第十一章 ~鈴姫
今回も無事にお役目を終えて、享悟は島へ帰った。
雉彦は次のお役目の根回しの始まるまでは自由に過ごせることになっている。
お役目のないときに何をしていようと享悟は詮索も干渉もしてこない。
素の自分に戻って享悟にもらった家に帰っていてもいい。
キギスのまま妓楼の二階でごろごろしていてもいい。
なんなら、花街に入り浸って遊び暮らしていても、いっこうに構わない。
けれど、雉彦はそのどれもやらない。
大抵いつもは、見世物をして市井に溶け込みつつ、世間の情報を集めている。
享悟に命じられたわけではないが、市井の動向というものは、知っておいても損はない。
ときには、お役目を果たすのに思いもよらない役に立つこともある。
こういうとき、つくづく自分は貧乏性だと、雉彦は思う。
まあ、それよりなにより、人に関わるのがそもそも好きなのもある。
見世物師をして、人を笑わせたり驚かせたり喜ばせたりしているのは楽しい。
のんびりするより、享楽に耽るより、実はむいているのだろう。
しかし、今回は少し違っていた。
雉彦は最低限の荷物だけ纏めて身軽な旅支度を整えると、根城にしている尾花の郷を後にした。
雉彦の目指したのは、少し離れたところにある宿場町だった。
***
御用とお急ぎでない方は、よってらっしゃい見てらっしゃい…
朗々とよく響く声で口上を唱えているのは大柄の男だった。
傍らではサル殿が逆立ちをしたりとんぼを切ったり、身軽に飛び跳ねている。
色とりどりの衣装が、目に鮮やかで、少しばかりチカチカする。
その横には、袴をつけ襷をかけて、刀を手にむっつりと押し黙るワン公が立っている。
形は小さくとも、一人前の士のごとく、隣のサルがいくら騒ごうと微動だにしない。
なんだなんだと人々が足を止め始める。
人だかりができたところで、おもむろにサル殿は懐から取り出した瓦をワン公に向かって投げた。
瓦は容赦なくワン公の額に向かって一直線に飛んでいく。
思わず目を伏せた善良な人々の耳に、ぶんっ、と風を切る音が響いた。
それから、かちり、がちゃがちゃ、と何か瀬戸物の割れるような音が続く。
恐る恐る人々が目を上げると、無言の気迫と共に、瓦を一刀両断にした小さな士がそこにいた。
わーーーっと、いっせいに歓声が上がる。
それでも、ワン公はまったくの無反応だ。
小柄だけれど姿勢のいい立ち姿は、なかなか様になっている。
あのお士さま、格好いい、と娘たちの囁く声がする。
誰にも見えないところで、サル殿が、にやり、とほくそ笑む。
と、次の瞬間、サル殿は目にもとまらぬ早業で、次々と瓦を投げ始めた。
伸びあがり飛び上がり、伏せたかと思えば高くトンボを切る。
逆立ちをして後ろ手に投げたときは、サル殿の軽業にも歓声が上がった。
瓦はワン公の足元から頭の上まで、ありとあらゆる箇所を目掛けて飛んでくる。
それをワン公は、すぱりすぱりと、気持ちいいくらい正確に斬っていく。
見事に一刀両断にされた瓦は、やがてワン公の左右にうず高く積み上げられた。
一呼吸置いて、サル殿は近くの木を目掛けて駆けだした。
勢いをつけて、そのまま幹を駆けあがる。
ぽかん、と口を開いてサル殿の動きを見守る人々の頭上から、サル殿はいきなり飛び降りた。
くるくるくる、と何度もとんぼを切りつつ、そこから瓦を投げる。
どこから飛んでくるか分からない瓦を、顔色ひとつ変えずに、ワン公は黙々と斬っていく。
人々はもはや声を上げるのすら忘れて、ただひたすら息を呑んでいる。
緊張の一瞬が過ぎて人々が気づくと、サル殿とワン公のふたりがそこに並んで立っていた。
ふたりとも傷ひとつつかず、息も切らさずに、にこにこと人々を見回している。
優雅にふたりがお辞儀をすると、ようやく人々は忘れていた歓声を上げた。
大歓声のなか、たくさんの銅貨や、なかには銀貨までも、ふたりに向かって投げられた。
それを大柄の男は丁寧に拾い集めていく。
人々はこの見せ物に大満足していて、それは投げられた金子にも現れていた。
やがて、見物人が三々五々散っていくと、サル殿とワン公は辺りを片付けにかかった。
「瓦はちゃんと全部拾っといてや。」
サル殿はワン公にむかって言う。
「分かってます。」
いつも同じことを言われているのかワン公は、少しうるさそうに顔をしかめる。
それにサル殿の小言口調が増す。
「ネタがばれたら、がっかりやねんからな?」
「種や仕掛けがあることくらいは、見物人だって分かってますよ。」
そう言った声に、サル殿はぎょっとした顔を上げた。
「…って、雉彦さんかいな。びっくりさせんといてな。」
瓦拾いを手伝っていたのは身軽な旅装束の雉彦だった。
「この瓦、膠でくっつけてあったんっすね?」
雉彦は瓦に仕込まれた仕掛けを眺めてしみじみと言った。
「それかて、上手に割れ目に刀当てんかったら、ぱっくりふたつにはならへんのよ。
そこはちゃんと、戌千代さんの技やんか。」
言い訳するようなサル殿に雉彦は同意するように頷いた。
「あなたの軽業だって、種も仕掛けもありませんしね。
まあ、ぱっくりふたつ、ってのは、ちょっとした演出効果、ってやつっすね。」
「なんや、分かってはるやんか。」
サル殿は憮然としつつも、少しばかり見直したように雉彦を見た。
「こう見えて、おいらも見世物師の端くれっすからね。」
瓦と一緒にさっき拾い損ねたらしい小銭も雉彦は拾っていた。
「なかなかいい稼ぎじゃないっすか。」
「旅には路銀が必要やからね。
霞食って生きてるわけやないんやから。」
「今度、おいらも混ぜてもらおうかな?」
「おう。それはいいな。
仲間はたくさんいたほうがいい。」
鷹揚に歓迎したのは大柄の男だった。
「やったあ。」
冗談とも本気ともつかない様子でそんなことを言う雉彦を、サル殿は値踏みをするように見た。
「雉彦さん、何ができはりますのん?」
「話術と、軽業が、ちょっと、かな?」
「それって、わたしと被ってますやん。」
「おいらなら、木を駆け上らなくても、もうちょっと上まで飛べますよ?」
「それ、わたしの出番、食ってますやん。
あかんあかん。あんたはよそでやりなはれ。」
サル殿は嫌そうにしっしっと手を振った。
それに雉彦はおかしそうに笑った。
***
町はずれの木賃宿に三人は逗留していた。
「我らの居場所がよく分かったなあ。」
がっはっは、と豪快な笑い声を上げながら、大柄な男は雉彦を歓迎してくれた。
「そりゃあ、見せ物師には見せ物師の情報網ってのがありますからね。
皆さんの風体を言って尋ねれば、すぐに分かりましたよ。」
「雉彦さんなら、そのくらいお手の物やろ。
見つけてくれへんかったら、こっちから押しかけたろ、思うてましたけどなあ。」
にやにや笑うサル殿に、雉彦は思い切り嫌そうな顔をむけた。
「それは迷惑です。」
「まあまあ、こっちもそない思うたから、待っててあげたやんか。」
サル殿は悪びれもせず、しれっと言い切った。
「それで?そこもとの主殿には、鈴姫様のことは聞いてくださいましたか。」
いきなり話しの核心に突き進んだのはワン公だった。
それにサル殿は露骨に顔をしかめた。
「まあまあ。いきなりそんな無粋な話、せんかて。
こうしてお会いするのも二回目なんやし。
今回はわざわざ雉彦さんの方から足を運んでくれはったんや。
せっかくやから、わたしらも、ちゃんと名前くらいは名乗っておかんと。
いつまでも、エテ公やら、ワン公やら、思われてるのもなあ。」
サル殿は相変わらずののらりくらりでそう言うと、ぺこっと頭を下げた。
「わたしは、申太夫、と申します。
あ、もちろん、本名やありません。」
おう、名乗りか、といそいそと割り込んだのは大柄な男だった。
「我は百田太郎だ。
先祖が百の田を拓いた功績により、名字帯刀を許された。
こう見えて生業は百姓だ。」
堂々と名乗りを上げ、がっはっはと豪快に笑う。
「ぼくは、戌千代、です。」
ワン公はそれだけ言ってぺこっと頭を下げると、して、鈴姫様は、と急いで言った。
「主は、鈴姫様、の名に心当たりはないと申しておりました。」
雉彦は淡々とそう答えた。
まあ、そやろな、と申太夫はあっさり頷いた。
「かどわかしの犯人が、あっさり自分が犯人ですと認めるわけないもんな。」
「かどわかし、って!犯人、って!
主は、罪など犯しておりません!」
むっとして雉彦は言い返した。
それに申太夫はにやりと笑った。
「けど、女の子攫ったんは、本当やろ?」
「攫ったんじゃありません!
主は、姫の命を護るために…」
ちっ、と舌打ちをしてから、雉彦は息を整えて言い直した。
「確かに、主は幼い姫を都から連れ帰りました。
けれども、それは、姫の命を護るためです。」
「なんで、自分で守ろう、思うたん?
仮に、悪いやつらに小さい子どもが襲われそうになってたとして、やね?
普通は、警吏かなんかに、届けるもんやろ?」
「…それは…」
雉彦はうっと言葉に詰まってから、苦し気に返した。
「けど、警吏じゃ、姫を護り切れないかもしれないし…」
「そんなん、ご主人の知ったこっちゃないやん。
任せてしもたら、それでしまいやろ?」
申太夫はあっけらかんと言い切った。
「そういうわけには、いきませんよ!」
「なんでや?
縁も所縁もない、見ず知らずのお嬢ちゃんの面倒を、なんでそないに見ようと思いはったん。」
「それは!
主にとって、姫はもうその時点で大事な人でしたから。
命の恩人だ、って言ってました。
そんなとき何が何でも、自分が護らなきゃ、って、思う人なんっすよ、主って。」
雉彦は言い切って、むん、と頷いた。
なんとか享悟のことは誤解されたくない。
それに申太夫はにやにやと返した。
「確かに、都の警吏もさまざまやからなあ。
袖の下も渡せへん庶民の小娘、預けたところで、身よりがなければこれ幸いと、花街に売り飛ばす不心得者もおらんとも限らへんし…」
「なんということを!申殿!それはあまりに警吏に対して失礼な発言でしょう!」
眦を釣り上げて食って掛かる戌千代に、申太夫は、まあまあと手で制した。
「ほんまにそうする、言うてるのと違うやん。
ただ、雉彦さんのご主人さんは、そういうことを心配したかもしれへん、言うてるだけやん。」
いや、主は、それ以前に、そもそも警吏に任せる、などということを思い付かなかっただろうな、と雉彦は思ったけれど、それは黙っていた。
ただ、申太夫の、身よりがなければ、のところで、大事なことを思い出した雉彦は思わずそれを言っていた。
「それに、姫には、ちゃんと島に、実のおじいさんおばあさんがいらっしゃったんです。
主は、そのお二人に姫を預けて、育てていただいたんですよ。」
申太夫は楽しそうに目を上げた。
「へえ。実のおじいさんおばあさんが?
それはまた、よくできた偶然やねえ?」
「まったく。こういうのを奇跡、と言うんっすよね?」
思わず強く同意する雉彦に、申太夫は小さく苦笑した。
「いや、わたしはむしろ、嘘臭い思うて疑ってしまうけど。」
そのあたりで、はっと気づいた雉彦は、いやいや、と慌てて話を戻した。
「いや、これって、主の守護姫の話しっす。
そもそも、その方は、鈴姫様ではないんで。」
すると、すかさず申太夫は返した。
「リンさん、いわはるんやろ?そのお嬢ちゃんは。」
「は?え?
どうして、姫のお名前を?」
雉彦は思わず叫んで申太夫を見ていた。
「そら、あんた、そのくらいは調べてきましたがな。」
申太夫は楽しそうに笑った。
「鈴、は、リン、とも読めるもの。風鈴のリン、や。」
「…なるほど…」
思わず納得してしまった雉彦に、申太夫はまた少し笑った。
「乳母さんは、鈴姫さんの素性を隠すために、本当の名前の、スズ、やのうて、リン、と呼んではったんと違うかな。」
「いや、じゃあ、なぜ、その鈴姫さんは、素性を隠さないといけなかったんっすか?
だいたい、乳母に預けて都にふたりきりって…
姫君ってのは、大きなお屋敷の奥深くに大事に隠しておくもんでしょ?」
「そうそう。鬼に攫われんようにな?」
その一言に思わずむっとした表情になる雉彦を、申太夫は楽しそうに見た。
「鈴姫さんは、生まれたばっかりのころに、一度、攫われてはるんや。
そのときは無事に取り戻したけど、また攫われるかもしれへん。
そやから、そんなふうに隠してお育てしてたんや。」
「隠して?
…いやでも、それは、やっぱり、うちの姫とは同じ人じゃないっすよ。
一緒に暮らしてたのは、乳母ではなくて、姫の実の母上ですし。
姫の父上も、主のよく知った方で…」
「それは、ご主人の嘘ではないの?」
「違います。
主はそんな嘘はつきません。」
これだけは、きっぱり言い切っておこうと、雉彦は力を込めた。
すると、申太夫は、ふ~ん、とつまらなさそうに言った。
「そんなん、分からへんよ?
なにせ、謀略はお手の物の護法さんやで?」
「それでも主はそんなことで嘘はつきません。」
もう一度きっぱり言い切ってから、雉彦は申太夫を正面に見据えた。
「護法というものが誤解を受けやすいことは承知しております。
邪悪な鬼だとお考えの方も大勢いらっしゃるということも。
確かに、狂った護法は、そのように見えてしまうこともありますけれど。
主のような護法には、魂を守る守護がちゃんとついていますから。
悪鬼のように狂うことはまずありません。
戦場で鬼神の如く闘う姿に、鬼の印象も持たれてしまうのでしょうけれども。
それすらも、義を以てお味方に尽力しているということ。
護法自身は、自らを利するため、どなたかと戦陣を交えるようなことは致しません。」
「なんとなんと。
護法様とは、そのようにお志のあるご立派なものでございましたか。」
感心したように叫んだのは戌千代だった。
太郎も、腕組みをして、うぅむと唸った。
「申殿。
これは我らの思い違いだったのではないか?」
申太夫は少し呆れたように仲間の顔を見回してから、もう一度雉彦に視線を戻した。
「…それか、もしかしたら、あんたのご主人も、騙されてはるんかな?」
「は?主が?いやまさか、そんなこと、あり得ないでしょ。
あの主が?ですか?」
雉彦はぶんぶんと首を振った。
「あの頭の切れるお方が、誰かに騙されるなんて。」
「どんな世界にも、上には上がおるもんやで?」
「では、いったい誰が、何のために、主を騙しているんですか?
それよりも、あなたが探している鈴姫様と、うちの姫が同じ人物だというあなたの考えが間違っている、という可能性はありませんか?」
「なんぼ都が物騒なところやと言うても、同じ時期に同じ場所で同じ年頃の娘が二人攫われた、なんてことはあらへんよ。
わたしらは、乳母さんとリンさんの住んでた家の周りの人に聞いてまわったんや。
乳母さんはえらい用心して、ご近所さんともそないつきあいをせんかったみたいやけども。
みんなそのときのことは、隠れて見てた、って、よう話してくれましたわ。」
聞き込みをしたときのことを、三人は代わる代わる語って聞かせた。
「大勢の大男たちが押しかけてきて、一日居座っていた、と。
夕方になってその男たちは一斉に立ち去った。
その後、心配になって様子を見に行ったら、辺り一面血の海で、そこに住んでいた親子は二度とそこへは戻ってこなかった、そうだ。」
「そこから少女を連れ出した者があった、と。
その二人の足取りを辿っていったら、都一の老舗の旅館に入って行ったことが分かりました。」
「そんで、そのお人はどなたやのん、と尋ねてみたら。」
「老舗の雇人なら、店の客のことをそうそう簡単に話したりはしないでしょう?」
「いやわたし、こう見えて、都も長いからな。
まあまあ、あちこちに、なんでも話してくれる友だちもいてますねんわ。
そしたらそれは、貴島の若君とちゃうか、て。」
確かにその状況は、享悟がリンを連れてきたときの状況そのものだった。
「ちょうどその時期に鈴姫様も消息を断っておられるのです。」
「やはり、お二人は同じ人物なのではないか…」
戌千代と太郎はまた、う~んと唸った。
それを聞いた雉彦も、やはり鈴姫とリンとは同一人物なのだろうかと思った。
「だけど、リン様は、主が兄上のように思っていらっしゃる方の遺児なのですよ。」
護法と守護の間に生まれた忌み子。
享悟の話してくれた通りだとすれば、リンは鈴姫にはなり得ない。
「姫さんの実のおじいちゃんおばあちゃんが、島にいてはる、いう話しやね?」
申太夫はうんうんと頷いてみせた。
「そのおじいちゃんおばあちゃんが嘘ついてはる、いうことはないんかな?」
「なんのために?それこそ理由がありません。
確かに、そのお二人のおっしゃることなら、主も信じてしまうかもしれませんけれど。」
二人は享悟にとっては育ての親のようなものだ、と聞いている。
「それに、リン様を息子さんの忘れ形見だと考えたのにはちゃんと証拠もあります。」
雉彦は享悟が見せてくれたクナイの話しをした。
「なるほどねえ。
そら、それも、もっともらしい話しやなあ。」
申太夫は、う~ん、と考えこんだ。
戌千代と太郎も一緒に唸った。
「しかし、だとすると、やはり、そのお方は鈴姫ではないのでしょうか?」
「我らが鈴姫だと思って追っていたお方は、別人だったのか?
いや、しかし、だとすると…」
そう言いながら、太郎は、懐から一枚の紙を取り出した。
「雉殿。これを見てくれ。」
開いた紙を指さしながら、太郎は言った。
そこにはひとりの娘の絵姿と、いくらかの文字が書き付けられていた。
「これは、鈴姫の似姿だ。」
雉彦は妙に思った。
「似姿?しかし、鈴姫はもう長い間、行方不明なのでは?」
「もちろん、直接見て描いたわけではない。
この絵は、鈴姫の母君を少し若くした感じで描かれてあるのだ。
鈴姫が行方を断たれてから、毎年、ご両親は、このような絵を刷って、配っておられる。
なんとかして、鈴姫の行方の手掛かりを得たい、とな。
絵姿も、毎年、少しずつ、年をとらせて。
今はこのような感じか、と、想像を巡らせてな。」
言われて雉彦は改めてその絵姿をよく見てみた。
確かに、リンにどことなく似ていなくもない…ような気もするが、しかし、リンとももうしばらく会っていないので、似ているかどうかの判別はつかなかった。
「いや、そうは言うても、これは想像図やし。
似てるか似てへんかは、正直よう分からへんのやけど。」
横から口を出した申太夫はそう言いながら絵に添えられた文字と小さな赤い絵を指さした。
「ここ。ここ、見て。ここ。
これな?姫の首の後ろのここにな、こんな、鈴みたいな形をした赤い痣があるんやと。
この痣をな、見た、っちゅうやつが、この間の春に、ご両親の元を訪れたんや。」
「鈴の形の痣?」
そんなものはリンの首筋にあっただろうか、と考える。
そもそも享悟の前でリンをそれほどじろじろ見る機会などなかったから、そんな物をみた記憶もない。
…記憶も、ない…?
記憶を辿る雉彦の隣で、申太夫は話し続けていた。
「もうずいぶん前の話しらしいけどな。
そいつは、戦場で白銀の鬼が連れていた娘に、これと同じ痣があった、って言うたんや。
すぐ近くで見たから間違いない、て。」
戦場に享悟がリンを連れて行ったのは一度しかない。
あの、初陣、のときだ。
「そのときはな、護法さんに言うことを聞かせるために、守護を攫って牢屋へ閉じ込めたんやと。
その守護の首に、同じ形の痣があった、んやて。」
守護を攫って牢屋に閉じ込めた?
雉彦ははっとしたように申太夫をまじまじと見つめた。
思い当たる大きな節がある。
「いやまたそれが、いかにも、人品卑しそうなお人でな?
ご褒美目当ての嘘と違うか、とか。
あんなもん、信用してええかとか、周りのみなさんも悩んだんやけども。
それにしても、姫が行方を断ってから、初めてもたらされた姫の情報や。
これはやっぱり確かめておかんと、ということになって。」
「我がそのお調べ役を買って出たのだ。」
太郎はうんうんと頷いてみせた。
「そいつはな、片腕を吊るしていて、これは白銀の鬼にやられたんや、って言うたんや。
白銀の鬼には恨みがある、とも。」
雉彦はひとつ深呼吸をしてから言った。
「…おいら、多分、そいつのこと、知ってます。
その牢屋、おいらも一緒に捉えられてましたから。」
忘れもしない、それは雉彦がリンと初めて出会ったときのことだった。
「なんや、ほんならやっぱり、そいつは本当のことを言うてたんか?」
「やはり信じて調べてみてよかったということですね?」
嬉しそうにする三人を横目で身ながら、雉彦は、ふ、と思い当たっていた。
あの、リンが家出をしたとき。
すぐ近くで見上げたリンの首筋に。
あったような気がする。こんな痣が。
白いリンの首筋に、それは醜い痣ではなく、何かの小さな飾りのようで。
花びらでもついているのかな、と、ふと、思ったのだ。
確かに、リンと鈴姫とは同一人物で間違いない。
雉彦もまた確信していた。




