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花咲鬼  作者: 村野夜市
22/42

第十六章 ~水六

水七とその夫君とが帰った後、享吾は水六を尋ねていた。


事情は薄々感付いていた。

ただ、まだ、確実な情報が足りない。


リンが母だと思っていた女人は、照太の真の守護だった。

照太とリンとには深い関りがある。

照太は岬の護法だ。

それを知るためにも、岬の当主とは是非とも話しをせねばなるまいと思った。


照太にはなにかまだ秘密がありそうだった。

岬の末姫、水七を守護に持ちながら、真の守護を他所に持ち、子まで成す。

リンの他に守護など考えられない享吾には想像もつかない事態だ。

おそらく、照太にとって、水七は守護ではなかった。

憎くはなかったのだろう。

いつぞや見かけたふたりの姿は、仲の良い兄妹のようだった。

可愛い妹のように思っていたのだろうか。

享吾にも弟はひとりいるが、共に過ごしたことはほとんどない。

兄弟の情愛と言われても、今一つよく分からない。

ただ、守護のことを思うとき、その熱さ重さは、妹に対するものとはまた違う気がする。

父や母や高倉の爺婆や、それから雉彦や、大切に思えそうな存在を思い浮かべてみる。

けれど、その誰に対する思いも、リンに対するものとは違う。

リンに対する思いの熱量は、他の誰に対するものとも比べ物にならない。

それが守護という存在だ、と、享吾は肌で知っている。


照太という護法は聞けば聞くほど面白い人物に思えてきた。

かなりな曲者ではありそうだ。

気を付けてよくよく辿らないと、真の姿は見えてこない気がする。

けれどそこがまた面白い。


しかし、岬にとっては、照太はかなりな厄介者だったかもしれない。

岬は掟を破った護法の始末を担う家。

忌み子を成すことは、これ以上ない重い掟破りだ。

岬の末姫の護法がその重罪を犯すとは。


照太のことは他の家には絶対に知られてはならない秘密だっただろう。

そして、岬は家をあげて、照太とその妻子を始末しようとしたに違いない。


照太の記録がほとんど残っていないのは、その辺りに理由があるのかもしれない。

その存在すら、なかったことにしたいくらいの護法。

照太はそういう護法だった。


けれど、だからこそ、岬に直接あたるしかない、と享悟は思った。

そう易々と協力は得られないかもしれないが。

いや。どうだろう。


現在の岬の当主、岬水六は享悟にとっては昔馴染みだった。

水七からの印象はさんざんだったようだが、享悟にとってはいい兄貴分だった。

多少気紛れで癖の強いところもあるけれど、根はいい人物だ。


十八歳で岬の家を継いだ水六は、今や立派な岬家の当主だった。

幼い頃には遊んでもらった記憶もあるが、もうずっと疎遠になっていた人物だった。


屋敷に着き、面会を申し出ると、私室に通された。

水六は机に片肘をつき、読むというわけでもなさそうに、ぺらりぺらりと書物をめくっていた。


「やあ、久しぶりだね。」


書物から目も上げずに、水六はついこの間会ったばかりの友だちのように声をかけた。


「元気だったかい?

 って、元気だったのは知ってる。

 今やお前さんはすっかり有名人だから、お前さんの噂はあちこちから耳に入ってくるよ。」


そこまで言ったところで、ようやく視線を上げる。

そして、岬一族の特徴の涼し気な瞳を、ふっと、柔らかくして微笑んだ。

そうしていると、ちらりと横顔に昔の面影を見る。

もっとも、目尻に刻まれた深い皺は、とっくに昔のままではないことも示していた。


「そんなところに突っ立ってないで、まあ、ここへ来てお座りよ。

 ああ、手土産なんて、そんな無粋なことは言わない。

 そうだ、とっておきの酒があるんだけど、付き合ってくれないかな?」


ほんのりと底意地の悪さを漂わせる物言いが、なんだか懐かしい。

水六は文机の前を顎で示すと、背中の戸棚を開いて酒瓶と杯をふたつ取り出した。


「昼間っから酒ですか?」


享吾は水六の前に来て胡坐をかきながら、顔をしかめた。

享悟も水六に対してはまったく遠慮しない。

こう見えて、水六は遠慮されるのをあまり好まないのだ。

水六はなみなみと満たした杯を手渡して笑った。


「久しぶりの旧友との再会じゃないか。酒を飲まずしてどうする。

 それに、岬のお役目は昼も夜も関係ない。

 どちらかと言うと、夜のほうが忙しいくらいだからね。

 ほい。再会を祝して、乾杯。」


水六は自分の杯も満たすと、軽く差し上げて一気にあおる。

享吾は付き合いのように杯を差し上げると、軽く口をつけただけで、脇へ置いた。

それへ、水六は不満そうな目をむける。


「なんだ、遠慮せずに飲め。

 島のどぶろくじゃないぞ。都から取り寄せたいい酒だ。」


「酒を飲みにきたわけじゃないんで。」


「冷たいやつだなあ。少しくらい付き合えよ。

 まあ、護法さんじゃ、酒瓶の一本や二本じゃ酔えないんだろうけど。

 わたしが飲むのに付き合ってくれてもいいじゃないか。」


水六があんまり恨めしそうに言うので、享吾は手元の杯を、ぐい、と一気にあおった。

すると、水六はすかさず享吾の杯を満たし、ついでに自分のも満たした。


そのとき、まるで見計らっていたかのように、すっ、と襖が開いた。

身形も礼儀も完璧な娘がふたり、漆塗りの膳を抱えて入ってくる。

いつの間に設えたのか、見事な食膳がそれぞれの前に並べられた。

島で採れる幸だけではなく、遠く、都から取り寄せたような珍味もふんだんに載っている。


「…食事にきたわけでもないんですけど。」


「まあまあ。酒には肴もつきものだろう。

 大したものはないが、つまんでくれ。」


大したものはない、どころではない。

まるで、祝いの膳のような立派さである。

いきなり前触れもなく訪れたのに、こんなものをいつ用意したのだ。

思わず首を傾げる享吾に水六は声を立てて笑った。


「白銀の鬼殿のおかげで、ここのところ、島はすっかり裕福になった。

 こんな膳も用意できるというものさ。

 それもこれも、お前さんの働きあってのこと。

 島の恩人がせっかく訪ねてくれたのだから、精一杯もてなすのは礼儀だろう?」


「…少し、話をするだけのつもりだったので…」


もごもごと口のなかで言い訳をする享吾に、水六は今度は声を立てて笑った。


「岬の主ともあろうものが、島の功労者相手に立ち話もなかろう?

 まあまあ、昔は兄弟とも思った仲だ。

 余計な気は遣わず、寛いでくれ。」


享吾はわずかに苦笑してから、くい、と杯を仰いだ。

すかさず、水六は杯を満たす。


「しかし、お前さんと同じ勢いで飲んだら、わたしは酔いつぶれてしまうな。

 話しとやらは、先に聞いておこうか。」


水六は手に持った杯から目を上げて、話を促すように享吾を見た。

享吾はいきなり核心から口に出した。


「護法、照太のことで。」


「…まあ、それだろうなあ…」


水六はため息と一緒にそう言うと、杯を仰いだ。


「どこまで知ってる?

 何を、知りたい?」


「水七殿の護法だったことは知っています。盲目だったということも。

 真の守護は水七殿とは別人だったことも。

 知りたいのは、照太殿の請けたお役目について。

 それから、忌み子、について。」


「…こちらの話したくないこと、全部だな。」


水六は苦笑して、享悟の目をじっと見据えた。


「ひとつ、聞く。

 今のお前さんは、貴島の享吾か?それとも、白銀の鬼か?」


「貴島はとっくに捨てた家。利用はしても、協力するつもりはない。

 取引の材料には…するかもしれないが…

 岬に害の及ぶような事態にはしない。」


聞いた水六は、ぷっ、と小さく噴き出したかと思うと、くっくっく、と咽の奥で笑った。


「お前さん相手だと、話しが早くて助かる。

 その察しのよさは、相変わらずだ。

 わたしは、昔、水七をお前さんに嫁がせて、弟にしたいと真剣に考えたこともあったんだぞ。」


「水七殿と僕とでは釣り合わないでしょう。」


「そうか?あれも、十頭領家の姫だぞ?

 仕えた護法は頭領家の実子ではないが、守護上がりだ。

 貴島の臆病息子にやるには、少し惜しいくらいだろう?」


「謹んで、辞退します。

 戯言はこのくらいで。

 僕も暇じゃないんで。」


淡々と話しを打ち切る享吾に、水六は少しばかり淋しそうに笑った。


「せっかく会えたのに、いきなり殺伐とした話になるのもつまらないじゃないか。

 あ、ああ、分かった。

 分かったから座れ。」


無言で席を立ち、部屋を出て行こうとした享吾にむかって、水六は手を伸ばして引き留めた。

それから少しばかり恨めしそうに享悟を見上げた。


「そんなに恋しいなら、連れてきたらどうだ?

 今を時めく、白銀の鬼殿の秘蔵の守護姫。

 お前さんはどこにも出さずにしまい込んでいるそうだが。

 一度くらいお目にかかりたいものだ。

 酌のひとつでもしてもらえると嬉しいな。

 今度の十頭領の会合で自慢できる。」


「リンは酌婦ではありません。」


「お堅いやつだなあ…

 あ!ああ!分かった!分かったから!もう言わない!言わないから!」


思い切り帰りたそうにする享吾を何とか引き留めて、水六は言った。


「お役目の話を先にしようか、忌み子の話を先にしようか…」


思案気に呟いてから、享吾を見た。


「照太が護法になったのは、ちょうど、お前さんが貴島の後継に任命されたころか。

 お前さんの記憶には残っているかな。

 そのころはちょうどこの島にはろくな護法がいなくて、島はひどく貧しかったんだ。」


「おぼろげに、なら…」


「そのころお前さんはあの牢屋敷で、爺婆と暮らしていたのか。

 ほとんど外には出てこなかっただろう?

 まあ、貴島の惣領殿なら、食うものや着るものに困ることはなかっただろうしな。

 島の惨状はそれほど目にしてはいない、か…」


水六は記憶を辿るような眼をして、手元の杯をすすった。


「わたしもまだ岬を継いではいなかった。

 ただ、父について、ときどき任務には出ていた。

 岬の任務は知っているだろう?

 堕ちた護法を始末する。

 嫌なお役目だ。

 あのころは始末しなければならない護法も多かった。

 一瞬の栄華と引き換えに水を飲んだやつらは、たった一度のお役目で狂い、始末される。

 心は荒む一方だ。」


享吾は水六の杯を満たしてやる。

とっておきの都の酒を口にして、水六は苦々し気に顔をしかめた。


「依頼はあっても、請ける能力のある護法がいない。

 十頭領の会合で話し合われるのは、護法の力量ではなく、依頼を無難に断る方法だった。

 そんなころだ。

 竜神の血を引く赤子の命を絶つお役目が来たのは。」


昔話がいきなり核心に迫り、享吾ははっとした表情になった。

赤子の暗殺というお役目は、やはり、あったのか。

そんな享吾の反応を楽しむように、水六は、また一口、杯をすすった。


「わたしたちには、その赤子にもその係累にも、なんの恨みもない。

 生まれたばかりの赤子に、罪のあろうはずもない。

 ただ、生まれてきたこと、それだけで、誰かにとって都合の悪い存在。

 その赤子の命を摘む代償は、それだけで数年は島の暮らしを維持できるほど高額だった。」


水六は深い深いため息をついた。


「しかし、見栄っ張りの十頭領は、護法の矜持とやらを持ち出して、その依頼を却下した。

 確かに、頭領家であれば、食うに困る家はなかっただろう。

 けれど、島の民は飢えていた。

 せっかく生まれてきた赤子も、食わせて行けぬと、こっそり命を絶たれていた。

 島中がそんな状態だったのに。

 たったひとりの見知らぬ赤子の命と、島中の民の命。

 命を秤にかけることは不可能だとしても、あまりにも、島の民の命は軽んじられていないか?

 護法の矜持を守るために差し出される代償はあまりに重すぎやしないか?」


享悟は黙り込むしかなかった。


「そのお役目を密かに請けたいと言い出したのが照太だった。」


「それは、照太殿のほうから言い出したことだったのですか?」


享悟は衝撃を受けたように顔を上げた。

水六は小さく頷いて続けた。


「照太はこの依頼については島の誰よりよく分かっていた。

 この依頼のお調べ方には、照太が就いていたからだ。

 それ以前から、照太はお調べ方の任務によく就いていた。

 お調べ方に必要とされるのは、武力よりも諜報力だからな。

 照太にはむいていたわけだ。」


「なるほど。お調べ方の任務に就いても護法のお役目の記録には残らないか…」


享悟は納得したように頷いた。


「まあ、照太はいろいろと、ちょうどよかった、のだろうな。

 依頼主は、この島にとって、そう簡単に無碍にするわけにはいかない大物だった。

 一応は護法を派遣した。しかし、お役目は果たし損ねた。

 そういうことにするつもりだったのかもしれん。」


欺瞞のようにも思えるが、そんなことでもしなければ続けていけないのが、この島の活計だ。


「そんな言い訳のためだけに遣わされたようなものだったのに。

 照太殿はそのお役目を果たすと言い出したんですか?」


「このお役目であれば、自分にも果たせそうだ、と。

 姫のお身内はみな人の好い者ばかり。

 人を疑うこともしない連中の目を盗むのは容易いこと。

 姫はまだ生まればかりで首も座っていない。

 そんな赤子は、ほんの少しのことですぐに命を落とす。

 まだ神の手の裡にある赤子ならば、神が取り返すのはよくあること。

 誰にも疑われぬように、お役目を果たしてみせましょう、と。」


その命を狙われていた赤子は他ならぬリンだった。

享悟は無意識のうちに、きりっ、と奥歯を噛み締めていた。

その音に水六は濁った眼を上げた。


「みな、そういう反応をするのよ。

 しかしその赤子ひとりの命で、大勢の命は救われる。

 穢れた仕事、だと思うか?

 しかし、護法だ矜持だと口清く言いつくろったところで、やっていることは人殺しに謀事。

 鬼の所業に他ならぬ。

 所詮、我らは鬼の島の住人よ。

 何も知らぬ余所者や、自らの同胞すらも鬼に変え、その命を喰らって生きている。

 そうしなければ生きていけぬ、罪深い者らよ。

 それを分かっていても、それでも我らは生きてゆかねばならぬ。

 頭領を継いだ者は、その穢れを飲み込んで、それでも島の民を守らねばならぬ。」


享悟はひとつ息を吐いた。

確かに。

享悟がこれほどに怒りを感じるのは、そのときに狙われていたのがリンだからだ。

もしもそれがリンでなければ、多少、気の毒に思う程度だったのかもしれない。


「分かっています。

 どれほどそれを忌避したところで、所詮、自らもその穢れを喰らって生きてきたことも。」


水六は盃の酒を苦そうに飲み干した。

綺麗事だけではやっていけない事実を受け容れるのは、気持ちのいいものじゃない。

それでも、受け容れずには、生きていけない。


「あのときもし、照太がそんなことを言い出さなければ、父もこの件は諦めてそれきりだっただろう。

 けれど照太は、強く父に迫った。

 腹の足しにもならぬ護法の矜持などと引き換えに、島の同胞を見捨てるのか、と。」


享悟は水六の盃を満たしてやる。

水六は盃の揺れる水面をじっと見つめた。


「照太のその申し出が有難かったのも事実だろう。

 当時の島の惨状を思えば、そのお役目の報奨金は、喉から手が出るほどに欲しかった。

 もしかしたら、父は、それもすべて呑み込んだ上で、あえて照太の提案に乗ったのかもしれん。」


「それでも、それはあまりに危険でしょう。

 十頭領の決定に逆らえば、家ごと断絶は免れない。」


「うち以外はな。

 しかし、岬の任務を進んで引き受けたがる家など、他になかろう?

 なんのかんのと理由をつけて、岬は取り潰されることはない。

 潰せば残ったやつらが困る。

 それに、岬はその特殊な任務のために、頭領会議にかけずとも護法を動かせる。

 堕法の始末をいちいち会議に諮ってはいられないからな。」


水六は爛々と光る目で享悟を見据えた。


「父とて、命懸けだった。

 まずは、適当な言い訳をつけて、岬の家督をわたしに譲った。

 事の責任を岬の家には及ぼさず、すべて自分ひとりで背負うためだ。

 それから、依頼主に自ら直接掛け合って、密かにそのお役目を請けた。

 父がそんなことをしていたとは、このわたしも知らなかった。

 すべては、父と照太、ふたりだけで為されたことだった。」


自らの無力さを嘆くように、水六は小さく肩を落とした。


「責はすべて自分ひとりで背負うと照太は言ったそうだ。

 これはすべて、自分が勝手にしたことにしてほしい、と。

 幼いころから育ててもらった恩、何不自由なく暮らせるようにしてもらった恩。

 高倉の両親を、生涯、暮らしに困ることのないようにしてもらった恩。

 護法に就いてからも、あれこれと便宜を図ってもらった恩…

 たくさん恩を受けたから、その恩に報いたいのだと、照太は滔々と語った。

 それに、護法となったからには、この命を島のために役立てたいのだ、とすら言った。

 それを聞いた父は、思わず涙してしまったそうだ。」


島の民のため、照太はあえて自ら悪役を引き受けた。

その話しはそう聞こえなくもなかった。

しかし、それを聞いた享悟は眉を顰めた。


「護法の言葉をそのまま真に受けるとは…」


水六は、ふっ、と息を吐いて苦笑した。


「まあ、そう言うな。

 照太が幼いころからうちにいたのは事実だ。

 水七のこともあって、父には無理を押し通したという自覚はあったんだろう。

 照太にはできる限りのことをしてやりたいと思っていたようだ。

 うちに引き取ってからも、他の使用人のような辛い仕事はさせなかった。

 子守という仕事を与えたが、実際にはわたしや水七と共に育てたようなもんだ。

 わたしも水七も、照太をにいやと呼んで、実の兄のように慕っていた。

 その照太が真摯な目をして、恩に報いたいなどと言えば、それは信用したくもなるだろう?」


「護法を扱う家の当主にしては、ずいぶん、甘いですね…」


享悟の目はどこまでも冷ややかだった。

それに、水六は言い訳をするように言った。


「照太はあまり護法らしからぬ見た目をしていたしな。

 筋骨隆々たるからだをして鉄の棍棒を振り回すというのが、ほとんどの護法の印象だろう?

 けれど照太はそんな中では少し異質な護法だった。

 背は高かったが、細身で筋肉質とは程遠い姿。

 柔和な、いつも笑みを浮かべているような目元。

 もっとも、あれは、盲目というのを誤魔化すためもあったんだけどな。

 声も雷の轟というより、少し低くてよく通る、心地よい鐘の音のようだった。

 あの声で穏やかに話しかけられると、不思議にその言葉はすっと心に入ってくる。

 照太は、他の大勢の護法とはあきらかに違っていたんだ。」


「その声こそが、照太殿の護法としての能力だったのでしょう。

 腕力で使い物にならなければ、それ以外の能力に秀でる。

 おそらく、照太殿はその声と、話術に長けていた。

 父上もまた、その照太殿の策中にはまっていたのではありませんか?」


あくまで淡々と事実を語る享悟に、水六も降参したように頷いた。


「…まあ、そうなのかもしれないなあ。

 照太も立派な護法だったわけだ。

 しかし、享悟、お前さんにもどこか、照太と似通うものを感じるな。

 お前さんは照太と違って武術にも長けているが。

 争いごとを嫌い、策謀をもって人を動かすところはよく似ている。」


「照太殿が武術にはむかなかった、というのも、実際のところは分かりませんよ。

 もしかしたら、そう見せていただけ、なのかもしれません。」


苦い顔をして盃を干した享悟に、水六は酒を注いで苦笑した。


「そこまで器用なやつだったのかなあ。

 いや、逆に、そう見せていた、としたら、ものすごく器用だったということになるのか。

 護法というのはつくづく底が知れんな。

 このわたし自身も、まんまと照太の策中にはまっていたということか。」


享悟は何も言わず、ただ、視線をちらりと横に逸らせて、小さくため息をついた。

水六はそんな享悟に僅かに笑みを漏らした。


「護法さんは、その胸の内の真実は誰にも見せないからね。

 守護にさえも、見せないのだろう?

 よくそんな孤独のなかで生きていられるものだ。」


水六は絡むように享悟の視線を追う。

享悟はその目を真っ直ぐに捉えて返した。


「笑止。守護を得た護法は、孤独になどなり得ません。

 守護は護法にただ只管に慈愛を注ぎ続ける。

 そのように仕立てられているのですから。

 守護の無償の愛を護法はただほしいだけ貪って、奪いつくし…

 何も返さぬままに、去るのみ。」


「ごほうさまにはまごころをつくさねばなりません。

 それにみかえりをもとめてはなりません。」


水六は諳んじるように呟いた。


「よく水七がぶつぶつと何度も何度も繰り返していたっけ。

 しかし、守護とはかほどに理不尽な要求をされるものか、と子ども心にも思ったよ。

 そんなことを思いつつ聞いていたら、隣で聞いているわたしのほうが先に覚えてしまった。

 水七は、ただ文字面ばかりひたすらに追っていて、覚えられないと、困っていたけどね。

 そんな水七をからかっては、また余計に嫌われたものだ。」


幼い頃を思い出して、水六は薄く笑った。


「わたしはいつも水七をいじめる意地悪な水六兄で、照太は優しいお兄様、だった。

 水七が照太のことをわたしよりも好きなのは、守護なのだから仕方ない。

 自分の行動を棚に上げて、そんなことを思っていたなあ。」


「護法が守護の関心を取りに行くのは事実ですよ。

 それが身を護るための本能なんです。」


「わたしでは到底、照太兄様にはたちうちできなかった。

 これでも、自己流のやりかたで、なんとか水七と仲良くしたいとは思っていたんだけどね。

 水七の心は、いつも照太のものだった。」


そうだな、と水六は視線を外して続けた。


「だからか、わたしは、照太のことは、それほど好きではなかったんだ。

 皆、照太を立派だ立派だと褒めそやすけれど、そんなこともないだろうってね。

 そして、そんなふうに思う自分が嫌いだった。」                   


自嘲するような笑みを浮かべる水六に、享悟は慰めるように微笑んで見せた。


「案外、真実を一番見抜いていたのは、水六兄かもしれませんよ。」


「実際のところ、照太はわたしにも水七にも、変わらずに接してくれていた、と思う。

 けど、わたしは照太にはいっこうに懐かなかった。

 それがまた、父や水七にはご不興で。

 ひねくれものだとさんざんに言われたものだ。」


「照太殿の本質は、おそらく、水六兄の思っていた姿が一番近いように思います。

 水七殿は、あまりに美化しすぎていらっしゃるようだ。

 実際、照太殿はかなりしたたかな護法だったのでしょう。

 盲目という弱点さえも、自分の能力へと創り変えている。

 護法としてなら、照太殿はこの上なく優秀な護法だと思います。

 けれど、人としてはなかなかに、曲者だったのかもしれません。」


「曲者、か。なるほど。まったくその通りかもしれん。」


水六はどこか楽しそうな笑みを浮かべた。


「…僕も護法ですから、物事をわざと捻じ曲げて見たりしますけど。」


享悟はそう前置きをしてから言った。


「照太殿は、わざと水六兄を輪のなかから外したのかもしれません。

 水六兄は勘がいい。

 それに、岬の後継としての教育も受けている。

 直感的に照太殿の嘘を見抜いてしまうから。

 照太殿にとっては扱い難い相手だったのかも。」


「…相変わらず、お前さんは優しいね。

 水六兄、という呼び方は懐かしいな。

 本当に、お前さんを弟に欲しかったよ。」


水六は寂しそうに笑って盃を干した。


「まあ、照太の正体については、今となっては永遠に謎だ。

 けど、それでいいと思っている。

 わざわざ水七の思い出を壊すこともあるまい。」


「それは、そういうわけにもいかないんですよ。

 護法は綺麗な思い出など、残すものではありません。

 水七殿の思い出なら、先日、僕が軽く、ヒビを入れておきました。

 護法ならば、守護にかけた柵は、最期にきちんと解いておくべきなんです。

 けれど、照太殿はそれをせずに逝きましたから。

 その一点に関しては、文句なしに照太殿には非があると思います。」


淡々と言う享悟に水六は驚いたような目を上げた。


「柵を解く?そんな儀式があるのか?

 護法守護の結契というものは、本当に面倒なものだな。」


「儀式、というほどのこともありませんが。

 護法はずっとずっと何年もかけて守護に言葉で柵をかけています。

 それはすべて、護法である自分を守護に護らせるため。

 けれど、それは護法の最期には解いておかなければなりません。

 守護の人生は守護を降りたときから始まるんですから。

 死んだ護法にいつまでも守護を縛り付けるわけにはいかないんです。

 だから、護法は最期のときに、守護を解放します。

 その方法は人それぞれですけどね。

 それだけは護法として果たすべきことなんですよ。」


そこで享悟は少し考えてから続けた。


「もしかしたら、照太殿は水七殿のことを守護だとは思っていなかったのかもしれません。

 照太殿にとっては、忌み子を成した相手こそが守護だった。

 そちらの柵は、ちゃんと解いて逝ったのかも…」


享吾はなにやらぶつぶつと呟いてから、水六のほうへ目を上げた。


「忌み子のことは、いつ分かったんですか?」


「そのお役目に照太が出てすぐ、だったかな。

 いや、それ以前に、まだ父が岬の当主だったときに、一報は入っていたそうだ。

 尾花の照太の馴染みの娼妓が身籠った、という報はね。

 けれど、花街の娼妓にはままあることだ、と父はあまり気にかけなかったらしい。

 まさか、うちの照太に限って、という気持ちもあったのかもしれないな。

 岬の護法として照太は堕法の始末にも関わっていた。

 忌み子狩りにも行ったことはあるだろう。

 忌み子を成すことのまずさは、誰よりよく分かっていたはずなんだ。

 その末路も。

 それが照太の子かもしれないと騒ぎになったのは、照太が岬の鏡を無断で持ち出したからだ。」


「岬の鏡?」


「うちの家宝として伝わる鏡だ。

 その鏡があれば、忌み子を見分けることができるものだ。

 その鏡には、普通の人間は映らない。

 映るのは護法のみだ。

 しかし、忌み子は生まれながらの護法だ。鏡に映る。

 そして、忌み子を身籠った女もまた、鏡に映る。

 胎の中の赤子の力のせいかどうかは分からんがな。

 忌み子狩りの際、万に一つも間違いのないように。

 我らはその鏡で確かめてから、始末をする。」


疑いをかけられただけで始末される。

岬の忌み子狩りはそう噂されていた。

しかし、そのような方法で確認をしていたとは、享悟も知らなかった。


「無断で持ち出したということは、密かに忌み子かどうかを確かめる必要があったから?」


「まあ、そう考えるのが妥当だろう?

 もっとも、その犯人が照太だという証拠はない。

 ただ、いろんな者の証言を合わせると、照太以外にはありえなくなってしまっただけで。

 照太本人に確かめようにも、事が明らかになったときには、照太は行方を絶っていた。」


「限りなく疑わしいけれど、確実に犯人だとは断言できない、と?」


「まあ、そういうことだ。

 鏡の紛失事件が起きたのはまだ父が当主だったころだった。

 だが、鏡がすぐに戻ってきたため、父はそれ以上は追及しなかったらしい。

 そのすぐ後に父はわたしに家督を譲り、照太とふたりきりで赤子の暗殺を請けた。

 鏡のことなどに長々とかかずらわってはいられなかったのだろう。

 しかし、随分後になってから、その戻ってきた鏡に問題があることが分かった。

 器用に修復してあったが、鏡は一部が欠けていたんだ。

 そして、その欠片も失われたまま、見つかっていない。

 そのときになって慌てて犯人捜しをしたが、もはや手遅れだった。」


「鏡を壊して、照太はその欠片を持ち去った、と疑われた?」


「それが、どう見ても、鏡は壊れてなどいなかったのだよ。

 しかし、照太の実の父は、この島一の匠だったろう?」


言われずとも享悟も同じことを考えていた。

高倉の爺ならば、大抵のものは、全く痕を残さずに直してしまうだろう。

ただその鏡には、忌み子を映す、という特殊な力があった。

それゆえに、修復したことが分かってしまったのだ。


「…なあ、享吾。忌み子というのは、珍しいと思うか?」


唐突に、水六はそう尋ねた。


「忌み子など、昔話のなかにしかいない、そう思っているか?」


「……貴島の惣領として教わったのは、そういうことでしたね。」


享吾は慎重に言葉を選んでそう言った。


「大っぴらには、そういうことにしておかないといろいろとまずいからな。」


水六は皮肉な笑みを浮かべた。


「しかし、実際にはそう珍しいもんでもない。

 守護のいない護法は大勢いるだろう?

 そのなかに、ごくごく少数の幸運な者だが、中には一度目のお役目で狂わなかった者もいる。

 そいつらが、花街で好きなだけ遊べば、ごくごく稀に、護法の子を身籠る娼妓もいる。」


「しかし、護法は守護との間にしか子を成せぬはず。

 そんなに多くの者が、結契もなしに守護になるなど、あり得るのでしょうか…」


「…実際、あの結契には、どの程度の効力があるのかな…?」


水六は首を傾げた。


「婚礼の誓いであっても、破る者は破る。」


「護法守護の絆は、夫婦より親子より深いものです。」


「…まあ、お前はそうなんだろうけどなあ。」


水六は何か含むように小さく笑った。


「照太は、水七と結契の儀式は執り行っている。

 そりゃあもう、岬の末娘に相応しい、立派な立派な式だった。

 もっとも、照太にとってそれは、他の頭領家に対しての体裁を繕うためだけのものだった。

 父もそれは認めていたのだろう。

 だから、あえて水七を照太の任務には同行させなかった。

 大ぴらには水七はからだが弱いから、ということにしていたけれどな。

 実際には、見せかけの守護だということは、誰より父には分かっていた。

 ならば、愛娘をわざわざ危険な場所に行かせる必要などない、ということだったのだろう。」


享吾はうぅむ、と唸った。

実際、照太は結契した水七ではない相手との間に子を成している。

護法は守護との間にしか子を成せないのに。

それは、護法守護の絆は、結契で結ばれるわけではないという動かないの証拠のようだった。


「忌み子というものは実際にはそう珍しいものでもないんだ。

 そういう事態を避けるために、尾花には警告もしてあるのだが。

 護法の子を身籠った女は、胎の子ごと殺す、と。

 それでも、なんのかんのと言い逃れをして、生まれてくる子どもは、まあ、そこそこいるわけだ。」


「その子らはどうなるんです?」


「見つけたら、殺す。

 岬の長は、定期的に尾花を訪れて、忌み子を探す。

 見つけるのに造作もない。

 岬の鏡に映してみればすぐ分かる。

 堕ちた護法を始末するより、嫌な任務だな。」


水六はその任務を果たしたことがあるのか、とは聞けなかった。

なるほど。岬の家は潰されない、というのにも納得がいった。

定期的に罪のない赤子を殺すお役目など、進んで担いたい者はそういない。


「忌み子とて、罪のない赤子なのは変わりない。

 なのに、どうして忌み子は殺さなければならないか、分かるか?」


それに享吾は首を振った。

忌み子は島を滅ぼす、それは忌み子の存在以上に伝説にしか思えないことだった。


「忌み子はな、島を滅ぼすんだ。」


しかし、水六が口にしたのは、その伝説そのものだった。


「そんなことを、真に受けて…?」


思わずそう返した享吾に、水六は冷たい視線を向けた。


「島の護法。こんな不便な島のあんな不便な鬼に、お役目がくるのはどうしてだと思う?」


「それは…

 護法にしか果たせないお役目だからなのでは?」


「護法の能力はそれなりに際立っている。

 護法でなければ叶えられないお役目もある。

 けど、そんな能力を持つ者が、巷に溢れたら、どうなる?

 誰がわざわざ高い金を払い、不便な島の鬼に、役目を依頼しようと思う?」


うぅむ、と享吾は唸った。

忌み子は生まれながらにして、護法の能力を持っている。

守護の制約も受けず、命を削ることもなく、その力を存分に振るうことができる。

そんな忌み子が巷に溢れたら、おそらく、貴島の護法に値打ちはなくなってしまう。

あれこれと面倒な手続きを経て、高い報酬を払って、依頼主は護法に依頼をする。

島の護法には、島の民の暮らしを支える役目もある。

けれど、忌み子なら、そんな必要もまったくない。

その手続きも報酬も、要らないとなったら…

島のたったひとつの活計は失われる。


「だから、忌み子は島を滅ぼすんだ。

 伝説でもなんでもなく、それは現実だ。」


水六のひとことが、胸のなかに重かった。


「けど、そんなことは忌み子にとっては知ったことかだろう?

 結局、わたしたちは、自分たちの都合で忌み子を殺しているに過ぎない。

 こんなことは、岬を継いだ者なら皆、暗黙のうちに了解していること。

 ならば、竜神の血を引く赤子を殺せという依頼を断るのは何故だ。

 自分たちは自分たちの都合で罪のない赤子を殺しているのに。

 依頼では受けられないというのは、ただの欺瞞に過ぎない。」


言い切った水六の瞳には、激しい嫌悪が浮かんでいた。


「ましてや、島の民は困窮し、島の子どもたちは殺されていた。

 あいつらだって、罪がないのは同じだ。」


享吾は黙り込むしかなかった。


「照太が行方を絶ってしばらくして、岬に差し出し人不明の大金が届いた。

 父は、それが照太から送られてきたものだと確信した。

 額は、赤子殺しの報酬ときっちり同じだったそうだ。」


「しかし、赤子殺しは!」


おそらく、実行されてはいない。

何故なら、リンはちゃんと生きているからだ。

攫われた鈴姫は、ちゃんと取り返された。無報酬の護法によって。

そして、護法は申し出た。姫をこっそりお育てしましょう、と。

それから五年の間、姫の無事は報告されている…


「父は密かに依頼主に連絡を取った。

 依頼主の許には、べったりと血のついた産着が届けられていた。

 あれだけの血を流せば、赤子は生きてはいられない。

 その産着には、芹の奥方の刺した印もちゃんとあったそうだ。」


けれど、その血が赤子のものかどうかは、分からない。

血の色は誰もみな同じだ。


照太は護法だった。

護法ならば、自らを傷つけ、かなりな血を流しても、大事には至らない。

そう、たとえ産着をべったりと赤く染めたとしても。

傷口はすぐに塞がり、すぐに何事もなかったように治ってしまったことだろう。


照太は水七に言い残した。

誰も殺さず、と。


鈴姫をリンだと仮定する。

いや、これはもう、おそらく間違いのない事実だろうけれど。

照太は鈴姫の暗殺というお役目を密かに請けておきながら、その命は取らない。

芹の郷から姫を攫い、また無事に返す。

無報酬の善人を装って、姫の両親からは信頼を得る。

そうして、鈴姫を護るためと言って、その身柄を預かる。


照太は赤子を必要としていた。

それは、何のためだ?

生まれたばかり、まだ命を保つのさえ困難なほどの赤子を。


リンを育てていた母親は、リンのことを本当の我子のように守っていた。

その女は照太の真の守護だった。照太の子を宿し、産んだ女だ。忌み子の母だ。


もしも、リンが鈴姫なのだとしたら。

では、守護の生んだ子は、忌み子はどこへいった?


考え込む享悟に構わずに、水六の言葉は続いていた。


「脱走は重罪だ。

 岬は全力を挙げて照太の行方を捜索したが、見つけられなかった。

 照太なら岬の手法は嫌というほど心得ている。

 裏をかいて逃げるのも、あるいは照太なら可能だったのかもしれない。

 しかし、照太が届けた金子は、島を救った。

 誰もが直接的には口にしなかったが、岬や照太への非難は消え失せていた。

 島の者らは、照太は島を救うために敢えて重罪を犯したと噂した。

 父は、処刑は一段免れ、責任を取って蟄居した。

 岬の家はもうわたしの代になっていたから、なんのお咎めも受けなかった。

 岬の汚れ仕事も、決してなくならない。

 わたしも次から次へとやってくる任務の忙しさに没頭していった。

 そして、日々の任務に明け暮れるうちに、誰もがそのことは忘れていった。」


確かにこれは島の民好みの美談だと言えなくもなかった。

けれど、美しいからこそ、そこには何か意図があると、享悟は考えてしまう。

護法のやることがそれほど単純なわけはない。

護法は一筋縄ではいかないことは、誰より享悟自身が一番よく心得ていることだ。


「そして、照太が行方を絶ったあとで、忌み子の存在が発覚した…?」


享悟の指摘に、水六は痛そうな顔になった。


「流石の父もわたしも、その事実には驚愕した。

 忌み子を狩る側である岬の護法に、忌み子がいたなど、絶対にあってはならんことだった。

 もちろん、こんなことは、他所の頭領たちにも絶対に知られるわけにはいかない。

 なにがあったとしても、隠し通すべきだ。

 見交わしはできなくとも、照太には水七という守護がいたのだ。

 よもやまさか、尾花の娼妓との間に子どもが生まれるとは…

 岬の狩る忌み子は、守護を付けられなかった、使い捨てにされた護法たちの子だ。

 立派な守護のいる護法は、そんな羽目にはならないものだ。なってはいけないのだ。

 けれど照太は岬の鏡を壊して持ち出した。

 それから、例の暗殺の報酬で、娼妓をひとり身請けしていた。」


報酬の半額は護法の取り分になる。

それは島の厳格な決まりだ。

島の民全員が数年は暮らしていけるほどの高額の報酬。

照太はその金子を使って守護を身請けし、妻と子と三人の暮らしを作ろうとしたのか。


いや、まだ、何か、違う。


照太は鈴姫を連れ去った。そして、おそらく、自らの守護に預けた。

けれど、照太はそのまま妻子と共に暮らしていたわけではない。

守護と長く離れていることなど、護法には到底不可能なことなのに。


守護は都の外れでリンとふたり、暮らしていた。

都の家は照太が用意したものだろう。

けれど、リンは照太と守護との子どもではない。

リンは芹の郷の鈴姫だ。暗殺の依頼を受けた赤子だ。


リンの母親は命がけでリンを守ろうとしていた。

あの気迫は到底、預かった他所の子どもに対するものではなかった。

我が子を守ろうとする母そのものだった。


あの守護は、リンを本当の我が子だと信じていた。


照太は生まれた我が子とリンをを入れ替えたのか?

生んだ母親にすら気づかれないように。


よもやまさか、そんなことが可能なものだろうか…


いや。

照太は護法だ。

護法に世の常識など当てはまらない。

そんなことは、誰より、享吾自身、よく分かっているではないか。


おそらく照太は、小さいころからよく知っているはずの水六さえも、欺くほどの策士。


本当に大切なものを護りたいなら。嘘を吐くことに躊躇いなどない。

身内を謀り、自分を信頼してくれた人たちをも欺いてみせる。

享吾にも覚えのあることだ。


そうまでして照太が護りたかったもの。

そうまでして護法が護るものなど、そう多くはない。

否。

護法にそうまでさせられるものは、たったひとつ、守護の存在だけだ。


忌み子を成した守護は、子どもごと殺される。

護法にお咎めはないけれど、守護を失えば、早晩、護法も堕ちる。


自らが堕ちることなど、怖くはない。

けれど、守護を堕とすことだけは。

何を引き換えにしても。

自らのからだや命や魂くらいなら、さっさと差し出そう。

他の者の命が必要だと言われれば、仕方ない、獲ってこよう。

たとえどれほどに大切に思ったものであったとしても。

守護と引き換えにできるものなど、ありはしない。

この世界のすべてを亡ぼすことすら、容易いことだ。


ただひとつ。守護自身を哀しみに突き落とす、それを除けば。

たとえ、なんだとしても、護法はきっと叶えるだろう。


岬には忌み子を確かめる鏡がある。

その鏡に映ってしまえば、それは忌み子として母親もろとも処分される。

けれども、もし、その子どもが鏡に映らなかったら…?

なんだやっぱり、あれは護法の子ではなかったのかと、見逃されるのではないか?

花街の娼妓にはよくあることだ、と済まされてしまうのではないか?

そして、それこそが、照太の狙いだったのではないか?


照太は欲していた。

鏡に映らない子どもを。

赤子が必要だった。生まれたばかりで、まだ首も座っていない。

そこに、ちょうどいい依頼があった。

妻には最初から本当のことは知らせない。

知らせれば、妻も苦しめることになる。


だから、照太の妻は、リンを自分の本当の子どもだと思って育てていた。


ぼんやりと、像が見える。

子どもを産んだばかりの女と、その女の子どもを取り上げた細身の護法。

穏やかに微笑んで、護法は守護に、生まれたばかりの赤子を差し出した。


妻は、生まれたばかりの赤子を腕に抱いた。

大丈夫、ちょうどまだ首も座っていない。

初産の女に見わけのつくはずもない。

まあ、なんて可愛い女の子。

そう言って妻は微笑む。

照太は取り上げたばかりの我子をそっと連れて行く。

お願いだから、今は泣くな。

赤子の声がふたつすれば、流石の妻も怪しむだろう?


お前がいたら、俺の大切な人は、お前ごと殺されなければならないんだ…


護法に、普通の人間の善悪は通じない。


護法は守護に仕えるもの。

その魂を守ってもらうことと引き換えに。

すべての護法の力は、守護のためにある。

ただ、その望みのためだけに。

護法は存在する。


だからこそ。

守護は祈る。この世の平穏を。

守護は願う。島の民の幸せを。

守護は望む。護法がお役目を果たすことを。


守護はそのようにあらなければならない。

鬼を使う人は、鬼より強く賢く、狡く、あらねばならない。

鬼が従うのは、たったひとりの鬼使いのみなのだから。


「照太殿は、そのお役目を、守護を救うために利用したんですね?」


それはほぼ確信だった。


「…いろいろと、賢い護法ですね?」


そう言うしかなかった。

水六はそれに苦笑した。


「賢い、のだろうか…

 わたしは、いつも水七やわたしに困らされてはおたおたしていた照太の姿しか知らない。

 だから、これもまた、行き当たりばったりで困った顔をしている照太しか思い浮かばないんだ。

 照太は狙ってこうしたのではなく、こんなことになってしまって困っていたのだ、と。

 ただ、そう思いたいだけなのかもしれんが。」


水六にとってもまた、照太は大切な兄やなのだ。

ずっとずっと、長い間重ねてきた時間だけは、他の何とも取り換えは効かない。

その間に培ったものは、そう簡単に崩れるものでもない。

たとえ、どれほどに、裏切りの証拠を突き付けられたとしても。


享悟は淡々と冷えた目をして水六を見た。


「すべての事象は、どうあるか、ではなく、どう見えるか、でしかありません。

 それは、どう見たいか、により近い。

 見える姿は必ずしも真実とは限らない。

 そして、人の心はまったく目には見えない。」


「お前さんは昔からそんなふうに、どこか達観していたよな。

 わたしはお前さんのそんなところが、妙に煙たかった。」


水六は顔をしかめて呟いた。

享悟は無表情なまま言った。


「そして、照太殿は行方をくらませた?」


おそらくは、真の我子と共に。

水六は頷いた。


「その後、照太の行方は杳として掴めなかった。

 しかし、身請けされた娼妓とその子どもの居所は見つかった。

 それに三年かかった。」


「三年?」


享悟は思わず聞き返していた。

リンとその母が襲われたのはリンが五歳のときだ。

とすると、二年のずれがある。


「その辺りは流石照太だと言わざるを得んな。

 こちらの予測をことごとく裏返してくる。

 隠れ里のような場所ばかり探していては見つからないはずだ。

 ふたりが隠れていたのは都だった。

 また、それが厄介だった。

 尾花ならともかく、都となると、なかなか岬も乗り込めない。

 忌み子の始末は最優先事項だが、この件は公にするわけにはいかない。

 岬の護法に忌み子などいるわけないのだから。

 それにこの狩りだけは、絶対に失敗は許されない。

 こちらも万全の体制を用意して乗り込まなくてはならない。

 となると、一部隊を投入するほどの大ごとになってしまう。

 そんなものを都に派遣するとなると、それもまた厄介だ。

 その口実を見つけるのに、あと二年、かかった。」


あと二年。リンは五歳になっている。

享悟はぞくりと寒気を感じた。


「都に行く口実にはね、お前さんを利用したんだよ。」


水六は、少しばかり酔いが回ってとろんとした目を享吾に向けた。


「お前さんは母親の墓参りに行ったことがあっただろう?

 そのときに、こっそりお前さんを護衛するようにと、貴島の頭領から頼まれたんだ。

 お前さんに気付かれぬよう、陰から見守るように、とね。

 千載一遇の好機だと思ったね。

 都へ行く口実が降ってわいたのだから。」


享吾は目を見開いた。

では、リンの許に悪鬼を招いたのは、他ならぬ、自分だったのか…

あのとき享悟が母親の墓参りに行ったりしなければ、リンの平穏は護られていたのか。

享悟は愕然とした。

その享吾を、水六は人の悪い笑みを浮かべて、伺うように見た。


「岬の当主はもうわたしだった。父は、わたしに全てを任せると言った。

 わたしは護法の小隊を引き連れて都へと発った。

 お前さんに気付かれてはならない、ということは、気付かれなくてもよい、ということ。

 これ以上の好都合、どこにある?

 なに、相手はただの女子どもだ。手を下すのは造作もない。

 母子を始末してからお前さんを追っても間に合うだろうと思った。」


もうこれ以上は聞きたくなかった。

なのに、耳を塞ぎたくても塞げない。

からだは凍り付いたように微動だにせず、耳を塞ぐために手を上げることもできなかった。

享悟の開けっ放しの耳に、水六の言葉は容赦なく降り注いだ。


「母子の住む家はすぐに見つかった。

 しかし、わたしたちの部隊がその家に着いたとき、そこには誰もいなかった。

 母親は朝早くから仕事へ行き、娘はその間いつもひとりで遊んでいるらしい。

 噂を聞くと、なかなかしっかりした子どもだ。

 忌み子に間違いないと思った。

 近所の者たちの言うことには、娘はいつも昼過ぎには帰ってくるということだった。

 ところが、その日に限って、娘はなかなか帰ってこなかった。

 仕方なく、わたしは手下の護法らをその家に潜ませて、お前さんの護衛へと向かった。

 そっちもおろそかにするわけにはいかなかったからね。

 お前さんの身に万一のことがあれば、それはそれで大事だ。

 ところが、わたしが着いたときには、お前さんはもう母親の墓にはいなかった。

 ただ、そうだ、そこには花があった。

 たった一輪。あれは、竜胆だったか。お前さんの呪力で出した花だ。

 気持ちが昂れば、花が出る。

 お前さんのあの役に立たない能力は、よく悪ガキどもに揶揄いの種にされていたけれど。

 おかげで、わたしは、お前さんがここにいたことは分かったんだ。

 けれど、辺りを探しても、お前さんの姿は見つからなかった。

 わたしは、安堵と落胆とを同時に感じていた。

 お前さんを見失った落胆と、お前さんの死体を見つけなくて済んだという安堵だ。」


享悟の父は知っていたのだろう。

享悟が母の墓の前で何をするつもりだったのか。

だから、水六を送った。

水六は享悟が兄のように慕う相手だった。

父は、爺婆には、享悟を止めることはできないと考えたのだろう。

けれど、水六なら、きっと止めてくれる。

岬の武術は特殊なもので、正統派の貴島とはまた違った流儀を持っている。

それは徹底して効率を重視した実践的な技だ。

あのころの享吾なら、水六の腕には歯も立たなかった。

水六なら、骨の一本や二本折っても、享吾を止めただろう。


そして、水六もまた、それを承知していた。

だからこそ、照太の忌み子の始末という一族の宿願を横に置いて、享吾を追った。

享吾を見失ったと気づいたときには、どれほど焦ったことだろう。

おそらく、一日じゅう、享吾を探して歩き回ったのじゃないだろうか。

そして、享吾の遺体が見つからないことに、安堵してくれていたのだ。


貴島の汚れ仕事を一手に引き受ける岬の人々は、みな、少しばかり素直じゃない。

耐えきれないほどの重責を担う一族だ。素直で単純な心のままではいられない。

だからといって、その心の奥底まで冷え切った冷酷な人間なわけではない。

心を開いた相手には、とことん真心を尽くす人たちでもあるのだ。


水六を恨むのは間違っている。

水六を送った父を恨むのも、また違う。

どちらも、享悟のことを案じての行動だったのだから。


恨むべきは、享悟自身。

軽率な行動を取って、リンの許に悪鬼を引き入れたのは、享悟だ。


「夕方、念のため宿へ行ってみると、貴島の若君はもうお帰りだと言われた。

 まったく、人騒がせな若君だ。

 それでもとにかく安堵して、わたしは手下を潜ませておいた家のほうへむかった。

 その途中、手下たちと行き会った。

 そちらでは、ひと騒動あったようだった。

 帰ってきた女を、手下たちは尋問した。

 女は照太のことも子どものことも何一つ言おうとはしなかった。

 強情な女に業を煮やした手下たちは、さっさと女を始末しようとした。

 すると、そこへ、女を護ろうとするかのように現れた者があった。

 どこの誰かも分からない。ただ、その男は護法のように強かった、と。

 手下たちはそう証言した。

 思わぬ抵抗にあった手下たちは、女に手傷を負わせただけで、そこを立ち去った。

 わたしのいない間に勝手に動いたことを咎められると思ったのかもしれない。

 わたしは手下たちを引き連れて、女の家に戻った。

 手下たちは、女に負わせたのは致命傷だったと言った。

 あれではおそらく助かるまい、と。

 しかし、女の死体はそこにはなかった。

 おそらく、女を助けに入った者が連れ去ったのだろう。

 子どもの行方も杳として知れなかった。

 娘ということの外は、新しい情報もなかった。

 その後数日間見張らせておいたが、姿を現しはしなかった。

 岬の鏡を持って都じゅうを歩いて回ったが、鏡に映る子どももなかった。

 ここまでやったのだ。もうよかろう。とにもかくにも、女は始末した。

 そう考えて、わたしは引き上げることにした。

 母親を亡くした五歳の娘が、ひとりきりで生きていけるとも思えなかった。」


それは、まさしく、あの日のことだった。

享吾には、水六のする話のすべてに、思い当たるところがあった。

リンと初めて会ったあの日。

享吾にとっても忘れられないあの日。


奇しくも、享吾はリンと出会い、心を変えた。

それは、享吾を救い、そして、水六や、享吾の父親の心も救った。

リンとの出会いは、その後の享吾の運命も、島の運命も変えた。

島にとっては、あの日、すべてはいい方へと転がり始めた。


ただ、リンにとってそれは、いい方、だったのだろうか。

リンは母を失い、鬼の島に連れ去られた。

そして鬼使いになるよう育てられた。

母とふたりの平穏な暮らしは奪われ、そのままなら辿るはずだった平穏な未来も失った。


「お前さんの守護姫…あれは、忌み子ではない。」


唐突に水六はそう言った。

享吾ははっとして物思いから引き戻された。


物問いた気な享吾の目を見て、水六は小さく笑った。


「心配しているだろうと思って教えてやったんだ。

 この島に連れてこられた人間は、全て、一度は確かめてある。

 あの娘は、高倉の爺婆とお前さんとにがっちり護られていたが。

 遠目に鏡に映すくらいのことは、まあ、できるさ。」


水六はもう一度微笑んだ。


「もっとも、あの娘が竜神の血を引いていないのかどうかは、知らない。

 そんなものを確かめる術はうちにもないからな。」


水六はいったい何を感づいている?

享吾は用心深い目をじっと向ける。

それに水六はもう一度笑った。


「そりゃあ、気付くだろう?

 殺すはずだった赤子とあの娘とは同じ年ごろだ。

 おまけに、お前さんはあの娘を都から連れてきた。

 同じ年ごろの娘が、片方では行方を断ち、片方に現れた。

 そりゃ、同じ娘なのではないかと、考えないほうがおかしい。」


言われてみれば、それもそうだ。


「もっとも、赤子の暗殺のお役目は照太が果たした。

 依頼主に報告もし、報酬も得た。

 それはも早、終わったことだ。

 たとえ、そこに何か手違いがあったとしても。

 わたしにはもう、手出しをする理由も意志もない。」


水六の宣言に享悟は我知らず小さなため息を漏らした。

ならば、リンの安全はひとまずは確保できたのか。

芹に返すわけにはいくまい。

返せばその素性は分かってしまう。

あの赤子が生きているとなれば、また再び命を狙われることもあるかもしれない。

けれど、生きていることを報せてやることくらいはできる。

どこかで親に会わせてやることだって叶うだろう。


小さく安堵する享悟を、水六はじっと見据えて言った。


「しかし、だとしたら、本当の忌み子はどこへ行った?

 照太の敵娼はたしかに子を産んだ。それは確認している。

 それは忌み子だったはずだ。

 だからこそ、照太はこんな手の込んだ策を実行したんだ。

 我が子の命を助ける?

 護法にそんな情愛などあるのか?

 いや、違う。

 己の守護が胎の子と共に始末されるのを避けるためだ。

 どちらにしても、照太はわざわざ余所から赤子を調達して、入れ替えた。

 自らの妻さえ欺いて、だ。

 まだ首も座らん赤子だぞ?

 わたしもまた人の子の親だ。

 生まれたばかりの赤子の危うさは、身をもって知っている。

 世話をしてもらえなければ、一日とて生きていられないような。

 下手をすれば簡単に死なせてしまうような赤子を。

 よくもまあ、そんなことができたものだ。

 護法というものの考えなど、まったく理解できんな。」


照太は水七に言い残した。

今度のお役目は、とても難しいけれど、とても尊いお役目だ、と。

俺は誰も殺さずに、皆が平和に暮らせるようにしてみせます、と。


「水七殿はやはり、護法照太の守護でしたよ。

 照太殿は、水七殿にだけは、本当のことを告げて行ったのですから。」


誰も、殺さない。


そのためのからくりを、照太はたったひとりでやり遂げたのだ。

危うい綱渡りのようなからくりを。


それは、どこにも何一つ記録には残っていないけれど。

確かに、護法の仕業だった。


水六は、ふふ、と小さく笑った。

それは、どこか頼りなく、けれど、混じりけのない、心からの笑みだった。

照太のことを思うとき、どうしたって心がひりつくのは、水六にとってもどうしようもないのだろう。

にいや、と呼んで慕った笑顔を、心から消すことなんて出来ないのだから。


「それで、照太の本当の子の居場所は?突き止めたんですか?」


享悟は改めて水六を見つめた。


岬は執念深い。

一度始末すると決めた相手は、何があっても追い続ける。

その執念こそが長年、島を守ってきたのだ。

味方にすれば心強いが、敵に回せばこの上なく厄介な相手だった。


水六はふんとひとつ鼻息を吐いた。


「尾花の郷から山ひとつ越えたところにあった隠れ里を知っているか?」


「…存知ません。」


「まあ、お前さんが護法になった頃には、その郷はなくなっていたか。」


水六はつまらなさそうにそう言った。


「御形の郷。今はそんな名を知る者もそうはいないかもしれない。

 いやそんな名より、そこは別の名で知られていた。

 そこには尾花の娼妓たちが、産んだが育てられない子どもをよく捨てに行った。

 子捨ての郷、と尾花の娼妓たちは呼んでいた。」

 

「子捨ての郷…」


その郷がなくなった、とさっき水六は言ったのだろうか。

享悟は訝し気な目を上げる。


「そこはよく忌み子の見つかる郷でもあった。

 娼妓の捨てた子のなかには、護法の子もいたというわけだ。

 御形の郷の民は、よく子を拾って育てていた。

 単純に子どもが可愛いからというやつもいるにはいるだろう。

 だが、忌み子というのは、幼いころから役に立つ子どもが多い。

 賢く力も強く手先も器用、おまけに、目先も利き人好きもする。

 からだの成長は遅くて、周りの子どもよりは幼く見えるらしいが。

 見た目に反して、腕力や体力はあるという。

 頭の育ちは早くて、一人前の働き手として、早々と親を助けてくれる。

 親にとってはこの上なく頼りになる子どもだ。

 それを期待して子を拾って育てる者も多い。

 照太の子はそこにいたのじゃないかと、わたしは考えた。

 そこなら尾花からも近く、面倒もみてもらえる。

 そこで、わたしはその郷の長に打診した。

 照太という護法の子を差し出すなら、他に忌み子を探すようなことはしない。

 けれど、隠し立てするなら、郷ごと焼き討ちにする、と。

 しかし、郷長からの返答はなかった。

 確認をしようにも、郷は岬の者が調査に入ることすら拒んだ。

 山奥の隠れ里だ。外の者に対する警戒は強い。

 密かに忍び込むことは至難の技だ。

 いるのかいないのかは分からない。

 けれど、いる可能性は限りなく高い。

 だから、わたしはその郷に火をかけた。十年ほど前のことだ。

 怪しくなければ、調べさせればよい。

 それを受け入れないのなら、怪しい者ども全員まとめて、皆殺しにしてしまえばいい。

 そうすれば、憂いはなくなる。」


「なんと!」


目を見開く享吾に、水六は濁った眼を向ける。

水六とて、やりたくてやっているわけではない。

忌み子は殺せ…

そうしなければ、島は滅ぶ。

きれいごとだけで護っていけるほど、この世は優しくない。

水六を責めることは、享吾にもできない。

水六が、汚い辛い仕事を背負ってくれているからこそ、島は存続していられるのだから。

享吾もまた、そんな島で生まれ、禄を食み、生きてきたのだから。


「ところが、だ。

 そのとき、郷にはただの一人の死者も出なかった。

 みな、何故かその直前に郷から逃げ出していた。

 郷ひとつぶんの人間が、忽然と姿を消し、行方を絶った。

 郷には人っ子一人いず、もぬけの殻だったのだ。

 岬の総員を上げて捜索したが、郷の民のひとりとして、消息の掴めた者はいない。

 …誰か、恐ろしく有能な輩が、その郷を護っている。

 そんなこと、並大抵の人間にできるはずはない。

 おそらくは、成長した忌み子がいる。」


「成長した、忌み子?」


「岬の追及をどうやって逃れたのかは分からない。

 年齢も男か女かも名前も顔かたちも分からない。

 けれど、取り零された忌み子は、照太の子の前にひとりいる。

 それは間違いない。

 そやつの存在は脅威だ。

 このままにしておくわけにはいかない。

 照太の子の行方もおそらくはそいつが握っているだろう。

 これも、もうとっくに一人前になっているころだ。

 島にとっての脅威は増すばかりだ。」


水六は、すっかり素面に戻った目をして、享吾を見据えた。


「享吾。取引をしないか?

 お前さんは歴代最強、この上なく有能な護法だ。

 その能力を以て、その忌み子をあぶりだし、始末しろ。

 照太の子も、だ。

 忌み子の子もまた、忌み子の能力を持つ。

 そやつや照太の子が子を成せば、その子もまた忌み子になる。

 そうやって、島の外で忌み子は殖えていく。

 放っておけば、手の付けられない事態になる。

 それを止められるのは、今やもうお前さんしかいない。」


「僕に岬の尻ぬぐいをしろ、と?」


「今お前さんの抱えているお役目は、みんな大したことのないものばかりだろう?

 白銀の鬼様の働きで、世は少しばかり平和になったからな。

 そっちのほうは、全部、わたしの一存で、適当に他の護法に振り分けておいてやる。」


今やすっかり十頭領の権力を握り慣れた水六は、淡々とそう告げた。


「その代わり、あの娘が竜神の血を引く娘だということは、黙っておいてやろう。

 鈴姫は赤子のときに殺された。そういうことにしておく。

 そうすれば、あの娘は、もう誰にも命を狙われることはない。

 そう遠からず、あの娘も守護を降りる日がやってくる。

 そのあとは、妥当に行けば、お前さんの弟の嫁にされるだろう。

 しかし、お前さんがそう望むなら、島から逃がしてやってもいい。

 なんなら、岬の護法を派遣して、生涯、あの娘を護ってやろう。

 岬の頭領として、このわたしが約束する。

 貴島の鬼の嫁にさせるか、人の世に返して平穏な暮らしを取り戻してやるか。

 お前さんに好きなほうを選ばせてやろう。」


選ばせると言っても、選ぶ余地などない。

これが岬の手法なのかと享吾は思う。

リンが忌み子ではないのなら、文悟の嫁にするわけにはいかない。

リンの安全と秤にかけられるものなどあり得なかった。


「お前さんがずっと護り続けることは不可能だ。

 そんなことは分かっているんだろう?」


痛いところを突かれた。

もちろん分かっている。

だからこそ、どうやってリンの身の安全を確保するのか。

ずっとずっと、それを考え続けてきた。


降ってわいたように現れた、それはいい話しのようにも思えた。

リンは、また普通の娘のように、普通の幸せな暮らしに戻ることができる。

安全で、安心で、毎日が静かな波のように繰り返される日々に。

けれど、それはまた、水六の一存で壊されてしまう安全だった。


人に言うことを聞かせるのは弱みを握るのが一番だ。

享吾もその手段をさんざんとってきた。

だからこそ、今ここで、自分に断るという選択肢のないこともよく理解できた。


「承知した。」


享吾はひとつ胸を叩くと、その場を風のように立ち去った。








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