交わる糸
【交わる糸】
ーーーーS記念公園・喫茶店『ラパン』
「……ようやくか」
尊作はそう呟いて不気味に微笑んだ。残っていたコーヒーを飲み干すと、おかわりのホットコーヒーを注文する。
彼はここ数日の間、S記念公園にあるラパンという喫茶店を訪れていた。彼の小説を持ち去った人物の手がかりを掴むためである。あの日、打ち合わせをした時間に合わせて毎日喫茶店に足を運んでいたのだが、一杯のコーヒーで数時間粘っても成果が得られないという日々が続いていた。だが、ついに今日その執念が報われるときがきたと、思わず口元を緩めたのであった。堀りが深く、頬のこけた尊作の狂気的な笑みは、見る人によっては恐怖を感じるかもしれない。
あの日と同じテラス席に座る尊作は、なんとなく周囲を見渡す。彼の他には女性客が二人と店主、そして学生と思しきアルバイトの店員がいるだけだ。いつもと同じ静かな店内の様子を見て、これから多少騒ぎが起こってもたいして迷惑にはならないだろうと、勝手極まりないことを思う。
やがて、アルバイト店員が先ほど注文したコーヒーを運んできた。
「……こちらご注文のアメリカンになります」
店員はソーサーに乗ったコーヒーカップをトレイからゆっくりとテーブルへ移す。その動作を尊作は何も言わずに黙って見つめている。小さなコーヒーカップの中で、真っ黒なコーヒーの海にさざ波が立つ。
店員の手がソーサーから離れた瞬間だった。
尊作は獲物に噛みつく蛇のような俊敏な動きで店員の腕に掴みかかった。
「ようやく捕まえたぞ……!」
「!?」
突然腕を鷲掴みにされ、店員は驚いて体を強張らせる。抵抗してみたが、細腕とは思えない力でがっしりと手首を握られていて簡単には振り解けない。
慌てる店員を見て満足そうに頷くと、尊作は誰に頼まれたわけでもないのに、謎解きを披露する探偵のように語り始めた。
「……あの日、俺が帰った後にどんな客が来たのか店主に聞いたんだが、『あの後は都合ですぐ店を閉めたから他に客は来ていない』と言っていた。だったら誰が俺の小説を持ち去ったのかと不思議に思ったが……少し考えれば簡単なことだった。店主が知らないのなら、あの時もう一人いたバイトが犯人で間違いないってな……。なぁ、お前が犯人なんだろ?」
骸骨のように落ち窪んだ両の眼にぎろりと睨まれ、店員はびくりと身体を震わせる。
しばしの間、黙って俯いていた店員だったが、次第に小刻みに震え出した。尊作は気でも触れたかと思ったが、何故か店員は声を抑えて笑い出した。
「へ、へへっ……」
「何がおかしい?」
「いや、まさかアンタの方から来てくれるとは思ってなかったからさ」
「何ぃ?」
尊作が訝しげな顔をするのと同時、店員はトレイを放り投げると空いた手で今度は尊作の腕に掴みかかった。
「『犯人は現場に戻ってくる』っていうのは本当なんだな。なぁチョコラビ男!」
喫茶店ラパンのアルバイト店員ーー朝野ひばりは勝ち誇った顔でそう叫んだ。
ひばりはあの日に拾った小説を書いた人物こそチョコラビ男であると考え、骸骨のような男こと尊作を探すことにした。
まずは目撃情報を集めることが先決だと思い、自身のバイト先である喫茶店ラパンの店主に尋ねたところ、「ここのところ毎日決まった時間に店に来る」と教えられた。思ったよりもあっけなく犯人に近づいてしまい肩透かしをくらってしまった気もしたが、重要な手がかりを得られたという興奮の方がはるかに強かった。
そして今日、アルバイトのために店に行くとあの日と同じテラス席に骸骨男が座っているのを見つけた。
この時点で店主に事情を話して警察に通報するか迷ったが、事情を説明するのも難しく、それで実際に警察が動いてくれるという確証もなかったので、ひとまずは様子を伺うことにした。もし後をつけて現行犯の証拠を抑えることができればそちらの方が確実だと考えたのだ。
男からコーヒーの注文が入ったので自分から進んでその対応にあたった。ホットコーヒーを運んで行く最中、今すぐにでもこの男を捕まえたいという心と、怪しまれないように平静を装おうとする心、そして何も知らない男を嘲笑う心とが、ひばりの胸を際限なく膨らませていた。
ところが不意に男の方からひばりに掴みかかってきた。自分が男の小説を持ち去ったことを見抜かれ、しばし動揺していたひばりだが、今ここが修羅場なのだと腹を括ると、心の中に押し止めていた興奮と高揚が一気に溢れ出し、お門違いの正義感と謎の全能感を彼に与えた。
「店長! チョコラビ男を捕まえました! 警察に通報してください!」
ひばりが大声でカウンター奥の店主へ叫ぶ。
「はぁ!? 何を言っている!?」
ひばりのことをチョコラビ男だと思っている尊作にしてみれば、犯人から罪をなすりつけられたようなものなので、思わず声を荒らげる。
お互いをチョコラビ男だと疑う者同士、決定的な何かがすれ違い続けたまま、醜い言い争いが繰り広げられる。
「ふざけるな、それはこっちのセリフだ! お前がチョコラビ男だろうが!」
「なんで俺がチョコラビ男なんだよ! あれアンタが書いた話だろ!?」
「それをお前がパクったんじゃないかクソガキ!」
「なんで俺があんなつまんねぇ話パクんなきゃなんねーんだよ!!」
「つまらないだとぉ!?」
取っ組み合いになりながら罵り合う二人を見て、慌てて店主が止めに入る。
「ちょっと、やめなよ二人とも。まずは落ち着きなさいって」
店主が無理矢理に尊作とひばりを引き離したが、二人は息遣い荒いまま睨み合っている。
「でも店長! このおっさんがチョコラビ男のシナリオを書いた張本人なんですって!」
「それを盗んで利用したのがお前じゃないか!」
「だから落ち着いてくれって。僕には何がなんだかわからないよ!」
テラス席の騒ぎは店内の静かで穏やかな空気を無神経にぶち壊し、二人の罵り合いは至るところに響きわたっていた。
当然、この場に居合わせた他の客の耳にも尊作とひばりの会話の一部始終は聞こえている。
「喧嘩かな?」
女性客の一人ーー鈴村沙奈恵が心配そうにテラス席に目をやる。
「そうみたいね……ったく、せっかくここのスペシャルパフェを奢ってもらいに来たのに台無し」
同じ席に座る女性ーー千森華奈が不満顔でアイスコーヒーに刺さったストローを噛み潰す。
沙奈恵のストーカー問題が進展するまでの間、会社から共に帰宅する約束をしていた華奈は、今日はその報酬としてラパンにパフェを食べに来ていた。趣味もなく、普段の生活にこれといった楽しみのない華奈にとって、休日に美味しいものを食べることが唯一の楽しみであった。先週は沙奈恵の呼び出しのせいで予定がキャンセルになっていたので、今日こそはと思っていたのだが、あんな騒ぎがあってはとてもパフェを堪能できるような状況ではない。
「場所、変えようか?」
「うーん……そうね、ここのパフェはまたの機会にしようか」
気分がすっかり萎えてしまった華奈は、バッグに手をかけ席を立とうとした。
そこで尊作とひばりの言い争いに頻繁に『チョコラビ男』という言葉が飛び交っていることに気づいて動きを止めた。
「どうかした?」
「あの人たち、チョコラビ男の話してない?」
華奈にそう言われて沙奈恵も尊作たちの方を見遣る。たしかに彼らの汚い罵り合いの中には、時折チョコラビ男という単語が含まれている様だ。
「そう……みたいね。お互いに『お前がチョコラビ男だ』って騒いでるみたいだけど……」
「もしかしたらチョコラビ男について何か知ってるのかもしれない」
「……え、千森さんまさか話を聞きに行くつもり?」
「うん。この一週間でストーカーについてこれといった進展はなかったし、何か解決の糸口が掴めるかも」
「その……やめておかない? あんな騒ぎ起こすような人たちに関わるの。絶対ロクなことにならないって」
学生バイトはともかく、中年の男は明らかに気難しそうな空気を放っているので、沙奈恵は心配せずにはいられなかった。仕事でもない限りは関わりたくないタイプの人間であり、仕事でも付き合いは最小限にしたいタイプだった。
「もしどっちかが本当にチョコラビ男でストーカー本人だったら警察に通報して、鈴村さんのストーカー問題も解決でしょ?」
「それは……そうかもしれないけど」
「私は大丈夫だと思うけど、危ないかもしれないし鈴村さんは先に帰ってていいよ」
「…………」
華奈を引き止めるための理由をしばし逡巡していた沙奈恵だが、やがて観念したように小さくため息をついた。
「はぁ……わかった、私も行くよ。ボディーガードなしで一人で帰るのは怖いしね」
そう言われてから華奈は自分の立場を思い出してバツが悪そうに苦笑を返した。
二人はそっと席を立つとテラス席へと向かい、未だ話の噛み合わない尊作とひばりを仲裁しようとする店主に声をかけた。
「あの〜、大丈夫ですか?」
沙奈恵が心配そうな顔で店主を見る。
美人の沙奈恵に顔を覗き込まれて、若い頃の妻を思い出して店主は思わずどきっとときめいてしまう。
「まったく、せっかくゆっくりできると思ったのに休日がぶち壊し」
華奈が舌打ちまじりに不満を漏らす。
明らかに不機嫌そうな華奈の一言に、現在の横柄な妻を思い出して店主は思わずびくっと怯えてしまう。
「……あなたたち、チョコラビ男がどうこう言ってたけど何か知ってるの?」
尊作とひばりを交互に見て華奈が尋ねた。お互いがお互いをチョコラビ男だと決めつけて争うなんて、何か事情があるのは明白だった。
「私たちもチョコラビ男にちょっと関わりがあるの。もし何か知ってることがあったら教えてくれない?」
華奈と沙奈恵がチョコラビ男と関係があるという情報は、感情的になっていた尊作とひばりを我に返すのには効果的だった。チョコラビ男について自分の知らない何か別の事件があるのではないかと、二人の言葉を聞いて理性的に受け止めたからだ。
店主に押さえられたままの尊作とひばりは目を合わると一時休戦のアイコンタクトをとる。
「話を聞く前に……あなたたち鈴村さんとはどういう関係?」
そう言って厳しい目つきで華奈は尊作とひばりを見る。
「スズムラ?」
「誰それ?」
知らない名前が出てきたので二人は頭に疑問符を浮かべる。その顔に嘘や偽りがないことを確認すると華奈は沙奈恵の方をちらりと見た。沙奈恵は沙奈恵で尊作にもひばりにも面識がなかったので、小さく首を横に振って「彼らはストーカーではないようだ」と伝える。
「急にごめんなさい、私が鈴村です。実はチョコラビ男からストーカーに遭っているみたいなんです」
「ストーカーだと……!?」
尊作の書いた小説ーー『(仮称)善悪の仮面』にも主人公が想い人に執拗につきまとうという描写がある。主人公は純粋に想い人への恋慕を抱いていたにすぎないが、次第に悪の別人格が表層に現れるようになったことで、最終的には主人公が自身の手で想い人を殺めてしまうという悲劇的な結末となっていた。
「そういやそんなこと小説にも……」
流し読みではあったが、尊作の小説を途中まで読んでいるひばりもストーカーという言葉に思うところがあったようだ。もしチョコラビ男の行動が小説の内容をなぞるものだとしたら、鈴村という女性の身に危険が及ぶかもしれないと考える。
尊作とひばりは顔を見合わせると神妙な顔でおもむろに頷く。
「……どうやら一旦話を整理する必要がありそうだな。」
それから四人はテラス席でそれぞれがチョコラビ男とどのような接点を持っているのかを話し始めた。
尊作の小説とそのあらすじ、ひばりが小説の冒頭をネットにアップロードしたこと、そして沙奈恵のストーカー被害。それらの情報をお互いが出し合い、現在に至るまでの過程をつぶさに共有していった。途中、尊作の小説をひばりが無断でインターネットにアップロードしたことを話したときは、尊作が今にも殴りかからんばかりに激昂していたが店主がまたも止めに入り、アイスの無料券とひばりのアルバイト料一ヶ月減給でどうにか事なきを得た。給料の減額にひばりは不服そうではあったが。
「……ということは、この中でチョコラビ男と直接の繋がりがありそうなのは鈴村さんだね」
各々がひとしきり話し終えるとひばりが言った。
「お前がチョコラビ男じゃなければ、の話だがな」
忌々しそうにひばりを見ながら尊作が言う。
「だから違うって言ってるだろ、骸骨親父」
「ふん、生憎お前のような倫理観に欠けたガキを俺は信用していない」
「んだと!?」
「はいはい、その話はもうやめって言ったでしょ」
喧嘩になりそうな二人の間に華奈がすぐさま割って入った。出会って数十分だというのに、すっかり犬猿の仲と化した尊作とひばりにうんざりしている。
「……俺たちはチョコラビ男の噂の影を追うことしかできなかったが、鈴村さんは直接の目撃者だ。アンタの存在は事件の真相に近づくために大きな手がかりとなるだろう」
淡々と尊作が語るが、一方的にぼそぼそと呟くような話し方なので聞き取りにくい。
「えっと……私、ですか?」
そう言われて不安そうに沙奈恵は他の三人を見渡す。
「そりゃそうだよ、チョコラビ男が鈴村さんのストーカーなら家の前で待ち伏せしてれば、そのうち捕まえられるかもしれない!」
ひばりはチョコラビ男の尻尾を掴んだと思い、すっかり乗り気である。
「で、でも見間違いかもしれないですし……捕まえるだなんてみんなが危ないです……」
「わたしたちがとっ捕まえなくても、見つけ次第警察に通報するとかでもいいんじゃないの?」
至ってもっともなことを言う華奈だったが、ひばりが止める。
「いやいや、これは俺たちでチョコラビ男を捕まえようよ! せっかく掴んだチャンスなんだし!」
「一体何のチャンスなんだか……」
呆れる華奈だったが、意外なことにひばりの意見に賛同したのは尊作だった。
「俺もガキと同意見だな。この人騒がせな男を自分でとっ捕まえてみたいという思いはあるし、一発ぶん殴ってやらなければ気が済まん。何より良いネタになりそうだ」
「なんでそこは意見が合うの……?」
頭を抱える華奈と沙奈恵をよそに尊作とひばりは目で「決まりだな」と合図し合って頷いた。ひょっとするとこの二人は実は相性が良いのかもしれない、と華奈は思う。
「どうしよう、千森さん。なんだか大事になってないかな……」
「まぁ好きにやらせとけばいいんじゃない? ボディガードは多い方がいいし、ストーカーが捕まってくれるなら鈴村さんも安心できるでしょ」
「それは……そうなんだけど……」
いつも仕事でははっきりと物事を言う沙奈恵が、心配そうにまごつく姿が華奈には物珍しかった。自分の事情に何人もの人を巻き込んでしまうことを後ろめたく思っているかもしれない。
「で、チョコラビ男の新しい情報は何かないのか? 他に手がかりは? 俺は目撃情報のあったあたりをしらみつぶしに聞き込みしていたんだが、成果はさっぱりだ」
尊作がひばりたちを見回して言う。
「うーん、私たちも特にこれといった情報はないわ。大堂さんや朝野君みたいにチョコラビ男のことを調べてたわけじゃないし」
そう言う華奈の向かいの席ではひばりが軽快な指捌きでスマートホンをいじっていた。画面をタップする素早く滑らかな指の動きは、尊作には手だけが別の生き物のように見える。
「まぁちょっと待ちなっておっさん。今の世の中、聞き込み調査なんて時代遅れもいいとこだよ」
「何ぃ?」
「時代はインターネットだよ、ネット。掲示板やSNSで調べりゃ生きた情報がすぐに…………」
そんな軽口を叩いていたひばりだったが、ぴたりと言葉を止める。目の前に飛び込んでくる情報たちを流れるように追っていく。
「どうした?」
「……なんかやばいことになってるかもしんない」
そう言ってスマートホンをそっとテーブルの上に置いてみせた。尊作たちが小さな画面を一斉に覗き込む。
そこにはSNS上のチョコラビ男に関係する話題が書き込まれていた。いくつかの書き込みとともに、ガラの悪い若者が動物のお面を燃やしたりバットで潰したりする写真や動画が貼り付けられている。
「東高と西高って知ってるよね? T市の東と西の端にある底辺高校の。たまに縄張り争いだとか言って不良グループ同士で喧嘩が起きたりするんだけどさ、その東高の奴らがチョコラビ男に喧嘩売られたとかでキレてるらしい」
「なんだと!? チョコラビ男が出たのか?」
尊作が思わず食いつく。
「いや、それがどうもちょっと違うみたいで……」
「どういうこと?」
「ついこないだのことらしいけど、東高と西高の奴らが乱闘騒ぎを起こしたんだって。東高の奴らはウサギのお面をかぶった奴にぼこられたみたいで、そのとき西高の奴らにウサギのお面をかぶってた奴がいたから西高の仕業だって騒いでるんだけど、西高の奴らはそんなの知らない言いがかりだって騒いでるみたいで……あ、ちなみにそのときのウサギのお面っていうのはチョコラビのお面じゃないみたい」
「ややこしい上に話が見えないな。西高の奴らがウサギのお面をかぶっていたなら、東高を返り討ちにしたというのも西高の奴らの仲間なんじゃないのか?」
「そう、それが東高の言い分。なんだけど……」
「西高の人たちはそんな仲間はいないって言ってるわけね」
SNSの書き込みをスクロールしながら目で追いつつ華奈が答える。
「うん。だからお互いがお互いを言いがかりだって非難し合って一触即発みたい」
「なんだか大堂さんと朝野君みたいだね」
お互いに相手を悪人として非難し合うという構図が先ほどの尊作とひばりのように思えて、沙奈恵がぽつりと呟いた。
それを聞いて尊作ははっとしたように一瞬目を見開いた。
「普通に考えればどちらかが嘘をついているか勘違いしてるか、もしくは……第三者がいたか、だな」
尊作はそう言って落ち窪んだ目をギラリを光らせた。その目にはどこか確信めいたものが宿っている。
「もしかしてそれが本物のチョコラビ男ってこと!?」
ひばりが思わずその言葉に反応する。
「そうとは限らない。だが可能性はある」
「でも、それが本物のチョコラビ男の仕業だったとして、一体何がしたいんでしょう。不良たちの対立をいたずらに煽っただけの気もするけど……」
困ったように尋ねる沙奈恵に尊作が答える。
「案外目的なんてものはないのかもしれない。一連のチョコラビ男の行動に一貫性がないのも、話題作りだけが目的だったとしたら一応の説明はつく」
そう話しながらも尊作はあるひっかかりを感じていた。
一貫性や目的がないように思われるチョコラビ男の行動だが、ストーカーという行為にだけは、鈴村沙奈恵という明確な目的が存在している。それがたまたまなのか、何か意味があるのかはわからないが、どうにも違和感を拭えずにいたのだ。
「それにしてもこれどうするよ……だいぶ収拾つかなくなっちゃってない?」
尊作の思考はひばりの言葉で遮られた。
ひばりの視線の先、小さなスマートホンの画面を見ると、怒りに燃える東高と西高の書き込みが並んでいた。「殺す」だの「潰す」だの物騒な言葉が散見される。
「どうもこうも、私たちにはどうすることもできないでしょ。チョコラビ男を捕まえれば騒ぎが落ち着くかもしれないけど……」
華奈が力なく言うと、尊作がぽつりと低い声で呟いた。
「……チョコラビ男の騒動は全て、奴の仮面が原因だな」
「仮面?」
「あぁ。チョコラビ男というものには明確な実体がない。だから人々が好き勝手に妄想し、自分たちの都合の良いように解釈を広げ、押し付けることができる。正義の味方、悪者、愉快犯、いけ好かない他校の生徒……仮面の中身が想像によっていくらでもころころと変わってしまう」
一連の騒動を尊作なりに解釈した答えがそれだった。未知なるものに人々が自由に解釈を当てはめることで、その存在が如何様にも変貌し、再現なく大きくなる怪異。それがチョコラビ男という物語なのではないか、と。昔読んだ小説にも似たような話があったので、彼なりに今回の出来事を当てはめてそんな考えに思い至ったのだった。
「じゃあやっぱりチョコラビ男を捕まえるしかないってことじゃん」
尊作の解釈を聞いてひばりは不平を述べるように卓上のアイスコーヒーにストローでぼこぼこと空気を送っている。
「それが一番明快な解決方法だ。他にもいくつか方法はあるだろうが、現状の俺たちだけでは情報も手段も足りない。せめてもう少し、何か新しいピースがあれば……」
と、尊作が何かを言いかけたとき、突然テラス横の植え込みがガサガサと大きな音を立てて揺れ始めた。
「!?」
明らかに風による揺れではない不自然な物音に、会話を中断して何事かと身構える尊作たち。
「話は聞かせてもらったよ。盗み聞きするみたいになっちまって悪かったな」
植え込みから野太い声がしたかと思うと、突然枝葉の間から精悍な男の顔がにゅっと現れた。
緑の葉々たちの間から日に焼けた中年の男の顔だけが現れるというのはあまりにシュールな絵面だったが、状況が状況だけに華奈や沙奈恵は恐怖すら感じている。
尊作たちが身体を硬らせる奥で、闖入者に声をかける者がいた。
「なんだ、シゲさんじゃないか。まったく驚かさないでくれよ」
喫茶店ラパンの店主、杉山は困ったように知人に笑いかけた。
「悪い悪い、あんまり面白そうな話をしてたもんでつい」
シゲさんこと重内道雄は悪びれた様子もなくガサガサと音を立てて植木の中を抜けると、テラス席に近づいてくる。
「杉山さん、葉切った植木の片付けはだいたい終わったよ、倉庫の方にまとめてある」
店主にそれだけ伝えると、道雄は尊作たちの方へ向き直った。その顔をじっと見つめて、ひばりは道雄が店先で何度か見かけたことがあるホームレスだと気がついた。店主の雑用を手伝っては駄賃代わりに廃棄になる食品をもらっていく男で、たしか少し前にも手伝いに来たのを見かけたばかりだ。
道雄の登場に驚いていた尊作たちだが、どうやら店主の知り合いということで少し安心したようだ。何より屈託のない笑顔を浮かべるこの男性が悪人にはどうしても思えなかった。よく見ると彼はひどく汚れ、ぼろぼろの服を着ており、満足な生活を送ることができていないのだとわかる。その場の皆が彼の生き方をなんとなくだが察した。潔癖症の華奈はその風貌に少し顔を引きつらせている。
「で、誰なんだ、あんたは」
尊作が警戒心を残しながら道雄に尋ねる。
「おっと悪い、俺はこの公園を寝ぐらにしてるホームレスの一人、重内道雄ってモンだ。知り合いからはシゲさんって呼ばれてる。ま、好きに呼んでくれ」
「シゲさんはここらのホームレスのリーダーみたいな人でね、家と金はないけれど人望はあるし信用できる人だよ」
「ははっ、家と金がないとはまた痛いところを突くねぇ。まぁその通りなんだけれどな」
店主にそう紹介されて道雄は困ったような笑みを浮かべている。
「……で、そのホームレスが俺たちに何の用だ」
「おう、それそれ。アンタらチョコラビ男の騒動をどうにかするために作戦会議中なんだろ? 俺たちここの公園を寝ぐらにしてるホームレス連中も最近のチョコラビ男の騒動で不安な日々を過ごしてるもんでさ、その話俺もちょっと噛ませてくれないか?」
「フン、ホームレスがチョコラビ男とどんな関わりがあるっていうんだ?」
尊作は道雄の薄汚い身なりを軽蔑するような目で見ながら答える。だが道雄はそんなものには慣れっこなのか、てんで気にする素振りはない。
「それがな、俺のホームレス仲間がチョコラビのお面を持った奴に会ってるかもしれないって言うんだよ」
「何!?」
思ってもみない新たな証言が飛び出してきたので尊作を含め一同が驚きの声をあげる。
「おい、どういうことだか詳しく聞かせろ!」
尊作は興奮した様子で道雄を問い詰めたが、道雄は静かに首を横に振って答える。
「待った待った、落ち着いてくれ。説明すると長くなるから詳しくは後で話すが……かいつまんで話すと俺の仲間が偶然チョコラビのお面を持っていてな、それを道に落としちまったらしいんだが、それを拾った男に心当たりがあるって話なんだ」
「それが本当ならそいつがチョコラビ男じゃん! どんな奴だったの!?」
ひばりが驚きの声を上げる。実際その人物が分かればこの事件を解決するための大きな手掛かりになる。
「残念ながら道端で一瞬会っただけで、顔はよく覚えてないらしい」
「チッ、肝心なところで使えないな」
「期待させて悪かった。ただ俺も直接ではないにせよチョコラビ男と接点があるって知って欲しかったんだ」
悪態をつく尊作をなだめるように道雄は笑いかけると言葉を続ける。
「で、こっからが本題だ。このチョコラビ騒動を終わらせるいい考えがあるんだ、まずは話を聞いてみちゃくれないか?」
そう言って道雄はごつごつした手の人差し指をピンと立てると、淀みない口調でその考えを話し始めた。