、僕はひとり知ってる。」


リンの横で水七ははっとした目をする。

その水七のほうは見ようとせずに、灯は言葉を続けた。


「彼女は、優しくて泣き虫で、意地っ張りで、強かった。

 あの人がもっと冷たくて弱い人だったら、よかったのに…」


後半の言葉からは力が抜けていた。

灯もまた、心を痛めていたひとりだったのだろう。

還らない護法を待ち続けた優しくて意志の強い守護のことに。


「貴女も、あの人みたいに人生を棒に振るつもり?」


脅すような灯の視線に、リンは、柔らかく微笑んで返した。


「人生を棒に振ったかどうかは、その人にしか分からないよ。

 わたしは自分の人生を大事にするために、キョウさんを守る。

 灯くん、キョウさんのこと、何か知ってるなら、何でもいいから、教えて?」


リンの笑顔に、灯は悲しそうに笑って言った。


「そう言って、またひとりの姫が不幸に堕ちていくのか…

 けど僕らは、そんな守護姫の強さに、どうしようもなく、魅かれるんだよね…」


灯の笑顔に苦笑が混じる。

それから、灯は言った。


「白銀様は父上からなにやら岬の任務を請けたみたいだったよ。」


「岬の任務?」


訝し気にそう問い返したのは水七だった。

それに灯は頷いて言った。


「堕法の始末じゃないよ。

 それならもっと大っぴらに、護法の部隊を率いて行くはずだからね。

 何か、もっと、公にはできない、岬の恥、みたいなことなんだと思う。

 わざわざ岬の護法じゃない白銀様にやらせるくらいだから。」


「岬の、恥?」


「それって…?」


「まさか、照太兄様の」


ぱんっ、と襖を開く音に、全員がぎょっとして振り返った。

ちょうど、話しをしていた廊下に面した部屋の襖が開かれて、そこに水六が立っていた。


「み…み、ろく…さま…?」


とっさに愛想笑いを浮かべようとしたリンに水六はゆったりと微笑む。

リンから視線は外さぬまま、横にいた水七に言葉だけ投げた。


「ミナサン、君の大切な夫君と楽しく酌み交わしていたのだけれどね。

 どうにも、少し飲ませ過ぎてしまったようだ。

 すっかり酔っ払って、眠ってしまわれた。

 このままにしておいて、お風邪を召されてもいけない。

 戻って世話をして差し上げてくれないか。

 うちの者に頼んでもいいが、岬の家で酔いつぶれたとなっては婿殿のお立場も悪かろう?」


「ええっ?それは、本当ですか?」


水七は驚いて声を上げた。

そしてそんな自分をはしたなく思ったのか、あわてて口元を抑えると、口惜しそうに呟いた。


「だからあれほど、お兄様はザルだから気を付けてくださいと、申し上げたのに。」


「これ。婿殿を責めてはいけない。

 おすすめしたのはわたしなのだから。

 それより早く行って、お世話をして差し上げなさい。

 なに、その間のリン殿のお相手はわたしが務めよう。」


「みぃさん、早く行ったほうがいいよ。」


リンも心配そうにそう勧めた。

水七は困ったようにリンと兄との顔を見比べてから頷いた。


「申し訳ありません、リン様。

 少し行ってきてもよろしいでしょうか?」


「もちろんだよ。」


「ああ、厨に寄って水をもらって行くといい。」


平助のことが心配なのか早足で立ち去ろうとする水七に水六は追いかけるように言った。

水七はいったんふりむいて軽く頭を下げてから、大急ぎで立ち去った。


「やれやれ。平助はいいやつだなあ。」


水七の背中を見送った水六は、どこか楽しそうにそう言った。


「水七さん、平助さんといると幸せそうですよね。」


リンもそう言うと、水六は満足そうに微笑んでみせた。


「平助は見込んだ通りの男でした。

 水七はもう幸せになっていい。

 水七さえ幸せなら、照太のことなどもう全部忘れてしまいたいくらいだよ。」


水六は、ははは、と軽く笑ってから、灯のほうに言った。


「灯、母上のところへ行っていなさい。

 ここからは、君が関わってはいけない話だ。」


灯は悔しそうに唇を噛んだけれど、水六の言葉には逆らわなかった。


「さてと。リン殿。

 立ち話もなんだから、こちらへどうぞ。」


リンとふたりだけになると、水六はそう言って、さっき通ってきた部屋へとリンをいざなった。


リンが足を踏み入れると、水六はそっと襖を閉め切った。


さっきの広間とは違って、そこは狭くて薄暗い部屋だった。


「まったく、壁に耳あり、障子に目ありとはよく言ったものだ。

 灯にも油断ならない。」


水六は平助よりもたくさん飲んでいたにも関わらず、すっかり酔いの覚めた顔で言った。


「リン殿、貴女が享悟のことでお見えになったというのは、分かっております。」


水六は冷ややかな声でそう告げた。


「灯も知っていたようですが、享悟には岬の任務を請けさせました。

 しかし…」


そこで言葉を切って、ひどく苦い顔をして水六は言った。


「いついかなるときにも、護法は島への報告を怠ってはならない。

 それを守らねば、堕法と見做される。

 数少ない護法に課せられた掟です。」


黙って見守るリンの大きな瞳に、水六はひとつため息をついた。


「享悟はひと月の間、その掟を破り続けました。

 よって、堕法と見做され、今日、追討の令が岬に下りてきました。」


「…!」


とっさにリンは言葉が出なかった。ただ驚いて水六を見返しただけだった。

水六はますます苦々し気になって言った。


「父にとりなしを頼みましたが、おそらく、無駄足になるでしょう。

 時間稼ぎくらいにはなるとよいと思いますが、それもさほど役には立たないかもしれない。

 よりによって、報告を絶つとは…

 よもやまさか、あいつがそこまで愚かだとは思わなかった。」


「キョウさんは…どこへ行ったんですか?」


震える声で尋ねたリンを、水六はじっと見据えた。


「…ごほうさまがいくさばでおけがをなさったりあるいはおなくなりになったときには、しゅごはそくざにそれをしまへとつたえねばなりません。」


突然そう呟いた水六を、リンはまじまじと見つめ返す。

それに水六は淡々と言った。


「守護とは本来護法と常に行動を共にしているもの。

 護法の身に万一のことがあった場合には、守護がそれを島へと報告する。

 それが守護の務めです。」


責めるような水六の視線に、リンは絶句する。

務めを守らない守護であることを、これほどに苦しく感じたのは初めてだった。


「リン殿。今からでも貴女の口から報告なさい。

 享悟は戦場で命を落とした、と。」


「そんな!

 そんなこと!

 そんなこと、報告できません!」


悲鳴のように叫んだリンを、水六は冷ややかに見据えた。


「死んだ護法は、追討はされない。

 …しかし、あやつが、もし、堕法になっていたら…」


「まだ、死んだって、はっきり分かったわけじゃありませんよね?

 行方が分からないってだけですよね?

 だったら、キョウさんを、探しに行きます。」


宣言するように言ったリンを、水六は値踏みするようにじっと見た。


「貴女のような小娘に、いったいなにができる?」


「わたしは…なにもできないかもしれないけど…

 でも、キョウさんの守護です。

 キョウさんは、ちゃんと生きています。

 どこかで具合悪くなってるかもしれないけど、それなら、ちゃんと見つけてあげないと。

 それが、守護のお役目、なんですよね?」


リンの強く光る目を、水六はじっと見返した。


「貴女は、享悟はまだ生きていると、そう断言するか?」


「します。」


きっぱりと頷くリンに、水六の視線が僅かに揺れた。


「貴女が報告しなければ、貴女は守護として、享悟と共に堕ちたことになる。

 貴女もまた、堕ちた守護として、享悟同様、追討される身となる。」


「構いません。

 …って、そんなことになったら、おじいちゃんとかおばあちゃんとか、みぃさんとか…

 いろんな人に迷惑をかけてしまうのかな…」


俯いたリンに、水六は微かに微笑んだ。


「高倉のふたりなら、貴島が守る。

 水七や平助のことは、わたしに任せてもらおう。

 しかし、リン殿。貴女のことは、誰も、守れない。

 そして、申し訳ないが…

 追討される貴女に、水七や平助や灯を、これ以上関わらせるわけにもいかない。」


きっぱりと言われて、むしろリンはすっきりした顔になった。


「分かりました。

 その、いろいろと有難うございます。」


ぺこり、と頭を下げたリンを、水六はどこか悲し気に見つめた。


「リン殿…わたしを恨んでおいでだろうな?」


「いいえ。」


リンは明るくきっぱりと首を振った。


「お役目というのは、誰も恨んじゃいけないって、キョウさんなら言うと思います。

 キョウさんは、岬のお家のお役目を請けた、っておっしゃいましたけど。

 それって、どんなお役目なのか、教えてもらえませんか?」


享悟はお役目のことは、リンには一切話さなかった。

尋ねても、リンはそんなことは知らなくていい、としか言わなかった。

けれど、行方不明になった享悟を探すには、なにか少しでも手掛かりがほしかった。


「享吾に命じたのは、忌み子の始末。

 岬にとっては因縁の、照太の子どもです。」


水六は淡々と言ったけれど、それはずしりと重い言葉だった。


「御形の郷、という場所を、享悟は目指していたはずです。

 しかし、その後は一度も報告をしてこない。

 その場所へ辿り着いたのか、お役目を果たしたのか、それとも返り討ちにあったのか。

 なにひとつ、はっきりしません。」


お役目の内容は、軽々しく口にするべきではないというのは、リンも知っていた。

けれども、水六は、すらすらと教えてくれた。


「ゴギョウの郷?

 分かりました。まずはそこへ行ってみます。」


軽く言うリンを、水六は気遣わし気に見つめた。


「どうやって行く?

 貴女はひとりでは海を渡ることもおできにならないだろう?」


「うーん…とりあえず、おじいちゃんおばあちゃんに相談してみる、かな?

 うん、でも、きっと大丈夫。なんとかなります。」


リンは軽く首を傾げてにこっと笑ってみせた。


「舟ならキョウさんが操ってるところを見たことあるし。

 あれを真似したら、なんとかなるかな、って。

 とにかく一番は、キョウさんのとこに行くこと、です。」


「わたしは、享悟に約束したんだ。

 このお役目を果たしてくれるなら、貴女のことを、永遠に守ると。」


水六は思い切ったようにリンに打ち明けた。


「しかし、享悟が堕法になってしまっては、それも叶わない。

 せめて、貴女が享悟が堕ちたことを証言すれば、貴女のことだけは守ってやれる。

 享悟だって、きっと、そうしてくれと望むはずだ。

 どうか、宣言してくれないか?

 享悟は狂った鬼になった、と。」


「そんな、まさか!

 キョウさんは、鬼になんてなりませんよ?」


リンはきっぱりと言い切った。

その目は清んで明るかった。


水六は苦しそうに目を伏せた。


「…力になってやれなくて、すまない…

 さぞや、わたしのことを、冷たいやつだと、思っているだろうね…」


リンは、慌てて首を振った。


「水六さんだって、大事な家族を守らないといけないんだから、それは当然のことです。

 冷たい人だなんて思っていませんよ。」


「…もし…いつか、君がわたしの家族になってくれたら、そのときにはわたしは全力で君を守る。

 灯に嫁ぐ件、いつか思い出したら、本気で考えてみてくれないか?」


リンは笑顔で即答した。


「灯くんはとってもいい人だと思います。

 けど、わたしはキョウさん以外の人のお嫁さんには、なるつもりありません。」


あとは、ぺこり、と一礼すると、両腕に裳裾をからげて、さっさと部屋を後にした。


「リン殿。どうか、享悟を救ってやってください。」


水六の声は、その背を追いかけて届いた。

リンはもう振りむかなかったけれど、一度だけ、きっぱりと頷いた。



***



廊下に出たリンは、そこに立っていた灯に思わずぶつかりそうになった。


「うわちゃっ!」


急いで灯が飛び退いてくれなかったら、痛い思いをしていたかもしれない。


「と、灯くん?」


灯しは裳裾をからげたリンの姿を上から下まで眺めてから、手に持った物をぶらぶらと振ってみせた。


「その装束はあげるつもりだけど。

 急いで帰るんなら、それじゃ、走れないでしょ?」


灯の手にあったのは、リンの着てきた野良着だった。


「え?あ、うん。

 それはどうも有難う。」


受け取ろうと伸ばしたリンの手から、灯はひょいと着物を遠ざけた。


「着替え、手伝ってあげるから。

 そっちの部屋、戻って。」


灯は今リンの出てきたばかりの部屋を顎で示した。


「え?あ、いや。

 それくらいは、自分で…」


「いいから。急ぐんだろ?さっさと言うことを聞け!」


強い口調で言われて、リンは慌てて部屋に引き返した。


水六はまだ部屋の奥にいて、何やら難しい顔をして物思いに耽っていた。

そこへ戻ってきたリンに、思わず目を丸くした。


「どうした?リン殿?

 何か、忘れ物か?」


いつもの七面倒くさいしかめっ面を忘れて、きょとんとした顔になる。

そんな顔をすると、水六は水七にそっくりだった。


ちらり、と冷ややかにそれを見た灯のほうが、いつもの水六のようだった。


「こんな格好では走ることもままなりませんからね。

 着替えるんですよ。」


「ああ、そうか、なるほど。」


そう言ったきり、またなにやら考え込んでそこから動こうとしない。

灯はいつもの父親そっくりの、苦虫を噛み潰したような顔になった。


「父上、さっさとここから出ていただけませんか?

 未来の嫁(仮)とはいえ、着替えを覗くのは、如何なものかと。」


「ふへっ?

 あ!ああっ!すまない!」


水六はそう言うと、慌てて部屋から出て言った。


腰のところに手を当ててそれを見送った灯は、ふんっ、とひとつ荒く鼻息を吐いた。


「驚くとすっかり地が出てしまうんだよね。

 あの人も、まだまだ修行が足りないな。」


リンはたまりかねて、くすくす笑い出してしまった。


着替えを始めて、リンは、灯に手伝ってもらえてよかったと心底思った。

お雛様のような装束というものは、どこもかしこも紐だらけで、脱ぐだけで一苦労だ。

ぎゅっ、と固く縛った紐は、リンの力では解くのも簡単ではなかった。


「コツがあるんだよ。

 いいから、貴女はじっとしてて。

 余計な動きされると、解きにくくなる。」


灯はぶつぶつ言いながら、手際よく紐を解いていく。

どんなに引っ張ってもリンには解けなかった紐も、灯の手にかかると、するりするりと解けていった。


「しっかり結んでおかないと、簡単に崩れるからね。

 しかし、こういう衣装ってのは、つくづく、自分で着なくていい人たちのものだよね。」


灯はそう言ってため息をついた。


「僕らだって、いつもこんな格好してるわけじゃないから。安心していいよ。

 今日はさ、父上も久しぶりに叔母上のお帰りだ、ってんで、結構、張り切っててさ。

 ああ見えて、叔母上のことは、可愛くて仕方ないんだ。」


息子から見た水六の印象は、また少し違っていて、面白かった。


「ねえ、父上の名は、水六、叔母上は、水七ってのは、兄弟が七人いるからだ、って知ってる?」


突然、灯はそんなことを言い出した。

それは水七からも聞いたことがあったので、リンはひとつ頷いた。


「ちなみに、爺様は、千風、って言うんだけど、その兄弟は、一風、風十、百風、ってね。

 うちの一族の名前はみんな、風だとか水だとかに、数字、つけるんだよ。」


「おじい様は、四人兄弟だったの?」


リンに言われて、灯は嬉しそうに頷いた。


「やっぱり、貴女は賢いね。そうだよ。

 なのにさ、僕は、灯。

 僕にだけは、名前に数はついてない。どうしてだと思う?」


首を傾げたリンに、灯は先に言った。


「一人っ子だからだよ。」


リンは少し驚いた顔をした。

島に一人っ子は珍しい。

ましてや頭領家にはよほどのことがない限り、滅多にない。

家を絶やさないために、どこの家も子どもは多くいるものだったからだ。


「母様はからだが弱くてさ。子どもは僕の外には難しいって言われてて。

 父上は側室をとるように言われたんだけど、それをきっぱりはねのけたんだ。

 ああ見えて、結構愛妻家なんだよ。

 ひとりしかいなければ、守護だの護法だのという心配もしなくていい、とか言って。

 …水七叔母上のことは、父上にとっても、辛いことだったんだと思う。」


灯はリンの装束を綺麗に解くと、リンに普段着を手渡してくれた。

リンは着慣れた着物を着て、少し、ほっとした。

そのリンの前に灯は膝をついて、懇願するように手を取った。


「僕はまだ羽も生え揃わないひよっこだ。そんなことは分かってるよ。

 でも、貴女が僕のところに来てくれるなら、この羽の下に貴女を入れて、全力で守ってみせる。

 貴女の仕えた護法様のように、強くはないかもしれないけれど。

 護法様よりずっと長く、ずっと貴女の傍にいて、ずっとずっと、大切にする。」


それだけ言うと、そそくさと立った。


「だからさ。ちゃんと、考えておいて?」


即座に断ろうとするリンの唇を、そっと人差し指で塞ぐ。


「今は答えなくていい。

 忘れてくれたっていいから。

 ただ、貴女にとってそれが必要となったときには、思い出して。」


真剣な瞳を、ただリンはじっと見つめ返していた。







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