絡み合う意図
【絡み合う意図】
ーーーー初田家
道雄が尊作たちと出会ってから数時間が経った頃。
先輩の助力によってどうにか課題を終えた夢乃は、既に帰宅し自室のベッドでスマートホンをいじっていた。
だらしなく寝転がりながらSNSで友人たちとチャットをしているところだ。
「ユメノン、マジでチョコラビ男に会う気なの?」
「やめときな〜絶対危ないって〜」
と、友人たちは夢乃がチョコラビ男に自分から会おうとしていることをどうにかやめさせようとしている。友人たちからしてみればチョコラビのお面をかぶった男などどう考えても不審者であり、夢乃が彼に助けられたという話すら半信半疑だ。もし仮に会うことができたとしても更なるトラブルに巻き込まれる予感しかしないので、夢乃の暴走を必死に止めているところだった。
しかし、当の本人である夢乃はと言うと
「心配いらないって、ちょっとチョコラビ様に会いに行くだけなんだし」
と言った具合にてんで聞く耳を持たない。
「いや、だからそれが一番危ないんじゃん」
「なんで? チョコラビ様と会うんだよ?」
「はぁ、もういい。好きにすれば?」
「うん、元からそのつもり!」
夢乃は聞く耳を持たないというよりも、本当に友人たちの忠告の意味を理解していないようだ。恋は盲目というがこれでは何を言っても無駄だと、友人たちも降参して白旗を上げているところだった。
「だいたい手がかりもなしにどうやって会うつもりなのよ」
「そうそう、ユメノンが探してすぐ見つかるくらいだったらとっくに見つかってるって」
友人たちの指摘はもっともで、夢乃はチョコラビ男の居場所はおろか、目撃情報すら掴めていない。チョコラビ男に助けられたあの日以来、SNS上で情報を募ってはいるものの一向に有力な手がかりは手に入っていないのであった。
「う……だからこうやってSNS確認して何かないかなぁって探してるんじゃ……」
そう言って慣れた手つきでSNSの検索機能を使い『チョコラビ』に該当するキーワードを探す。
「ん?」
するとほんの数十分前から『チョコラビ』という単語を含む投稿が急激に増えていることに気がついた。急いでそれらの投稿を眺めていくと、どれも共通して『東京都T市』のネット掲示板に言及していることがわかった。夢乃もすぐに掲示板で話題となっている書き込みを確認する。
投稿内容を見るや、夢乃は驚きと興奮でベッドから跳ね起きて目を見開く。何度も何度もそこに書かれた文字を読み直すと、スマートホンを持つ手をわなわなと振るわせて狂喜の叫びを上げた。
「え、これ……ひょっとしてチョコラビ様からの新しいメッセージ!?」
ーーーー某マンション・八○三号室
その日、インターネット掲示板上の『東京都T市板』はちょっとしたお祭り騒ぎとなっていた。
チョコラビ男と思われる人物からの新たな書き込みがあったからである。
掲示板への書き込みは匿名が原則であり、ID番号も日付が変わるとリセットされてしまうが、同一人物からの書き込みであると証明するための方法として『トリップ』と呼ばれる機能がある。書き込みの際に名前の入力欄に特定の文字を入力することで、それに対応する別の文字列へと変換されるシステムを利用したものだ。名前の入力だけでは他人が同じ名前を入力してしまえば簡単になりすましができてしまうが、トリップはその元になる文字列を知っていない限り同一のトリップが付けられることはないので、よく本人証明の手段に使われている。
その日の書き込みには一連の事件の始まりの日、チョコラビ男からの書き込みと思われるものと同じトリップがつけられていたため、チョコラビ男本人からの新たなメッセージだとネットの住民たちは盛り上がっていた。
「……どういう意味なんだろ。これ」
情報収集のために掲示板に頻繁に目を通していた幸太郎もその書き込みをすぐに確認することができた。
自室のソファに座ってチョコラビ男からのものと思われる文章の意味を考える。
ーー収穫祭の賑わいを聴きながら私は街をさまよい歩く。
ーー宴はもう終わりの時が近づいている。
ーー私が私でいられる時間もあとわずかだ。
ーーその時が来てしまったら私は消えていなくなる。
ーー街に残るのはたったひとつの仮面だけ。
ーー風に吹かれ、朽ちて果てる仮面だけ。
ーー……そうだ。最後にこの街に花を飾ろう。
ーー血のように、鮮やかで美しい。大きな花を。
詩的な文章は最初の書き込みと類似する雰囲気を醸し出しているが、今回の書き込みには物語が終わりに近づいているのを意味するかのような言葉が多く、一連の出来事の終幕を暗示しているようだ。
そしてその中に書き込まれた不穏な単語で装飾された『花』という表現。
それらはこれからまた何かが起きるのであろうと人々が妄想を膨らませるに十分な言葉だった。
「これ次の犯行予告ってことか?」
「そうとは限らないだろ。これも意味のないいたずらかもしれない」
「わざわざ同じトリップ使って書き込んでるのに意味がないなんてことないだろ」
「マジでこれはやばい予感しかしない」
「血とか怖すぎ」
「え、人でも殺すのか? マジでそうなら笑えなくなってきたな」
「こわっ、T市から引越すわ」
などと憶測が掲示板では飛び交っている。不安を煽るもの、無責任な推論をぶつけるもの様々である。
幸太郎もそれらの書き込みを見ながらメッセージの意味を考える。
「収穫祭…………あ」
そこで机の上に置いてある卓上カレンダーに目がいった。
十月三十一日にはカボチャのおばけーージャック・オー・ランタンのイラストが描かれ『ハロウィン』と記されている。
先ほどのチョコラビ男からと思われる書き込みの中にあった『収穫祭』という言葉がその日を意味するのではないかと推測する。他の文章の意味はまだ予想できないが、もしこれがチョコラビ男本人からの書き込みだとしたら、ハロウィンの日に何かを起こすという暗示ではないか。このチョコラビ男という騒動の新しい事件の種が、その日にまた花開くのではないか。
そう思うと幸太郎は高揚と興奮で居ても立ってもいられなくなり、ソファから飛び起きた。
「ハロウィン……ハロウィンかぁ」
力任せに窓のカーテンを開けると、夜の帳に静まりかえった住宅街が見える。街灯や家の明かりはまばらで、夜空に浮かぶ星々と形容するにはあまりにも見劣りする。
何の面白みもないと感じていたこの街が、チョコラビ男という謎によってこれからどう染められていくのかと思うと胸が躍るようだ。
「……決めた、僕もその日にしよう。きっと喜んでくれる」
無邪気な子供のように楽しそうな笑みを浮かべると、幸太郎は一人の夜の街に想いを馳せるのであった。
ーーーーS記念公園・喫茶店『ラパン』
一方その頃、尊作たちはまだラパンに残って今後の方針を話し合っていた。店主が気を利かせて早々に店仕舞いとしてくれていたので、堂々と店の奥のテーブル席に陣取ってあれやこれやと作戦会議を続けていたのだった。
「首尾はどうだ?」
尊作が隣に座るひばりに尋ねる。親子ほど歳の離れた彼らだが、全く似ていないのでとても親子の間柄には見えない。
「うまくいったみたい。『チョコラビ男からの新しい書き込みだ』ってネットは盛り上がってるとこだよ」
店主から借りたノートパソコンの画面を目で追いながらひばりが答える。
「あんまり反応なかったら自演してでも注目させようと思ったけどいらない心配だったね」
「いやぁ俺はパソコンとかよくわからないからひばり君がいてくれて本当に助かったよ」
そう言って道雄は大きな掌でひばりの背中をばんばん叩く。道雄にとっては大して力を込めたつもりはなかったが、ひばりは背を叩かれる度に衝撃でむせそうになる。
「大堂さんに書いてもらった書き込みの内容もいい感じだな。最初の文章に雰囲気もよく似てるし」
「そりゃ元のを書いたのが俺なんだ。文体を寄せて作るなんざわけない」
さも当たり前だと言うようにぶっきらぼうに尊作が返す。
「それよりネットの掲示板というのは匿名なんだろう? なぜお前の書き込みがチョコラビ男本人からだと思われているんだ?」
そうひばりに問う尊作の顔は、不可解な出来事への疑問が二割、ひばりに対する猜疑心が八割といった様子である。
「そりゃ前と同じトリップ使ってるんだから、同じ奴からの書き込みだってわかるよ」
「トリップ?」
聴き慣れない単語に今度は道雄が尋ねてくる。
「あーもー、これだからネットに疎いおっさんたちは」
説明するのも面倒臭いと言わんばかりにひばりはうんざりと肩を落とした。話題を切り替えるように沙奈恵に話しかける。
「鈴村さんのほうはどう?」
「……うん、『三十一日は一日中、家に居る』ってさっき書き込んだところ」
ひばりに話を振られ、少し落ち着かない様子で沙奈恵が答える。
チョコラビ男が沙奈恵のストーカーだった場合、彼女のSNSは監視されている可能性がある。そのためここ最近は個人情報が漏れるような発信は控えてきた。だが、こうして今予定を発信しているのには当然意味がある。
心なしか顔色の悪い沙奈恵の肩に手を置いて華奈が優しく声をかける。
「みんな協力してくれるし大丈夫。私もいるからさ」
「そうだね……うん」
「……っと、SNSの方にもちょうど話題が広がってきたとこみたいね」
華奈が手にしていたスマートホンの画面を眺めながら言う。
SNS上の発信にもちょうど先ほどひばりが投稿した内容を引用したものがちらほらと出てきた頃であった。こちらでも掲示板でのやり取りと同じようにチョコラビ男の書き込みを巡ってあれこれと憶測が飛び交っている。
「お、ホントだ。じゃ俺も複アカ使って東高と西高の奴ら煽りまくっとくよ。あいつら頭悪いからすぐ乗っかってくるでしょ」
意地悪そうに笑いながらひばりが言う。今回の作戦には不良学生たちのいざこざも利用させてもらうつもりだった。
複数あるSNSのアカウントを使って不良たちの対立を煽るとともに、彼らのフラストレーションの吐口を言葉巧みに誘導していった。先ほどまでのひばりは難事件を解決する探偵気分だったのに、今は裏で情報を操作する天才ハッカーの気分である。愚民たちが自分の掌の上で踊らされているかのような優越感がたまらなく心地よい気がした。
「しかし、シゲさんもよくこんな作戦思い付いたよな。本当にただのホームレスなの?」
この特異な状況を楽しんでいるひばりは気分良く道雄に尋ねる。この数時間ですっかり打ち解けたようで、シゲさんとあだ名で呼ぶようになっていた。
「こう見えてホームレスになる前は色々とやってたからな。それなりに人生経験も豊富なわけよ」
昔を懐かしむような顔をして道雄が答え、にこりと笑いながら渋い声で付け加えた。
「たしかに立案は俺だが、うまく脚色してくれたのは大堂さんだし、鈴村さんと千森さんが協力を承諾してくれなければそもそもこんな作戦は成り立たないさ。それにひばり君がネットに詳しくなけりゃこうも話がうまく運ぶことはなかっただろうしな」
道雄が最初に現れたときは驚き警戒こそした尊作たちだったが、彼と話していくうちにいつの間にか打ち解けていった。そして何より、チョコラビ男騒動を止めるための道雄の考えに可能性を感じていた。話し合いを続けながら次第に意見を出し合うようになり、いつしか協力して一つの作戦を練るようになっていった。
立場も境遇もバラバラな今日出会ったばかりの彼らだったが、チョコラビ男という一つの糸で結びつき、不思議と力を合わせるようになっていたのだった。
「うまく……いくかな」
沙奈恵が不安そうにぽつりと漏らす。
「そうね……でも、ま、あとはなるようになるんじゃない?」
華奈は当初はこの件に巻き込まれたという気持ちが拭えなかったが、もう腹をくくったようだ。
「何はともあれあとは伸るか反るかだな!」
胸の前で拳を掌に打ち気合いを入れるように道雄が言う。太く芯のある彼の声を聞くとうまくいきそうな気がしてくる。
「……奴は食いつくさ。間違いなくな」
「なんか根拠でもあんの?」
尊作がどこか確信めいたように言うのでひばりが気になって尋ねた。
「勘だ」
「勘かよ」
「……フン、勘だろうがなんだろうがどうだっていいだろう。この下らない噂話に俺たちの手でケリをつけようじゃないか」
尊作がそう言って咥えていた煙草をギュっと灰皿に押しつける。骨張ったその手には力だけでなく様々な想いが込められているのだろう。
その様子を見ていたひばりも尊作の気持ちが少しわかる気がした。
噂として広がり続けるチョコラビ男という存在をついにこの手で掴むことができるという期待。何よりバラバラのパズルのピースのように別々の境遇にいた自分たちがこうして巡り合い、一つの目標の前に手を組んでいるこの状況がどこか楽しいと思える。
パソコンのエンターキーを小気味良い音を立てて叩くと、ひばりは興奮を隠そうともせずに声高らかに叫んだ。
「よし、じゃあ作戦の決行は十月三十一日……ハロウィンだ!」