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重内道雄と曇り空

【重内道雄と曇り空】

ーーーーS記念公園・大広場付近


「だから僕は何もしてないって言ってるじゃないですか!」


 S記念公園に寝泊りしているホームレスの一人、佐藤という男が大きな声を上げる。


「いや、だからね、私はこの前の金曜にこの辺りで怪しい奴を見なかったかって聞いてるだけなんだって」


 駅前の交番に勤める巡査部長の長谷川は、困り顔で白髪混じりの頭を掻いた。

 努めて穏やかな口調で話しているが、内心は受け答えもままならない佐藤に困り果てている。


「そ、そうやって僕のことを疑ってるんですよね!」

「疑ってるとかじゃなくてただの聞き込みなんだが……弱ったなぁ……」


 一向に話が進まないのでどうしたものかと長谷川が悩んでいると、二人に声をかける者がいた。


「おーい佐藤さん、でかい声あげてどうしたんだ?」


 両手にポリ袋を抱えた重内 道雄(しげうち みちお)というホームレス仲間が近づいてきた。

 今年で五十八歳になる彼だが、よく日に焼けた顔とたくましい身体つきもあって実年齢よりもずっと若く見える。ホームレスだと言われなければ工事現場の屈強な作業員のようだ。


「シゲさん!」

「おぉ、シゲさんか」


 道雄がこの場に現れたことで佐藤だけでなく長谷川もほっと安堵の息を漏らす。

 彼はこの辺りのホームレス集団のリーダー格の男であり、仲間たちからは『シゲさん』と呼ばれて慕われている。立場上ホームレスたちと近隣住民の揉め事を仲裁することも多く、長谷川とも面識があった。


「こりゃ長谷川さん、お疲れ様です。どうかしたんですか?」

「この前の金曜に蓮ヶ池あたりでひったくりがあってね、何か情報はないかと聞き込みをしているんだよ」

「この人、僕たちのことを疑ってるんです!」


 長谷川の言葉に間髪入れずに佐藤が叫ぶ。家も金もないホームレスは周囲からの風当たりが強く、不当な扱いを受けることも決して少なくなかった。臆病なところがある佐藤は、長谷川の発言に対して過敏に反応してしまっているようだ。


「よしなよ佐藤さん。長谷川さんは理由もなく人を疑ったりする人じゃないって」


 佐藤をなだめながら道雄は長谷川の質問に答える。


「俺は特に怪しい奴とかは見てないなぁ。俺たちが寝泊りさせてもらってるのは公園の北の方だし、蓮ヶ池とか大広場がある南の方は利用者の邪魔になるからあんまり来ないんだよ」


「そうかそうか。仲間内でもし怪しい奴を見たって話を聞いたら教えてくれると助かるよ。あんたらの情報網は案外頼りになるからね」


 長谷川も道雄のことを信用しているようで、それ以上を深く聞ことはしなかった。

 去り際に佐藤の方を一瞥して尋ねる。


「……そういやこの人、結構前からお仲間さんだっけ?」

「佐藤さんかい? 半年くらい前に俺らのところに来た新しい仲間だよ」


 何か思案するようにじっと佐藤の顔を見つめる長谷川。疑うような視線を向けられて、佐藤は思わず怯えて道雄の後ろに隠れた。佐藤に限らず、警官に懐疑的な視線を向けられては無理もないだろう。


「彼がどうかしたかい?」

「あぁ、いや、どっかで会ったことがあるような気がしただけだよ。半年以内ならさすがに私も覚えているだろうし、気のせいだろう。怖がらせてすまなかったね、それじゃ」


 そう言って長谷川は自転車に跨ると、挨拶がわりにベルを鳴らしてその場を去っていった。話を終えた道雄たちもホームレスのたまり場となっている公園北の雑木林へ向かって歩いていく。


「ふぅ〜……助かりました、シゲさん。……すみません、いつも迷惑かけてばかりで」


 申し訳なさそうな顔で佐藤が頭を下げた。

 まだ四十代前半の彼は道雄たちの仲間内では最も若い。妻とともに道雄たちのホームレスコミュニティに流れてきた新参者であった。佐藤のように比較的若く、しかも夫婦でホームレスとなるというのは珍しいことだったが、なぜホームレスとなったのかは誰も聞かないようにしていた。仲間たちの余計な過去を詮索しないというのは暗黙のルールだからだ。

 あまり自分から人と関わるタイプではない彼が、コミュニティの中にうまく馴染むことができたのは、まとめ役としての道雄の存在が大きい。


「なぁに、俺らみんな世間の爪弾きもんだ、助け合ってナンボだろ。その分、俺が困ったときには思いっきり助けてもらうから気にすんな!」


 そう言って道雄が大きな声で笑うと、先ほどまで不安で青ざめていた佐藤の顔からも自然と笑みがこぼれた。その屈託のない笑顔にホームレス仲間たちはいつも救われるのであった。


「奥さん、調子はどうだい?」


 道雄が心配そうに尋ねる。佐藤の妻は元々身体が弱い方らしく、一月ほど前に体調を崩したきりここ最近はほとんど寝たきりに近い生活を送ってるようだった。


「正直あまり良くありません。最近は咳だけでなく熱も出るようになってきて……」


 佐藤は悲痛な面持ちでそう言うと、無力さとやりきれない思いから強く拳を握りしめた。

 ホームレスの死因で圧倒的に多いのが病死である。普段の生活費を稼ぐことすら難しい彼らは、満足に病院に行くことさえできない。市販の薬を買うことすら困難なので、なんてことのない風邪で衰弱し、死に至ることもある。

 こうしたリスクと負担を軽減するために、貴重な日用品や医薬品をコミュニティの中で共有しあって生きているのだ。


「風邪の薬なら田岡さんがまだ予備を持ってたはずだ。気休めかもしれないが飲めば少しは楽になるかもしれない。 ……あとこいつは俺から」


 そう言って道雄は両手に持っていた大きなポリ袋の中から、 個別に包んであった小さな紙袋を取り出すと佐藤へと差し出した。

 佐藤が中を見てみると、そこには焼き菓子など幾つかのデザートが入ってた。言うまでもなく彼らにとっては贅沢品だ。


「シゲさん、これは……!?」

「杉山さんとこで、切った植木の片付けを手伝ってきてな。駄賃代りに廃棄になる食い物をもらってきたんだ。奥さん甘いもん好きだったろ? 来週も手伝い頼まれてるから、遠慮しないでみんなで分けようや」


 道雄は生計を立てるためのに、よく地域住民の手伝いをして食料や日用品を分けてもらっている。報酬を得るだけでなく、住民たちと良好な関係を築くこともできるという彼ならではの処世術であった。


「た、助かります! 本当にシゲさんにはなんとお礼を言ったらいいのか……僕なんてロクなもの拾ってこないっていうのに」


 佐藤は申し訳無さそうに頭を下げる。

 コミュニティに加わるようになってから、佐藤は他の仲間たちの力になりたいと、T市のあちこちに足を運んではいろいろなものを拾ってきた。優しく接してくれる仲間たちに恩を返したいという彼なりの思い故の行動だったのだが、彼が拾ってくるのは穴の空いた鍋や錆びつき金にもならない家電など、どれも役に立たないものばかりだった。


「いいんだよ、佐藤さんのその気持ちだけで十分さ」


 道雄はその言葉が心からのものであるというように、優しそうな顔で笑いかける。

 だが、その笑顔はすぐに消え、突然神妙な顔になって佐藤に尋ねた。


「ところで佐藤さん、ちょっと聞きたいんだが……この前ウサギのお面を沢山拾ってきただろう、あれどうした? ほら、廃倉庫から打ち上げ花火やら屋台の骨組みやらと一緒に持ってきたやつだよ」

「あぁ、チョコラビのお面ですか? あれならこの前、田岡さんに譲りましたよ。皿の代わりに使えるかもしれないとか言ってましたけど……」


 一ヶ月ほど前、佐藤が廃倉庫から大量の荷物を運んできたことがあった。大半のものがいつものように役に立たないガラクタだったが、その中にはチョコラビのお面が何十個も詰め込まれた袋があった。後に分かったことだが、その廃倉庫は去年に倒産したイベント会社が管理していた倉庫であり、催し物の道具を保管する場所だったという。チョコラビのお面の他に、花火や屋台の骨組みがあったのはそのためである。


「そうか、田岡さんがね」

「あの……それがどうかしたんですか?」

「いや、いいんだ。忘れてくれ」

「は、はぁ……」


 そんな話をしているうちに、二人はホームレスたちのたまり場へと着いた。段ボールと青いビニールシートで作られた、家とは呼べない何かが幾つも建ち並んでいる。都市圏ではホームレスがコミュニティを形成することは珍しくない。T市でもそれは例外ではなく、付近のホームレスのほとんどがこの場所に身を寄せ合って暮らしており、このあたり一帯だけでも二十人余りのホームレスが居る。

 こういったコミュニティは住民からの苦情の末に行政から立ち退きを勧告されることも多い。それ故、彼らはあまり目立たないように、公園の奥の雑木林の中にひっそりと身を寄せて、息を殺しながら暮らしているのであった。

 今日の収穫の分配を仲間たちに任せると、道雄たちは佐藤夫妻が寝床にしている段ボール小屋の内の一つへ足を運んだ。

 人二人が屈んでどうにか入ることのできる二帖ほどの空間は、人の住処と呼ぶにはあまりにも粗悪で簡易的なものだった。それでも、佐藤たちの小屋は彼らがコミュニティに流れてきてから作られたものなので比較的新しいほうである。

 暖簾のように垂れた入り口のシートに道雄が手をかけようとすると、風に吹かれるでもなくシートがひとりでに捲れ上がった。ちょうど年配の男が小屋から出てくるところへ鉢合わせたからだ。


「田岡さんじゃないか」


 道雄に田岡と呼ばれたその男は、ホームレスたちの中で最年長であり、このコミュニティの古株でもある。その年老いた顔に刻まれる幾つもの皺は、彼の人生の苦難を物語っているようだ。


「シゲさんと佐藤の旦那か、遅かったな」

「佐藤さんに何か用だったのか?」

「用があったのは旦那じゃなくてカミさんの方だ。熱があるって聞いたんで薬を届けに来ただけだ」

「あ、ありがとうございます」

「カミさん具合悪いってのに呑気にほっつき歩いてんじゃねぇ」

「…………すみません」


 田岡から非難するような視線を浴びせられて、佐藤は申し訳なさそうに頭を下げる。佐藤がコミュニティに加わってから半年ほどになるが、強面でぶっきらぼうな田岡のことがどうにも苦手である。田岡も大人しく気弱な佐藤のことをあまり快くは思っていないようで、何かにつけてはトゲのある言葉をかけるのだった。


「さっきちょうど薬の話をしていてな、田岡さんとこに行こうと思ってたんで助かったよ。ありがとうな」


 二人の間の硬くなった空気を和らげようと、道雄が意識して明るい声で田岡に語りかけた。


「……礼言われるようなことでもねぇよ。おい、カミさん今落ち着いて寝てるから起こさないようにしてやれよ」

「は、はい。何から何まで……ほんとすみません」

「……ったく」


 不機嫌そうに小さく舌打ちすると田岡は自分の小屋の方へと歩いていった。


「あ、田岡さん待ってくれよ」


 佐藤をその場に残して道雄は彼の後を追う。


「なんだ、まだ俺に用か? 薬ならさっき佐藤の嫁さんにくれてやった分しかないぞ」

「いや、薬の件はもういいんだ。ちょっと別件で聞きたいことがあってな」

「なんだよ、改まって」


 道雄は歩きながら周囲に誰もいないことを確認すると、声を殺して田岡に話しかけた。


「佐藤さんがこの前ウサギのお面を拾ってきたことがあっただろう。今は田岡さんが持ってるって聞いたんだが……どうした?」

「あぁ、あれか。あれはこの前、佐藤に拾ってきた場所を聞いて元あった廃倉庫に戻してきたよ。皿の代わりにでもなるかと思って貰ったんだが、穴が空いてるから汁物には使えなくてな。いちいち穴を塞ぐのも面倒だしよ」

「そうか……それじゃ田岡さんがウサギのお面を持ってたってことを知っている人は他に誰がいる?」

「シゲさんと佐藤だけだよ。……あぁ、あとは佐藤のカミさんもか? なんだ、あのお面がどうかしたのか?」


 要領を得ない質問が続くので田岡は段々と怪訝そうな顔になる。


「……田岡さん、チョコラビ男って奴を知ってるか?」

「ちょこらびおとこ?」

「あぁ。ウサギのお面をかぶった男がT市内に出没したってちょっとした騒ぎになっていてな。北緑台のあたりで女子大生を不審者から助けたり、S記念公園でお婆さんからひったくりをしたって話なんだが……」


 小さく低く、だがそれでいてはっきりとした口調で、道雄は田岡に今T市で噂になっているチョコラビ男の話を聞かせた。

 ホームレスながら道雄は顔が広いこともあり、この数日の間に街のあちこちでチョコラビ男について話を聞いた。そしてそのウサギのお面が、佐藤の拾ってきたものと特徴がぴったり合うということにすぐ気がつき、不安を募らせていたのだ。


「おいおい、なんでそんなことになってんだ!?」


 チョコラビ男の噂話の一部始終を聞いて、田岡が頓狂な声をあげる。普段、物静かな彼がここまで感情を露わにすることなど、道雄も見たことがない。その様子から彼の動揺がどれほど大きなものか推し量ることができた。


「俺じゃねぇぞ、 そのチョコラビ男とかいう奴は!」


 動揺のためか怒鳴りかかるような剣幕で田岡は道雄に訴えかける。


「わかってる。わかってるからそう大声を出さないでくれ。誰かに聞かれたらまずいだろ」


 道雄に言われて我に返ると、田岡ははっと口元を抑えて息を殺した。


「一応聞くが、チョコラビ男とやらに心当たりはないか?」

「それが……あるにはあるんだ」

「何?」


 予想外の返答に今度は道雄が顔を強張らせる。眉間に寄せた皺をより一層深いものにして、田岡は思い出すように話し始める。


「さっきウサギのお面を元あったところに戻してきたって話をしただろ。それがちょうどシゲさんが言うチョコラビ男とかいう奴が出たっていう日なんだ。その道中で道端で男にぶつかってよ、荷物を派手にぶちまけちまった。全部拾ったつもりでいたんだが、もしかしたら……」

「拾い漏れがあったのかもしれない」


 道雄の言葉に田岡が緊張した顔で頷く。


「元あった数なんて数えちゃいないんだ、拾い切れてなかったお面があったのかもしれない。何より一個や二個落としたままになっていたからって、さして問題じゃねえと思ってたから、俺もさっさと拾うのを切り上げて廃倉庫に向かっちまった。……クソ、こんなことになるならもっと念入りに探しとくんだった!」


 田岡の話によれば彼とぶつかった男、あるいは後にその場を通りかかりお面を拾った誰かがチョコラビ男の正体ということになるだろう。そして田岡も街中を騒がせるこの噂話に関わっている重要人物と言える。


「多分あのときにぶつかった男、あいつが犯人だ、俺じゃない! そもそも俺はその日、蓮ヶ池には近づいてもない!」


 道雄は田岡の訴えに無言で頷くと、励ますように軽く彼の肩を叩いて続けた。


「あぁ、わかっているよ。そいつはどんな男だったんだ?」

「それがニット帽をかぶってマスクつけてたせいもあって顔はほとんど覚えちゃいない。服装は黒づくめで、背格好は俺と同じか、少しでかいくらいだったと思うが……他にこれといった特徴は思い出せねぇ」

「……そうか、もし何か他に思い出したことがあったら教えてくれ。わかってると思うが、このことは他言無用で頼む」

「勿論だ。俺も男と会った場所にまた行ってみる、何か手がかりが見つかるかもしれねぇ」

「あぁ、助かるよ」


 それだけ言うと道雄は田岡と別れ、今回の件について考えながらあてもなく歩きはじめた。

 しばらくして難しい顔で空を見上げると、陰鬱な曇り空が目に入った。空一面を覆う重く分厚い雲からは、今にも大粒の雨が降り落ちてきそうだ。

 冷たい空気に撫でられて身震いすると、道雄は誰にでもなく呟いた。


「……さて、こいつはどうも雲行きが怪しくなってきたな」

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