第十二章 ~芹郷
どうやら鈴姫とリンは同一人物らしい。
雉彦はとうとうそれを認めた。
すると、太郎は嬉しそうに雉彦の肩を叩いて言った。
「そなたはもう我らの同士だ。
ならば、鈴姫様のこともすべて包み隠さず話さねばなるまい。」
「そうですね。ぼくもそれがいいと思います。」
戌千代もにっこりと頷く。
え?こんなことでもう信用していいのか?
雉彦は思わず申太夫のほうを伺っていた。
申太夫は雉彦の言いたいことも分かっているようだったが、苦笑するだけであえて太郎を引き留めようとはしていなかった。
「少し長い話になるが、順を追って話させて頂く。
どうかお付き合い願いたい。」
太郎はそう前置きをして話し始めた。
「都のはるか西。
山深くを分け入ったところに、芹の郷、という場所がある。
初めてその地へ至ったときに、芹が多く生えていたから、そのような名になったという。
もっとも、今は、よい田がたくさんある郷、という意味で、百田の郷、とも呼ばれている。
我の姓もそこからいただいた…」
***
その昔。
芹の郷に、一人の皇子が流されてきた。
国家転覆の禍をもたらす恐れがある、という罪状だ。
もちろん、濡れ衣である。
皇子の生母は身分は低いけれど、竜神に仕える巫女だった。
巫女は竜神の加護を受けて、不思議な力を宿していた。
転禍為福。文字通り、禍を福へと転じる力だった。
皇子にもその血は引き継がれていた。
ところが、皇子を陥れようとした者らの陰謀で、その意味は捻じ曲げられた。
いわく、福に転じようと、わざわざ禍を呼ぶ不吉な力、と。
ところが、狐狸の類しか棲まないような山奥の郷が、皇子が訪れてから一変した。
周囲を山に囲まれたこの郷に、ことのほかよい水が流れていることが分かったのだ。
新しく拓かれた田畑は、この上なくよい作物が豊かに実った。
周囲の山にも資源は豊富で、おまけに、冬の寒さも夏の暑さも、適度に遮ってくれる。
穏やかな気候に、争う必要のない人々の棲む、この世の桃源郷のような郷になった。
「まさしく、転禍為福、を地でいってる感じやね。」
「太郎殿のご先祖は、そこで百枚の田を拓いたのですね?」
「そうだ。うちのご先祖は、ご初代の皇子に付き従って郷にやってきた。
働けば働くほど、田畑はよく実って、それはそれは楽しかった、と話しに聞いている。」
皇子の子孫にも代々その転禍為福の力は引き継がれていった。
そして鈴姫はその皇子の子孫だった。
「ところが、とある都の貴族が、その姫の能力に目をつけた。
そして、生まれたばかりの姫を、息子の嫁に寄越せと言ってきた。」
「生まれたばかりの赤子をっすか?」
「まあ、お貴族さんの間ではよくあることやん。
このご時世、禍なんざ、なんぼでもあるし。
それを福に変えてくれるなんて、宝の嫁やんか。」
「不吉だと言って流刑にしてみたり。
役に立つとなったら、嫁に寄越せと言ってみたり。
いったいどれだけ手前勝手なんでしょう。」
姫の両親は、その申し出は断った。
すると、その貴族は、あろうことか、生まれたばかりの姫を力づくで攫っていった。
「は?
生まれたばかりの赤ん坊を?
それ、命に関りますよ?」
「まさしく、己の私利私欲しか見えぬ者のやることです。」
「ほんま、見境なしとはこのことや。
ほんで、なんのかんのと理由をつけては、自分を正当化する。
そんな言うたもん勝ちみたいな輩ばっかり。」
「昔、姫が一度攫われた、というのは、そのことだったんっすね?」
雉彦は苦々し気に顔をしかめた。
「そもそも帝に連なる高貴なお血筋。
その上、転禍為福の能力を持つ、宝の姫、ですか。」
「そら、息子の嫁に是非欲しい、わな。」
「だからと言って、乳飲み子を攫うというのは、違うでしょう。
それは警吏に訴え出たらよかったのでは?」
「そういうやつに限って、権力やら武力やら持っとんねん。
警吏なんかも、そういうやつらの言いなりや。
けど、警吏が助けてくれへんかったら、弱いやつらはどないしたらええねん。」
諦めたようなため息を吐く申太夫に、戌千代は怒りの声をあげた。
「そのような横暴が許されていいはずはありません!」
もちろんだ、とあとの三人もしっかりとうなずいた。
「ご両親はなんとか姫を取り戻そうと、天子さまやあちこちのお貴族さまに訴え出た。
けれど、どなたも力を貸してくれようとはしなかった。
攫った首謀者は、簡単に手出しのできないくらい大物の貴族だったからだ。
その貴族と同等の力のある貴族にも願い出てみた。
すると、姫を取り戻してやるから、うちに嫁に寄越せと言われた。
結局、みな自らの欲ばかり優先して、誰も、ご両親を助けようとはしなかった。
万策尽きたとき、そのご両親に、とある護法が申し出てきた。
娘御を取り戻して差し上げましょう、と。」
「護法が?」
怪訝そうに雉彦は聞き返した。
「護法が、自分から申し出てきたんっすか?
しかし、こう言っては失礼ですけど、田舎のご両親には護法の報酬は払えないでしょう?
いくら桃源郷とはいえ、金銀財宝がざくざく穫れるわけではありませんから。」
「もちろんだ。
しかし、その護法は無報酬でいいと言ったそうだ。」
「無報酬?!」
「まあ、ただより高い物はない、言いますけどな…」
目を丸くする雉彦の隣で、申太夫はぼそりと言った。
「何を驚いているのですか?
立派な心掛けではありませんか。
護法にもそのような良い輩はいるのですね。」
戌千代は当然だというような顔をして言った。
それに雉彦は困ったように返した。
「確かに護法は、義のないお役目は引き受けません。
だからこそ、鬼ではなく、護法と呼ばれるのです。
けど、それと無報酬でお役目を引き受けるのとは、また違う…」
「あまりにご両親がお気の毒で、見過ごすことができなかったのでしょう。
まさに鬼ではなく、護法なのですから。」
「護法とて、自らの島の暮らしを守るために働いているのです。
それに、護法にとっては、時間は一刻でも惜しいはず。
いかにお気の毒でも、無報酬でお役目を引き受けるなんて、そんなこと、考えられない…」
「それは、そなたの主殿のことでしょう?
もしかしたら、そのように心掛けのよい護法がいたのかもしれません。」
「戌千代さんは人がええなあ。
けどやっぱり、無報酬ちゅうのはおかしいと、わたしも思いますわ。」
申太夫は横からそう口を挟んだ。
戌千代はむっとしたけれど、言い争っても無益だと思ったのか、そのまま口を噤んだ。
場を覆う複雑な空気を振り払うように、太郎は話しを戻した。
「とにかく、ご両親は藁にも縋る思いで、その護法に姫の救出を願い出た。
すると、護法は無事に姫を取り戻してきた。」
「それはよかった。めでたしめでたしです。」
満足気な顔の戌千代と対照的に、申太夫はため息をついた。
「そう簡単にめでたしめでたしで終わらへんというのが、世の常というものやで。」
「まあ、そういうわけだ。
姫を取り戻した護法は、ご両親に言った。
このまま郷に姫を戻しても、またすぐにどこかの貴族に攫われるかもしれない。
ならば、どこかで姫をこっそり秘密にお育てしたほうがいいのではないか、と。
恩も信用もある護法殿の言うことだ。ご両親もそれを了承した。
姫の身はそのまま護法が預かり、都で密かにお育てすることになった。」
「いや、それこそおかしいでしょう!
護法が子どもを育てる?
そんなの無理だ。」
声を上げる雉彦に戌千代は不満そうに鼻を鳴らす。
「なぜ、そう言い切れるんです?
子育てにむいている護法もいるかもしれないでしょう?」
「子どもの相手のうまい護法はいます。
現にうちの主なんかその口だと思います。
けど、お役目として引き受けるのは変です。
だって、子どもが育つまで、護法は生きていられないんっすから。」
「???若い護法だったのではありませんか?」
「護法はだいたい二十五歳くらいで任に就きます。
それから護法として働けるのは、せいぜい五年が限度だと、主から聞いています。」
「五年?」
「それは、お子さんが育ち上るには、ちょぉっと、足りませんかなあ。」
申太夫は妙に呑気な調子で言った。
「いや、だから、その護法は、信頼できる乳母殿に姫を預けたのでしょう?」
戌千代の一言に、全員が一斉に注目した。
「なるほど。」
「戌千代さんとは思えへんええご意見や。」
「そうか、ここで、乳母殿のご登場、というわけっすか…」
全員の賛同を得て、ちょっと照れたように戌千代は目を伏せる。
「やっぱり、その方は、姫の乳母殿だったのですね。
クナイを渡しておいたのは、姫を護るためか。」
どうやらリンは、やはり忌み子ではなく、本物の鈴姫だったようだ。
ようやくすっきりして、雉彦は明るく言った。
「姫のご様子は、定期的に護法から報せがあったらしい。
そうして鈴姫は、何事もなく無事にお暮しになっていた。」
「なんと!行き届いた護法殿です。
まさに、護法の鏡のような護法ですね。」
手放しで褒めちぎる戌千代に、今度は誰も反論はしなかった。
「けど、その平穏も、結局は束の間のことやったんやね。」
儚いなあ、と申太夫はため息をついた。
「姫が五つになった頃、ふたりは何者かに襲われた。
そして乳母殿は殺され、姫は行方不明になった。」
「そのとき襲ったのは、最初に姫を攫ったやつらでしょうか。」
「まあ、そうなんでしょうなあ。
姫さんを攫おうとして、邪魔な乳母の命を奪った、というところか。
鬼さんに攫われたんかとわたしらは思ってたわけやけど。
下手人は鬼さんやなかったんやね。」
「たまたま、姫は帰りが遅くなって、下手人どもとは行き違いになった。
そして、乳母殿を見つけた主は、姫の身の安全のため、そこから連れ去った。
それを攫われた、と思われてしまったというわけです。」
「ご両親は、再び姫の捜索を願い出た。
警吏は引き受けはしたものの、前と同じく、まともに捜索した気配はない。
貴族どもに探りを入れても、みな、知らぬ存ぜぬ、だ。
結局、姫の行方はそれ以降、分からなくなってしまった。」
こうして改めて聞いても、ずしりと重たい話しだった。
全員が思わずつられてため息をつく。
一難去ってまた一難…
姫の身の上には戌千代でなくても、みな、憤りを感じていた。
「確かに、そのとき姫を連れて行ったのは主です。
けど、主は姫を攫ったわけではありません。
姫の身を案じて、その安全のために連れ去ったんです。」
雉彦は駄目押しをするように繰り返した。
「なにより、その乳母殿を手にかけたのは主ではありません。
それだけは絶対に分かって頂きたい。」
「…まあ、それは…そうなのかもしれへんな…」
歯切れは悪いけれど、申太夫もそれは認める気になったらしかった。
「その状況は、うちの主から聞いた話しともそっくり同じです。
やはり、鈴姫はリン様で間違いないと思います。」
「そういうわけだから、我らは姫をご両親の許に返して差し上げたいと望んでいるのだ。」
話しをしめくくる太郎に、雉彦は、なるほど、と頷いた。
「今のお話し、主にしてみても構いませんかね?」
「もちろん。
そのために、そなたに話したのだから。」
頷く面々を見回して、雉彦は、にこっと笑った。
「そういう事情なら、主も、姫をご両親の許へ返すと思うんです。
ただ、今すぐ、となると、いろいろと、困ったことも、あるかも、っすけど…」
リンは享悟の守護だ。
もちろん、享悟はリンの幸せを何より優先しようとするだろうけれど。
リンの身の安全やら、さきざきの暮らしのことやら、憂いをすべて晴らしてからでないと手放すわけにはいかない、と。
享悟なら言いそうだな、とも思う。
「それがなあ、そう悠長なことも、言うてられへんのよ…」
困ったようにそう言ったのは申太夫だった。
「姫の母君なのだが…
長年の心労に、からだがひどく弱っておられて。」
「一日も早く、会わせて差し上げたいと。
ぼくらは思っているのです。」
なるほど、と今度はさっきよりも小さな声で雉彦は呟いた。
「なにはともあれ。
主に話しはいたします。
それを少し待っていただけませんか?」
「なあなあ。
その主殿、やけどな?
わたしら、直に会わせてもらうわけにいかへんかな?」
「主に、っすか?」
雉彦はちょっと驚いた顔をしてから、あー、と苦笑いした。
その雉彦に申太夫はさらに詰め寄った。
「なんなら、こっちから会いに行くやんか。
いうても、鬼の島がどこにあるんか、わたしらには分からへんのよ。
なんぼ探しても、誰に聞いても、何ひとつ、手掛かりひとつ、掴めんからな。」
「雉彦殿、そなたなら、行き方をご存知なのではありませんか?」
三人に詰め寄られて、雉彦はまたうーんと唸った。
「だいたいこの辺り、という予想はつきますけど。
おいらも行ったことはないんっすよ。
それに、鬼の島に乗り込むのは、やっぱ、それなりに危険だと思います。
余所者が平然と歩ける場所じゃないそうなんで。
だからこそ、主もそこに姫を置いているんっすから。」
雉彦はそう言って首を振った。
「なんにせよ、姫のこと、主に内緒でどうこうはできませんから。
まずは、主に話しをしてみないと、なんとも…
けど、主はそんな血も涙もないような鬼じゃありませんから。
事情を知れば、きっとどうにかして、姫とご両親を会わせて差し上げると思います。」
それに、ずいっとさらに申太夫は迫った。
「是非とも、白銀の鬼さんには、一度、お会いしてみたいもんや。
ようよう話してみたら、わたしら別に敵同士やなかったわけやし。
どっちも姫さんの無事と幸せを願う者同士や。
もしかしたら、協力できるかもしれへんやんか。」
戌千代も加勢する。
「それもそうですね。
そのように話の分かる御仁なら、是非一度直接会って話してみたいものです。」
雉彦はたじたじになりながらも、苦笑いして返した。
「…まあ、それも、一応、おいらから主に話しをしてからでもいいっすか?
うちの主、ああ見えて人見知りなんっすよ。」
「へえ~。天下の白銀の鬼さんは、人見知りなんや~。」
申太夫は楽しそうに言って、けけけっと笑った。
その顔はいつものどこかお道化たサル殿だった。
「おもろいなあ。流石従者殿や。
そういうのって、やっぱり、身近におる人にしか分からん情報やねえ。」
「直接会って話せば、案外、いいお仲間になれるかもしれませんね。
何事も、直接この目で確かめてこそ、真理を見極められるというもの。
悪い噂ばかりに踊らされるのはよいことではありません。
百聞は一見に如かず、と言いますしね。」
戌千代は鹿爪らしく腕組みをする。
それをからかうように申太夫は意地悪な笑みを浮かべた。
「そうそう。戌千代さんは、なんでも早とちりするのがいかんわね。
一歩立ち止まって、その目かっぽじって、ようよう、見んとね。」
「目はかっぽじれません。」
「なんや、気ぃ付いたか。言葉の綾やんか。」
申太夫は巫戯化ているようにけらけら笑う。
なんだかみなすっかり打ち解けた気安い雰囲気だ。
しかし、雉彦は内心、困ったなと思っていた。
享悟にどう話しを切り出したものかと思う。
享悟は基本的に穏やかな性質だし、ひどく冷静で理性的でもある。
しかし、やはり、享悟は鬼だ。
リンを何より大切に思う鬼だ。
もしも、自分たちの欲望のためにリンの身柄をどうこうしようという輩が現れたら…
きっと、容赦しない。
乳飲み子のリンを攫った、などと聞いたら、もしかしたら報復に行こうとするかもしれない。
よもやまさかとは思うが、一族郎党、皆殺し、などということも、絶対にしないとは言い切れない。
いや、直接命を取るようなことはしなくても、きっと罠に嵌めて陥れる。
そのくらいのことは確実にする。
二度とリンをどうこうしようと思えなくなるように。
敵にそんな余力を残しておかないように。
享悟にとって、リンを害する者は、絶対的な悪だ。
誰がなんと言おうと、どこにどんな事情があろうと。
それだけは、多分、きっと、譲らない。
しかし、相手は都の大貴族。
いかに白銀の鬼といえども、そう簡単には陥れられないに違いない。
そうでなくても、享悟は護法のお役目に追われる身でもある。
時間も無限にはない。
そして、護法になってしまった享悟に、残された時間は少ない。
享悟は無益な殺生はしない。
けれど、必要とあればきっと躊躇わない。
特に、それがリンのためならば。
そう簡単に短気を起こす人ではないけれど…
いかんせん、時間はないのだ。
回りくどい手を使っていられなくなったら…
都に血の雨が降る、などということに、ならないとも限らない。
自分に息のあるうちにリンの平穏な未来をつくる。
享悟はそのために生きているのだから。
これは、よほど気を付けて、慎重に事を運ばないと…
雉彦はごくりと生唾を飲み込んだ。
下手を打てば、享悟は希代の殺人鬼になってしまう。
そんなことだけは避けなければならない。
あの敏い享悟のことだから、誤魔化しなど通用しないかもしれないけれど。
欺く自信など、これっぽっちもないけれど。
それでも、あの善良な護法を、大量殺人の鬼にはしたくない。
それだけは、絶対に守りたい。
雉彦は改めて背筋を伸ばした。
主も姫も、誰一人として、不幸になどするものか。
どんな無理難題なお役目でも、享悟はいつもするりと解いていく。
それをずっと一番近くで見て、手伝ってきたのは他でもない雉彦だ。
やれる。否、やってみせる。
雉彦はそう固く心に誓った。




