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チョコラビ男

【チョコラビ男】

ーーーーS記念公園・小広場


 S記念公園内にある小広場。メインの散策ルートからも外れているので、駅に近い大広場とは違って日中でもこちらにはあまり人気がない。まして薄暗い夜ならば尚更だ。

 ところが今夜は十数人の若者たちがその場にたむろしていた。皆が髪を鮮やかに染めたり、鼻や耳に大きなピアスをつけていたりと攻撃的で挑発的な容姿をしている。

 若者たちは二つのグループに別れているようで、鬼気迫る形相でお互い睨みあっている。手に武器になる角材やバッドを持っている者もおり、誰がどう見ても友好的な会合ではないことがわかる。

 彼らは東W高校と西M高校の不良学生たちだ。先日路上で小競り合いになった際にそれぞれの言い分が食い違い、お互いでたらめを言っていると主張し合っていた。口論は次第にエスカレートしていき、口汚い罵り合いへと発展、ついには自分たちのチープで高尚な誇りを賭けた決闘へと発展し今に至る。


「よくもまぁぞろぞろと」


 物陰から若者たちの様子を伺っていた尊作がぼそりと無感情にこぼした。


「あいつらホントに暇なんだろうなぁ。将来のこととか何も考えてなさそうで同じ高校生としてうらやましいよ」


 それを聞いていたひばりも蔑むように彼らを批判する。


「俺からしてみればお前も似たようなもんだが……」

「は? 俺のどこがあいつらに似てんだよ」


 ひばりが尊作に食ってかかろうとしたとき、不意に彼のスマートホンがバイブレーションでメッセージの着信を告げた。


「お、鈴村さんからだ」

「連絡は千森さんからじゃないのか?」


 事前の打ち合わせでは華奈から連絡が入るはずだったので、尊作は何かあったのかと不審に思う。華奈から沙奈恵のマンションの前にチョコラビ男が現れたという連絡は届いていたので、彼女の身に何かがあったのではないかと案じたのだ。

 沙奈恵からのメッセージを読み進めるひばりは何故か表情を曇らせていったが、最終的には安堵したようで、簡潔に結果を尊作に伝えた。


「なんか色々あったみたいだけど……とりえあず向こうは無事にチョコラビ男を捕まえたみたいだよ」

「……よし!」


 普段、喜ぶ素振りなど人に見せない尊作でも、この時ばかりは拳を強く握りしめて感情を露わにした。骸骨のような顔の彼が暗闇の中で笑うとちょっとしたホラーである。


「で、チョコラビ男はどんなふざけた野郎だったんだ?」

「いや、それが、向こうの状況がよくわかんないんだよ……」

「何?」


 眉間に皺を寄せながらひばりが沙奈恵からのメッセージの内容を尊作に伝える。


「捕まえたチョコラビ男の正体は鈴村さんのストーカーじゃなくて実は千森さんのいとこで、千森さんは女子大生を不審者から助けてその子から求愛されてるって。不審者はついさっき警察に逮捕されたみたいだけど、警察はその不審者をチョコラビ男だと思ってるみたい」

「………………は?」


 意味不明な話が飛び出してきたので思わず聞き返す尊作。頭の中で今の話を何度か繰り返して読み上げてみたが、やはり全く状況が理解できない。しばらく無言のまま考えて呟く。


「……彼女は混乱しているのか?」

「鈴村さんしっかりしてるしそんなことはないと思うけど……とりあえず二人とも無事ではいるみたい」


 しばし難しい顔で悩んでいた尊作とひばりだが、皆目検討がつかないので考えるのを止めた。

 そうこうしているうちに小広場の不良学生たちに動きがあったからだ。


「……まぁいい、こっちもここからが勝負所だ。事が済んだらゆっくり話を聞くとしよう」

「だね」

「準備はいいか、クソガキ」


 尊作がひばりにいつもの不機嫌そうな低い声で話かける。


「こっちはいつでもいけるぜ、おっさん!」


 緊張をかき消すように、ひばりは力強く答えた。


「お前ら、今回はよくも舐めたマネしてくれたな」

「てめぇらこそ、覚悟はできてんだろうな?」


 不良たちは一触即発の状態で今にも殴り合いを始めようというヒリついた空気が小広場を満たしていた。

 各々の集団のリーダー格と思われる男たちが最前線で睨み合っている。


「……ケリ、つけようじゃねぇか」

「あぁ、やってやるよ」


 少しでも相手を怯ませようとドスの利いた声で威嚇するようにそれぞれが言う。

 お互いを牽制し合うように静かに重い時間が流れていく。

 やがて一帯の空気が重苦しい緊張で満たされ、思い切り弾け飛んだ。


「やるぞお前らぁ!」

「いくぞオラァ!」


 不良たちの怒号が響き、それぞれの集団が一斉に飛び出す。


 と、その瞬間。


 ガンガンガンガン!!

 と、金属をぶつけ合うようなけたたましい音が鳴り響いた。


「な、なんだ!?」


 相手グループに集中していた不良学生たちは、突然意識の外から鼓膜を激しく揺らされ、狼狽え身体を硬直させた。当然喧嘩どころではなくなり、皆がどよめきながら音のした方向を見る。


 すると小広場の端で男がフライパンにお玉を力任せに打ち付けている姿が目に飛び込んだ。

 不可解なその行動だけでも不良たちにとってはおよそ理解し難いものだったが、その顔を見た途端に全員の思考が停止した。


 その男がチョコラビのお面をつけていたからだ。


「は? あれってもしかしてチョコラビ男……ぐあ!?」


 話題のチョコラビ男がこの場に現れた意味がわからず一同は混乱する。

 不良学生の一人が目の前の光景を処理できずに呆然としていると、急に背後から押し倒された。

 手にしていた武器はあっという間に取り上げられ、力任せに身体を拘束されてしまった。

 敵対グループの仕業かと思い、身をよじって拘束者の顔を確認したが、その顔を見るなり驚いて目を見開いた。

 信じられないことに、街灯に照らし出されたその顔もまた、チョコラビのお面をかぶっていたのである。


「チョコラビ男参上だ!」


 彼を取り押さえるチョコラビ男の一人が得意気に叫んだ。

 それに続くようにあちこちで声が上がる。


「俺もチョコラビ男だ!」

「おっと、こっちもチョコラビ様だぜぇ!」

「私もよー!」


 気が付くとその場は数十人のチョコラビのお面をかぶった集団に占拠されていた。共通しているのはチョコラビのお面だけで、性別も体格も来ている服もてんでバラバラである。大半が薄汚れた服を着ているようだが、一体何の集団なのかは全くもってわからない。

 そうこうしている内に不良たちは皆、瞬く間にチョコラビ男たちに取り押さえられてしまった。虚を突かれた上に自分たちよりも人数の多い第三勢力が乱入してきたとあっては成す術もない。もはや相手グループへの敵意などどこへやら、脳内はただただ疑問の渦に埋め尽くされ、誰もが状況を飲み込めずにいる。


「ど、どうなってんだこりゃあ!?」


 東高のリーダー格を思しき不良学生が、チョコラビ男たちに押さえつけられながらも精一杯叫ぶ。

 気がつくと、いつの間に連絡をとったのか、小広場には何人かの警官が駆けつけていた。警官たちも目の前のチョコラビ男の集団にはさすがに面食らっていたが、チョコラビ男の何人かが状況を説明しているようだ。


「何って見てわからないか?」


 リーダー格の不良学生の前に一人のチョコラビ男がゆっくりと歩み寄ってくる。

 くたびれた灰色のコートを羽織るその男は、彼の前に屈みこむとゆるやかな手つきでチョコラビのお面を外す。

 落ち窪んだ目と痩せこけた頬が骸骨のような印象を与えるその男は静かに言った。


「これが俺たち、チョコラビ男の正体だ」


 骸骨のような顔の男ーー大堂尊作はそう言って不敵に笑うのだった。


ーーーーS記念公園・喫茶店『ラパン』


 時を遡ること数日前。

 喫茶店ラパンで尊作たちに道雄が出会ってすぐのことである。

 道雄がチョコラビ男の騒動を終わらせる妙案があると言うので、尊作たちはその策を聞いてみることにした。各々が軽い自己紹介を挟んだあと、道雄は淀みない口調でその考えを語り始めた。


「俺の案ってのは他でもない。チョコラビ男って謎の人物の正体を、俺たちで上書きしちまおうってことだ」

「上書き? どういうこと?」


 何を言っているのかわからない、とひばりが眉をひそめて尋ねる。華奈や沙奈恵も同じく、その話だけではいまいちピンと来ていない。ひばりたちの反応を見て道雄はゆっくりと補足の説明を始めた。


「チョコラビ男ってのは正体がわからないからみんな好き勝手に憶測して噂話が膨らんでいるんだろう? だったら俺たちで明確な答えを用意しちまえばいいのさ。そうすればこの噂話は”未知”の部分がなくなって想像の余地がなくなる。例えば『チョコラビ男はS記念公園にある喫茶店の店主で、日頃のストレスから話題作りのために騒ぎを起こしていました』……なぁんて話が事実だったとしたら、チョコラビ男って謎の人物が持っている神秘性は綺麗さっぱりなくなっちまう。みんな正体が謎に包まれていたから面白おかしく騒いでたんだ、正体がわかった途端に見向きもしなくなるかもしれない」

「……一理あるな。この馬鹿げた噂話を静めるには効果的な方法かもしれん」


 黙って話を聞いていた尊作が同意する。チョコラビ男に明確な実体がないから人々の空想の中でその存在が際限なく大きくなってしまうというのは、一連のチョコラビ男騒動に対する尊作の見解とも合致していた。こちらでチョコラビ男の偶像を壊すシナリオを用意できれば、これ以上の噂の肥大化は阻止することができるだろう。なんなら道雄の言うように事がうまく運べばチョコラビ男騒動自体を終わらせることができるかもしれない。


「だがそれを成し遂げるためには少なくとも二つの条件をクリアする必要がある」


 そう言って尊作は細く骨張った指を二本突き立てた。


「まず一つはチョコラビ男騒動の真犯人の確保。これは絶対条件だ」

「たしかに、いくら私たちがチョコラビ男の答えを用意したって、そもそもの犯人がまた新しい事件を起こしてしまったら意味ないものね」


 尊作の言葉に華奈がもっともだと頷いて返す。道雄も彼女の言葉を肯定しつつ尊作に言葉を返す。


「千森さんの言うとおりだ。だからどのみち犯人はとっ捕まえるしかない」

「結局それじゃんかよ、それが簡単にできたら苦労はしないって〜」


 ひばりが不満そうに音を立ててストローをすすった。溶けた氷によって薄まったアイスコーヒーが不快な音を立てて吸い上げられていく。そんなひばりの指摘に答えたのは道雄だった。


「闇雲にチョコラビ男を捕まえることはできないが罠を張ることはできるだろ?」

「ふむ、こっちには鈴村さんもいるしたしかに奴を誘き出すこともできるかもしれん」


 尊作はちらりと沙奈恵の方を見た。


「え、私?」

「ちょっと待って、まさか鈴村さんに囮になれってこと?」


 尊作の意見に異議を唱えたのは華奈だった。いくらチョコラビ男を捕らえるためとはいえ、沙奈恵の安全が脅かされるような作戦は華奈としては許せるはずがない。


「もし鈴村さんに危険にさらされる可能性があるなら私たちは協力できないわ」


 つっぱねるように語気を強めて華奈が言う。今まで関わりの少なかった華奈が自分のことを本気で心配してくれているのだとわかって沙奈恵はどこか嬉しかった。


「千森さん……ありがとう。でも私なら大丈夫だよ」

「……わかった、鈴村さんがそう言うなら止めはしない。けどもし何かあっても私が必ず守る。一時的とは言え私はあなたのボディーガードなんだから」

「ふふっ、そうだね……でも私が協力したからってチョコラビ男がそう都合よく現れるとは思えないです。やっぱり他の方法を探した方が……」


 自身の身を案じられて「大丈夫」と答えた沙奈恵だったが、その真意はストーカーの話が彼女によってでっちあげられたものだったからである。自分を餌に罠など張っても無意味なことが明白だったからだ。

 数日後、幸太郎の手によってその作り話が嘘から出た実になろうとは思ってもいないこの時の沙奈恵が消極的なのは当然の反応であった。


「そこは十分勝算のある賭けだと思っている。何せチョコラビ男の行動の元になった予告文の作者と投稿者がいるんだ」


 そう言って道雄は尊作とひばりを交互に見比べた。


「……チョコラビ男の行動を誘導するようなシナリオをこっちで用意するってことか」


 道雄の意図を察して尊作が言った。その言葉を肯定するように道雄が頷きながら答える。


「そういうことだ。チョコラビ男はひばり君が投稿した文章の内容をなぞっているように思える。だったらこっちで新しい筋書きを用意してやればある程度は次の行動を予測できるんじゃないかってな」

「なるほどね、たしかにそれなら可能性はありそうだけど……。そんでチョコラビ男をうまく捕まえることができたとして、もう一個の条件ってのは?」


 ひばりがじれったそうに話に口を挟む。


「もう一つの条件、それは俺たちが上書きするチョコラビ男の正体が、人々の納得する内容かどうかだ」


 尊作が無愛想な顔のままで答える。


「『チョコラビ男騒動の真相はこういうことだったんだ』と思わせ、そこから下手に想像が広がらないものを用意する必要がある。当然それが真実である必要性はないが、できるだけつまらなく下らない答えの方がいいだろう。期待と妄想に胸が膨らんでいるほど、滑稽な事実を知ったときの落胆もでかい。そのために情報を操作する手段も気になるところだ」

「それについては……コイツを使う」


 そう言って道雄は上着の懐からあるものを取り出し、テーブルの上に置いた。


「なに?」

「は!?」

「え!?」

「これって……」


 尊作たちはそれを見て驚き、言葉を失った。

 それもそのはず、道雄が皆の前に披露したのはチョコラビのお面だったからだ。顔中がチョコレートのように真っ茶色、白い歯を見せ笑う間抜けなウサギの顔は見間違えるはずもない。


「おっさんこれをどこで?」

「さっきも言ったろ、仲間がチョコラビのお面を持っていたって。廃倉庫に捨ててきたっていうんで確認も兼ねて行ってみたら、たしかにそこで袋に何十枚と入ったこのお面を見つけた。それで何かに使えるかもしれないと思って一枚拝借してきたんだ」


 数日前、ホームレス仲間の佐藤や田岡からチョコラビのお面と廃倉庫の話を聞いていた道雄は、真偽を確かめるべく実際にその廃倉庫へと足を運び、そこで見つけたチョコラビのお面を一枚持ってきていた。

 チョコラビのお面については佐藤が見つけて、田岡が元の場所へ戻してきたという経緯があると聞いていた道雄だが、要らぬ混乱と誤解を防ぐためにあえて詳しい説明は省いた。


「たしかにこいつは扱いようによってはかなり使える代物だな。で、これでどうしようってんだ?」

「それなんだが、このお面を使って『チョコラビ男はホームレス』だったって筋書きにしようと思う」

「チョコラビ男がホームレス? どういうこと?」


 それがどんな意図によるものなのかわからず、ひばりが難しい顔で疑問を投げかける。


「……俺が言うのもなんだが、ホームレスってのは社会的弱者だ。テレビに出るような有名人や、実際に自分たちと関わりのある人間と違って、多くの人間はそこらのホームレスは興味の対象にならない。誰がどこで何をしてようが、自分に直接関わらないならどうだっていいって人間がほとんどだろう」

「だからチョコラビ男の正体をホームレスにすることで一気に興醒めさせようってことか」


 尊作の推論に道雄が黙って頷く。


「まぁたしかに……チョコラビ男がただのホームレスだったらだいぶがっかりするな……」


 ひばりはチョコラビ男がホームレスだったという想像をしてみることにした。一連の出来事の中でその行動や背景に疑問があっても『でも結局正体はホームレスだった』と考えると、急にどうでもいい気がしてくる。チョコラビ男の不可解な行動の理由を知りたいという興味自体が失せてしまうようだ。

 道雄の言うようにチョコラビ男の正体が有名人だったり、身近な人間だったならば、その動機や背景にも興味が湧くが、どこぞのホームレスならたしかに気にもならない。

 もっとも、それは何もチョコラビ男の正体をホームレスとした話に限ったことではないのだろう。

 尊作や道雄が言っていたように、チョコラビ男の最大の魅力はその謎だ。彼の正体が判明するというのはその謎という魅力を失うことになる。尊作の言う「滑稽な事実を知った落胆」というものがひばりにもよくわかる気がした。


「……そんなことをしたら今後あんたらホームレスに罪を着せる目的で、チョコラビのお面を悪用する奴が出ないとも限らないだろ」


 尊作が刺すような視線で道雄を見ていう。小説家の彼だからこそ、一つの仮定から生まれる可能性をすぐに推測し言及することができた。


「たしかにそれはあり得なくはない。だから最後にこのお面を処分するってところまで情報を拡散させたい。『チョコラビ男の正体はホームレスだった。けれど、もう彼らがチョコラビのお面をかぶることはない』ってな感じでな」

「なるほどね……まだ大筋しか決まってないけど、おっさんの作戦面白そうじゃん!何よりこのお面を使って俺たちがチョコラビ男を逆に利用するってのが痛快だね!」


 一通り話を聞いてうんうんと大きく頷くとひばりは目を輝かせて言った。日が傾き風が冷たくなってきたテラス席から勢いよく立ち上がると、店奥のテーブル席へと移動する。


「店長ー! ノートPC借りていいっすか? ネットであれこれ動くならやっぱパソコンの方がいいんで!」

「構わないけどお店は……まぁ、今日はもう店じまいでいいか。どうせ君たちしばらく居座りそうだし……」


 困ったように店主の杉山が眉をひそめる。大のお人よしの杉山は、こういうときにいつも損をしてばかりである。

 その様子を見て苦笑いしつつ華奈と沙奈恵もひばりに続いてテラス席を後にする。


「おい、ちょっといいか」


 同じように席を移動しようとしていた道雄を尊作が呼び止めた。その表情は固く、声色も重い。


「アンタ『仲間がチョコラビのお面を持っていた』って言ったよな。そいつがチョコラビ男じゃないって証拠はあるのか」


 それは至極真っ当な疑念であった。チョコラビ男を名乗る上で欠かせないチョコラビのお面という物的証拠の所有者がいるとわかったのなら、まず第一に疑って当然だ。

 尊作から向けられた刺すような眼光を一身に受け止めて道雄が返す。


「……そりゃまず最初に怪しいと思うよな、大堂さんが疑うのも無理はない。正直俺もその可能性は否定できないと思っている。だから今回の協力は仲間たちの無実を証明するためでもあり、もし仲間にチョコラビ男がいたら締め出して自首を促すためでもあると思ってくれ」


 道雄の真剣な顔には強い覚悟が秘められているようだった。

 その固い表情を見て尊作は何かを察したようだ。


「……わかった、だがこれだけは聞かせてくれ。たしかにアンタの言う通りにすればチョコラビ男騒動は収束するかもしれない。しかし、チョコラビ男はひったくりという罪を犯し、それが街中に周知されているのは紛れもない事実だ。その事実を拭えないまま『チョコラビ男はホームレスでした』、なんて情報が出回ってみろ、下手すりゃあんたらホームレスは犯罪者集団のレッテルを貼られることになるぞ。少なくとも、騒ぎの原因ということでアンタらの立場は確実に悪くなる。S記念公園に住めなくなることだって考えられる。……それでいいのか?」


 その問いに道雄はどこか哀しさを感じさせる声で答えた。


「そのことだったら気にするな、実は少し前から公園からの立ち退きを勧告されいてな、遅かれ早かれここからは出ていかなけりゃならないと思っていたんだ。去り際に一華咲かせられるとあっちゃ、ちょうど良い機会さ。それに、俺たちは元から世間の爪弾きものだ、今更煙たがられたってどうってことない」


 そして優しい声でそっと付け加えた。


「……アンタ、おっかない顔してるけど案外お節介焼きなんだな」

「冗談はよせ。単に俺の寝覚めが悪くなるのが嫌だっただけだ」

「ははっ、そういうことにしとくよ」


 ぶっきらぼうに返す尊作を見て思わず道雄は笑いかける。表情からでは全く読み取れないが、尊作が自分たちのことを少なからず心配してくれているのは本心だろう。

 その後、道雄の提案に乗ってS記念公園に住むホームレスたちが彼らに協力してくれることが決まった。一も二もなくホームレスたちが快諾してくれたのは道雄の人望によるところが大きい。

 今回の計画の本筋である『チョコラビのお面をかぶったホームレスが不良たちの乱闘を阻止する』というシナリオは尊作の書いたものだった。道雄の話を聞いて、彼なりにホームレスたちに悪い噂が立ちにくい話を提案したのだろう。そのために東高と西高の不良たちを焚きつけたのはひばりたちである。複数のSNSのアカウントを駆使して両陣営になりすますと、不良学生たちの対立を煽るとともに、言葉巧みに乱闘が十月三十一日に起こるように誘導していったのだった。


ーーーーS記念公園・小広場


 かくして今日。

 尊作たちの作戦は決行され、S記念公園の小広場で東高と西高の乱闘騒ぎをチョコラビのお面をかぶったホームレスの集団が阻止したのだった。

 物陰から突然現れた謎の集団に狼狽え、状況を全く理解できていなかった不良学生たちだったが、自分たちを取り押さえるチョコラビ男と何人かの警察官の姿を確認することで、少しずつではあるが事態を飲み込み始めたようだ。


「くっそ、離せこの! つーか臭ぇんだよ!」


 地べたに押さえつけられている学生の一人が非難の声を上げる。手足の自由を封じられた上に、ホームレスたちのすえたような体臭が鼻を刺激するので不快極まりない。

 怒りで顔を真っ赤にして身体を動かそうとするが、大の大人二、三人がかりから力任せに拘束されているのでは成す術もない。


「だっはっは、そう言われて放すかよ。俺たちチョコラビ男はT市を守る正義のホームレスなんだ! よく覚えとけ!」

「俺はガキの頃に戦隊ヒーローに憧れててな、こういうのも悪くねぇもんだな」


 不良学生を取り押さえるホームレスたちは得意げにそんな言葉を返す。小広場ではあちこちでそんなやり取りが繰り広げられているようだった。暴れ出そうとする学生たちを補導するためにこの場に呼び出された警官たちが忙しなく走り回っている。


「次はこっちだよ、急いで急いで! ……っていうかおっさんも手伝えよ!」

「…………」


 一人ずつ順番に不良学生たちを警察に引き渡しを誘導しているひばりの姿を尻目に、尊作は構内禁煙にも関わらず、一人たばこをふかしていた。ひばりだけでなく警官たちからも白い目で見られているが当の本人はお構いなしだ。黙して小広場を見渡しながら、この状況について思案する。


 沙奈恵のストーカーというチョコラビ男本人を捕まえること、ホームレスたちと結託してチョコラビ男を名乗って不良たちの乱闘騒ぎを止めること。これら二つが尊作たちが描いていたシナリオであり、それは無事に成功したと言えるだろう。このままチョコラビ男の正体をT市内のホームレスとして上書きしてしまい、噂を拡散させることで目標は果たされる。

 しかし、すべてが終わったというわけではない。

 沙奈恵のストーカーと思われていた男は華奈が捕まえたというが、その証言によれば夢乃を助けたのも老婆にひったくりをしたのも彼ではないという。もちろん嘘をついている可能性は大いにあるが、仮に本当だった場合、それは彼以外にも別のチョコラビ男も存在するということだ。それを捕まえない限りはチョコラビ男事件が真に収束を迎えたとは言えないだろう。

 そう考えながら小広場を眺めていた尊作は、ホームレスの一人がひっそりとその場から立ち去ろうとしていることに気が付いた。

 不審に思って後を追おうとしたが、彼に続いて何人かが灯りのない林の奥へと入っていくのを見てふと足を止めた。自分の出る幕ではないと思ったからだ。


「……せいぜいうまくやるんだな」


 誰に言うでもなく小さくそう呟くと、燻るたばこの煙と冷たい秋夜の空気を目いっぱいに吸い込むのだった。

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