幕間 ~護法
享悟はリンを島に連れて帰ることにした。
島には外の者は容易には近づけない。
万一忍び込んだとしても、鬼の裔である島の民は、見知らぬ者には容赦しない。
リンを護るには絶好の場所だと思った。
追手もよもや鬼の島に攫われたとは思うまい。
リンと享悟はまだ知り合ったばかりで、接点を知られていないのも好都合に思えた。
けれど、それだけではまだ不安だった。
追手が迫ってきても、確実にリンを護れる力がほしい。
その頃の享悟は弱かった。
追手からリンを護る自信はまったくなかった。
こんな自分でも、護法になれば、多少は強くなれるのではないか。
頭領家の血を引く自分なら、水を飲めば確実に護法になる。
リンを護る強さを手に入れるために、享悟は躊躇いもなく水を飲んだ。
井戸水の試練が十歳のときに行われるのにはちゃんと意味がある。
そうすれば、その後の成長と共に、緩やかにからだは護法化するのだ。
幼過ぎても、育ち過ぎていても、その負荷に耐えるのは難しい。
そのとき、享悟はもう十五になっていた。
けれど、そのときは、耐えられないかもしれない、とは考えもしなかった。
享悟がリンを護るのは必然。ならば、享悟が護法になるのも必然。
頭のなかにはそれしかなかった。
ほんの欠片も、不安は存在し得なかった。
享悟は誰にも知られずに井戸水を盗み出して飲んだ。
予想していたとはいえ、護法化の反動はやはり物凄かった。
からだの構造そのものが組み変わっていくのだから、やむを得ない。
辺りに漂う、無機物、有機物、目には見えない力のすべてを、からだは貪欲に取り込んでいく。
そうして、いちから作り変えられていった。
成長期を半分ほども過ぎてしまったからだに、その変化の振れ幅は過酷なほどに大きかった。
季節をひとつ越える間、享悟は昏々と眠り続けた。
あともうひとつ越える間は、急激にからだを作り変えられる痛みと苦しみにのた打ち回った。
けれど、死ぬという恐怖はなかった。
自分が死ぬはずなどなかった。
リンを護ることの他に、この先の享悟の人生に記すべきものはない。
護ることもかなわぬまま死ぬ運命など、捻じ伏せるだけだ。
そして享悟は、護法化を乗り切った。
あの貧弱なからだでよく護法化に耐えたものだと、後になって思った。
***
ある程度の年齢になってから水を飲んだ護法には、守護は就けられないのが定例だった。
魂を護る守護がいない護法は、ちょっとしたことで簡単に狂う。
たとえ狂っても、簡単に見捨てられる、使い捨ての護法にされるのだ。
リンを護るという大義名分がある限り、享悟は簡単には狂わない自信があった。
だから、守護を取ることはあまり考えていなかった。
ただ、腐っても頭領家の子息だった享悟は、使い捨ての護法にはされなかった。
享悟の預かり知らないところで、享悟の守護をどうするか、という話しが出ていた。
それを知って享悟は焦った。
守護をつけるのならば、それはリンの他に考えられなかった。
護法が命を懸けて護るのは、守護ただひとりだ。
守護でなくても、享悟はリンを護るつもりだったけれど。
リンの他の誰かを、命懸けで護ることなんて、絶対に不可能だった。
護法が現れれば、守護はその年に島で生まれた赤子のなかから選ばれる。
頭領家の護法には、頭領家の守護をつけるのが不文律だった。
享悟はありとあらゆる手を使って、それを捻じ曲げた。
狡猾な鬼の本領を一番発揮したのはここだったと思う。
他所から連れてこられた子どもは、護法にはなっても、守護になることはない。
その掟を捻じ曲げて、享悟はリンを自分の守護に指名した。
守護を指名する護法など、前代未聞だったけれど、構うことはない。
どんなことでも、最初は前代未聞なものだ。
前代未聞なことに、年寄りたちはうるさいけれど。
護法によって暮らしを支えられている島では、護法の発言力はかなり大きい。
ましてや、享悟は貴島家の護法だ。
大嫌いだった貴島の家の力をも、享悟は最大限に利用した。
心の痛むこともなかった。
むしろ、享悟は貴島の血筋だったことを、生まれて初めて感謝した。
しかし、それでも安心はできなかった。
そこで享悟は、継母をも味方に引き込もうと画策した。
享悟のことを生みの母もろともに、心の奥底から憎んでいる人だった。
ずっと、姑息に生きてきた享悟は、人の弱みを握ることに長けていた。
そんな特技、リンには絶対に知られたくないけれども。
リンと共に生きることさえ叶うのならば、そんな特技は喜んで封印しよう。
けれど、もしもそれがリンの利益になるのなら、享悟はその特技を使うことを躊躇わない。
弟が護法の試練を拒絶したとき、享悟はわずかな疑問を抱いていた。
あのとき、弟は着物を着たまま海に飛び込んで溺れた。
泳げる者でも、島の荒い海に着衣のまま飛び込んだりはしない。
それは、命を捨てるも同然の行為だ。
それを長年島で暮らす弟が知らないはずはない。
つまり、弟は、命と引き換えにしてでも、護法の水を拒絶しようとしたのだ。
あれほど、幼いころから立派な護法になることを目標にしてきたのに。
あの真面目で頑固一徹な弟が、そうまでして護法になることを拒絶するのは何故だ。
それにしても、弟が溺れたことには、享悟も驚いた。
貴島の血筋は、皆、泳ぎだけは生まれつき達者なのだ。
習わずとも水に入った瞬間に、まるでそこが第二の住処のようにからだに馴染む。
島には泳ぎの達者な者は多かったけれど、貴島の血筋のそれは、群を抜いていた。
本土まで泳いで渡ることすら可能なのは、貴島の者だけだ。
この享悟も、泳ぐのだけは、島の悪童どもにも負けなかった。
おかげで、逃げ回るときには随分役に立ったものだ。
なのに、弟は、まったく泳げなかった。
貴島の血を引く者にしては珍しいと思った。
そこで、ふ、と引っかかった。
待てよ、と考える。
貴島の血筋…まさか…いや、しかし、そこに齟齬があるとしたら…
そう考えると合点のいくところもあった。
弟は護法になることを恐れたのではなく、護法になれないことを恐れたのではないか。
貴島の血を引いていれば、水を飲めば、確実に護法になる。
それがもし、護法にならなければ…それは大ごとだ。
貴島の奥方の生んだ息子が、貴島の血を引いていない、としたら…
島中を巻き込んだ大騒ぎになるだろう。
もしかしたら弟は、自分が父の血を引いていないことを、どうにかして知ってしまったのではないか。
このまま水を飲まされ、護法化しなければ、それを皆に知られてしまう。
そうしないために、水を飲む前に、自ら命を絶とうとしたのだ。
母親を守りたかったのだろうか。
それとも、ずっと父だと信じていた人との関係を、壊したくはなかったのだろうか。
どちらにしろ、まだたった十歳の弟には、重すぎる事実だと思った。
継母や父に対しては、何の感情も沸いてこなかった。
ただ、この事実は利用できると思った。
しかし、この時点でこのことはまだ、憶測に過ぎなかった。
あの継母が、流石にそんなことはないだろう、という気持ちの方が大きかった。
下種の勘繰り、という言葉が、頭のなかをちらちらしていた。
どうにも、自分にそういう一面があることは承知していた。
ただ、賭けてみても悪くない、と思った。
継母の享悟への印象など、どのみちこれ以上悪くなりようもない。
享悟の失うものは何もないのに、うまくいけば、継母の弱みを握ることができるのだから。
まだからだを動かせなかった享悟は、使いを遣って継母を枕元に呼びつけた。
享悟にはまだ確信はなかったが、弟のことをそれとなく匂わせただけで、継母は陥落した。
心底憎んでいるはずの享悟の呼び出しに、継母は大人しく従った。
享悟の想像したことは、ことごとく、当たっていたのだった。
享悟が護法の水を飲んだ以上、弟は水を飲むことは免れていた。
これで享悟が黙っていれば、この秘密はしばらくは守られることになる。
いずれ弟が妻を娶り、その子どもが成長して水を飲むときには、ばれてしまうかもしれないけれど。
まだ十歳の弟に、それはまだまだ先のことだ。
享悟はこのことを黙っている代わりに、継母にリンを享悟の守護に据えることへの口添えを頼んだ。
継母は島の人々の間で人気がある。貴島の父より、人望もあるくらいだ。
貴島の奥方という立場も、いくらでも利用価値はあった。
継母の口添えがひとつあるだけで、口を噤むうるさ方も大勢いるのだ。
継母は何をさせられるのかとびくびくしながら享悟のところにやってきた。
享悟の母を自害に追いやったのは継母だと、まことしやかにそんな噂が流れていたこともあった。
護法になった享悟に、母親の敵討ちでもされるのじゃないかと思ったのかもしれない。
享悟がリンのことを話すと、継母はあからさまにほっとした顔になった。
享悟の守護の件など、継母にはそもそもまったく関心などないことだった。
その程度の口添えは、継母にとっては、痛くも痒くもなかったのだろう。
あっさりと引き受けてくれた。
***
リンを守護に決めた後も、享悟はまだしばらくは動けなかった。
護法化にからだじゅうはみしみしと軋み、痛みに耐えて寝ているしかない。
一日も早く、リンの許へ行きたかった。
リンの世話は爺婆に任せてあったし、爺婆は毎日、リンがどうしているか逐一、報せてくれていた。
それでも、その目でその姿を見なければ、心配なのはどうしようもない。
母親から引き離され、心細い思いをしているのじゃないか。
これまでとはまったく違う暮らしをさせられて、戸惑っているのじゃないか。
享悟の母のように、島に馴染めずに辛い思いをしているのじゃないか。
傍にいて、困ったときには助けたいと、切実に思う。
けれど、どれだけ心は焦ろうとも、享悟のからだはまったく動かせなかった。
リンのことが心配で、あまりよく眠れない。
とびとびの浅い眠りのなかで、享悟はリンの夢ばかり見た。
ことに、初めて会ったあの日のことは、繰り返し繰り返し、何度も夢に見た。
竹林で出会い、言葉を交わして、一緒に遊んだ。
いつもそこまでは楽しい夢だ。
けれど、その後には、辛い出来事が続く。
もう何度もそれを繰り返して、この先どうなるのかは嫌というほど知り尽くしている。
楽しい場面だけ見て、そのまま目が覚めればいいのにと、夢のなかでもそう思う。
けれど、いつも夢は醒めてくれなかった。
浅い眠りなのに、享悟は、いつもそこから逃げることはできなかった。
まるで、何度も何度も、それを繰り返し見ることを、何かに強要されてでもいるように。
いや。強要されている、のか?
それに気づいてから、享悟は夢を真剣に見るようになった。
寝ているしかない毎日だったから、夢は細部まで覚えるほど何度も見た。
そして、その夢について考える時間もたっぷりあった。
リンの家から男たちが走り出てくる。
その顔に見覚えはないかと、享悟は目を凝らす。
現実にそれが起きたとき、享悟は突き飛ばされそうになったリンを庇うだけで精一杯だった。
けれど、もう何度もこの場面は繰り返し夢に見ていたから、夢の中ではリンを庇いながら、相手を観察する余裕があった。
そのとき、意識の表層には現れなかったとしても、享悟の五感は、確かにその者らを捉えていた。
夢はそれを享悟に追体験させてくれた。
あの場面には、享悟が気づいていない重要なことが何かあるのだ。
享悟の無意識は享悟にそれを伝えようとして、何度も何度も、同じ夢を見せている。
人の認識能力は、本人が思っているよりも広範囲に及ぶ。
視覚聴覚嗅覚。ほんのちょっとした風にさえ、触覚もある。
すべての感覚器官は、常になんらかの刺激を受けている。
けれど、そうと意識していなければ、本人にはそれをすべてを認識できない。
護法になって、それをすべて、嫌でも認識できるようになってから、気づいた。
それはなにも、護法だけの特別な能力じゃない。
万人に備わった、生き物である人としての能力だ。
護法とは生き物である人間が、その能力をより鋭くより強くしただけのものだ。
だから、享悟は、見ている、のだ。
そうとは気づかなかったけれど、そのときちゃんと答えはそこにあったはずなのだ。
あの男たちを見たとき、享悟はかすかに何か違和感を感じた。
けれど、その正体には、なかなか気づかなかった。
彼らは軽装ではあったが、戦支度に身を包んでいた。
鎧を纏い、得物を手にした、屈強な男たちだった。
いや。
都の平穏な夕景に、あの物々しい男たちは、あまりにもそぐわなかった。
その前に通り抜けた市場には、そのような風体の団体などいなかった。
武装した屈強な男たちの集団。
鬼の島ならともかく、平和な都に、それはあまりに異質な情景だった。
鬼の島ならともかく、の言葉が心に引っかかった。
言葉というものは、思考の強い味方だ。
思考は、言葉に置き換わった途端に、いきなり具現化する。
そうだ。ある意味あれは享悟にとっては、それほど物珍しい景色でもなかった。
鬼の島では、あのような男たちの集団が物々しく駆け去る様は、よく目にすることだった。
それは、どこかの頭領家に仕える護法たちの集団だった。
護法?
その自らの思いつきには、すぐには納得できなかった。
けれど、彼らの姿には、その名称が一番ふさわしいようにも思った。
しかし、もしあれが、護法なら…
そうか。
彼らは、享悟を見ても、なんの反応も示さなかった。
だから享悟は、彼らを護法だとは思わなかったのか。
島の民は、道端でもなんでも、十頭領家の者と出会えば、直ちにひざまずく。
たとえ、お役目の最中の護法だったとしてもだ。
それを怠れば、問答無用で斬り捨てられても文句は言えない。
それは島の不文律のひとつだった。
島の人々から享悟は軽んじられていた。
それでも、貴島家の惣領なことに変わりはない。
甚だ不本意ではあったのだろうけれど、彼らも一応、享悟と出くわせば、ひざまずいて頭を下げた。
けれど、あのとき、享悟とすれ違った男たちは、享悟に気づかなかった。
確かに、牢屋敷に移ってからの享悟は、ほとんど家の外には出ずに引きこもっていた。
その間に数年の時間が経っていたから、享悟だって成長して少しは見た目も変わっていただろう。
それでも、島の人々が享悟を分からない、などということは、あり得ないはずだった。
護法は見ただけで護法だと分かるわけではない。
確かに、護法の水に馴染めば、からだは大きく強く変化する。
けれど、島には、護法ではなくとも、大きなからだをして力の強い者も大勢いる。
しかし、島の外に、あれだけの体格の集団がいたのは、不自然だった。
まして、彼らは、リンの母親を手にかけたのだ。
リンの母親は、背中から袈裟懸けに一太刀で致命傷を負わされていた。
あれは人を傷つけることに躊躇いのない者、恐らくは、傷つけた経験のある者の仕業だ。
あの部屋にもリンの母親にも、逃げたり抵抗したりした形跡はなかった。
つまりやつらは、気づかれずに背後から近づき、一撃で目的を完遂した。
護法の手口に関しては、嫌というほど耳学問をさせられていた。
護法といえば軍神の如く戦場で大暴れするというのがよく知られた姿だ。
けれど、なかには、要人をひっそりと暗殺するようなお役目を得意とする護法もいる。
彼らは闇のなか音もなく近づき、対象を誰にも気づかれずに始末する。
役目柄、彼らのことは厳重に秘匿されることが多かった。
名前はもちろん、姿かたちも公表されたりはしない。
そのお役目すら、護法の仕業だと公言されることもなかった。
それゆえに、あまり知られてはいないけれど、それもまた護法のお役目のひとつだ。
けれど、そういう暗殺のようなお役目は、得てして単体か、せいぜい少人数で行くものだ。
あのような小隊を組んでぞろぞろと行くのはやっぱりおかしい。
戦場で大々的な戦闘があるというのならともかく。
人数が多くなれば、対象に気づかれる危険性も増える。
気づかれて逃げられてしまっては、どうしようもない。
いや、待てよ、と思った。
気づかれても、逃げられなければよかった、のか?
あれだけの人数は、対象を決して逃がさないため、か。
対象を密かに手にかける、のではなく、確実に手にかける。
あの護法たちの目的はそれだったのか。
つまり、リンと母親は、護法から、絶対に殺さなければならない、と狙われていたのか。
享悟は思わず跳ね起きた。
からだが動かないなどと言っている場合じゃない。
ここは護法の巣窟だ。
よりによって、なんでこんなところに享悟はリンを連れて来てしまったのだろう。
一刻も早く、リンを連れて逃げなければ。
逸る気持ちに心臓は暴れ馬のように胸の中で跳ねまわった。
いや、しかし、現実にはからだはやっぱり動かなかった。
痛いのも苦しいのも、リンを守るためなら、少しも辛くはない。
けれど、享悟のからだは、物理的にまったく動かせなかった。
くそ。
悪態をつくのは貴島の総領にあるまじきと、昔から婆にえらく叱られたので、滅多にやらない。
それでも、思わず口をついて出ていた。
リンの命の危機だというのに、自分はこんなところでいったい何をしているんだ!
リンを護るために護法の水を飲んだ。
けれど、護法になるのは、そう簡単ではなかった。
護法になる前にリンの身になにかあったら…
ぼたぼたと、水滴が落ちた。涙だったのか脂汗だったのかは分からない。
悔しくて歯を食いしばった。
七転八倒しつつ、享悟は寝床から這い出した。
じり、じり、と床を這って、縁側から転げ落ちた。
「おやまあ、坊ちゃん、この年になってまだ縁側から落ちなさるか。」
ちょうどそのとき、呆れたような声がして、姿を現したのは婆だった。
「あなたは赤ん坊のときからちっともじっとしておらんで。
よう縁側から落ちなさったものじゃ。」
「リンは?ばっちゃん、リンは?」
享悟はようやく視線だけ上げて婆にそう尋ねた。
婆はやれやれと享悟のほうへ寄ってきながら、呑気に答えた。
「リンなら今日は爺に籠の作り方を習っております。
爺のお膝にこう、ちょこなん、と乗っかって、孫というものはあんな可愛いものですかのう。」
ほほほほほと笑うしわだらけの顔を、享悟はきっと睨み据えた。
「リンの身が、危険なんだ。
ばっちゃん、笑ってる場合じゃない!」
「危険だから、島に連れてきなさったのじゃろう?
それでも不安だから、護法の水も飲みなさったのじゃろう?」
だから言わんこっちゃない、とこぼしつつ、よっこいしょ、と享悟を持ち上げる。
享悟は、もう半分護法になりかけていて、からだもかなり大きく重くなっていた。
けれども婆はけろりとして、享悟をひょいと抱え上げると、寝床へと押し戻した。
「年をとってから護法になるのは苦労すると、そのくらいはご存知だったのでしょう?
坊っちゃんはもう、若くありませんからの。」
振り出しの寝床に戻されて、享悟は少しむくれていた。
「…若くないって…
ばっちゃんに言われたくないな。」
正月がきて享悟は十六になっていた。
しかし、若くない、というほどの年ではないと思う。
「まあまあ、死なんかっただけよかったではないか。
大きくなってから水を飲めば、からだが護法化に耐えきれずに死んでしまう者もおるのですよ。
死んだら元も子もない。」
「リンは?リンは無事なのか?」
享悟にとっては享悟のことより、そちらのほうが重要事項だ。
「無事ですともさ。
だから今日は爺のお膝で…」
「籠作ってるって?それは聞いた。」
早口で言う享悟に婆はため息をついた。
ああ、確かに、話している相手の言葉を遮って話すのは失礼だとも。
分かってる、ともさ!
口には出さずに視線だけで言い訳をする。
婆はもの言いたげにちらりと享悟を見てから、淡々と言った。
「爺はああ見えて、貴島の当代の剣の稽古相手も勤めておりましたからの。
そうそう簡単に殺られはしますまいよ。」
…そうだった。
爺は護法の水にこそ馴染まなかったが、並みの護法なら太刀打ちできぬほどの剣の達人だ。
若いころは父の稽古相手をしていたそうだから、それなりの腕なんだろうと思う。
因みに、剣好きが高じて、扱う得物も自分で作らずにはいられなくなり、そのまま刀鍛冶になった。
爺の打つ刀は、小振りだけれど、固く重い。
実戦で使っても、そう簡単には刃毀れしない強い刀だ。
享悟の父も刀は今だに爺の作ったものしか使わない。
「まあもう年も年ですから、相手を叩きのめすとはいきますまいがね。
リンを護って逃げるくらいはできましょうや。」
「リンは…大丈夫かな?」
「坊っちゃんの大切な姫君は、坊っちゃんの戻られるまで、爺婆で大切に守っておきますとも。」
にこにこと頷く婆に、享悟は、からだの力を抜いた。
すかさず婆は享悟に上掛けをかけると、安心させるようにぽんぽんと叩いた。
「ほれ、そんな無理をなさっては、回復が遅くなるだけじゃ。
坊っちゃんは、いつも婆の言うことを無視なさっては、後悔ばかりしておられる。
年よりの言うことは、聞いておいたほうがよろしかろうて。」
耳の痛い説教に、享悟は、むぅと唸るしかなかった。
そんな享悟を見て、婆は、ほほほほほ、と楽しそうに笑った。
「この婆も、昔は島一番の怪力娘と呼ばれたものじゃ。
並みの護法程度なら、ひょいと転ばし、放り投げてやりましょう。
リンのことは、爺か婆が、必ず傍についておりますから。
坊っちゃんは早く回復なされるよう、お勤めなさいませ。」
もちろん、この爺婆があてになるからこそ、享悟はリンを島に連れてきたのだ。
この爺婆なら、たとえ護法が束になってかかってきても、そう簡単にはやられない。
相手を叩きのめすのは難しいにしても、リンを護って逃げるのを最優先にすれば、きっと大丈夫だ。
「…リンの命を狙っているのは、いったい誰なんだろう?」
「さてのう…」
享悟の問いに婆は首を傾げた。
享悟とて、婆に答えをもらえるとは思っていない。
ただ、頭のなかを整理するために、誰かに話しかけたかった。
「あのとき、リンの母御を襲った男たちは、護法のように強かった。
だけど、護法なら、僕に気づかないわけはないよね?」
「坊っちゃんはそれはそれは立派な引きこもりでしたがの。
十頭領家の惣領様に膝をつかなんだら、ばっさり斬り捨てられるかもしれん。
命のかかることとなると、流石に皆、真面目にやりますからのう。」
そうなのだ。
あの男たちは、すれ違った享悟に気づかなかった。
だから享悟はとっさにあれが護法だとは思わなかったのだ。
「しかし…
島の外で水を飲まされた護法なら、或いは、坊っちゃんのお顔は分からぬかもしれませんの。」
「島の外で水を飲まされた護法?」
そういう者もいる、ということは享悟も知識として知っていた。
ただ、あまり身近なところにはいなかったから気づかなかった。
貴島の家は、その方法は邪道だとして、忌避していたからだ。
十頭領家はそれぞれが独立して護法たちを抱え、お役目を引き受ける任を負っている。
それぞれの家にはそれぞれのしきたりがあり、それは互いに口出し無用の領域だ。
島に依頼されたお役目は、十頭領の会議にかけられ、どこの家に任せるか決められる。
請け負った家は、自らの家で擁する護法たちを使って、そのお役目を果たす。
どんな護法をどれだけ使うかは、それぞれの家に任されたことだ。
家によっては、井戸水を竹筒に詰めて島の外に持ち出す家もある。
外の者にそれを飲ませて即席の護法にするのだ。
水を飲ませるのは、もう既に一人前になった者たち。
もちろん、無理やり飲ませたりはしない。
戦で荒れ果てた現世、身も心も荒み、自暴自棄に陥る男女はとても多い。
最早、生きていたくはない、生きていても仕方ない。
いったんそんな思いに取りつかれたら、そこから逃れるのはとても難しい。
そんな人々に、一時の富貴と引き換えに、護法の水を飲ませるのだ。
そのとき支払われる金子は、決して少なくはないらしい。
それは、命懸けの運試し。
護法にならなければ、水を飲んだ者の勝ち。
手にした金子で新しい人生を始める者もある。
護法になる確率は、だいたい、五割。
護法になってしまえば…彼らは自らの人生を金子で売り渡したのと同じことになる。
彼らには守護をつけられることはない。もしも狂えば、すぐにも始末される運命だ。
護法としての寿命もあまり長くない。ほとんどが一回目のお役目で狂うとも聞く。
それに、成長しきったからだに護法化の負荷は重い。耐えきれずに命を落とす者もいるらしい。
ただ、護法として働く間は、それまでの人生では思いつきもしなかったような贅沢を与えられる。
見たこともないような山海の珍味。浴びるほどの美酒。
花街に行けば、見目麗しい男女に取り囲まれ、祭りのような毎日。
ほんのひとときの幻だとしても、それは現世に現れた極楽のような暮らし。
ただ、護法としてはいいように使われ、そして、使い捨てられる。
水を運ぶ者は、言葉巧みに極楽を語る。
絶望に堕ちた人々の心に、甘い言葉は毒のように浸み込む。
そして、爛れた極楽と引き換えにその命を差し出させる。
彼らには最早修行をする時間も必要もない。
彼らの中には、陥れられた豪商や、敗軍の将もいる。
恋人を殺された娼妓もいる。
戦い方や、篭絡を今さら習う必要もない。
水を運ぶ者は、人の能力を見破ることに長けている。
能力を持つ者を即席の護法に作り変え、それを巧みに操って、最大限に活かす。
水を運ぶ者は島で生まれたけれど、護法の水には馴染まなかった者らだ。
島生まれの護法を多く抱えるより、そんな水を運ぶ者らを多く養成している家もあると聞く。
そんなふうにして作られた護法は、記録に残らない、残したくないお役目に送られる。
記録には残さないために、彼らの実態は外からはよく分からない。
どこのなんという者なのか。年はいくつだったのか。
何のお役目を果たし、その後いったいどうなったのか。
そんな護法が何人いたのか、今現在何人いるのか。
すべて把握しているのは、その家の頭領ただひとりきり。
いや、頭領ですらすべてを把握しきっていない家もあるらしい。
彼らは島に連れてこられることもなく、護法になる。
島の存在すら知らない者、いや、自らの身に起きたことの真実すら知らないままの者もいる。
そんな者たちなら、護法であっても、島のしきたりなど知らなくて当然だ。
まだたった五つの幼女とその母親の命を奪う。
確かに、それは使い捨ての護法を行かせるのに相応しいお役目かもしれない。
護法が送られるからには、それはなんらかのお役目、だったのだろう。
しかし、一騎当千の武芸者ならともかく、対象はリンとその母親のふたり。
リンの母親は瀕死の重傷を負いながらも享悟に攻撃するほど気丈な人だった。
しかし、武芸どころか、自らの身を護る術すら持ってはいなかった。
そんな相手に対して、あれだけの大人数。
やはりそこには、なみなみならぬ殺意を感じる。
あのとき、母親から聞き出せた情報は少なかった。
母親はとにかくリンの身を気にして、全力で守ろうとしていた。
自らの命と引き換えにしてでも、リンを逃がそうとしていた。
リンは追われていると言っていた。見つかれば殺されるとも。
しかし、どうしたって、リンが狙われる理由が分からない。
まだ、たった五つだ。
そんな子どもの命を奪うお役目とは、何だ?
島に依頼されたお役目は、十頭領の会議にかけられ、慎重に審議される。
そのお役目には本当に義があるのか。護法が果たすに相応しいお役目か。
そしてそれをどこの家に任せるかを決めるのだ。
しかし、罪もない五歳の子どもを殺すことになんの義があるというのか。
とはいえ、義のないお役目に護法が送られることなど、ありえない。
いや。
すれ違ったあのとき、あの護法たちは、確かにリンの顔を見たはずだ。
なのに、それがリンだと、殺すべき対象だとは気づかなかった。
やつらは、リンの顔すら知らなかった、のか…?
殺す対象の顔が分からないなんて、随分、杜撰なお役目だ。
そんなお役目、普通有り得ない。相手を間違えたらどうするんだ。
いやそうだ。やっぱり、人違いだ。
あの可愛らしいリンが、誰かに命を狙われるなんて…
いや。それはないか。
母親は言っていた。リンの身が危ない、と。
それはつまり、母御の側も、命を狙われる理由があると分かっていた、ということだ。
いったい、リンが、何をしたと言うんだ?
幼い子どもを殺せなどというお役目は、過去に一度だけあった。
享悟は古い記憶を思い返してみる。
頭領家を継ぐはずだった享悟は、過去のお役目についても一通り覚えさせられていた。
けれど、あれは、十頭領の会議で却下されたはずだ。
依頼されても、護法のすることではない、と判断された場合は、丁重にお断りされることもある。
それこそは護法の矜持。矜持失くしては、護法はただの鬼になってしまう。
護法は人殺しの鬼ではない。大義のないお役目は決して引き受けない。
そして、五歳の子どもを殺す、などということに、大義などあるはずもない。
でも。
そうだ。
だからこそ、使い捨ての護法が行かされたのではないのか?
思考の海を漂うように、享悟は考え続けた。
何故、リンは命を狙われていたのか。
どこの誰が、リンとその母親を、ああまでして確実に殺そうとしていたのか。
しかし、何度も糸口を見つけたかと思っては、また元のところに戻ってしまう。
思考は堂々巡りを繰り返した。
ダメだ。
リンが誰かに害されると、そう考えただけで、享悟の思考はそれを全否定してしまう。
そんなことあるはずがない、とそこから動けなくなる。
しかし、リンを傷つける者は、間違いなく享悟の敵だ。
敵の正体を知ることは、リンを護ることに繋がる、はずだ。
だから、考えろ、考えろ。
享悟は自らにそう強く命じた。
今の享悟にできる最善のことは、寝床にじっとしていること。
けれど、思考は自由だ。
考えることで少しでもリンを護る力になるなら。
考えろ。
思考から事実以外の要素を取り除き、物事を、筋の通るように丁寧に並べていく。
そういうことは、不得意じゃない。
リンに罪などあるはずもない。
殺されなければならない理由があるとすれば、それはリンの責任ではないことだ。
生きていては誰かにとって都合が悪いということか?
そして、その都合には、大義がある。
でなければ、使い捨てとはいえ、護法を出すことなどない。
「五歳の子どもを殺さなければならない大義って、なんだろう?」
やはり、何よりそこがひっかかる。
思わず言葉が、口をついて出てしまっていた。
「そんなもの、あるはずがなかろう。」
婆の応えは気持ちいいくらい単純明快だった。
「じゃあ、リンは、何故命を狙われているんだ?」
「そんなもの、狙うほうが悪いに決まっとる。」
享悟は苦笑した。
もちろん、享悟だって婆と同意見だ。
けれども、敵はそうではない。
享悟の気持ちが分かったのか、婆は思い切り顔を顰めて続けた。
「大っぴらにはできん理由には違いないのう。」
それはそうだ。だからこその使い捨ての護法なのだろう。
それから、婆は、ふ、とどこか遠い目になった。
「島にとって生きていては都合の悪い子ども…
表沙汰になる前に殺してしまいたい…
忌み子かもしれませんの。」
「忌み子?
けど、そんなものは、現実にはありはしないんじゃ…」
婆の言い出したのはまったく予想もしていなかったことだった。
忌み子というのは護法の成した子どものことだ。
井戸水を飲まずとも、生まれ乍らにして、護法の能力を持っているという。
享悟ら十頭領家の者は、忌み子の子孫だという伝説もある。
けれど、それは寝間で子どもに語る昔語りだ。
現実には、護法は子を成すことはない、はずだった。
「それがもし、現実にあったとしたら、どうなりますかの?」
婆にしては珍しく、そんな仮定の話しを始める。
「どうだろう?
忌み子は、島を滅ぼす、んだっけ?
だから、見つかったらすぐに殺さなければならない、って…」
それは享悟も幼いころに寝床で聞かされた物語だった。
忌み子の知識なんて、その程度しかなかった。
確かに、忌み子ならば、赤子だろうと、五歳児だろうと、殺される理由があるのかもしれない。
なんといっても、島の存在を脅かすのだ。
それは島にとっては強大な敵だともいえる。
たとえ、母子二人に対して一個小隊を送り込んででも、確実に殺そうとする、かもしれない。
「だけど、護法が子を成すことはあり得ない、よね?」
「本当に、あり得ないことなんでしょうかの?」
ちらり、とこちらを見た婆の目に宿る力に、享悟はどきりとした。
「もし忌み子と言うのが存在すらあり得ないものなら。
そもそもそんな名からして、生まれはしますまいて。
忌み子の子孫は水に馴染みやすい。
十頭領家の子どもが水を飲めば必ず護法になるのは、忌み子の血を引く証。
そう教わりませなんだか?」
「いや、そりゃあさ、頭領家のご先祖は忌み子だったって言うけどさ。
あんなの伝説の類だろう。」
「それに、昔、守護との間にできた子どもを殺した護法があった、という話しもご存知じゃろう?」
「もちろん、知ってる。
って、ああ、そうか。」
護法と守護との間にできた子ども。確かに、護法は子を成しているじゃないか。
「いやいやでもさ、それって、実際には、その護法の子じゃなかったんじゃないの?」
思わずそう言ったら、婆は妙な顔をした。
「坊っちゃんもなかなか凄まじいことをおっしゃいますの。」
「だからその護法は守護を殺したんでしょう?
護法が守護を殺すなんて、よっぽどのことだ。
だけど、そういうことなら、もしかしたら、殺してしまうかもしれない。
護法は守護には誰より自分を優先してほしいと願っている。
そう信じているからこそ、魂を預けておけるんだから。
なのに、自分以外の誰かを子を成すほどに好きになったとしたら…
殺してしまう護法の気持ちも、分かってしまう、な、って。
だからって、殺していいとは思わないけど。」
「坊ちゃんの想像力は恐ろしく逞しい、というのはよく分かりました。」
婆は頭を下げてから続けた。
「護法さまが、結契を交わした守護を他へ取られるなど、まずあり得ますまい。
護法さまの悋気はただ事ではありませんからの。
ありとあらゆる手を使って、守護を護りましょう。」
「そこは…うーん、まあ、そう、かも、なあ…」
その状況も、半分護法になりかけた身にはよく分かってしまった。
婆は享悟の顔を見て、ほっほっほ、と小さく笑ってから、ちょっと真面目な顔をして言った。
「護法さまはの、完全に結契を交わした守護との間になら、稀に子を成すこともありますのじゃ。」
婆の台詞に享悟は目を丸くした。
「まさか。」
「いいえ、真のこと。
実際に子を成した護法さまを、この婆は知っております。」
こくりと頷く婆に、享悟はごくりと唾を呑み込んだ。
婆はそんな享悟をじろりと見据えて付け足した。
「護法の成した子は忌み子となる。
ゆえに、護法は守護と結ばれることは、厳しく禁じられている。
それは、忌み子を成さぬためとも言えます。」
その禁忌のことは享悟も知っていた。
けれど、そこにそんな意味もあったとは知らなかった。
確かに。
守護との間にしか子を成せないなら、それだけを禁じれば忌み子は生まれない。
理に敵っている、と言えなくもないかもしれない。
「おおっぴらにはされておらんが、岬の護法たちは、定期的に忌み子狩をしておられる。」
「忌み子狩?」
「その任務故に、岬は余所の家々から忌避されているのですよ。」
「岬が煙たがられているのは、堕法を狩るからじゃないの?」
「もちろん、それもありますじゃろう。
しかし、堕法は、誰にとっても放置しておくわけにはいかぬ存在。
いわば、狩ることに否やを唱える者はおりますまい。
しかし、忌み子は大抵、何の罪もない赤子。
それをよってたかって縊り殺すとなれば、それは鬼の所業じゃろう?」
享悟はうーんと唸ったっきり言葉を失った。
婆の一人息子は岬の護法になった。
岬の内情には詳しかったのかもしれない。
「忌み子を成すのはほとんどの場合、外で水を飲まされた護法さんだそうな。
守護のおらぬ護法さんが花街で遊べば、たまさかに、身籠る娼妓がある、と。
尾花の郷の娼妓たちは、護法の子を身籠ってはならぬと言い含められているそうですが。
父親の分からぬまま子を生む娼妓は多い。
そうして生まれた子たちのなかに、ときに忌み子もいるのです。
岬は忌み子のおそれのある子どもが見つかれば、問答無用で始末します。
その子どもが本当に忌み子であるかどうか確かめる手間もかけない。
大切なのは、忌み子をこの世に存在させぬこと。
そう強く信じておりますからのう。」
なるほど。
そこまでの信念があったから、リンは命を狙われた、ということか。
「リンの母御は、知っておられたのでしょう?
リンが命を狙われていることを。
それこそは、忌み子の証とも考えられますまいか?」
享悟は言葉を失った。
確かに、婆の言うことには筋が通っている。
「忌み子狩とは惨いもの。
わたしは若いころに一度だけ、見たことがあります。
その守護は島育ちの娘でしたが。
禁忌を犯して、護法さまとの間に子を成してしまった。
子どもはまだ生まれてはおらず、娘の胎のなかにおりました。
胎もまだ大きくなってはおらず、外から見ても、そうだとは分からぬくらいでした。
しかし、追討隊は、胎の子ごと、娘をばっさり斬りました。」
「島育ちの守護を?胎の子ごと、ばっさり?」
胎の子を母親ごと容赦なく斬り捨てる。
忌み子とはそこまで忌避されるものなのかと思った。
「護法さまは、守護を庇って戦おうとなさいました。
けれど、岬の護法たちによってたかって取り押さえられました。
守護を目の前で斬られた護法さまは血の涙を流し、その場で腹を切って果てました。
ああ、この島は鬼の島なのじゃと、あのときわたしは心底思いました。」
確かに。
この島は鬼の住処だ。
それは、間違いない。
享悟は身震いした。
ひとつ間違えば、享悟もリンをそんな目に合わせてしまうかもしれない。
リンに手を出すなど、あり得ないとは思うけれど。
今はまだ幼い少女でも、いつかはリンも大きくなる。
十歳の年の差は、大人になればそれほど大きくもないのかもしれない。
そのくらい年の離れた夫婦は、島にもごろごろいる。
そうでなくても、今でも享悟はリンのことを大切に思っている。
この気持ちが恋情にならないという保証はない。
もっとも、恋というより、もっと違うなにかだと、享悟は感じているけれど。
大切なリンに、穢れた自分の手を触れるなんて、享悟自身、恐ろしくてできない、と思うけれど。
「僕は、何があっても、リンを護るよ。」
何者からも。享悟自身からも。
動かない腕を無理やり動かして、享悟は心臓の上を強く、二度、叩いた。
息が止まりそうなほどの激痛が全身を襲う。
この、痛みを、忘れるな。
痛みと共に、誓いをからだに刻み込んだ。
婆は真剣な目をして享悟の誓うのを見届けてくれた。
誰かに見届けられることで、誓いはよりいっそう強固になる。
無事に誓約は成され、痛みに声も出ない享悟に、婆は優しく微笑んだ。
「坊ちゃん、リンのこと、どうかよろしく御願い致します。」
「ばっちゃんに、頼まれる、ことでも、ないだろう?
リンを連れてきたのは、この僕なんだし。
むしろ、リンを預けて、世話をお願いしたのは、僕のほうなんだから。」
息も絶え絶えになんとか話す享悟に、婆は静かに首を振った。
「そこまで誓ってくださる坊ちゃんだからこそ、お話ししましょう。
リンはの、もしかすると、照太の子かもしれませぬ。」
「照太兄の?リンが?子ども?」
享悟は目を丸くした。




